Friday, September 27, 2013

<たら、れば>について


一昔まえ、<たら、れば、じゃ話にならん> という言い方があった。つまり、仮定の話ばかりで現実的でないということだ。<にら、レバ>というご飯のおかずにかけた言い方だったと思う。

<たら>は仮定をあらわすとして、<れば>は何かというと、これも<xx(す)れば>で仮定をあらわすが、この<れ>はなにか?

行けば (五段)
立てば (五段)
座れば  (五段)
見れば (上一段)
起きれば (上一段)
寝れば (下一段)
捨てれば (下一段)

仮定形は上一段、下一段は<れ>がつくが五段は必ずしも<れ>がつかない。五段活用の場合、<仮定形 + る>は可能を示す。

読める
書ける
行ける
言える

この可能の意を維持したまま仮定形(れ)にすると

読めれば
書ければ
行ければ
言えれば

となる。

また<<たら>は仮定をあらわすとして>と書いたが、これも<た>は過去(完了)の助動詞であり、仮定といっても単なる仮定ではなく現実に反する仮定、いわば強い仮定だ。したがって、<たら、れば>は強い仮定の<たら>と可能の仮定<れば>で<まったく現実離れした話>ということになる。


sptt Notes on Grammar <日本語文法とロジック - 4, 接続助詞>の一部コピー)


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Wednesday, September 18, 2013

<おぼえる>の語源

<考える>の語源に続いて<おぼえる>の語源について考えてみ る。<おぼえる>は漢字でかくと<覚える>で少なくとも二つの意味がある。
1)記憶する
2)やや古くさい言い方だが<寒さを覚える>、<痛みを覚える>などの使い方で、現代風には<感じる>とほぼ同じ。
推論-1
前に<える>関連の別ポストで次のように書いて検討課題として残した

思う(古くは、おぼゆ、おもほゆ) - おぼえる(覚える、と漢字を使うと見えなくなる)
思う - 思いえる --> 思える (可能)
<思う>は五段活用だが<おぼゆ>、<おもほゆ> 何活用か?<おぼわず>、<おもほわず>だと五段活用、<おぼえず>、<おもほえず>とも言いそうで、下一段活用になる思える (可能)、<思わせる>は使役になる。
おぼえる -  思(ひ)える、思って得る (?)

(別途検討)

<おぼえる>と関連がありそうなのは<思える (可能)>。<おえる>、<おえる>で一語の違い。あるいは<m>と<b>の違いだ。発音の転移が起こってもおかしくない(*)。しかし<思える (可能)>と<記憶する>や<感じる>との意味の転移はどうか?
*) さみしい - さびしい、せまい - せばめる、せばまる
<おぼえる>を可能の<思える>ではなく、<思(ひ)える(思って得る) <-- <おぼい(ひ)える>の変化とすると、これは<記憶する>や<感じる>に通じる。前者は大和言葉、後者は漢語由来だ。<感じる>は<感ずる>、<感>+<する>。
おぼい(ひ)える --> おぼえる、変化は容易だ。
推論-2
<帯(お)びる>という言葉がある。古語は<帯(お)ぶ>。意味は<何かを持つ、何かの特徴を持つ>で、あまり使わないが、<おびる>自体すでに<持つ>という意味があり、重要語だ。古いが<剣を帯びる(佩びる)>、<赤みを帯びる(佩びる)>というい方もある。
おぶ --> おびえる --> おぼえる、と変化。<おぶ>はモノだけでなく抽象的なコトも<おびえる>(持てる)。<おびえる>には別の意味(<あびやかす>のグループ)が、混乱を避けて<おぼえる>となった。
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