Friday, August 24, 2018

体論(数学)のやまとことば


<圏論(Category Theory)のやまとことば>に続いて<体論(抽象数学)>のやまとことばについて挑戦しててみる。(抽象数学)がない<体論>だけだと、まず<体育理論>が想像される。<体験論>も思いうかぶので抽象性が高いとは言えない。数学と言うか幾何では6面体、12面体と言った<立体>の<体>がある。これもきわめて具体的だ。英語は Field Theory だが物理学の <Field Theory (場の理論)>が先に念頭に来てしまうためか Field Theory (Mathematics) となるようだ。体論は一般人にはなじみが薄い、なじみが無いと言っていい。日本語の<体>は英語の Field ではなくドイツ語の "Körper" (基本的には体(からだ)、body の意)由来。創成期の体論はドイツ人が始めている。"Körper" の英語はbody だがラテン語系の語では corpse 死骸(dead body)、corps (単数)軍団がある。

あとでも引用するが、ドイツ語の "Körper" は

Körper, which means "body" or "corpus" (to suggest an organically closed entity).

で<有機的に閉じた(まとまった)モノ>という意味がある。

<体>は<からだ>で ka-ra-da でa 音が三つ並びやまとことばらしいが、少し長いしきわめて具体的(非抽象的)。短いのでは<身(み)>がある。 <名は体を表す>というが、すでに<体>という名がついてしまっている。今のところ<体論>の<体>は<得体が知れない>のだ。ところでこの<得体>の<得(え)>がよくわからない。<得(え)>はやまとことばだ。

corpse 死骸>の関連語のやまとことばでは<なきがら(亡骸)〉がある。この<がら>はあくまで<がら>で<から>の濁音ではない。だが<なきがら(亡骸)〉からは殻(から)、空(から)が想像されてしまう。少し調べてみたが<なきがら>の<がら>は骸骨(がいこつ)の<骸>ではない。漢語の<骸>はこの一字で<なきがら>の意か。<がらがわるい>とか<がらにもなく>とか<そういうことをするがらではない>という言い方がある。この<がら>は<性質、性格、気質>の意で、さらには<外から見える性質、性格、気質>だ。また<絵がら>というのもあり、これを考慮すると、<がら>は<外から見えるかたち>といえないか。そうすると<なきがら>が<亡くなった人の外から見える形>で意味がでてくる。この<がら>は漢字で書くと<柄>になる。ところが<とりえ>は<取柄>とも<取得>とも書く。これを進めると(こじつけて考えると)

<得体が知れない>の<得体>は

外から見える形(柄、がら)の体

ということになり、意味が出てくる。

一方英語の field のやまとことばは<野(の)>、<原(はら)>。二つ合わせた<野原(のはら)>も field だ。いなかでは田畑のことを<のら>といい、<田畑に出る>は<のらにでる>という。<のら仕事>というのもある。この<のら>の<の>は<野(の)>でいいが、あとの<ら>はなにか? <原(はら)>の<ら>も考えられるが<の>が短すぎるのでたいして意味のない接尾語の<ら>を加えて語呂をよくしたものだろう。<野良>の<良>は当て字だ。いなかっぽくなるが<のら>は体の意味の field のやまとことば訳候補だ。畑(はた、ha-ta-)と<け>をつけた畑(はたけ、ha-ta-ke)も候補だ。というのはあとから出てくるが体論では field extension (体の拡大)という操作があり、これは体論の要(かなめ)の一つで<野畑を耕(たがや)す>のに似ているからだ。<のら>や<はたけ>は具体化しすぎているので<はた>がよさそう。<畑論>は悪くない。

少し調べた限りでは日本版 Wiki には<体論>の項目があるが、内容は比較的簡単。<体論>の理論の説明はないと言っていい。一方英語版 Wiki の方にはField Theory (Mathematics) と言う項目は昔(すくなくも2013年)はあったが(手もとに hard copy がる)、今はなく最新版(2018)は ” Field (Mathematics) ” としてかなり詳しい説明があり、<体(理)論>的な説明もある。一方<Field (Mathematics)>の日本語版は<可換体>で可換体の説明がある。以下の引用にもでてくるが<xx体>、<yy体>、<zz体>といろいろな<体>がある。日本版 Wiki の<体論>の出だしは次の通り。


数学において体論(たいろん、英語:field theory)とは、の性質を研究する分野のことである。体は四則演算が定義されている数学的対象である。



これはごく簡単な体論の説明。体論は<体(の性質)を研究する分野>ということだ。これだけでは適当な<体論>、<体>のやまとことばをさがせない。<体の性質>を知る必要がある。<体は四則演算が定義されている数学的対象である>は言い換えると

