Thursday, November 22, 2018
Identity (アイデンティティ)のやまとことば
Identity (アイデンティティ)は普通<自己同一(性)>と訳されるが、日常ではもちろんあらたまった場面でも<自己同一(性)>が使われることはないだろう。一方 Identity (アイデンティティ)はしばしば聞く。IDカードは身分証明書だが、日本にはなぜかIDカードがなく、身分証明書としては運転免許証や住民票がIDカード(身分証明書)として使われている。IDカードはそれで自己(その人であること)を証明するので<自己同一(性)を示すカード>の意味にはなる。さて、<自己同一(性)>は仰々しい漢語。Identity (アイデンティティ)のやまとことばは何か?
手もとの辞書(三省堂)では
アイデンティティ
1) 自己同一性
に続いて
2)自分という存在の独自性についての自覚
とある。 2)はあきらかに人について、しかも身分証明とは関係ない。実際の場面では<自己のアイデンティティを見つける、立てる>というように使う。ここで注意したいのは、日本語では<アイデンティティをみつける、立てる>だけではだめで<自己の>が必要にになるようだ。
2)自分という存在の独自性についての自覚
は日本語の解説だが、<自分>、<存在>、<独自性>、<自覚>と漢語が並びやまとことばはつなぎの語だ。これらの漢語をやまとことばに置き換えて同じような意味を出すのは難しい。
自分: おのれ
存在: あること
独自性: ただ xx だけ(であること)、ただ一つ(ひとり)
自覚: おのれが深く思うこと
とすると
おのれというあることがただそれだけであることについてのおのれの深い思い。
では何んことだかわからない。言い換えて
ただおのれがあることだけについて(おのれが)深く思うこと
とでもなるが、これもわかりずらい。内容を重視すると
オレはオレ、あなたはあなた。
あるいはもっと簡単に
オレはオレ(わたしはわたし)
でよさそう。これは人ばかりでなくモノについてでもよく
これはこれ、それはそれ。
これだけでも独自性を内包している(implied)が、独自性を出すと
おのれはおのれ(オレはオレ、わたしはわたし)、ほかの人はかかわりなし。
これはこれ、ほかのモノ(コト)はかかわりなし。
おのれはおのれでただ一人、ほかの人はかかわりなし。
これはこれでただひとつ、ほかのモノ(コト)はかかわりなし。
となる。
Identity (アイデンティティ)のやまとことばは
おのれはおのれ(オレはオレ、わたしはわたし)
でいいだろう。
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以上は今書きかけ中の<抽象代数学のやまとことば>シリーズで勉強中で次の説明に出会って書いたもの。抽象代数学では Identity がどこにも出てくる。
例 Wiki - Field (Mathematics) (日本語はなじみのない<体(たい)>という)。
”
Definition (定義)
Additive and multiplicative identity: there exist two different elements 0 and 1 in F such that a + 0 = a and a · 1 = a.
日本語の方はなぜかもっと抽象代数学らしく理屈っぽくなって
a + 0K = 0K + a = a が K の元 a の取り方に依らずに満たされる零元と呼ばれる特別な元 0K が存在する。 (ゼロ<0>のことと見ていい)
a1K = 1Ka = a が K の零元 0K でない元 a の取り方に依らずに満たされる単位元と呼ばれる特別な元 1K が存在する。(<1>のことと見ていい)
”
以上は何のことはなくて、
足し算はある数字に<ゼロ>を足しても変わらない。
掛け算はある数字に<1>を掛けても変わらない。
ということ。英語でAdditive identity、multiplicative identity
は Additive identity が<ゼロ(0)>、multiplicative identity が<1>といっている。これに対応する日本語では、こここでは identity という語が出てこない。内容的には<自己同一(性)>に関連している。
英語の Field (Mathematics) ではこの identity に続いて似て非なる inverse というのがでてくる。
Additive inverses: for every a in F, there exists an element in F, denoted −a, called the additive inverse of a, such that a + (−a) = 0.
