集合のやまとことば(2013年4月)
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数学では<集合>以外に<群>があり<群論>として高等代数(抽象数学)で使われている。<群>のもとの英語は group だ。set、group ともラテン語系ではなく純英語なので(注)、<群>のやまとことばをさがしてみる。群論は<ぐんろん>と読まれるが、 群のやまとことばは<むれ>だ。<むれる>、<むれをなす>は大体似たモノが集まることだ。したがって、 group --> 群(ぐん)でいいのだが、これを<むれ(論)>とすると数学者から文句が出そうだ。数字ではなく動物が集まる感じがする。また俗語の<グルになる>は<グループになる>がもとの意味だ。
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最近<群論の中身を少し詳しく勉強しているが、かなりな広範囲にわたっており、しかも中身があり、<むれ(論)>ではすまないようだ。<体論(数学)のやまとことば>で引用したが
<体>の方が<群>より抽象度(汎用度)が進んでいるようだが、<群論、Group Theory>の解説(Wiki)の冒頭には
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In mathematics and abstract algebra, group theory studies the algebraic structures known as groups. The concept of a group is central to abstract algebra: other well-known algebraic structures, such as rings, fields, and vector spaces, can all be seen as groups endowed with additional operations and axiom.
群論(ぐんろん、英語: group theory)とは、群を研究する学問。 群の概念は抽象代数学における中心的な概念。環・体・ベクトル空間などは、演算や公理が付与された群と看做すことができる。
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と言う解説がある。また Wiki の<群論、Group Theory>解説のほうが<体論>の解説よりはるかに長く内容も多い。つまりは<群論>が主、<体論>は従の扱いだ。
抽象度に関しては<体>が四則演算に従うのを原則としているので、制約の少なさを抽象度の目安とすると、<群>は下記の定義からすると<体>よりも進んでいることになる。<体>は<演算や公理が付与された群と看做すことができる>。
<群>の定義 Wiki-Japan
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集合 G とその上の二項演算 μ: G × G → G の組 (G, μ) が群であるとは、以下の3つの条件を満たすことをいう:
- (結合法則)任意の G の元 g, h, k に対して、μ(g, μ(h, k)) = μ(μ(g, h), k) を満たす:
- (単位元の存在)μ(g, e) = μ(e, g) = g を G のどんな元 g に対しても満たすような G の元 e が存在する:
- このような e は存在すれば一意であり、G の単位元という。
- (逆元の存在)G のどんな元 g に対しても、μ(g, x) = μ(x, g) = e となるような G の元 x が存在する:
- このような x は存在すれば一意であり、この x を g の G における逆元といい、しばしば g−1, あるいは演算を加法的に書く場合には −g で表される。
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これが群の定義なのだが、当たり前のことなので気が付きにくいが
集合 G とその上の二項演算 μ: G × G → G の組 (G, μ) が上記の3条件を満たす
ときに群論での特別な意味をみを持った<群>になる、と言うことなのだ。この当たり前のことが<気が付きにくい>のは<群>という日本語はあまり使わないからだ。一方英語の Group は日常語でいろいろ一般的な意味があり(組み、仲間、集まり)、定義をしないと数学上の特別な意味にはならないのだ。
最後の行の解説は<群よりも広い概念として>とあるので詳しくはここで調べないが<半群>や<モノイド>の方が抽象度が高いということになる。だが<抽象度が高い>と制約が少なくなるためか何だかわからなくなる、という弊害がでてくることがある。
さて定義に戻ると、まず初めの
<集合 G とその上の二項演算 μ: G × G → G の組 (G, μ) が群であるとは>とは何を言っているのか?ポイントは<組 (G, μ)>、いいかえればまず< (G, μ) という組>をつくり、<μ>二項演算で、集合 G、具体的には集合 G の元、に対する操作(演算)する。そしてその結果は演算後も集合Gにある、すなわち同じグループにとどまるということ、なのだ。ここでは<二項演算>とは何かを知っていないといけない。
二項演算 Wiki-Japan
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数学において、二項演算(にこうえんざん、英: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法、 結合などともいう。
定義
集合 A 上で定義される 2 変数の写像
また、A × A 上の写像 g が A 上の二項演算を与えるとき、A は g について閉じているあるいは g は A において閉じているという。
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二項演算は四則演算(加減乗除)ではなく
四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念>の<一般化した概念>が重要で、数学の抽象化が進み、いろいろ応用が利(き)くことになる。加減乗除や数字にこだわることもないのだ。
さてポイントの集合(G)と演算(μ)の<組 (G, μ)>の<組(くみ)>というやまとことばについて考えてみる。
<組み>自体<グループ>とも訳せるが<グループを組む>という言い方がある。<組みを組む>とは言わない。<組み>は動詞<組む>の連用形の体言(名詞)用法。体言(名詞)用法の意味としては
1)組むということ
2)組んだ、組まれた状態
3)組まれたモノ、コト
が考えられる。
<組み>はなじみのある日常語で、小学校に入ると
1年1組、 1年2組、 1年3組 . . . .