1)体は数学的対象である。

数学的対象と言うとすぐに数字が、そして幾何学が好きな人は図形が頭に浮かぶだろうが、抽象数学では集合みたいなモノが大いに対象になる。群論(Group Theory)というのがあるが、これは文字通りでは、あるモノ(数学的対象)の、個々ではなく、個々を含むが個々よりも集まり(群、Group)の方が考察の対象になるようだ。厳密と言うか<重箱の隅をつつくような>数学では、この個々は無(ないこと)や一個でも集まりの対象になるのかかならないかなどこまかいことを論議し決めておく。

2) )(体は数学的対象で)四則演算が定義されている。

四則演算は言うまでもなく、+、-、x、÷ のことだが、数字だけが対象ではないので四則演算を定義しておく必要があるのだろう。四則演算は数学的な具体さがある。

続いて歴史がある。


歴史

体の概念は、ニールス・アーベルエヴァリスト・ガロアによる代数方程式可解性英語版の研究に含まれていた。
1871年デデキントが、四則演算の定義された実数や複素数の集合をと呼んだ。
1881年レオポルト・クロネッカーによる多項式体の研究。
1893年 ハインリッヒ・ウェーバー(Heinrich Weber (1842-1913))が、初めて抽象代数の体の定義をしっかりした形で与えた。
1928年から1942年の間に、エミル・アルティンによって、群と体の関係がさらに詳しく調べ上げられた。
ガロアは、「体」という言葉を用いなかったが、群論や「体論」の概念を生み出した最初の数学者であることは確かで、これらの概念はガロアの論文からデデキントによって抽出され、ガロア理論と名付けられた。



この引用は手もとにある2013年の 英語版 wiki <Field Theory (Mathematics) >の訳だ。時間と興味があれば上記の数学者を調べてみるといい。かなりしつこくなるが繰り返すと

<四則演算の定義された実数や複素数の集合をと呼んだ。>

とあるので<体>は集合(あつまり)なのだ。

上に

デデキントが、四則演算の定義された実数や複素数の集合をと呼んだ。

と簡単にかかれているが、

Wiki <Field (Math)> History の中に次の一節がある。

In 1871 Richard Dedekind introduced, for a set of real or complex numbers that is closed under the four arithmetic operations, the German word Körper, which means "body" or "corpus" (to suggest an organically closed entity). The English term "field" was introduced by Moore (1893).[19]
By a field we will mean every infinite system of real or complex numbers so closed in itself and perfect that addition, subtraction, multiplication, and division of any two of these numbers again yields a number of the system.
— Richard Dedekind, 1871[20]

が<体(Body)>の由来とデデキントの抽象代数学の<体とは何か>の本質的な意味の説明だ。本質的な意味を広げれば群や環にも当てはまる。


<多項式体の研究>

続いて<レオポルト・クロネッカーによる多項式体の研究。>

とあり<体>のない<多項式の研究>ではない。いろいろな多項式の<あつまり>を、個々の多項式に目をやるのではなく、あくまで ”多項式の<あつまり>” を<あつまり>でとらえて(その性質を)研究したのだ。

<群と体の関係>

とあるが<群(group)>も<体>も<あつまり>で<体>は<群>を(抽象化で)<押し広げた>感じがする。しかし抽象数学用語の<拡大(extension)>はこの<押し広げ>と関連はあるが、 意味内容は違い、またずっと深いようだ。細かいことを言えば、extension は<拡張>、<拡大>は expansion がふさわしい。実際にはあとから見るように extension は<拡張>でも<拡大>でも<押し広げ>でもない<あつまり>に視点を置いた特殊な数学的操作だが、そうとうわかりにくい。(*)

 (*)今はこの<拡大>を理解しないで書いているわけだが、Wiki の <Galois theory> も中に次のような記述がある。<理解しないで書く>の詐欺のようだが、<書いていくうちに理解するようになる>こともあるので、書き続ける。

"
Galois' theory was notoriously difficult for his contemporaries to understand, especially to the level where they could expand on it.
"

難しいが<拡大>が Key なのだ。

<ガロアは、「体」という言葉を用いなかったが、群論や「体論」の概念を生み出した最初の数学者であることは確か>

のようだ。群論と体論、<群>と<体>の区別はどうもはっきり決まっているわけではないようだ。<体>の方<群>より抽象度(汎用度)が進んでいるようだが、<群論、Group Theory>の解説(Wiki)の冒頭には


 In mathematics and abstract algebra, group theory studies the algebraic structures known as groups. The concept of a group is central to abstract algebra: other well-known algebraic structures, such as rings, fields, and vector spaces, can all be seen as groups endowed with additional operations and axiom.

