Saturday, October 13, 2018

<対称群(Symmetric Group)>のやまとことば - うつし(写し、映し、移し)


前回のポスト”<群論(Group Theory)>のやまとことば - 組み” に続いて代表的な群(組み)である対称群のやまとことばについて考えてみる。対称群は Symmetric Group の訳だ。Symmetry Group の訳ではない(英文 Wiki では<Not to be confused with Symmetry group.>という注意書きがる)。群論の概論ではいろいろな群が紹介されているが、これまた代表的な群(組み)の置換群は耳で聞いただけは<痴漢>が連想されてしまうが、数学に痴漢が出てくることはまずないのでさほど問題ないが、置換群は Permutation Group の訳なので<順列群>、あるいはやまとことばそのままで<置き換え群>でいいだろう。さてSymmetric Group の訳<対称群>は問題が多い。

1.耳で聞いただけでは<対称>は<対象>、<対照>と同じに聞こえる。

2.形容詞の symmetric、symmetrical は<対称的(な)>の意にかなり近いが、symmetry = 対称ではない、というか日本語では<対称>という言葉は独立してはまず使われない。<対称>そのものの意に近い<対称性>ならまだいい。

対称がある。 (ほとんどダメ)
対称性がある。
対称的だ。 
対称的なところがある。

<対称的群>はダメだが<対称性群>は<対称群>よりいい。

置換と<痴漢>に似た混同もある。<対象>は群論、または抽象数学で取り扱うのは数字もあるが、文字もあり、一般的には、そして抽象的には何らかの<対象>だ。集合(集まり)でいえば<元(elements)>が対象だ。<対照>もまた問題で、<対照>は contrast の訳になる。ある意味では symmetry の反対語だ。<対照>は<対称>と違って<対照>だけで<対照性>の意があるようだ。

この絵(文章、表現)には対照がある。 <この絵(文章、表現)に対照性がある>ともいえるが、なのかかしこまった、説明的な感じだ。 ただし、対象、対称との混同があるので<この絵(文章、表現)にはコントラストがある>と言いそう。一方<対称>は

この絵(文章、表現)には対称がある。  ほぼダメ  -> この絵(文章、表現)には対称性がある。混同を避けるためには<この絵(文章、表現)にはシンメトリがある。>がよさそう。だがコントラスト、シンメトリはカタカナで書いてもやまとことばではない。

<対称群>の解説を読んでいくと図形(正三角形、正四角形)を回転させる、正三角形の場合は120度、240度、正四角形の場合は90度、180度、270度回転させる、または中心線にそって<映し返えす>操作がある。回転させても映し返えても元の図形がそのまま保たれるので対称性(シンメトリ)があることになる。この<映す>、<映し>は英語では to reflect、reflection だ。すこし古い wiki では to flip、flip だった。

<写す>、<写し>は to copy、copy だが、移されたもの(コピー)は元の図形(図形と限らなくていい、もとのモノ、対象、 original)と同じもので、もとのモノ(original)とコピーは対称性(シンメトリ)がある。コピーは<写し>だが、もとの図形、モノ、対象を平行移動で<移した>場合も位置は変わるがもとの図形、モノ、対象はそのまま保たれ、対称性(シンメトリ)があることになる。始めの回転も中心点を固定して回すことだが、これも<移し>と考えられる。回転と平行移動の両方をしても対称性(シンメトリ)が保たれる。コンピュータでは<コピー>だけでは事半分で<ペースト、ペイスト>しないとコピーしたことにならない。

以上の<映す>、<映し>、<写す>、<写し>、<移す>、<移し>は耳で聞けは、あるいは発音すればみな<うつす>、<うつし>だ。これはやまとことばの真骨頂といえる。

以上から Symmetric Group のやまとことばとしては<うつし群>がかなり適当だ。

やまとことばの真骨頂の代表として<かわる>、<かえる>がある。<かわる>、<かえる>はコンピュータワープロで<対称>関連では

かわる - 変わる、代わる、換わる、替わる

かえる - 変える、代える、換える、替える、返る、帰る(返る、帰る、は東京発音ではイントネーションが違う)

