Thursday, May 24, 2018
<めぐみ>と<わざわい>
<めぐみ>は恩恵、<わざわい>は災難に相当するだろう。
<めぐみ>は動詞<めぐむ>の連用形の体言(名詞)用法。 <わざわい>は<わざわう>の連用形の体言(名詞)用法になるが<わざわう>という動詞は聞かない。<わざわざ>という言葉があるが<わざわい>とすぐには結びつきそうにない。<わずらわしい>は関連がありそう。<わざわう>と言う動詞があったとして
わざわう -> わずわう -> わずわし(形容詞) -> わずらわし(い)
少しまえのポスト ”<難過>と<つらい思いをする>” で次のように書いている。
”
かなり前に<濡れ衣を着せられる>というタイトルのポストを書き始めたが、未だに書き終わっていない。これを書き始めた目的は東洋人の被害者意識を分析するためで、同じ東洋人でも、日本人、韓国人、中国人では違いがある。フィリピン人、マレーシア人、インドネシア人などの東南アジア人はこれまた違う。未だに書き終わっていないのは、東洋人の被害者意識がたいそう複雑なためだろう。
”
<わざわい>と<災難>が違うところは<わざわい>には災難ほどの被害者意識がないようだ。災難は天災と人災があり、天災は人災ほど被害者意識を起こさない。<わざわい>は大体天災のことをいうようで、人災と<わざわい>はどうもしっくりこないが、人災の<わざわい>がまったくダメということではない。被害者意識が強いと人災を<わざわい>と受けとめるようになるのか?
動詞<めぐむ>は他動詞で受身形は<めぐまれる>。<めぐまれる>は<めぐむ>より頻繁に使われる。<めぐみ>は大体<与えられる>ものなのだ。<天気にめぐまれる>というが何が、誰が<めぐむ>のか?天気だから<天>でもいいが、とりたてて<めぐむ>ものを詮索しなくてもいいのだ。
<めぐむ>の受身形は<めぐまれる>だが、 <めぐむ>の使役形はなにか。手もとの辞書(三省堂、新明解)にある使役の助動詞を使うと(sptt Noted on Grammar で ”他動、使役の<xx す>動詞” というかなり長いポストを書いている。)
めぐませる
めぐまさせる
めぐましめる
だが、さらに
めぐます
めぐまさす
でもいい。だがこのような<めぐむ>の使役形はほとんど聞かない。一方<わざわい>の方は<わざわう>と言う動詞がないので<わざわいを受ける>だが、まずこうは言わず<わざわいに会う>。被害者意思をだすと<わざわいを被(こうむ)る>。
動詞<受ける>は他動詞だがそれ自体に受身性がある。<こうむる>も他動詞でこれまたそれ自体に受身性がある。<受ける>の英語は to receive だが to be given (与えられる)でもある。この辺のやり取り(to give and to take 能動と受動)は日本語では相当込み入っており、外国人泣かせの日本語になるだろう。<与える、取る>、とくに<与える>は翻訳調で、日本語らしいのは
<与える>
やる
あげる
くれる
くれてやる
<取る>
もらう (to be given)
など。
さてここでは被害者意識に関連させて<こうむる>の受身、使役を調べてみる。<こうむる>は動詞自体に受身性があると書いたが、<こうむる>の受身形は
こうむられる
<こうむる>は
こうむらない
こうむって(音便がでてくる)、こうむりながら(音便がでてこない)
こうむる
こうむる時
こうむれば
の五段活用。したがって語幹に<ら行>がはいってくる。受身は動詞<こうむる>の未然形<こうむら>に<れる><られる>をつける。
こうむられる
はいいが
こうむらられる
は<らら>となりかなりおかしい。もっとも<こうむられる>もほとんどきかない。これは繰り返しになるが<こうむる>は動詞自体に受身性があるためだろう。<こうむる>を使役にしてみる、
こうむらせる
こうむらさせる
こうむらしめる
さらに
こうむらす
こうむらさす
で立場が違ってくるが(to give の立場に立つ) とくに変ではない。次にこれらを受身にしてみる。
こうむらせられる
こうむらさせられる
こうむらしめられる
こうむらされる
こうむらさせられる
かなりややこしいが 、これまたとくに変ではない。そしてこれまた立場が違って、to be given の立場に立った言い方だ。 単純な<こうむる>にくらべ被害者意識がでてくる。
<濡れ衣を着せられる>も<着る>の使役<着せる>の受身が<着せられる>で被害者意識がでている。
sptt
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