群論(ぐんろん、英語: group theory)とは、を研究する学問。 群の概念は抽象代数学における中心的な概念。ベクトル空間などは、演算公理が付与された群と看做すことができる。

"

と言う説明がある。また Wiki の<群論、Group Theory>解説のほうが<体論>の解説よりはるかに長く内容も多い。つまりは<群論>が主、<体論>は従の扱いだ。

新しい概念、とくにまったく新しい概念には新しい言葉があった方がいいのだが(*)、こと、言葉はそう簡単ではない。体論の<体>は新しい概念と思われるが<体(たい)>は決して新しい言葉ではない。体格、体重、体温、体形、体操、体育の<体(からだ)>関連語。体積、立体の<かさ>関連語。気体、液体、個体の<モノの様態、様子(さま)>関連語。体系、全体の<すべて>関連語。まだまだあるだろう。<体(たい)>は使い古されていて<新しい言葉>からはほど遠い。新しい概念に使えないことはないが使い古された意味を引きずることになる。

(*)新約聖書には<新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。>というのがある。

以上の<歴史>に続いて

 
色々な分野との関わり

体の概念は最初、5次以上の実係数多項式の根の一般的な公式が無い事を証明するために使われた。
ガロア理論の中心となるのは、係数とする体の代数拡大である。代数拡大とは、その体と多項式の根を含む最小の体である。また、代数的閉体は、全ての多項式がその中に根を持つ体である。ある体を含む最小の代数的閉体を代数的閉包という。例えば、代数的数の成す体は有理数の体の代数的閉包であり、複素数の成す体は実数の成す体の代数的閉包である。



と言う解説がある。難解というか読みずらいが、これは

1)なじみのない数学用語がずらりと並んでいる。(これが主原因)
2)英語の翻訳である。
3)1)、2)と関連するが、英語では多義語が日本語に文字通り訳すと多義性が失われて第一義が念頭にきて読んでしまう。特にここでは<代数>がそうだ。

ためだ。

<係数とする体の代数拡大である>

は誤訳というか変な日本語だ。普通は<xx を係数とする体>という。元の英語がみつからないがここは一般化して<係数(の)体の代数拡大である>でいいだろう。これはきわめて簡単だが<ガロア理論の中心>の説明で、<代数拡大>が何だかわからないといけない。さいわい続いて

<代数拡大とは、その体と多項式の根を含む最小の体である。>

と<代数拡大>の説明がある。ここがポイントなのだが、<その体>とは<係数の体>のことで、しつこくなるがここは<その係数の体>とした方がいい。そうすると

代数拡大とは、その係数の体と多項式の根を含む最小の体である。

となるがまだわかりずらい。文字通りでは<代数拡大とは(その体と多項式の根を含む)最小の体である。>  -> 代数拡大とは最小の体である。-> 代数拡大とは体である。

となり、結局は<代数拡大とは体>なのだ。したがって<代数拡大体>というのがあることになる。元へもどってまた言い換えると

代数拡大は体であって、その係数の体と多項式の根を含む最小の体である。

となる。少しはわかりやすくなったが、まだよくわからないところがある。<多項式の根を含む>と<最小>だ。あるいは<拡大する>と大きくなり<最大>になるならいいが、ここは<最小の体>とあり、わけがわからなくなる。

<拡大>の基本的な意味は<大きく広げる>だが、この意味を維持すると<多項式の根を含む>に意味がでてくる。つまり<多項式の根を含まない><係数の体>から<多項式の根を含む><係数の体>への<係数の体>への<拡大>なのだ。

<最小>は minimal の訳語で似たような<minimum>も<最小>と訳されるが minimal と minimum は似て非なるもので区別がある。

minimum -基本的に制限がないもっとも小さい、少ないもの。

minimal - 芸術用語で minimalism というのがあるがこれは<制限がないもっとも小さい、少ないもの>ではなく<ある種の必要なものだけ残し不必要なものは取り除いた>芸術表現と言える。これが参考になる。

抽象度(一般性度)からすれば基本的に制限がない minimum の方が抽象度が高いことになる。英語の minimal は上記のような意味があり、<その係数の体と多項式の根を含む最小の体である>とは<その係数の体と多項式の根を含む、そしてその係数体と多項式の根だけからなる<最小の、minimal>体である。あるいは<多項式の根>の集まりが<体>であれば<その係数の体と多項式の根の体だけからなる(最小の、minimal)体である>ということになる。上の歴史のところに<クロネッカーによる多項式体の研究>というのがあった。ただし、<多項式の根>が<体>の条件である<定義された四則演算>が成り立たないといけない。