が出てくる。一方<対称群>の解説では関連した群で

置換群 Permutation Group
交代群 Alternating Group
巡回群 Cyclic Group

があり、関連した操作で互換(Transposition)というのが出てくる。

 さて<群論>の<群>の定義は


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは>



で二項演算をしてももとの集合 G に含まれるような群(Group)なのだ。これは言い換えると<変えても変わらない> ということだ。前の<変えても>は

換えても(変わらない)
代えても(変わらない)

イントネーションの違う<返る>、<帰る>は<もとの場所に戻ること>で、

返ると(変わらない)
帰ると(変わらない)

で意味が成り立つ。 イントネーションは違っても<かえる>グループ(群、組み)と言える。

さらには上に戻って

映しても(変わらない)
写しても(変わらない)
移しても(変わらない)

で置き換えられる。この<変わらない>は一般的に数学や物理の英語では Invariant と形容詞が使われ、極めて重要なコンセプトだ。



sptt






Friday, October 5, 2018

<群論(Group Theory)>のやまとことば - 組み

<群論(Group Theory)>のやまとことばについては<集合>のやまとことば、その他<xx論(抽象数学)>のやまとことばで、中身を詳しく問わずに何度かふれている。

集合のやまとことば(2013年4月)


数学では<集合>以外に<群>があり<群論>として高等代数(抽象数学)で使われている。<群>のもとの英語は group だ。set、group ともラテン語系ではなく純英語なので(注)、<群>のやまとことばをさがしてみる。群論は<ぐんろん>と読まれるが、 群のやまとことばは<むれ>だ。<むれる>、<むれをなす>は大体似たモノが集まることだ。したがって、 group --> 群(ぐん)でいいのだが、これを<むれ(論)>とすると数学者から文句が出そうだ。数字ではなく動物が集まる感じがする。また俗語の<グルになる>は<グループになる>がもとの意味だ。


最近<群論の中身を少し詳しく勉強しているが、かなりな広範囲にわたっており、しかも中身があり、<むれ(論)>ではすまないようだ。<体論(数学)のやまとことば>で引用したが

<体>の方が<群>より抽象度(汎用度)が進んでいるようだが、<群論、Group Theory>の解説(Wiki)の冒頭には


 In mathematics and abstract algebra, group theory studies the algebraic structures known as groups. The concept of a group is central to abstract algebra: other well-known algebraic structures, such as rings, fields, and vector spaces, can all be seen as groups endowed with additional operations and axiom.

群論(ぐんろん、英語: group theory)とは、を研究する学問。 群の概念は抽象代数学における中心的な概念。ベクトル空間などは、演算公理が付与された群と看做すことができる。

"

と言う解説がある。また Wiki の<群論、Group Theory>解説のほうが<体論>の解説よりはるかに長く内容も多い。つまりは<群論>が主、<体論>は従の扱いだ。

抽象度に関しては<体>が四則演算に従うのを原則としているので、制約の少なさを抽象度の目安とすると、<群>は下記の定義からすると<体>よりも進んでいることになる。<体>は<演算公理が付与された群と看做すことができる>。

<群>の定義 Wiki-Japan


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは、以下の3つの条件を満たすことをいう:
  1. 結合法則)任意の G g, h, k に対して、μ(g, μ(h, k)) = μ(μ(g, h), k) を満たす:
    {\displaystyle (\forall g,h,k\in G)[\mu (g,\mu (h,k))=\mu (\mu (g,h),k)].}
  2. 単位元の存在)μ(g, e) = μ(e, g) = gG のどんな元 g に対しても満たすような G の元 e が存在する:
    {\displaystyle (\exists e\in G)(\forall g\in G)[\mu (g,e)=\mu (e,g)=g].}
    • このような e は存在すれば一意であり、G単位元という。
  3. 逆元の存在)G のどんな元 g に対しても、μ(g, x) = μ(x, g) = e となるような G の元 x が存在する:
    {\displaystyle (\forall g\in G)(\exists x\in G)[\mu (g,x)=\mu (x,g)=e].}
    • このような x は存在すれば一意であり、この xgG における逆元といい、しばしば g−1, あるいは演算を加法的に書く場合には −g で表される。
群よりも広い概念として、1 を満たすものは半群、1 と 2 を満たすものはモノイドという。



