Wednesday, March 1, 2017
おごる、おごり
前回のポスト ”<慙愧に堪えない>のやまとことば” で
”
日本人の発想からは<おごり>の反対は<遠慮>、<謙虚>、<つつしみ>だろう。恥に関係なく<遠慮、謙虚さ、つつしみのない言動>が<驕傲(おごり)>と考える。大体西洋人にとっては<遠慮>、<謙虚>、<つつしみ>は必ずしも徳、ほめられたことではない。この辺は中国人は日本人よりも西洋人に近いようだ。したがって<慚愧>の反義詞が<驕傲(おごり)>と見るのだろう。もっとも反義詞というよりは<慚愧のない言動>が<驕傲(おごり)>ということなのだろう。<遠慮>、<謙虚>、<つつしみ>はあまり関与しない。これは日本人にとってわかりにくいが重要なポイントだ。
”
と書いた。<おごり>の動詞は<おごる>だが、<おごったxx>の連体形では使うが連用形<おごって>、終止形<おごる>は体言(名詞形)の<おごり>ほどは聞かない。 動詞<おごる>は<メシをおごる>でよく使うが、<おごり>の<おごる>と関係があるのか?
動詞<おごる>は日本語サイト http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%81%94%E3%82%8B では
定義として<自分を過大評価すること>とし、同義語が列挙されているが、やまとことばでかつ意味ががあまり特定されていない一般的な動詞は
つけあがる
思いあがる
うぬぼれる
だ。 <自分を過大評価すること>が分析的であるのに対して、これらはいかにもやまとことばで、逆に<つけあがる>、<思いあがる>、<うぬぼれる>は<自分を過大評価する>にはならなだろう。隅をつつくようだが、<おごる>は<自分を過大評価する>という目に見えない頭の中の動きを表わす場合と<自分を過大評価した言動をとる>とう目に見えることを表わす場合があるだろう。
<うぬぼれる>は面白い言葉でもとは<おのれにほれる>(<おのれをほれる>ではない)だ。英語ではself-esteem(ed)、self-confidence(-t) はあるが self-love(ed) はあまり聞かない。西洋の神話で鏡(水面か)に映ったおのれの姿にほれる、というのがあった。
さて<おごり>の<おごる>と関係があるのか?だが、手元の三省堂国語辞典では
<おごり>として<贅沢(ぜいたく)>が第一義。二番目に<メシをおごる>の<おごり>がきている。動詞の<おごる>の方も<贅沢をする>が第一義。<贅沢><贅沢をする>は容易に<メシをおごる>に結びつくだろう。金持ちでない限り<メシを(他人に)おごる>のは贅沢な行為だ。第一義とはなっているが、私は<贅沢>の意で<おごり>を使ったことはないし、他人が使うのも聞いた記憶がない。すでに<過去のやまとことば>か?だが、贅沢は<おごり>につながる。意味のシフトだ。
ところで、<おごり><おごる>と<ほこり(誇)><ほこる>と関係ないだろうか?
sptt
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