英語の Life は多義語でこれに相当する一語の日本語はない。
Life -1
Please save my life.
わたしの命(いのち)をお助けください。
Life -2
Taro ended his long life.
太郎は長い一生を終えた。
Life - 3
Hanako leads a busy life every day.
花子は毎日忙しい生活をおくっている。
Life は動詞 to live の名詞形。 to live は
Taro lives. だけだと<太郎は生きる>になるが、英語でも日本語でもめったにこうは言わないだろう。だが to live は<生(い)きる>だろう。
Taro lives in Tokyo. は問題ない。<太郎は東京に住んでいる>が相当。だが<生きる>と<住む>ではえらい違いだ。したがって動詞 to live も相当な多義語だ。だが<太郎は東京で生活している>とも言える。
Taro lived a long life. とは言えるが to live と life が重なるので Taro had a long life. が簡潔でいい。
<太郎は生きてる> は<死んでいない>を意味するときはTaro is living. ではなく Taro is alive. で関連形容詞の alive がでてくる。(A) live concert の live は動詞ではなく形容詞用法だ。
さて日本語の方にもどるが<命(いのち)>はれっきとしたやまとことば。だが<一生>も<生活>も漢語由来だ。
太郎は長い一生を終えた。--> 太郎は長いいのちを終えた。
はなんとか通じる。
一生に一度のチャンス --> いのちに一度のチャンス
これはダメ。
長いいのちに一度のチャンス
は通じるし、やまとことばのニュアンスがでてくる。
才能ある美代子の短かった一生が悔やまれる。--> 才能ある美代子の短かったいのちが悔やまれる。
これもやまとことばのニュアンスがでてきていい。
もっと例を調べるべきだが、<一生> は<いのち>でなんとか置き換ええられそう。
花子は毎日忙しい生活をおくっている。--> 花子は毎日忙しいいのちをおくっている。
これはまったくダメと言っていい。
A poor life - まずしい生活 --> まずしいいのち
A happy life - しあわせな生活 --> しあわせないのち
A daily life - 毎日の生活 --> 毎日のいのち
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->いのち水準
すでにかなり時間がたつが、英語圏では Fashion が使い古されて魅力がないためか意味が広いがLife style という言葉使われるようになっている。
Life style - 生活スタイル -->いのちスタイル
これまたもっと例を調べるべきだが、<生活>は<いのち>でカバーできない。上に述べたように<生活>は漢語由来だ。
日本語では普通<生きる>と書くが、場合によっては<活きる>とも書く。<XXをいかす>は活用、活性化の意から<XXを活かす>の方がよさそう。また魚屋や海鮮料理屋では<生き魚>ではなく<活き魚>だ。<生魚>だと<なまざかな>になりかねない。漢字を使うとこういう区別があるが、やまとことばの<いきる>には<生きる、生きている>と<活きる、活きている>の意味があることになる。<いきいきした>は<生き生きした>表情、生活とも<活き活きした(新鮮な)>さかな、野菜。とかき分けられそうだが、やまとことばでは<いきいきした>だけだ。
以上は前置きで、このポストの目的は<生活>に相当するやまとことばを見つけることなのだ。答えは意外と簡単で、やまとことばには<くらし>というのがある。
A poor life - まずしい生活 --> まずしいくらし
A happy life - しあわせな生活 --> しあわせなくらし
A daily life - 毎日の生活 --> 毎日のくらし
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->くらし(の)水準
Life style - 生活スタイル -->くらし(の)スタイル
大体<くらし>でもおかしくない。これで解決か。<くらし>は<くらす>の連用形の体言(名詞)用法。したがって、意味に<くらす>の意味がつきまとう。
<大体<くらし>でもおかしくない>と書いたが、
まずしい生活 --> まずしいくらし OK
しあわせな生活 --> しあわせなくらし はOKだろうか?
もう少し調べてみる。
みじめな生活 --> みじめなくらし OK
くるしい生活 --> くるしいくらし OK これは語呂がよくない。
らくな生活 --> らくなくらし OK
裕福な生活 --> 裕福なくらし OK
たのしい生活 --> たのしいくらし はOKだろうか? <たのしい>も<生活><くらし>とあいそうがよくないようだ。
くらしむきがよくない --> (経済的な)生活状況がよくない
<生活>も<くらし>もどうも経済的な要素がからんでいるようだ。
しあわせな生活 --> しあわせなくらし はOKだろうか?
たのしい生活 --> たのしいくらし はOKだろうか?