これが群の定義なのだが、当たり前のことなので気が付きにくいが

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が上記の3条件を満たす

ときに群論での特別な意味をみを持った<群>になる、と言うことなのだ。この当たり前のことが<気が付きにくい>のは<群>という日本語はあまり使わないからだ。一方英語の Group は日常語でいろいろ一般的な意味があり(組み、仲間、集まり)、定義をしないと数学上の特別な意味にはならないのだ。

最後の行の解説は<群よりも広い概念として>とあるので詳しくはここで調べないが<半群>や<モノイド>の方が抽象度が高いということになる。だが<抽象度が高い>と制約が少なくなるためか何だかわからなくなる、という弊害がでてくることがある。

さて定義に戻ると、まず初めの

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは>とは何を言っているのか?ポイントは<組 (G, μ)>、いいかえればまず< (G, μ) という組>をつくり、<μ>二項演算で、集合 G、具体的には集合 G の元、に対する操作(演算)する。そしてその結果は演算後も集合Gにある、すなわち同じグループにとどまるということ、なのだ。ここでは<二項演算>とは何かを知っていないといけない。

二項演算 Wiki-Japan

"
数学において、二項演算(にこうえんざん、: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法、 結合などともいう。

定義

集合 A 上で定義される 2 変数の写像
\mu \colon A\times A\to A;\ (x,y)\mapsto \mu (x,y)
A 上の二項演算あるいは乗法などと呼び、集合 A を二項演算 μ の台集合 (underlying set) などと呼ぶ。A の 2 元 x, y に対し、順序対 (x, y) の二項演算 μ による像 μ(x, y) を xyあるいは結合などと呼んで、多くの場合に中置記法に則って x μ y のように記す(混乱のおそれの無い場合には、しばしば xy と略記する)。

また、A × A 上の写像 gA 上の二項演算を与えるとき、Ag について閉じているあるいは gA において閉じているという。



二項演算は四則演算(加減乗除)ではなく

四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念>の一般化した概念>が重要で、数学の抽象化が進み、いろいろ応用が利(き)くことになる。加減乗除や数字にこだわることもないのだ。

さてポイントの集合(G)と演算(μ)の<組 (G, μ)>の<組(くみ)>というやまとことばについて考えてみる。

<組み>自体<グループ>とも訳せるが<グループを組む>という言い方がある。<組みを組む>とは言わない。<組み>は動詞<組む>の連用形の体言(名詞)用法。体言(名詞)用法の意味としては

1)組むということ
2)組んだ、組まれた状態
3)組まれたモノ、コト

が考えられる。

<組み>はなじみのある日常語で、小学校に入ると

1年1組、 1年2組、 1年3組 . . . .

に組み入れられる。<年>は漢語だが<組(くみ)>はやまとことばだ。運動会では紅組、白組に組み入れられる。これらの組は3)組まれたモノ、コトに相当する。英語の<クラス>は学校では<組み>の意で使われる。<組み分け>より<クラス分け>の方よく使われるようだ。

1)組むということ、については、集合を考えると生徒が元になり、<組むということ>が操作に相当するが二項演算ではない。小学校では男女に分けることはないので、分け方は学校の方針とか<きまり>によるのだろう。だがこの操作の意味での<組み>という語は使われない。<学校の方針とか<きまり>による><組み>とは言わないののだ。<組み>にこの抽象性はないのだ。ではどういうかというと、<学校の方針とか<きまり>によって><組むこと>となるか。例外はあるだろうが、日本語では動詞の抽象化は<動詞連体形>+<こと>になるようだ。

2)組んだ、組まれた状態、の意味の<組み>はどうか?<組みが悪い、良い>とはほとんど言わない。複合動詞語の<組み合わせ、組み立て>は<組み合わせ、組み立てが悪い、良い>と言う。2)の意味では<組み具合悪い、良い>はよさそうで<具合>が必要のようだ。<具合>は状態のやまとことばに相当。

動詞によってはこの<具合(状態)>の語がいらないのがある。

<走り>のいい車(くるま)
<動き>のいい(にぶい)選手(プレイヤー)
<払い>のいい(悪い)会社
<つくり>の悪い木造家屋
これらの動詞も<走り>、<動き>、<払い>、<つくり>は<走ること>、<動くこと>、<払うこと>、<<つくること>にはならないようだ。