以上の考察からこの箇所をさらに言い換えると

代数拡大は体であって、その係数の体と多項式の根を含む、そしてその係数の体と多項式の根だけからなる minimal な体である。

と言うことになる。だが言葉の上から<代数拡大は体であって>はややおかしい。なぜなら<代数拡大>は日本語では<代数拡大すること>であってある種の<操作>だ。一方<体>は四則演算のような<操作>ではない。<代数拡大されたものは体であって>、あるいは<代数拡大して得られるものは体であって>が正確のようだ。そこで<代数拡大>とは何かをもう少し調べてみる。

Japan-wiki  代数拡大

抽象代数学において、体の拡大 L/K は次を満たすときに代数的: algebraic)であると言う。L のすべての元は K代数的である、すなわち、L のすべての元は K 係数のある 0 でない多項式の根である。代数的でない体の拡大、すなわち超越元を含む場合は、超越的 (transcendental) と言う。
例えば、体の拡大 R/Q, すなわち有理数体の拡大としての実数体は、超越的であるのに対し、体の拡大 C/RQ(2)/Q は代数的である。ここで C複素数体である。
すべての超越拡大は無限次元の拡大である。言い換えるとすべての有限次拡大は代数的ということになる[1]。しかしながら逆は正しくない。無限次代数拡大が存在する。例えば、代数的数体は有理数体の無限次代数拡大である。
aK 上代数的であれば、K 係数の a による多項式全体の集合 K[a] は環であるだけでなく体である:K 上有限次の K の代数拡大である。逆もまた正しく、K[a] が体ならば aK 上代数的である。特別な場合として、K = Q が有理数体のときは、Q[a]代数体の例である。
非自明な代数拡大をもたない体は代数的閉体と呼ばれる。例は複素数体である。すべての体は代数的閉であるような代数拡大をもつ(これは代数的閉包と呼ばれる)が、これを一般に証明するには選択公理が必要である。
拡大 L/K が代数的であることと L のすべての部分 K-代数が体であることは同値である。

引用が長いがこの説明は英語版の訳だ。わかりにくさ(少なくとも一般人にとって)はそうとうのレベルだ。<すべての超越拡大は無限次元の拡大である>などは宇宙人の日本語を聞いているようだ。だが、ここでは LK と具体的な体が出てくる。まず出だしは

抽象代数学において、体の拡大 L/K は次を満たすときに代数的: algebraic)であると言う。L のすべての元は K代数的である、すなわち、L のすべての元は K 係数のある 0 でない多項式の根である。

In abstract algebra, a field extension L/K is called algebraic if every element of L is algebraic over K, i.e. if every element of L is a root of some non-zero polynomial with coefficients in K.

内容は結局同じことをいっているのだが、ここでは言葉の<体>だけでなく、数学らしく体L、体Kが出てくる。日本語訳は長い英文を訳すため苦心のあと(もともと一文なのを<次を満たすときに>と文を分けている)があるが意味がとりずらい。<次を満たすときに>の<次>がどれだかよくわからないのだ。英文では

if every element of L is algebraic over K, i.e. if every element of L is a root of some non-zero polynomial with coefficients in K.

の箇所が<次を>の<次>の内容なのだ。したがって対応する日本語は

L のすべての元は K代数的である、すなわち、L のすべての元は K 係数のある 0 でない多項式の根である。

こういう状況であれば(if)<抽象代数学において、体の拡大 L/K代数的: algebraic)であると言う>なのだ。

ここはわかっている人はわかるが、多くのわからない人は<何をいっているのか>まったくわからないだろう。こういう解説(わかっていない、しかしわかろうとしている人に対しての解説)は少し親切でないといけない。

まず<体の拡大 L/K>とごく簡単に言っているが、これは一種の定義で

体の拡大を<L/K>と表す、またはL/K>は<体の拡大>を表わす。

ということなのだ。 /K>は次に出てくる<K 上>と関連があり、英語では<over K>となっている。L/K>はL>はK 上>にあることを示している。L 割る(/ )K>の意味はない。

ポイントは<代数的(algebraic)>で、これは一般人がすでに知っている<実数>ではなく<体の拡大>に関連した特殊用法で、ここで言っている(定義している)内容の<実数>なのだ。どういう定義かというと(繰り返しになってしまうのだが)

L のすべての元は K 上(で)代数的である。

ここも特殊用法の<代数>の<代数的>なので、一般人にはわからないだろうから、<すなわち>として

L のすべての元は K 係数のある 0 でない多項式の根である。

と説明(一般人にとっては、それまで知っている実数とは違うので、新たな意味をもった<代数的>として定義)している。 一文字だが<的>がクセモノなのだ。どういう定義かと言うと

L のすべての元は多項式の根である。

どういう<多項式の根か>というと

K 係数のある(そして) 0 でない多項式の根

なのだ。

0 でない多項式の根>はやや曖昧で<0 でない根>とも<0 でない多項式、の根>ともとれるが<0 の多項式、多項式が0>はおかしいので、こここは<多項式の根で、 0 でないもの>のことだろう。ところが英語の方は

a root of some non-zero polynomial

となっているのでここは<0 でないある多項式、の根>が正しいのだ。変な話だが<0 の多項式、多項式が0>はあることになる。これが数学の世界なのか? 一つ前にもどって

K 係数のある0 でない多項式の根である。)

はこれまた問題で、もとの英語は

is a root of some non-zero polynomial with coefficients in K.