Multiplicative inverses: for every a ≠ 0 in F, there exists an element in F, denoted by a−1, 1/a, or 1/a, called the multiplicative inverse of a, such that a · a−1 = 1.
というのがでてくる
日本語版は
a が K の元ならばそれに対して a + (−a) = (−a) + a = 0K を満たす、マイナス元と呼ばれる元 −a が常に存在する。
a が零元 0K でない K の元ならばそれに対して aa−1 = a−1a = 1K を満たす、逆元と呼ばれる元 a−1 が常に存在する。
内容はこれまたあたりまえのことだ。頭をひねることもない。
英語版 Wiki - Field (Mathematics) (最新の英語版はかなり長く、教科書のようだ)の方では、
For example, the additive inverse -a and the multiplicative inverse a−1 are uniquely determined by a.
という解説がある。 当たり前のことなので気づきにくいが<uniquely determined by a.>は<自己同一(性)>の意味に近い。禅問答のようだがこのコンセプトは重要。
sptt
Wednesday, November 7, 2018
空間のやまとことば
<時空>は<時間>と<空間>。時間は<とき(時)>というやまとことばがあるが<空間>のやまとことばはすぐには思い浮かばない。<空間>のやまとことばについて考えてみる。<間>のやまとことば読みは<ま>だが<空>はいくつかある。
酒瓶(さかびん)が空(から)になる
空(あ)き缶、席が空(あ)く <空(あ)く>
腹が空(す)く <空(す)く>
これからすると
空間(からま)
空間(あきま)
空間(すきま)<すきま>は<隙間>というのもある。
となる。
<空(あ)き>は<空(あ)く>の、<空き>は<空(す)く>の連用形の体言(名詞)用法で
席にまだ<空(あ)き>がある。
相手に<空(す)き>を見せてはいけない。
のように使える。空間(あきま)、空間(すきま)は<間(ま)>を修飾しているので体言の形容詞(修飾語)用法といえる。
<空(から)>は体言(名詞)と思われるが、
xxは空だ
と言う時<空だ>は古くは<空なり>で<静かだ><静かなり>と同じとみれば形容動詞になる。だが<空(から)>は<静か>と違って独立性<体言性、名詞性>が高い。体言につく場合が多い場合<連体詞>という文法用語もある。
空間(からま)は聞いたことがないが、<空(から)の部屋>の意味になりそう。だがこれは<空(あ)き間)>という言葉がありそう。普通は<空き部屋>だ。<空(す)き間>はよく使うが、否定的な意味があり、空間(くうかん)には違いないが、どうもそぐわない。<隙間>とも書く。これからすると<空(あ)き間)>が一番よさそうだが上にように<空(から)の部屋>の意がつきまとう。
以上は前半の<空>についてだが、後半の<間>は<ま>以外に<あいだ>という三音節のやまとことば読みがある。<間>はあきらかに当て字だ。<あいだ>は場所だけでなく時間の<あいだ>もある。
つかの間 (<つか>は何か?)
またたく間 (目、まぶたをたたくあいだ)
そのあいだに
このあいだ
日常では<時所(ときところ)による>、<時と場所(ばしょ)によりけり>と言うので<所(ところ)>、<場所>が時空の<空>にあたる。場所は湯桶読みで<場(ば)>はやまとことばだが<所(しょ>は漢語だ。物理で<場の理論>というのがありこの名づけはいい。やまとことばの<場(ば)>が抽象化されて<理論>という抽象度の高い漢語とくみあわせても違和感がない。それでは空間を<場>といえるか?数学、物理では<ベクトル空間>と<ベクトル場>があり、<場の理論>は<ベクトル場>と関連がありそう。したがって数学、物理ではこまかく言うと<空間>と<場>とは似て非なるものなのだ。この辺はややこしい。
日常語の<場所>は、ヒトに関連しては大体やまとことばの<いどころ>で置き換えられる。モノの場合はどうか?<ありどころ>はあまり聞かない。<モノ(カネ、宝)のありか>というのでモノの<いどころ>は<ありか>か。<ありか>の<か>はなにか?<すみか>の<か>と同じようだ。だが<すむ(住む)>はモノではない。この<か>はどうも<(存在する)場所>を示しているようだ。<(存在する)場所>は具体的すぎて抽象度の高い<空間>とはかけ離れている。<場(ば)>は重箱読みでも使われる。
現場(げんば)
火事場(かじば)
<場(ば>にはまた
どたん場 (<どたん>は何か?)
