Thursday, May 29, 2014
<反応する>、<応じる>のやまとことば
化学に<化学反応>、力学に<応力>というのがある。<応じる>と言う動詞も<xx に応じて yy する>として、自然現象を分析、説明するのに欠かせない。<xx に応じて yy する>は数学でいえば方程式になる。残念なことに<反応>も<応力>も漢語だ(和製漢語だろう)。<応じる>も漢語の<応>+大和言葉の<じる>で、もとは<応>+<ずる>、つまるところは<応>+<する>で、純正の大和言葉ではない。<応じる>に相当する大和言葉の動詞は何か。<感ずる>もつまるとこるは<感+する>だ。
第一候補
ひびく(hibiku) - 響く
<ひびく>は<hi-bi-ku) 響きのいい言葉だ。特に<bi>の発音では実際唇(くちびる)がかなり震えている。<影響(えいきょう)>も<反応>と同じような意味、使い方がある。<xx の影響で yy する(になる)>。<影響>を<ひびき>でそのまはま置き換えられない。<xx のひびきで yy する(になる)>と言わない。ただし、次のような言い方はある。
徹夜は体にひびく。
テレビゲーム(もう古いか)ばかりしていては学校の成績にひびく。
どうも悪い影響に限られるようだ。
<ひびく>は普通<カミナリがひびく>、<鐘(の音)がひびき渡る>のようにも使われる。いわば音(空気の振動、ふるえ)が<伝わる>ことだ。空気は目に 見えないので、大昔の人は、特に感受性が高い人、または好奇心の旺盛な人は、 不思議がったのではないか。とにかく<音が伝わって行く>のだ。
第二候補
きく - 効く
良い影響では<きく(効く)>がある。名詞(体言)形は<ひびき>と同じ連用形の<きき>ともう一つ<きき目>がある。
この薬は高血圧に効く。
この車、ブレーキの効きが悪い。
この薬は効き目がない。
だが、これも<応じて>の意味で<xx の効きで yy する(になる)>とか<xx の効き目で yy する(になる)>とは言わない。<効き目>も多くは目に見えない。ここが怪しげな薬やヤブ医者が活躍する理由でもある。
第三候補
こたえる - 答える、応える
悪くも良くもない中立の意味では<こたえる>がある。コンピュータワープロでは<答える>の他<応える>も出てくる。大和言葉では<答える>も<応える>も<こたえる>の一つだ。 名詞(体言)形は<こたえ>。<ひびく>、<きく>と同じような使い方がある。
この年で長時間の肉体労働は体にこたえる。(悪い影響の意はうすい)
太郎の言いかけ(言いより)に花子はまったくこたえない。
<xx にこたえて yy する(になる)>とは言うが<xx のこたえで yy する(になる)>とは言わない。<xx に応えて yy する(になる)>と<応>の字を使うと、<応じる>が連想されるのでこのましくない。<xx に答えて yy する(になる)>と<答>の字を使うと<返事をする>が連想されるので、ひらがなの<xx にこたえて yy する(になる)>がいい。
<こたえる>には<返事をする>のように<反>の意があるにで反作用、応力の表現には適するようだ。
<作用-反作用の法則>は<力とこたえ力のきまり>とでもなるか?
