<勇気>は名詞(体言)で、動詞として使おうとすると<勇気をもって(xx)する>となってしまう。<勇気>のやまとことばは<いさみ>だろうが、<いさみをもって(xx)する>とは言わない。<いさみ>の動詞は<いさむ>だが、用法は限られている<いさんで(xx)する>と言えるのだが、<勇気をもって(xx)する>とは意味にズレがある。<いさんで(xx)する>はなにか軽いのだ。おそらくこれは、形容詞形の<いさましい>が<勇気ある>よりもなにか軽いのと同じだ。<いさましい姿>はいいがが<いさましい行(おこな)い>もまたなにか軽い。<いさみ足>という言い方があるので、積極的なのはいいが、なにか軽々しいのだ。
<勇気>はもちろん中国語由来。中国では<勇気>も使われるが、圧倒的によく使われるのは<勇敢>。<勇気がある>は<有勇気>ではなく<有勇敢>か。中国語の常で<勇敢>はそのまま形容詞にもなる。<你勇敢>。<勇敢>が先に来る場合は<勇敢的行為>と<的>がつきそうだが、<勇敢行為>でもよさそう。
<勇気をもって(xx)する>に相当するやまとことばとして<勇敢>の<敢>、すなわち<敢(あ)えて>を使ってみる。中国語の<敢>は<勇敢>以上によく使われようで<敢えて(xx)する>、英語の助動詞的使い方の dare 相当だ。<敢えて(xx)する>。
日本語では<あえる>という動詞はごく限られた使い方で、もっぱら<あえてxxする>、<あえてxxしない>となる。ここで<あえて>は副詞。<あえてxxする>はやまとことばというよりは英語の助動詞的使い方の dare の漢文まがいの苦心訳由来だろう。
限られた使い方では<とりあえず>という慣用的な言い方があるが、<あえず>は<あえる>の否定とすると、この<あえる>はどういう意味か?<勇気をもって、とらない>とはいったいどういう意味か?
<あえなくも>という慣用的な言い方もある。これは<あえ(が)なくも>で<あえ>は名詞(体言)だが<あえる>の連用形の体言用法で、意味は<勇気をもってすること>になる。あるいは<あえなし(い)>を形容詞と見て<勇気をもってする(した)にもかかわず>の意か?
<いさむ>、<いさみ>、<あえる>、<あえ>の詮索は別の機会にする予定として、ここでは<いさ>、<あえ>関連の言葉がまずしい(貧弱な)ことを取り上げたい。つまりは勇気は漢語なので<勇気をもって(xx)する>が純やまとことばで言えないのだ。これは表面的なことだけでな。<勇気をもって(xx)する>は民族の発展に関係するだろうから、やまと民族(日本人)にとってはゆゆしき問題だ。
<勇気>に関連した言葉に<挑戦>がある。<挑戦>には<いどむ>というやまとことばがある。だが正確には日本語の<挑戦>は名詞(体言)で<いどむ>は動詞だ。名詞(体言)の<いどみ>はいいやまとことばと思うが残念ながらまず聞かない。これまた<いどむ>(挑戦)関連のやまとことばは未発達なのだ。<挑戦する>は使われて古くなったためか効果、印象が薄くなり<チャレンジする>がよく使われる。英語の方の<チャレンジ(a challenge, challenges)>、<チャレンジする(to challenge)>もおもしろく、英語圏の政治家や役人は困難(a difficulty, difficulties)とは言わず、この意味で<チャレンジ>をよく使う。そのうち<チャレンジ>の意味が変わるだろう。
勇気、挑戦のやまとことばがまずしい、ということは日本人は勇気やチャレンジ精神がまずしいことを示唆する。
あと回しになってしまったが、<勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>を もう少し詳しくいうと、(困難や恐れがあるにもかかわらず) <勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>となる。<おそれ>のやまとことばは発達しているようだ。<おそれる>、<おそれ>、<おそろしい>、<おそろしがる>、<おそろしげ>。否定を使った言い方になるが、<勇気をもって(xx)する>は
<恐れずに(xx)する>
で純やまとことばになる。
困難の方は<むずかしい>、<むずかしさ>はいいが<むずかしがる>は日本語的な言い方だ。したがって<挑戦する>は
<むずかしがらずに(xx)する>とでもなりそうだが、<いどむ>のほうがはるかにいい。
sptt
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