<走り>が嫌い。 -> <走る>のが嫌い。
<動き>は体にいい。 -> <動く>のは体にいい。
 <払い>は義務だ。 -><払う>のは義務だ。
<つくり>はむずかしい。  -><つくる>のはむずかしい。

これはおもしろい日本語の特徴だ。話がそれたが、

以上から体言(名詞)用法の<組み>の意味としては大方3)組まれたモノ、コトの意になるようだ。

群論にもどると、 3)組まれたモノ、コトの意の<組み>(の分析)も重要だが、<組にする>操作も重要だ。<組する>は簡潔でよさそうだが別の意味になってしまう。<組にする>方法(しかた)は、限られるが複合動詞で表せる。

組み合わせる - <組み合わせ>は数学用語で Combination の訳語だ。
組み入れる - 組み入れ  <組み入れる>は<組んで入れる>ではなく<組に入れる>の意の造語法だ。
組みかえる - <遺伝子組み換え>と言うのがあるが<組み換え>という数学用語はあるか?やまとことばの<かえる>は<変える、換える、替える、代える、返る、帰る>といろいろな意味がある。
組み込む - 技術用語の Embedded は<組み込み>と訳されている。<組み込む>は<組んで込める>というよりは<組に入れ込める>の意だ。
組み立てる - <組み立て>は<工場での製品の組み立て>などのように使われるが、抽象的な意味では<構造>のやまとことばに近い。この意味でもう少し頻繁に使われてもいいのではないか。一方<つくり>も<構造>の意のやまとことば候補だ。
組み直(なお)す - 組み直し
組み分ける - 組み分け。 <組んで、分ける>は文字通りでは矛盾表現だ。上述のように<組み分け>は<クラス分け>の意だろう。

入り組む - ふつうは<入り組んでいる>のように使う。この意味で<入り組み>とは言わない。
取り組む - 取り組み <取り組む>は

今<群論(Group Theory)>のやまとことば(の問題)に取り組んでいる。

のように使い、文字通りでは<取って、組む>でよくわからない。 <取り組み>がは相撲の<取り組み>のように使い、<問題に取り組む>の<取り組み>とズレがある。少しなまって<取っ組み合いのけんか>という。この意味の<組む>では

組み敷(し)く
組み伏(ふ)せる


<組み>の使われ方

xx を組みにする    上記の<群>定義は<集合(G)と演算(μ)を<組 (G, μ)>の組みにする>と言える。

xx で組みをつくる    <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みをつくる>と言える。

xx で組になる     <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みになる>と言える。


<組む>にデジタル性

このポストを書いているうちに気がついたのだが、<組む>には集合の個々の元に操作を加える、個々のブロックやモジュール(これらは小さい組ともいえる)を組み立てる、組み上げる、組み合わせるような感じがる。リニアーなモノは組み立てたる、組み上げる、組み合わせるという言い方には違和感がある。ブロックやモジュールは小さい組ともいえ、小さい組で大きな組をつくるのに使われが、製造効率があがるのでこのような<小さい組で大きな組をつくる>ようだ。いづれにしてもデジタル的だ。上でとりあげたが<つくる>、<つくり>(構造)はデジタル性がないと言っていい。

Group Theory の訳語としては、<組み>に<組み具合>の意が薄いので、<組み論>でいいのではないか?<組み合わせ論>ではない。<組み論>は必ずしも<Group Theory>の<Group>
定義を表わしていないが、英語のの方も Group という語が一般的な語で語自体に<Group Theory>の<Group>の意味はなく、<Group Theory>を勉強して始めて抽象数学での特別な意味を持つようになるのだ。<組み>の抽象数学での特別な意味を持たせようとすると


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が(抽象数学上の)



の意味を加えて<もとがえり組み>がよさそうだ。この場合の<がえり>は<返り>、<帰り>だ。

かなりくだけるが

yy (たち)はxx をしても結局のところ<同じ穴のムジナ>だ、という言い方がある。

<同じ穴のムジナ組>も候補だ。これは<同じ穴のムジナ族、属>でもいいが<族、属>は漢語だ。

第二候補

集合を<集まり>とすると語呂からすると<まとまり>というやまとことばがある。

sptt

Tuesday, October 2, 2018

加減乗除のやまとことば


加減乗除のやまとことばは、動詞では<足す、引く、掛ける、割る>、体言(名詞)にすると<足し、引き、掛け、割り>で日常よく使い、算数からはなれた慣用ことばも少なくない。一方<加減乗除>の漢字に従えば<加える、減らす、乗(の)せる、除(のぞ)く>となるが、<乗せる、除く>はダメで、 <乗せる>は<上(うわ)乗せする>で<足す>、<除く>は<取り除く>で<引く>になってしまう。<乗、除>はもとの漢語には<掛ける、割る>の意味がある、あったかもしれないが、調べていない。

