Saturday, March 19, 2016
<ほめる>と<けなす>
以前に<名誉毀損のやまとことば、ほまれ>と言うタイトルのポストを書いたが、<ほめる>について考えてみる。<ほめる>に似た言葉で<たたえる>というのがあるが、やや大げさになるようだ。二つあわせた<ほめたたえる>というのもあるが、<たたえる>ほど威厳はないようだ。上下関係を考えると、<ほめる>は大人が子供を、先生が生徒を、上司が部下を<ほめる>、が普通のようだ。平社員が社長を<ほめる>のはやや変だが、できないことはない。一方大人が子供を、先生が生徒を、上司が部下を<たたえる>はやや変だが、これまたできないことはない。
<ほめる>の反義語は<けなす>か? <なじる>というのもある。<批判する>、<非難する>という漢語もよく使われる。これまた上下関係を考えてみると、大人が子供を、先生が生徒を、上司が部下を<けなす>のはよくみうけるが、あまり<ほめられた>ことではない。<けなす>には基本的に(表面的な意味とは別に)否定的な(悪い)意味合いがあるようだ。<なじる>は<けなす>より狭く深く<けなす>ようだ。
それでは<ほめる>が、これまた基本的に(表面的な意味とは別に)肯定的な(良い)意味合いががあるかというと、それは場合によりけりだ。なにか<悪い、良くない、あまりこのましくない>意図を隠して<ほめる>場合があるからだ。追従(ついしょう)、やまとことばでは<おべっか>だ。追従や<おべっか>は普通意識的になされるが、半ば無意識、癖(くせ)、社会的な習慣や圧力でなされる場合もある。<ほめ上げる>は主に追従、<おべっか>で使われる場合が多いようだ。<けなしさげる>という言い方はないが<こきおろす>はある。<ほめる>、<けなす>はいづれにしても実際の価値をそのまま表現するのではなくプロパガンダといえる。
<ほめる>は中立的には簡単だが<事実以上によく言う>でよさそう。
<けなす>は<事実以上にわるく言う>でよさそう。
<けなす>のほかに<そしる>というのがある。漢字は、インターネットワープロでは<謗る><誹る>と見慣れない字がでてくる。誹謗(ひぼう)の誹と謗だが、<謗る><誹る>で<そしる>と読める人はそう多くないだろう。平仮名の<そしる>でいい。では<そしる>とはどういうことか?<誹謗(ひぼう)すること>では回答にならない。薄っぺらな安い辞書にあるような一行の簡単な解説にならない解説だ。<そしる>は意味も字面も<ののしる>にちかい。<そしる>、<ののしる>は単に<けなす(事実以上に悪く言う)>だけでなく<あきらかに悪い言葉を使って、悪(あ)しざまに、けなす>ことのようだ。
<たたえる>の反義語は何か?<ののしる>が第一候補のようだ。<けなす>、<そしる>の大げさ版ともいえる。日本語には<ののしり>言葉が少ない、という特徴がある。<ばか>、<まぬけ>は、場合によっては、かなりの<ののしり>言葉だ。
やや話がずれるが、<よいことが起こることを期待して言う>ことは<祈る>、<悪いことが起こることを期待して言う>ことは<のろう>だ。<よいことが起こる>のは自分にでも他人にでもいいが<悪いことが起こる>のは他人に対してだけだろう。<いのる>と<のろう>は今はないが<のる>という古い動詞と関係があるだろう。<のる>の体言(名詞)形は<のり>で、これはいまでも使う<のりと>の<のり>、<みことのり>(注)の<のり>だ。<いのる>と<のろう>からすると<のる>は良くもある悪くもある意味あいの中立的な動詞だ。日常は冗談めかすとき以外はほとんど使わないが<のたまわく>という特別敬語があるが、これも<のる>の関連語か?
<祈る>に近い語で<願う>があるが。<ねがう>の古語は<ねぐ>か?神社に禰宜(ねぎ)さんがいるが、これは<ねぐ>の関連語か? 別途検討予定。
(注)”<みこと>の<り>”ではない。
<言う>に関しては以前 "<言う>のマイナスイメージ" (sptt Notes on Grammar) というポストで検討したことがある。
sptt
Thursday, March 3, 2016
<やむにやまれず>と<やむをえず>
<やむにやまれず>と<やむをえず>は似て非なるものか? コンピュータワープロでは
<やむにやまれず>は<已むに已まれず>とも<止むに止まれず>、手元の辞書では<止むに止まれず>だ。
一方<やむをえず>は<やむを得ず>、<止むを得ず>、ときに<已むを得ず>、手元の辞書では<已むを得ず>だ。
どうも混乱があるようだ。整理してみる。
<やむをえず>は中国語由来の可能性がほぼ100%<不得已(budeyi、四声無視)>の和訳だ。問題は意味で<不得已>の<已>は<すでに>の意で現代口語では<已経(已经)>だ。<不得已>は文字通りでは<すでに(なされたこと)はできない>でよくわからないが、、やや飛躍というか、ある過程を飛び越えて<すでになされて、いたし方ない(どうしようもできない)>の意のなる。問題は<已>の字で、日本語の動詞<やむ>の意味が少しははあるが(やむ =終わる、やめる = 終える)、 <已>は動詞ではなく副詞なのだ。<やむ>、<やめる>という動詞はふつう<止む>、<止める>と書く。<已むに已まれず>は少し変で、<止むに止まれず>の方がよさそうだが、中国語由来の<やむをえず>を考えると、<止むに止まれず>は大和言葉の動詞<やむ>の意味が入り込んでいる、と言える。だが<已むに已まれず>と書いて少し考えると意味がよく分からなくなるのではないか。
sptt
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