の<OK?>はこれにからんでいるのだろう。また
< しあわせな生活をおくる>はいいが<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>
は微妙だがすこしおかしいようだ。
この<おくる>はクセモノで<送る>、<贈る>ではない。ではこの<おくる>はどういう意味か? これは重要なことだが、あとで検討する。
中立的、一般的な<毎日の生活>は<日々のくらし>でいい。
<毎日の生活>は<日々のいとなみ>というやまとことばでも置き換えられそう。だが<いとなみ>は<生活>にならない。<いとなみ>はこれまた動詞<いとなむ>の連用形の体言(名詞)化用法で<いとなむ>の意味が付きまとう。<いとなむ>は用法、意味がせまいようだ。漢字は<営む>となる。
小売業(小売店)、魚屋、パン屋、町工場(まちこうば)を営む。
大企業を営むとは言わない。 -->大企業を経営する。と漢字が多くなる。
似たようなやまとことばに
<XX をなりわいとする>というのがあるが、<日々のなりわい>も<毎日の生活>にならない。<いとなみ>、<なりわい>は<生活のかてをえる>活動なのだ。これまた経済的な要素がからんでいるようだ。
さて
< しあわせな生活をおくる>、<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>
の<おくる>を検討する。この<おくる>は<送る>、<贈る>ではない。<生活>や<くらし>を<送ったり>、<贈ったり>するわけにはいかない。<おくる>は<置(お)く>由来だろう。<おくる>は多義語となる。<置く>は英語で言えば
to put、to place 。<送る>は to send、<贈る>は to present
(プレゼントする)だが、やまとことばでは基本的に(一般化して)同じ<おくる>だ。だがこの<おくる>はどうも違うようだ。
xxな生活をおくる --> xxな生活を過ごす
で言い換えられるが
xxなくらしをおくる --> xxなくらしを過ごす
の言い換えはダメだ。なぜダメなのか?これはおそらく<くらす>と<過ごす>が同じような意味を持っているからだろう。
日々をくらす
日々を過ごす
<おくる>はどうか?
日々をおくる
問題ない。以上から、二段論法か三段論法かよくわからないが、この<おくる>は<送る>、<贈る>とはべつの<置(お)く>由来の<おくる>なのだ。これからが本論。
<Life、生活=くらし(?)>の検討のため<くらす>、<すごす>、<おくる>を比較してみる。
<くらす>は<来る>由来ではなく<日が暮れる>の<くれる>の古語<暮(く)る>と関連がありそう。<くらす>は<暮る>の使役形、または他動詞化だ。<日が暮れる>は<昼間が終わる>ことだが、昔は電灯がなかったので<昼間が終わる>というよりは<一日が終わる>だ。使役形、または他動詞で<日を暮らす>と言うと<一日を終える>となる。<一日を終える>は生活のにおいがする。
<すごす>は<過ぎる>の使役形、または他動詞化だ。<一日が過ぎる>は<一日を過ごす>となる。<一日が過ぎる>は<なんとなく一日が過ぎる>感じだが<一日を過ごす>はやや自立的、積極的だ。<過ぎる>、<過ごす>はあるモノ、コトが後ろへ行くことだが、時間や日(ひ)では過去になることだ。<過ごす>は使役形、他動詞なので<一日を過ごす>は<一日を過去にやらす>ことになる。
<置く>由来の<おくる>は<過ぎる><過ごす>に近い。というのは<置く>は<置いて行く、行ってしまう>も意味するからだ。正確には<置き去る>、<置き去りにする>という言い方がある。英語では
to leave が相当するが、これが自然に使えるようになるには少し時間と使用実践が必要。 to leave は多義語だ。leave の発音は live をすこし長くしただけだ。
I left my wallet at home. 財布を家に置き忘れた。
Hanako left her two children at home and went to a town for shopping.
花子は二人の子供を家に残して街に買い物に出かけた。
Taro left Tokyo yesterday. 太郎はきのう東京を去った、離れた、発(た)った。
<日を暮らす>も見方をかえると、<一日を過去にやらす>ことに近い。したがって<くらす>、<すごす>、<おくる>は同じような意味の動詞たちと言えそう。
日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる
に大きな差はない。
さて<Life、生活=くらし(?)>の問題だが、この方程式は正しくない。
Life には to live (生きる)の意が強く残っていて<一日を過去にやらす(to let it go)>ことではない。中国語の<生活>の方も<生きる、生命>の<生>と<死><死んでいる>に対する<活>の字の組み合わせで英語の Life の意に近い。<一日を過去にやらす>ことではなく<生きる>ことなのだ。
<生きる>と<くらす>、<生き方>と<暮らし方>とでは雲泥の差がある。
日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる
ではなく
日々を生きる
がいい。
英語では to lead a life という。to live a life は語呂が悪いが間違いではないだろう。
日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる
は上で取り上げた to leave が相当するようで to live a life となる。 to live a life をやまとことばにすると<日々を置き忘れる、残して出かける、去る、離れる>となる。
<日々を生きる>はいいが、残念ながら名詞形が見つからない。<くらし>は<くらす>由来。<くらす>は<くれる>の関連語。<くれる>は<暗(くら)い>グループの言葉で、<日が暮れ>ればあたりは暗くなる。 <途方にくれる>もこの仲間で<お先まっ暗>の意だ。<くれる>には<暗い>イメージが付きまとう。これが<くらし>のイメージに影響しているようで<生き活き>の明るいイメージとは対照的だ。<暗いくらし>は語呂が悪いためかあまり聞かないがイメージはわきやすい。<明るいくらし>はイメージがわかずイマイチだ。
sptt
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