第四候補
みあう - 見合う
<xx に見合って>は比例関係を示すようだ。したがって、数学、物理、化学の方程式の説明<Aの変化に応じてBは xx のように変化する >は<Aの変化に見合ってBは xx のように変化する >とは言える。だが<応じる>ほど権威はないようだ。反(逆)比例関係はどうか。<xx にさからって>があるが、これは<反(逆)>は示すが比例関係をは示さない。
第五候補
はたらく - 働く
<xx の働きで>は因果関係を示す。
<xx の働きで yy する(になる)> でわるくはない。<働き>は<動き>と意味も字面も関連がある。<動き>は物理学で好んで使われる大和言葉だ。だが<応じる>が因果関係以上の(xx とyy のあいだの)関連-関係を示し、さらには<反対の動き>も示すには及ばないようだ。
第6候補
よる - 寄る、拠る
<xx によって>は因果関係や判断や論証のよりどころを示す。
<xx によって yy する(になる)>はよさそうだが、<応じる>比べると関連性を示す度合いは弱い。
第7候補
したがう - 従う
上の<よる>に似たところがあるが、<あとから(うしろから )したがう>の感じが残る。
<xx にしたがって yy する(になる)>はよさそうで、<よる>よりも、関連性を示す度合いが強い。だが<応じる>が<反対の動き>も示すのに比べると、イマイチ。
第8候補
そう - 沿う
そう(沿う )は、<xx に沿う、沿って>のように使うが、動詞としては日本語特有のようで、英語では<to move along xx >のように<動詞+along xx>となる。あえて英語の動詞をさがすと<to follow xx>とか<to chase xx>だが<後を追う>になってしまう。to guide という動詞があるが、これは他動詞用法が普通で、<to guide xx along yy>となり、<yy に沿って xx をみちびく、つれていく>となる。受身を使って<to be guided by xx>とすれば、少し<沿う>の意に近づくか? 何か線状のモノに<つかず離れずにいる>の意の動詞だが、普通は移動をともない、移動の動詞が続き<xxに沿って行く>のようになる。ただし、<xxに沿って考える>ということもできる。
sptt
五感動詞-ふれる、さわる、タッチする
コンピュータワープロでは<ふれる>は<触れる>、<さわる>は<触る>と出てくるが、<触る>は<ふる>とも読めるので、ひらがなの<さわる>の方がよさそう。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、と並んで五感動詞の一つだが、五感動詞はむずかしい。
xx が手に触れる - 明らかに自動詞
xx に手を触れる
<を>があるので他動詞のように見えるが、あるいは感じられるが、これは<を>をとる自動詞。<を>をとる自動詞では<道を歩く>、<階段を上(のぼ、あが)る>、<橋を渡る>などのいわゆる移動動詞がある。
xx を手で触れる
とも言いいそうが、これは翻訳調で、おそらく間違いだろう。
xx は手で触れられる
とはあまり言わないが、受身ではなく可能になるようだ。受身形がないのいは<ふれる>が他動詞ではなく自動詞の証(あかし)でもある。
それでは<さわる>はどうか?
xx が手にさわる - 明らかに自動詞
xx に手をさわる - かなり変だ
xx を手でさわる - よさそう。では他動詞か?
xx は手でさわれられる - すこし変だが、<私 xx を手でさわられるのがきらいなの>と言う。この場合、受身と言うよりは迷惑、被害。セクシャルハラスメント(セクハラ)だ。
xx は手でさわれる - 受身ではなく可能
<触(ふ)れる>、<触(さわ)る> はどうも違うようだ。辞書によると、<さわる>は<ふれる>より行為者の意図が強い。セクハラ裁判で、加害者の罪度合いに関係しそうだ。<ただ触れただけだ>、<いいえ、さわったのよ>。
和製英語まがいの<タッチする>はどうか?
xx が手にタッチする - 少し変だが、自動詞
xx に手をタッチする - 変だ
xx を手でタッチする - よさそう。では他動詞か?
xx は手でタッチされる - 少し変だが、可能ではなく受身形
こうしてみると、<ふれる>、<さわる>は自動詞、<タッチする>は自動詞 / 他動詞両刀使いと言うことになる。<タッチする>は和製英語による混乱と言うべきか、はたまた和製英語の効用と言うべきか。
コンピュータワープロでは、<ふれる>は<触れる>以外に<振れる>が出てくる。一方<さわる>は<障る>(xx に体にさわる、体によくない)が出てくるが<振れる>、<障る>は<タッチする>で置き換えられない。まだ日本語として十分こなれていないというべきか。
<触れる>、<振れる> と書いてしまうと違うように見えるが、耳できけばどちらも<ふれる>だ。物理的にみれば<触れる>時には物質の<振れる>現象が関与している。もっとも、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、も物質の振動現象が関与しているようだ。
英語では<触れる>、<さわる>は to touch だが、ドイツ語は日本語に似たところがある。berühren (他動詞)が to touch に相当するが(英語の to touch ほど使用頻度はないようだ) rühren には<振るえる>の意がある。