この場に及んで
場を踏(ふ)む
場を読む
という慣用的な言い方があるが、<場>は<状況>の意に近い。 この<場>は超重要語だ。慣れもあるが<場>が違和感なくしっくりしている、さらには意味深げなのはこの<状況>の意が背後にあるためかも知れない。
<場(ば)>は一音節で耳で聞いただけでは漢語の感じがするがれっきとしたやまとことば。一方くところ(to-ko-ro)>は三音節で(しかも0音が三つ続く)いかにもやまとことばらしく聞こえ、<こころ(ko-ko-ro)>と同じ語呂で耳で聞いて心地よい。だが<場の理論>は<ところの理論>で置き換えられないだろう。空間そのままの順では<ところあいだ>で何のことだかわからないが、並び替えた<間空>は<あいだところ>でなんとか意味がとれる。一字違いだが<あいたところ(空いたところ、でもある)>は語呂のいい<あきどころ>に言い換えられる。この<あきどころ>は空間の意に近い。空間は<あき>だけでもいいが、<ところ>は時間の<あき>と区別するため念押し。
----ー
追加
前にもどって
空(から)
空(あ)く、空(あ)き
空(す)く、空(す)き
の違いをしらべておく。
1)空(から)
xx が(は)空(から)だ。
xx が(は)空(から)になる。
以外に修飾語として活躍する。
空威張り
空売り(株式用語)
カラオケ
空元気
空騒ぎ
空手 格闘技、またはスポーツの<空手>以外に、<空手に終わる>といった言い方がある。
空手形
空振り
空回り
空約束
空っぽ
多くは否定的な
(あるべき)中味、中身)がない
殻(から)だけで肝心な中味、中身がない。
といった意味だ。 英語でも empty promise というのがある。
<からから>が濁った<がら>、<がらがら>は
がら空(あ)き
がらがらに空(す)いている
というのがある。
2) 空(あ)く、空(あ)き
まだ空きがある。
席が空く。 空き席
手が空く
空き時間
空き巣
空き地
空き家
これは<本来あるべき中味、中身)がない>状態、状況を言っているが否定的な意味はない。<埋めるべき、埋められるべき、埋められる場所がまだある>といった意味だ。英語の形容詞 open の意味(開いていて受け入れる余地がある)もある。動詞の to open は
戸を開(あ)ける
戸が開(あ)く
となるが<あく>にかわりはない。<空(あ)く><開(あ)く>は関連語だ。
あの店は夜10時でも開(あ)いている。
と書くがしゃべる時は<空(あ)く><開(あ)く>の区別はないと言っていい。英語の be open の意に近い。
3) 空(す)く、空(す)き
手が空く
腹が空く。
電車が空いている
空き(スキ)がある 、 少しの空き(スキ)もない
すき間(隙間)
これは<本来詰まっているべき、詰まっているのが普通なところが詰まっていない>状態、状況を言っているがかならずしも否定的な意味はない。
<埋める、埋まる>と<詰める、詰まる>の違いが反映しているようだが、<手が空(す)く>と<手が空(あ)く>には<埋め合わせ>と<詰め合わせ>ほどの違いはない。
スカスカ - 空間があって固定しない。
このスカート(ズボン)はスカスカだ。(ウエストサイズが大きすぎて合わない)
スカスカ - 詰まっていない。
この電車はスカスカだ。
<この電車は空(あ)いている>はおかしいが<この電車はスカスカに空(あ)いている>はよさそう。<この電車はスカスカに空(す)いている>でもよさそう。
昔、駄菓子屋のクジで<当たり>に対して<スカ>(ハズレ)というのがあった。
sptt
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