で、<K係数>は正確には<K(体だ)の中にある係数持った)>のことなのだ。いいかえると<体Kの(中にある)係数を持った><ゼロでない多項式>と訳した方がいい。つまりは

抽象代数学において、体の拡大 L/K代数的: algebraic)であると言うが、これはL のすべての元が体Kの(中にある)係数を持ち、 0 でない多項式の根であるならば、これをを代数と定義することなのだ。

ということなのだ。まだ訳文上の問題がある、

<every element of L>を<L のすべての元>と訳してしまっていることだ。<every>はけっして<すべて>はではな言い方がないので。<every>は<それぞれ(が)みな、どれもみな>の意で、これはあとの不定の単数のく a> root  に呼応する。つまりは

L一個一個の元はそれぞれ(みな、どれもみな)、体Kの(中にある)係数を持ち、 0 でない多項式の、ある一つ(a、any one)の根であるならば

となる。つまりは、元と根の一対一の対応なのだ
 
そしてこの定義の"<代数的>でない体の拡大の場合(if not algebraic)、すなわち超越元を含む場合は、超越的 (transcendental) と言う。“

Field extensions that are not algebraic, i.e. which contain transcendental elements, are called transcendental

これも定義だが、なじみのある代数とは違ってなじみがない<超越>という言葉を使っているので
なにか新しいモノ、概念(コンセプト)、数学用語の定義に見える。

次に進む。

例えば、体の拡大 R/Q, すなわち有理数体の拡大としての実数体は、超越的であるのに対し、体の拡大 C/RQ(2)/Q は代数的である。ここで C複素数体である。 

だいぶ慣れてきたので、この箇所は<チンプンカンプン>と言うわけではないだろう。

体の拡大 R/Q, すなわち有理数体の拡大としての実数体は、超越的である

理由が書かれていないが

なぜなら

実数R の一個一個の元はそれぞれがすべて有理数Qの係数のある 0 でない多項式の、ある一つの根でない


からなのだ。なぜなら実数Rは無理数を含むからだ。

一方

体の拡大 C/R  は代数的である。ここで C複素数体である。

なぜなら

複素数C の一個一個の元はそれぞれがすべて実数Rの係数のある 0 でない多項式の、ある一つの根でない根、になる

からである。なぜなら複素数Cは実数Rを含むからだ。


体の拡大 Q(2)/Q は代数的である。ここで C複素数体である。

なぜなら

Q(2)のすべての元は有理数Qの係数のある 0 でない多項式の根、になりうるからである。

Q(2)>は初めてでてきたので説明が必要だ。






Wiki - Algebraic extension

In abstract algebra, a field extension L/K is called algebraic if every element of L is algebraic over K, i.e. if every element of L is a root of some non-zero polynomial with coefficients in K. Field extensions that are not algebraic, i.e. which contain transcendental elements, are called transcendental.
For example, the field extension R/Q, that is the field of real numbers as an extension of the field of rational numbers, is transcendental, while the field extensions C/R and Q(2)/Q are algebraic, where C is the field of complex numbers.
All transcendental extensions are of infinite degree. This in turn implies that all finite extensions are algebraic.[1] The converse is not true however: there are infinite extensions which are algebraic. For instance, the field of all algebraic numbers is an infinite algebraic extension of the rational numbers.
If a is algebraic over K, then K[a], the set of all polynomials in a with coefficients in K, is not only a ring but a field: an algebraic extension of K which has finite degree over K. The converse is true as well, if K[a] is a field, then a is algebraic over K. In the special case where K = Q is the field of rational numbers, Q[a] is an example of an algebraic number field.
A field with no nontrivial algebraic extensions is called algebraically closed. An example is the field of complex numbers. Every field has an algebraic extension which is algebraically closed (called its algebraic closure), but proving this in general requires some form of the axiom of choice.
An extension L/K is algebraic if and only if every sub K-algebra of L is a field.




