sptt
回(まわ)る - 世界を回る。<回る>は特定方向性は低い、またはないが移動性は高い。特殊な方向性だ。<動きまわる>は円周上を動くわけではなく、動きの方向はいわば不定だ。<あっちこっちを動きまわる>。だがここでも<を>が使われる。
<震(振)るえる>、<ゆれる>は基本的には<を>がとれない。方向性、移動性とも低い。<震(振)るえる>、<ゆれる>は仔細に見れば<AとBの間を行った り来たり>することで、物理学ではきわめて重要な運動だが、方向性から見ると<まわる>と同じく移動性は高いが特殊な方向性だ。<震(振)るえる>に関連して<触れる>という動詞がある。
触れる - xx に手で触れる、といういい方があり、自動詞扱い。 <xx に手を触れる>とも言い、むしろこちらが日本語として自然だ。<xx を手で触れる>とも言いそうだが、これはおそらく英語の他動詞 touch に影響された翻訳調日本語で、純正日本語ではない。といういい方があり、これは他動詞か。移動性は低い。 <触れる>は自動詞。
xx が手に触れる - 明らかに自動詞
(だれだれが)xx に手を触 れる - <を>をとるので他動詞のように見えるが自動詞。この場合<触れる>の目的語は<xx>で<に>をとるので間接目的語(必ずしも適当な文法用語 ではないようだ)。<手を>の<を>は上に例のように<で>で置き換えられ、手段、道具を示し、明らかに直接目的語ではない。だが<を>をとるので目的語 のようにも感じられる。
英語では
(だれだれ、単数) touches xx with the hand. (この場合、his hand は間違いだろう)
に なるか。調べていないが他の言語(たとえばドイツ語)ではまた別の表現だろう。<触れる>は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、と並んで五感動詞の一つで、やや 特殊。また<触れる>とにた動詞に<さわる>がある。<触れる>については別のポストで再検討予定。ここでは<を>は<で>で置き換えられることに注目。 ただし方向性は弱い。
また<触れる>は大和言葉では<振(ふ)れる>と同じで<ふれる>のひとつ。、<振(ふ)るえ る>は仲間だ。したがって、感覚動詞の印象が強いが<動き>の動詞でもある。物理的には見る、聞く、嗅ぐ、味わう、もすべて振動に関係している。したがっ て<動く>はきわめて基本的かつ重要な動詞で、しかも自動詞だ。
以上から<を>をとる自動詞は方向性と関係がありそう。 - 別途検討
Thursday, May 15, 2014
<はばかる>の意味、語源
<はばかる>は漢字で書くと<憚る>で<遠慮する>、<避ける>といった意味になるが、実際の使われ方は相当混乱している。
人目をはばかる
世間をはばかる
以上は確かに<人目を遠慮する、避ける>、<世間に遠慮する、世間を避ける>の意に近いようだが、実際には<人目をはばかってxxする>、<世間をはばかってxxxxする>のように使われるのが多い。つまり<人目をはばかる>、<世間をはばかる>こと自体が重要なのではなく<xxする>の方が重要なのだ。<人目をはばかる>、<世間をはばかる>は副詞的な使われ方なのだ。<はばかり>が便所(トイレ)なのはこの使い方に準じている。
また少しあらたまって、あるいは場合によって諧謔的に<はばかりながら>で使われる場合がほとんどだろう。
はばかりながら、私はこれでも大学卒だ。
はばかりながら、会社は小さいが、私はこれでも社長だ。
この<はばかりながら>は<遠慮していますが>ではなく<遠慮しながら言うのを(あなたに)知っていてもらいたいのですが>といったかなり複雑、ねじ曲がった話者の心理、心算段がある。
はばかりながら、ひとこと言わせてもらいます。
これも<はばかりながら>は<言いたくはないのですが>、<言うべきではないの知っていますが>あるいは<言うことは遠慮すべきなのは知っていますが>といった意味だ。いづれにしてもこの<はばかりながら>は逆接的な枕詞(まくらことば)で、結局のところ<言うこと>が目的だ。
手もとの辞書(三省堂)には
<にくまっれ子世にはばかる>の<はばかる>は<はびこる>の混用といわれる。
と言う辞書の解説があるが、そうだろうか?
上記の見方からすれば<にくまっれ子世にはばかる>でいい。つまり、にくまっれ子は<世間に遠慮して、世間を避けて>目的を達するのだ。
またこの辞書には死語として<はばかりさま>の解説がある。死語であり、また私は聞いたことがないのでここで紹介しないが、<はばかりさま>の意味するところは<遠慮>と<遠慮の裏返し>が交錯した話者の心理、心算段の表(あらわ)れだ。
さて語源は何か?
<追記>
漱石の小説<門>の中で、御米(およね)が子六(ころく)に用事を頼むときに <はばかりさま>が出て来るのをみつけた。まあ、<遠慮しながらも(あるいは遠慮しているように見せて)そこそこ強く頼む>ことのようだ。
また<猫>にも主人が一番嫌う金田夫人も同じような(<遠慮しながらも(あるいは遠慮しているように見せて)そこそこ強く頼む>)使い方をしている。さらに、主人の奥さんが主人の姪(めい)雪江に寒月にお茶を出すように頼む場面でも使われている。どうも当時の中年女性専用言葉のようだ。
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