<いさぎよい>がうまく説明できれば日本人の心情、ひいては日本文化の一面を説明することになりそうだ。<いさぎよい>はコンピュータワープロでが<潔い>と出てくるが、しっくりこないので仮名を使った方がいい。手もとの辞書では、昔は<清(きよ)い>を意味していたが、その後<思い切った>というような意味に変わった、とある。もともとは<いさぎ>という語があって、この<いさぎ>が<いい>という構成だと<いさぎ>の意味がわからないといけない。<いさぎ>は動詞<いさぐ>の連用形の体言(名詞)用法だろう。<いさぎがいい>とは言わないが<いさぎのよさ>とは言いそうだ。だが<いさぐ>という動詞は今はない。同じ語幹の<いさ>では相撲の<いさみ足>の<いさみ>、形容詞の<いさましい>があり、これは動詞<いさむ>由来だろうが、この<いさむ>という動詞も今はない。こちらの方は<勇み足>、<勇ましい>と<勇>の字を使っても、<いさぎよい>の<潔い>のような違和感はない。<きよい>が語幹とすると<いさ>+<きよい>で、<いさ>をあまり意味のない語呂の接頭辞あるいは強調の接頭辞とすると<いさぎよい>=<きよい>となり、すっきりするが、この可能性は小さい。
よく聞くのは
いさぎよくあきらめる
いさぎよく死ぬ
(刑事ドラマで、刑事が容疑者に言う) いさぎよく吐(は)いたらどうだ
だろう。辞書には
いさぎよく謝(あやま)る
という例があるが、少し意味がずれているようだ。
<いさぎよくあきらめる>はミリオンセラーの The courage to be disliked (Ichro Kishimi and Fumitake Koga) では最後の第五章で affirmative resignation という英語がでてくる。これは名詞形なので<いさぎよいあきらめ>に近いようだが、名詞形では<いさぎよくあきらめる>の意が十分伝わらないようだ。原文(日本語)は調べていない。
英語に serene という形容詞があり<(あたりが)静かな、(心が)静かな、落ち着いた>といった意味がある。名詞形はserenity だがややあらたまった言葉だろう。The courage to be disliked の第五章には
”
That reminds me of a line that the writer Kurt Vonnegut quoted in one of his books:
' God grant me the serenity to accept the things I cannot change, courage to change the things I can, and wisdom always to tell the difference. ' It's in his novel Slaughterhouse-Five.
"
というのがある。前後の文脈があってもよく意味がわからないが、このserenity は<(心の)静けさ、落ち着き>ではなく、<あきらめの心>が近いか。神のたまものなのでおそらく<いさぎよいあきらめの心>がもっと近いか?
これはどこか別のところで書いたような気がするが、イタリア語に serenità という語があり、いま再勉強中のイタリア語では人生訓、処世術(昔は養生訓といった)などでよくお目にかかる。インターネット伊英辞典の簡単な解説は
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