Friday, March 3, 2017

<難過>と<つらい思いをする>


かなり前に<濡れ衣を着せられる>というタイトルのポストを書き始めたが、未だに書き終わっていない。これを書き始めた目的は東洋人の被害者意識を分析するためで、同じ東洋人でも、日本人、韓国人、中国人では違いがある。フィリピン人、マレーシア人、インドネシア人などの東南アジア人はこれまた違う。未だに書き終わっていないのは、東洋人の被害者意識がたいそう複雑なためだろう。

中国語に<難過>という言葉があり、北京発のテレビ、ラジオドラマではよく出てくる。私は中国語(北京語)のラジオドラマのファンでかなりのストック(録音)がある。ラジオドラマの質はかなり高いと思う。<難過>は、文字通りでは<(時、状況を)を過ごし難い>だが、日本語では<つらい思いをする>が相当しそう。だが当然同じではない。中国語の大きな特徴だが<難過>は動詞、形容詞、名詞で使えると思うが<他難過>の<難過>はたぶん動詞ではなく形容詞(扱い)だろう。

これまた中国語の特徴、というか、むしろに日本語の特徴なのだが、他人が<難過>しているのを見て<xx(だれだれ)難過>と直接的に言うのだ。日本語では実際の発話として<花子が(は)つらい思いをする>はおかしく、<花子が(は)つらい思いをしているようだ>とか<花子が(は)つらがっている>となる。この表現の切り替えには少し時間がかかる。

使われ方を見ると<難過>も多分に被害者意識がからんでいる。多分<つらい思いをする>原因が自分にあっても、他人が<自分につらい思いをさせている>と考えれば<難過>なのだろうが、これは主観的な見方で、他人の同情は得られないだろう。

同じ中国でも、私が住む中国南部の香港では<難過>はテレビ、ラジオドラマでも日常生活でもまず聞かない。香港は広東語だが<難過>が純北京語とはいえないだろう。というのは広東語には<難食>という言葉があり(北京語では<难(難)吃>)、これはよく聞く。<难吃>も北京発のテレビ、ラジオドラマでは出てくる。<難食>の意味は<食べ難(にく)い>だが、実際の使われ方は<(食べものが)まずい>の意だ。それでは香港(広東語)で<難過>をどう言うのかというと、それは<(好)辛苦(san fu)6声だか7声無視>だろう。これはきわめてよく聞く高使用頻度日常語だ。北京語では<辛苦(xinku)4声無視>で、これは、私の観測では<難過>と同じ程度に使われているようだが、おそらく使い分けがあるのだろう。香港(広東語)の<辛苦(san fu)>には被害者意識がほとんどなく<つらい思いをする>というよりは、程度の差はあるが、あまりシリアスでない<つらい>に相当するだろう。これまた私の観測では広東語圏の人たちは大体被害者意識がうすく、だれが見ても相当の<他人のせい>のような場合を除き<他人のせい>で自分が<辛苦(san fu)>になっているとはあまり考えないようだ。たとえこのような場合でも主観的な被害者意識はそれほど強くなく、原因⁻結果を客観的、ロジカルに見ているようだ。あるいは日本人の<いさぎよくあきらめる>対応を日本人以上にしているようだ。

<いさぎよくあきらめる>は北方の北京語圏でもこれに相当する<没(有)办法>(いたし方ない、しょうがない)というこれまたよく聞く高使用頻度日常語がある。香港の広東語も発音は違うが同じ表現でやはり高使用頻度日常語だ。だが使われすぎているためか、<いさぎよくあきらめる>ほどのシリアスさはない。一方<難過>はそこそこのシリアスさがある。


sptt

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