<身につまされる>と<ゆとり>は一見関係なさそうだが、まとめて語源を探(さぐ)ってみる。
<身につまされる>は<身(み)>がつく表現をいろいろ探している時に手もと辞書にある慣用表現のなかで見つけたもの。<身につまされる話>は聞いたことはあるが、実際自分で使った記憶はない。多分意味が解っていなかったためだろう。
手もとの辞書、インターネット辞典も大体同じで
出典:デジタル大辞泉(小学館)
他人の不幸などが、自分の境遇・立場と思い合わさって切実に感じられる。
出典:類語例解辞典
- [共通する意味]
- ★人の気持ち、立場などにひきつけられて、自分も同じように感じてしまう。
<身に>は別のところで<再帰動詞表現>にからんでいろいろ調べたが、
1)体(からだ) (身をのりだす、身をくねらす)
2)中身 (身も蓋(ふた)もない)
そして
3)自分自身
さらには頻度はさほど多くはないが
4)命(いのち) (身をささげる)
となる。この分類は明確に分かれるのではなく、いくつかの意味が掛詞のようにからまっている場合が少なくない。
問題は動詞の<つまされる>で、受身形のようだが、能動形はなにか?<ほだされる>の能動形は<ほだす>なので、<つまされる>の能動形は<つます>だろう。だが、このような意味で(身につます)<つます>は聞いたことがない。
<つます>は<つむ>(他動詞)の使役形だ。<(誰々に)つます>
<つむ>はコンピュータワープロでは摘む、積む、詰む、と出てくる。<摘む>関連では<つまむ>というのもある。<身につまされる>の<つまされる>の<つむ>は<心をつまれる、つままれる>で<摘む>のようだ。<積む>は関係なさそう。だが表現は<つます>でこれは<摘む>使役形。<身につまされる>の能動形は<誰々に(何なに)(自分の)身に摘ます>に意味がなければならない。<身を摘ます>ではない。どうも泥沼に入ってしまったようだ。
一方<詰む>は古語で、現代語は<詰める>。 自動詞は<詰まる>。<詰める>は
1.容器などをいっぱいにする
2.空間、すき間を埋める。 <席を詰める>。
2.水の漏(も)れ、流れなどを栓(詰め物)などをしてふさぐ。(ドブがつまる、息がつまる)
慣用表現としては<つまらない>(おもしろくない)、<つまるところ、つまり>がある。<満たされない>の意か。将棋では<王将を詰める、詰め将棋>というのがある。
このような意味の古語<詰む>とその使役形<詰ます>を<身に詰ます>に応用すると、
( 順調に流れている(進んでいる))身に詰め物などをしてふさがせる、となる。これを<受け身>にすると
身に(何かを)詰まされ(て、順調に流れない)、となる。
ここでは<誰々>、<何なに>がないが、不特定の誰か、何かでいい(これは重要)。
これだと、英語の to be moved と逆になってしまうが、<流れている(動いている)モノが止まる>のと<止まっているモノが動く>のは<変化>という意味では同じことだ。物理の変化率を思い起こせばいい。 モノの動きの変化率は<力のもと>だ。ここがポイント。<身につまされる>とは<心が変化させられる>ことなのだ。
なにか、まやかし、ごまかし、詐欺のような説明だが、 <to be moved>につて調べてみる。 <to be moved>は感動的な映画を見た観客が<I was moved.>というのをよく聞く。中国人も<很感動>、日本人も<大変感動した>という。<感動>は<感情が動く>で自動詞表現だろう。実際はそうかも知れないが<XXが(私の)感情を動かした>とは考えないだろう。中国語は語順が極めて重要で<感動>は<感が動く>とは限らない。<下雨>は<雨が降る>。まあ、この詮索はここではしない。
<感情が動く>、<感情を動かした>は翻訳調で
心が動く、心が動かされる
魂(たましい)が動く、魂が動かされる
とやまとことばを使うと俄然<to be moved>に近づく。
<to be moved>と似た言い方に<to be excited, to get excited>という受け身表現がある。日本語では<そうエキサイトするな>で否定的(冷静を失うといった意味)に使われるが、英語母国語人なら<to be moved>の代わりに使うことがある。基本的には<to be moved>も<to be excited>も<冷静を失う>ことなのだ。<冷静>を<順調で ”つまらない”>状態とすると、<つまらせて、つまさせて>変化を起こすことは肯定的になる。
さて、<ゆとり>だが、語源はよくわからない。<ゆったり>、<ゆっくり>、の擬態語が関連ありそう。手もとの辞書によると<ゆくり>は上代語で<突然>の意。したがって、<ゆくりなく>は<ゆっくり>と関連する。<ゆとり>と似たような言葉に<落ち着き>がある。これは<落ち着く>由来。<落ち着く>も変化の過程を示しており、<動いていたものが止まる>こと。 to become not moved (moving)、to become not excited (exciting) だ。
なぜ<ゆとり>を持ち出したかというと、<ゆとり>は冷静と関連する。
そうカッカするな(Don't be so excited)。もっとゆとりを持て。
と同時に<ゆとり>は<停滞的で ”つまらない”>状態とも関連するのだ。これで、
そうカッカするな(Don't be so excited)
と
The game (baseball, etc) was so excited.
が両立するのだ。
あまりまとまりがないが、なぜこのような話をしたかというと、最近のイタリア語再勉強中に伊英辞典の中で
motivare (他動詞) to excite, to motivate
motivarsi (再帰動詞) to be moved, to be excited, to be motivated
に遭遇したからだ。 再帰動詞では<自分自身を動かす、感動させる、動機づけする(to motivate のよく見る日本語訳)>で、英語では受身形(感動させられる)。日本語では、他動詞->自動詞変化になり、<感動する>のようになるが上述の
心が動く
魂(たましい)が動く
がいい。しつこいようだが、こういう状態では<ゆとり>がなくなるのだ。どちらがいいとも言えない。バランスの問題だ。
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