Monday, August 20, 2018

圏論(Category Theory)のやまとことば


かなり前のポスト<集合のやまとことば>の最後に次のように書いた。


抽象数学では set、group 以外に category というのがあり、これはなじみの薄い<圏(けん)>が用いられ、圏論(Category Theory)というのがある。 環(かん)、環論(Ring Theory)、体(たい)、体論(Field Theory) というのもある。体(たい)と Field は結びつかないが、これは英語ではなくフランス語の Corp、ドイツ語の Korp の訳だからだ。物理ではField =<場(ば)>というやまとことばを採用しているのであえて避けたのだろう。Category はラテン語系だが Ring, Field は純英語(注)。抽象数学はIQ度と学ぶ時間に比例して理解が進むのだろうが、群論、圏論、環論、体論がわかりにくいのはその抽象性とばかりはいえないようだ。


Category は普通<範疇>と訳され、<xxの範疇に入れる>などと使われ、Set、Group のやまとことば<集まり>、仲間(なかま)と同じような意味で、<範疇>は難しい漢字以外に特別の意味はなく、Category の訳語として使われたのだろう。とすればそれ程古い漢語の日本語ではない。<xxの範疇に入れる>の意では英語を半分残した<カテごる>はどうか。<範>は<範囲>の<範>でいいとして<疇>のほうは意味がよく分からない。直接関係はないが躊躇(ちゅうちょ)とか搾取(さくしゅ)の使われ方に似ている。

Category Theory は<範疇論>でよさそうで、<圏論>よりはイメージがわく。だが。圏論は<カテごる>ことの論議ではない。<圏論>の<圏>は連想があまり働かない。大気圏の<圏>のようなもので、規模の大きい、包容性がある<ある種のかなりルーズなまとまり>といったところか。もっとも抽象が具体的なモノのメージと結びついてしまうのはよくない、ということもある。圏論(Category Theory)は一般の人にはなじみがないだろう。少し勉強してみた限りでは抽象度が高く、抽象数学者の遊びみたいなもののようだが、<遊び>にはルールがあるとともにそこそこ自由がないと面白くない。これまたWiki-Japan 版からの引用になる。これは英語版の翻訳ではなく、日本語の説明として独立したもの。まずは出だし(説明内容の概要)



<「カテゴリー論」はこの項目へ転送されています。>とあるので「カテゴリー論」というのも使われていることになる。

圏論(けんろん、category theory)は、数学的構造とその間の関係を抽象的に扱う数学理論の 1 つである。 考えている種類の「構造」を持った対象とその構造を反映するような対象間のの集まりからなるが基本的な考察の対象になる。
数学の多くの分野、また計算機科学数理物理学のいくつかの分野で導入される一連の対象は、しばしば適当な圏の対象たちだと考えることができる。圏論的な定式化によって同種のほかの対象たちとの、内部の構造に言及しないような形式的な関係性や、別の種類の数学的な対象への関連づけなどが統一的に記述される。



ということで何をいっているのかはなんとなくわかるが、いくつか抽象数学用語があり、内容の理解は限られる。

数学的構造

これ自体<圏>の概念とともに作られてきたモノのようでけっこう複雑。Japan-wiki <数学的構造>は英語版 wiki の<mathematical structure>の訳ではなく、英語版より長く詳しい解説となっている。日本で<数学的構造>研究は相当進んでいるとみる。

Japan-wiki <数学的構造>の冒頭


数学における構造(こうぞう、mathematical structure)とは、ブルバキによって全数学を統一的に少数の概念によって記述するために導入された概念である。集合に、あるいはの対象に構造を決めることで、その構造に対する準同型が構造を保つ写像として定義される。数学の扱う対象は、基本的には全て構造として表すことができる。



これもわかりにくいがこのポストを最後まで読めば少しはわかりやすくなると思う。この冒頭のあとに少し詳しい歴史が述べられている。引用が長くなるので、<末尾>参照。

英語版 wiki の<mathematical structure>の冒頭。


In mathematics, a structure on a set is an additional mathematical object that, in some manner, attaches (or relates) to that set to endow it with some additional meaning or significance.
A partial list of possible structures are measures, algebraic structures (groups, fields, etc.), topologies, metric structures (geometries), orders, events, equivalence relations, differential structures, and categories.
Sometimes, a set is endowed with more than one structure simultaneously; this enables mathematicians to study it more richly. For example, an ordering imposes a rigid form, shape, or topology on the set. As another example, if a set has both a topology and is a group, and these two structures are related in a certain way, the set becomes a topological group.
Mappings between sets which preserve structures (so that structures in the source or domain are mapped to equivalent structures in the destination or codomain) are of special interest in many fields of mathematics. Examples are homomorphisms, which preserve algebraic structures; homeomorphisms, which preserve topological structures; and diffeomorphisms, which preserve differential structures.



