<かまう>、<かまける>は口語でよく使うが、いったいどういう意味なのか?
<かまう>は否定用法が多いようだ。<かまうものか>は反語で否定の<かまわない>で置き換えられる。
そんなことはかまわない。そんなことかまうものか。
わたしはかまわない。(わたしはかまうものか、とはあまりいわない)
この英語版は I do not care (mind). It does not matter with (to, for) me.
(It does not me matter. It does not matter me. は文法違反だが、簡潔な表現で意味もつたわる。)
中国語版は 没关(関)系。
でほぼ決まり文句でよく使う。
おもしろいのは<(私は)かまいません>という丁寧語はよく使うが<(私はかまいます>はほとんど聞かない。 Do you care (mind) ? の答として I do care (mind). (わたしは大変気にします)とはいうが、有关(関)系は聞いたことがない。
私はウナギだ。私は天丼。わたしは何でもかまわない。
わたしにはかまわないでくれ。
わたしにはかまわないで、早く行ってください。
負けてもかまわない。 負けてもかまうものか。
勝とうが負けようがかまわない。勝とうが負けようがかまうものか。
花子は服装(みなり)にかまはない。
花子は太郎が去って行ってもかまはない。
たまには子供たちをかまってやれ。
忙しくて子供たちをかまってやれない。
太郎はこのところ忙しくて前のように花子をかまってやれない。
以下は<かまける>でもよさそう。
そんことに(は)かまっていられない。 そんことに(は)かまけて(は)いられない。
そんことにかまっているヒマ(時間)はない。そんことにかまけているヒマ(時間)はない。
以下は<かまける>でないとダメ。
忙しさにかまけて、たのまれた品物の買い物を忘れてしまった。
以上の例を分析して、やまとことばで言いかえると
かまう - 気にする
かまう - 気にかける
かまう - 面倒をみる。面倒は和製漢語か。
英語版は to take care of
中国語版は 照顾(顧)
発音からするともとは漢語のようだがやまとことばになりかけている<世話>を使った<世話をする>があるが、<面倒をみる>とは少し意味が違うようだ。だが<世話をかける>は<面倒をかける>、<世話になる>は<面倒になる>とほぼ同じ意味だ。
ある意味の<かまう>は<余計(よけい)なお世話をする>のような意がある。
男子校の生徒が学校帰りの女学生をかまっている。
<面倒をかける>の中国語版は<麻煩>で名詞(面倒の意)でもあるが、動詞にもなり
(我)麻煩你
となる。<かまう>をつかうと<(私は)あなたをかまけさせます(が)> となりそうだが、こういう日本語はない。普通は<面倒をかけます(が)>、<ご面倒ですが(が)>、<ご面倒をおかけいたします(が)>などとなる。
<かまう>は日常よくつかわれるので 連用形体言(名詞)の<かまい>があってもよさそうだが、なさそう。 また否定形用法が多く肯定形ではあまり使われないことから動詞<かまう>は未発達といえる。
だがこれは詮索が足りないのだ。 <かまい>は発達して丁寧、尊敬の接頭辞<お>がついた<おかまい>で日常多用されている。だがこれまた否定形が多いのだ。
(おかまいする) おかまいしました。またおかまいします。
以上は
(お邪魔する) お邪魔しました。またお邪魔します。
と<お>のついた変な漢語の<お邪魔>の方がよく使われる。<おかまい>の否定形は
おかまいなしに、おかまいもなしに (かまわずに、少しも気にかけずに)
おかまいもしませんで
<世話>に<お>のついた<お世話>もよく使う。
お世話になる。お世話になりました。
お世話さまです。
<お世話>にさらに<さま>がついている。<ご面倒さま>、<お邪魔さま>、さらには<ご迷惑(さま)>というのもある。日本語はこのへんが非常に発達しているといえる。だが<おかまいさま>はない。やまとことばの<かまい>は漢語にそうとう侵食されている。
さて<かまける>はどうか?
かまける - 気をつかう。 ワープロでは<気を遣う>とでてくる、<こころを遣(や)る>の意か?
かまける - 心をうばわれる
sptt
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