Thursday, November 23, 2017

日かげと星かげ 


 <星かげのワルツ>という歌があるが、わたしはこれまで<星かげ>とは何かをよう考えたことはなかった。調べてみると、レコードのジャケットは<星影のワルツ>となっている。またコンピュータワープロも<ほしかげ>は<星影>と出てくる。一方<日かげ>は<日陰>と出てくる。<星影>も<日陰>もやまとことばとしてはいまいちしっくりこない。 <星かげ>、<日かげ>の方がいい。手もとの辞書では

星かげ、月かげの<かげ>は<光>、という簡単な説明がある。

だが、<星かげ>は星光、<月かげ>は月光ではないだろう。<かげ>と<ひかり>は正反対ではないが、<かげ>は<ひかり>がモノにあったてできる<ひかり>が当たらないところ、のようで、<ひかり>と<かげ>は切っても切れない関係にある。コンピュータワープロによると

ひがかげる - 日が陰る
ものかげ - 物陰
かげになりひなたになり - 陰になり日向のなり
かげろう - 陽炎、陰ろう (<ろう>は楼閣の<楼>だろう。とすると湯桶読みだ。)
かげかたちもない - 影形もない
かげをおう - 影を追う 
ひとかげがみえる - 人影が見える
ひとのかげがする - 人の影がする

<陰>は大体<ひかり>がモノにあったてできる<ひかり>が当たらないところ、の定義によるもの。一方<影>はおおむね<姿(すがた)>で置き換えらるが<影(かげ)>と<姿(すがた)>は違う。<影(かげ)>はおぼろげな姿で、実態(体)ではないようだ。だが実態の姿を反映している。

<かげふみ>という子どもの遊びがあるが、これは私のコンピュータワープロでは漢字が出てこない。<ふみ)は<踏み>でいいだろう。だが<かげ>が問題だ。 <かげ>は光が人(子ども)にあって光が当たらないところにできるので<陰踏み>。ところが実際には<陰(かげ)>でできた<姿>を踏む、踏ませない遊びだ。したがって<影踏み>でもよさそう。陰(かげ)でできた影(かげ)ともいえる。これがどうも正解のようで、つまりは両義というか、このようなモノなのだ。

<鏡(かがみ)>はもともと<かげ見>がなまったものだろう。この<かげ>は姿だ。

さて<日かげ>はいいとして<星かげ>をどう説明したらいいのか。 光が星にあったてできる<陰(かげ>は存在するが、地球にいる人の目では見えない。その陰がつくる影(すがた)も地球にいる人の目では見えない。見えるのは星の光だ。星でも太陽のようにみずから発光している星はこの説はダメのようだが、まったくダメというわけでもなさそう。<おひさま影>というのは聞いたことはないがこれまたまったくダメではないだろう。ただ、太陽はよく晴れている昼間はまともに見れない。雲を透(とお)しては見ることができ、これは少しおぼろでもあり<おひさま影>だ。星の形は、微妙には違うのだろうが、大体同じように見える、というか小さすぎて光の点のように見える。つまるところは辞書の解説と同じく<光>になってしまうのか?月影は<光りがつくり出す月の姿>と言えそう。月影は白っぽい黄色だ。一方<かげ>は同じく光りがつくり出す姿>だが黒っぽい。したがって、陰、影を一般化すると<かげ>は<光りがつくり出す姿>となる。星の場合は月影の方に近いが、姿が点みたいになっているといえる。発光している星も太陽のようにまぶしくはない。よく見ると色はいろいろあるようだ。

さて、このポストを書き始めたのは、 <日かげと星かげ>というよりは

かげがみえる - 影が見える
かげがする - 影がする

という表現なのだ。特に<影がする>、<xxの影がする>という言い方だ。<xxの姿が見える>という言い方があるが、これは<xxのかげが見える>とは違う。<姿がする>、<xxの姿がする>という言い方はないようだ。<影がする>は<見る>、<見える>という視覚動詞が出てこないが視覚に関連した表現だ。他の感覚では

(xxの、な、ような)音がする
(xxの、な、ような)匂(にお)い、香りがする
(xxの、な、ような)味がする
(xxの、な、ような)手ざわりがする、肌ざわりがする。(xxの)感触がする、は純やまとことばではない。

総代表は

(xxの、な、ような)感じがする

だが、<感じ>は純やまとことばではない
<する>動詞、前に<が>があるので、<する>は自動詞になる。強調したいのは<する>とい動詞で、上記の<する>はどういう意味か?

以上を英語にするのは少し難しい。感覚表現は複雑だ。もうすこし具体的な例文にすると

遠くでカミナリの音がする。
この庭はばらの匂(にお)い(香りがする)。
この豆腐は変な味がする
この生地(きじ)はなめらかな手ざわりがする(肌ざわりがする)。
この部屋はうす気味悪い感じがする。

以上の文例を英語にするのは私及び興味とひまのある読者の宿題とする。多分英語は I (私は)xxx という方法がる。例えば

遠くでカミナリの音がする  - I hear a sound of thunder far way.

直訳に近いのは Thunder sounds far way. これは日本人にはもっともらしいが、おそらく英語母国語人はこうは言わないだろう。<I >がないと確かなところがないようだ。だが<カミナリの音は聞こうとして聞く<to listen to>ではないので<I >があるのはかえっておかしいと言うこともできる。この解決策は<私に>を入れることで、Thunder sounds to me from far way. とでもなるか。だが、これもこうは言わないだろう。なぜか? それは I hear の hear に<(音が)聞こえる>の意があるからだ。


sptt







Thursday, November 2, 2017

比較最上級のやまとことば<何にもまして>



英語の比較最上級表現はよく使う。英文では

the   xxx(形容詞原形)+ est

the most xxx(形容詞原形)

となるもので

Mount Fuji is the highest (mountain) in Japan.
Mr xxx is the richest man in Japan.
This is the most expensive diamond in this store.
Hanako is the most beautiful in this class.


日本語訳は、試験でバツをもらわないように、比較最上級=もっとも(最も)を使って

富士山は日本で最も高い山だ。
xxxさんは日本で最も金持ちだ。
これはこの店で最も高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで最もキレイだ。

でもいいが、単調になる。さらに<もっとも>はやまとことばだが翻訳調なのだ。そこでわたしは<一番>を使って

富士山は日本で一番高い山だ。
xxxさんは日本で一番の金持ちだ。
これはこの店で一番高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで一番キレイだ。

としてきた。私の住む香港では<一番(ichiban とそのまま日本語のように発音)>がNo 1 の意で日本人との会話ではよく使われる。多分この影響がある。だが<一番>はやまとことばではない。

最近たまたま思いついたのに<何(なに)にもまして>がある。 関連表現にはバリエイションがあり、単調ではない。

富士山は日本でどの山にもまして高い山だ。
xxxさんは日本で誰にもまして金持ちだ。
これはこの店でほかのどれにもまして高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで誰にもましてキレイだ。


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