この冒頭以下の解説はごく短い。

<構造>は圏論のなかではキーワードの一つだ。ここで<構造>のやまとことばを考えてみる。

<構造>は文字通りでは<構(かま)え><造(つく)る>。<構えを造る>というよりは<構え(る)造る>だろう。<構える>は<門を構える(門構え)>、剣道の<上段に構える(上段の構え)> 、<変に構えた態度>などと使う。さらには<服装にはかまわない>、<何をいわれようとかまわない>など派生的な意味もあるが、基本的には<あるカタチをつくる>といった意味のようだ。<カタチをつくる>で構造と結びつくが、それほど一般的ではない。一般的なのは

組む  -> 組み
組み立てる -> 組み立て

だ。<組>は上でのべた<Group のやまとことばの組(くみ)、仲間(なかま)>の<組>でもあるんがおもしろい。

仕組み

<からくり>というのがあるが<仕組み>の意に近い。動詞の<仕組む>は一般的、中立的な構造から意味がずれるが名詞の<仕組み>は構造に近いが少し人為的なニュアンスがある。<からくり>というのがあるが<仕組み>は、後から出てくるが

A -(だから)->B、 B-(だから)->C、  C-(だから)->D

といった段取り(sequence)が連想されるので論理学、さらには抽象数学と関連づけられそう。上記栄文wiki で数学的構造(候補)の中に Orders (順序)がある。

次に<. . . . . 対象とその構造を反映するような対象間のの集まりからなるが基本的な考察の対象になる。 >の<射>の意味が解らないので内容がつかめない。

<対象たち>は<対象>の複数形だろうが、変な日本語だ。複数形にこだわるとやたらに<たち>がでてくることになる。

上記の解説から<数学的構造>と<射(しゃ)>がわかれば<圏>が大体わかることになりそうだが、Wiki-Japan の<圏論>の中には<数学的構造>についても<射>についても詳しい説明がない。しかし Wiki-Japan には独立した<射(圏論)>というのがあり、かなり詳しい説明がある。

Wiki-Japan の<圏論>とは違って、この<射(圏論)>は英語版 Wiki <Morphism>の日本語訳。

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数学の多くの分野において、型射あるいは(しゃ、: morphism; モルフィズム)は、ある数学的構造を持つ数学的対象から別の数学的対象への「構造を保つ」写像の意味で用いられる(準同型)。この意味での射の概念は現代的な数学のあらゆる場所で繰り返し生じてくる。例えば集合論における射は写像であり、線型代数学における線型写像群論における群準同型位相空間論における連続写像、… といったようなものなどがそうである。
圏論におけるはこのような概念を広く推し進め、しかしより抽象的に扱うものである。考える数学的対象は集合である必要はないし、それらの間の関係性である射は写像よりももっと一般の何ものかでありうる。
射の、そして射がその上で定義される構造(対象)を調べることは圏論の中核を成す。射に関する用語法の多くは、その直観的背景でもある具体圏英語版(対象が単に付加構造を備えた集合で、射がその構造を保つ写像であるような圏)に由来するものとなっている。また圏論において、圏を図式と呼ばれる有向グラフによって見る立場から、射は有向辺あるいは矢印 (arrow) と呼ばれることもある。
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以上は<射>の概要の説明だが、<例えば集合論における射は写像であり、線型代数学における線型写像群論における群準同型位相空間論における連続写像>などの数学の知識がないと難解だ(なにをいっているのかわからない)。もとの英語は morphism だが、最後に<あるいは矢印 (arrow) と呼ばれることもある>とあり、これが<射>の由来だろう。

<射>は射撃、射程、発射(発車と同じ発音になる)のように二語漢字の用法が多く<射(しゃ)>の一字の用法はないといっていい。ここが命名のミソともいえるが連想が働きにくい。やまとことばは<射(い)る>で<射(い)>が連用形の名詞用法になるが、この用法もないといっていい。名詞形は簡素な<射(い)>ではなく<射ること>になる。したがって、<射>は<い>と読む人は少なく、大方<しゃ>と読むになる。一方<矢印>は<やじるし>でやまとことばだ。もちろん<矢(や)>も<印(しるし)>もやまとことばだ。これをいかせないものか?<矢(や)>は名詞で<矢を射る>というのが普通で<射(しゃ)>には動詞性がある。

 圏論の中の<射>の例として、Wiki-Japan には独立した<射(圏論)>の中に

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定義

. . . . . . . . . . 。任意の射に対して、始域ドメインあるいはソース)および終域コドメインあるいはターゲット)と呼ばれる二つの演算が定義される。射 f が始域 X と終域 Y を持つとき、これを f: XY で表す。つまり、射は始域から終域へ向かう「矢印」として表される。