加減乗除(足す、引く、掛ける、割る)の答(結果)にも漢語がつかわれ<和、差、積、商>で教科書に出てくる。 <和、差>はいいが<積、商>、特に<商>日常ではほとんど使わない。<和(わ)>は<和をもって貴(とうと)しとなす>でやまとことばのように聞こえるが漢語由来だ。 現代北京語では<he>(四声無視、<e>は<エ>ではなく曖昧(あいまい)母音の<ゥ>)だが、広東語では<wo>と発音する。 一方<輪)わ)になる>の<輪(わ)>はやまとことばだ。<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらないが、なくても日常生活ではそれほどこまらない。大げさだがつまりは数学用の特殊な専門用語と言える。これは英語でも同じようなことが言え、

和: sum
差: difference
積: product
商: quotient

積: product、商: quotient はなじみの薄い語となる。加減乗除の英語動詞(名詞)は

足す: to add (addition)
引く: to subtract (subtraction)    to deduct (deduction) でもいいようだがが数学では to subtract (subtraction) が使われている。
掛ける: to multiply (multiplication)
割る : to divide (division)

で特殊用語ではないがややあらたまった語だ。

複合動詞

<足し加える>はあまり聞かない。<足し増す>はいい。
<引き減らす>もほとんど聞かない。<引き抜き減らす>は長すぎる。
<掛け乗せる>、<掛け加える>もほとんど聞かない。<掛け増す>は理にかなっているが、これもほとんど聞かない。
<割り除く>もほとんど聞かない。<割り引く>は<割った分を引く>で理にかなっている。 <割り減らす>は理にかなっているが、これもほとんど聞かない。
<引き除く> もほとんど聞かない。

その他慣用的な言い方では

足し引き  - <足し引く>という動詞も可能。 
差し引き - <差し引く>も可能。意味は<引く>とほぼ同じ。
掛け引き - この意味の<かけひく>という動詞はない。ワープロでは<駆け引き>と出てくる。
割り引き、割り引く(上述)
割り増し - 割った分を増す
上乗せ - 掛け算と言うよりは足し算だ。<割り増し>に近い。

つけ足す -<つけ>は<加える>の意がある。
<引き離す>は<引く>の意にならない。物理的な<引く>の意が残ってしまうのだ。<引きつける>も物理的な意味だ。

<割る>は<分ける>でもあるが、正しくは<等しく分ける(等分)>だ。<割る>と余りが出たり、分数になったりする。一方分数を掛けることは<割る>ことになるので<掛ける>が常に<増える>ことではない。これは負数(マイナス)を足すと<引く>になるのに似ているが、<負数(マイナス)を足す>はかなり高度な数学的な技(わざ)だ。<掛ける>も見方を変えれば<同じモノ(数字)を何度も<足して>いくことなので、少なくとも<足す、引く、掛ける>は<足す>でまに合うことになる

足し合わせる
掛け合わせる - 掛け算にはならず<足し合わせる>とほぼ同じ意味。

言葉の方はかなり<いい加減>だ。

上で<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらない、と書いたが、よく探してみると

和: 足し合わせ
差: 違い
積: 掛け合わせ (これは<掛け算>の意味をもたせられるようだ)
商: 割り分けまえ (<分けまえ>だけでは等分にならない)

が可能だ。<違い>は一語ですっきりしているが、その他は複合(合成)動詞になる。

<割り切る>、<割り切れない>はよく使う。行動につながる決心は<割り切り>と言える。<割り切らない>は<決心しない>でいいが、<(なにか)割り切れない>は<(なにか)納得がいかない>の意になる。逆に<(これで)納得がいく>を<(これで)割り切れる>とはあまり言わない。


sptt