Sunday, June 21, 2015
<待ち伏せ>について
<待ち伏せ>はけっこういろいろな意味がありうる。
待ち伏せして殺害する。
といった物騒なのがまず思い浮かぶが、もっと平和な、よい意味の<待ち伏せ>が使えないか?
<待ち伏せる>は<待って伏せる>ではなく<伏せて待つ>だ。<伏せる>のほうは<他人に見えないように身を伏せる>の意だ、何を待つかといえば<待ち伏せして殺害する>場合には殺害する時(機会)、殺害する予定の人物が現れる時(機会)だ。細かくいうと、殺害する予定の人物が一人ではではなく、ほかの人物とともに現れた場合は、殺害するのはそのときの状況、条件による。ボディーガード数人に囲まれながら現れた場合は殺害をあきらめるかもしれない。
<待ち伏せ>は物騒なことをするのでなれれば、<何かをするよい機会を待つ>の意、短く言えば<機会を待つ>の意があると言える。また待つ間(ま、あいだ)何をしているかを問題にすると、<伏せる>こと以外でもいいが、機会を失うようなことはダメだ。
以上はドイツ語の abpassen の説明に<待ち伏せ>が出ていたので考えたもの。
<機会を待ち伏せ>はわるくない。機会は漢語なので、やまとことばでは
よろしき時を待ち伏せ
となるか。
ところで、ついでに passen を調べてみた。 passen は大体<xx にあう、都合がいい>、英語では to fit が相当する。これ以外に<トランプ遊びでパスする>、<サッカーなどでボールパスする>というのがある。<パスする>は英語の to pass 由来だろうが、日本語に適当な訳語がなかったためかそのまま<パスする>を使う。この<パスする>は、よく考えると(人によっては、少し考えると)、基本的には<待ち伏せする>と同じ行為だ。何かをして、<よい機会を待つ>ことだ。<何かをする>ことが特に何のためかわからないこともあるが、<よい機会を待つ>ためなのだ。他人には<何のためかわからない>は<伏せる>ことに通じる。サッカーの<パスする>もこのように考えると、サッカーの見方がちがってくる。
sptt
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