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という解説がある。<f: XY>があるので<射>は矢印に関連するが、この矢印の意味、働きはそう単純ではなく複雑というか多用なのだ。この複雑さ多用さが圏論の複雑さ、わかりにくい抽象性にかかわっている。半面<自由>もある。

一方英文 morphism は metamorphosis (変身)、amorphous (非結晶(構造))などでなじみがあるが容詞 morphous <形(かたち)を持った>の(抽象)名詞形。意味は morphism と arrow は意味上直接には結びつかない。

<射>あるいは morphism は簡単に、一義的にあらわせないようだが、上記の説明からすると少なくとも

1)写像(像を写すこと)

2)関係性(関係があること、関係をつくることではない)

のことのようだ。別のところでは function とも言っている(function に限らないとも言っている)。

function   関数
relation  関係

のやまとことばを探してみる。

(関係づける)
むすびつける (むすびびつき)

が適当のようだが、<xxつける>は豊富で

あてつける (あてつけ)
おしつける (おしつけ)
こじつける (こじつけ)
とりつける (取ってつける)(とりつけ)
ひきつける
わりつける

(関係づける -> 対応させる)

あわせる (あわせ)

しめしあわせる
つきあわせる (つきあわせ) 
となりあわせる
とりあわせる (とりあわせ)
ならべあわせる
引きあわせる
向きあわせる
結び合わせる (<結合>は数学用語になり、圏論では重要な内容だ。)

あてる(当てる)

引き当てる
割り当てる

写像は、動詞としては

うつす (写す、映す、移す) (うつし)

があり、やまとことばの基本動詞の特徴で<写す、映す、移す>は関連語で、見方を変えればひらがなの、口頭の<うつす>は抽象度が高いことになる。

ひきうつす

あわす>と<うつす>を組み合わせた(合成した)

うつしあわす(うつしあわせ)
あわせうつす(あわせうつし)

は聞かないが<射>の訳語として悪くない。かなり長くなるが<つける>を加えて<うつしあわせつける(うつしあわせつけ)>、<あわせうつしつける(あわしうつしつけ)>も候補だ。

話が込み入ってややこしくなるが圏論では<関手(かんしゅ)>(Functor の訳語)というのがある。


関手
一方で、圏そのものもある種の数学的構造であるため、圏の構造を保存する対応関係も考えることができる。このような対応関係は関手と呼ばれる。関手は、ある圏の中の全ての対象を、別の圏の対象に、一方が持つ全ての射をもう一方の射に関連づける。圏と関手を調べることで、ある類における数学的構造とその間の射だけでなく、「数学的構造を持つ様々な類の間の関係」をも追求することができる。 (Wiki-Japan 圏論)


<類>は class の訳語。

<関手>が<うつしあわせつけ)>、<あわしうつしつけ>に相当するか。

<関手>が<圏そのものもある種の数学的構造であるため、圏の構造を保存する対応関係も考えることができる。このような対応関係は関手と呼ばれる。>であれば同じ様に

<関手>そのものもある種の数学的構造であるため、関手の構造を保存する対応関係も考えることができる。このような対応関係はxxと呼ばれる。>で際限がない。


<末尾>

Japan-wiki <数学的構造> 

構造における歴史 

ブルバキ以前

数学史において、現代的および革新的な新しい概念であるはずのものが、しかしその痕跡と言えるものが遡って古代においてすでに認められるというようなことはよくあることである。そのような事例として、17世紀ライプニッツニュートンによって考え出された微分法および積分法は、素朴で未発達な形ではエウドクソスアルキメデスが既に用いていた。このことは数学的構造の概念の発明にしてもそうであり、利用は最初の明示的な定式化に先行するのである。従って、数学史において構造の概念について定義して言及した最初のものを特定するのは容易であるが、そのような説明なしに用いた最初を特定するのは困難である。
合同算術において構造の概念はガウス Disquisitiones Arithmeticae (1801) の手法に実際に現れる。ガウスはユークリッド除法の剰余について、構造的な観点から研究を行った。これは群論の起源のひとつでもある。
ガロワ理論において、ガロワの対称性を用いた手法、ジョルダンの群論、クロネッカー体論などの手法は本質的に構造的である。
線型代数学において構造の概念は二段階に現れる。ユークリッド幾何学における公理的手法は最終的に厳密な形で確立された(ヒルベルトの公理英語版参照)。その後、ベクトル空間の定式化にはグラスマンペアノが取り組み、最終的にバナッハブルバキによって形となった。
多様体の構造の概念はベルンハルト・リーマンの手法において現れた。


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