に組み入れられる。<年>は漢語だが<組(くみ)>はやまとことばだ。運動会では紅組、白組に組み入れられる。これらの組は3)組まれたモノ、コトに相当する。英語の<クラス>は学校では<組み>の意で使われる。<組み分け>より<クラス分け>の方よく使われるようだ。
1)組むということ、については、集合を考えると生徒が元になり、<組むということ>が操作に相当するが二項演算ではない。小学校では男女に分けることはないので、分け方は学校の方針とか<きまり>によるのだろう。だがこの操作の意味での<組み>という語は使われない。<学校の方針とか<きまり>による><組み>とは言わないののだ。<組み>にこの抽象性はないのだ。ではどういうかというと、<学校の方針とか<きまり>によって><組むこと>となるか。例外はあるだろうが、日本語では動詞の抽象化は<動詞連体形>+<こと>になるようだ。
2)組んだ、組まれた状態、の意味の<組み>はどうか?<組みが悪い、良い>とはほとんど言わない。複合動詞語の<組み合わせ、組み立て>は<組み合わせ、組み立てが悪い、良い>と言う。2)の意味では<組み具合悪い、良い>はよさそうで<具合>が必要のようだ。<具合>は状態のやまとことばに相当。
動詞によってはこの<具合(状態)>の語がいらないのがある。
<走り>のいい車(くるま)
<動き>のいい(にぶい)選手(プレイヤー)
<払い>のいい(悪い)会社
<つくり>の悪い木造家屋
これらの動詞も<走り>、<動き>、<払い>、<つくり>は<走ること>、<動くこと>、<払うこと>、<<つくること>にはならないようだ。
<走り>が嫌い。 -> <走る>のが嫌い。
<動き>は体にいい。 -> <動く>のは体にいい。
<払い>は義務だ。 -><払う>のは義務だ。
<つくり>はむずかしい。 -><つくる>のはむずかしい。
これはおもしろい日本語の特徴だ。話がそれたが、
以上から体言(名詞)用法の<組み>の意味としては大方3)組まれたモノ、コトの意になるようだ。
群論にもどると、 3)組まれたモノ、コトの意の<組み>(の分析)も重要だが、<組にする>操作も重要だ。<組する>は簡潔でよさそうだが別の意味になってしまう。<組にする>方法(しかた)は、限られるが複合動詞で表せる。
組み合わせる - <組み合わせ>は数学用語で Combination の訳語だ。
組み入れる - 組み入れ <組み入れる>は<組んで入れる>ではなく<組に入れる>の意の造語法だ。
組みかえる - <遺伝子組み換え>と言うのがあるが<組み換え>という数学用語はあるか?やまとことばの<かえる>は<変える、換える、替える、代える、返る、帰る>といろいろな意味がある。
組み込む - 技術用語の Embedded は<組み込み>と訳されている。<組み込む>は<組んで込める>というよりは<組に入れ込める>の意だ。
組み立てる - <組み立て>は<工場での製品の組み立て>などのように使われるが、抽象的な意味では<構造>のやまとことばに近い。この意味でもう少し頻繁に使われてもいいのではないか。一方<つくり>も<構造>の意のやまとことば候補だ。
組み直(なお)す - 組み直し
組み分ける - 組み分け。 <組んで、分ける>は文字通りでは矛盾表現だ。上述のように<組み分け>は<クラス分け>の意だろう。
入り組む - ふつうは<入り組んでいる>のように使う。この意味で<入り組み>とは言わない。
取り組む - 取り組み <取り組む>は
今<群論(Group Theory)>のやまとことば(の問題)に取り組んでいる。
のように使い、文字通りでは<取って、組む>でよくわからない。 <取り組み>がは相撲の<取り組み>のように使い、<問題に取り組む>の<取り組み>とズレがある。少しなまって<取っ組み合いのけんか>という。この意味の<組む>では
組み敷(し)く
組み伏(ふ)せる
<組み>の使われ方
xx を組みにする 上記の<群>定義は<集合(G)と演算(μ)を<組 (G, μ)>の組みにする>と言える。
xx で組みをつくる <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みをつくる>と言える。
xx で組になる <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みになる>と言える。
<組む>にデジタル性
このポストを書いているうちに気がついたのだが、<組む>には集合の個々の元に操作を加える、個々のブロックやモジュール(これらは小さい組ともいえる)を組み立てる、組み上げる、組み合わせるような感じがる。リニアーなモノは組み立てたる、組み上げる、組み合わせるという言い方には違和感がある。ブロックやモジュールは小さい組ともいえ、小さい組で大きな組をつくるのに使われが、製造効率があがるのでこのような<小さい組で大きな組をつくる>ようだ。いづれにしてもデジタル的だ。上でとりあげたが<つくる>、<つくり>(構造)はデジタル性がないと言っていい。
Group Theory の訳語としては、<組み>に<組み具合>の意が薄いので、<組み論>でいいのではないか?<組み合わせ論>ではない。<組み論>は必ずしも<Group Theory>の<Group>
定義を表わしていないが、英語のの方も Group という語が一般的な語で語自体に<Group Theory>の<Group>の意味はなく、<Group Theory>を勉強して始めて抽象数学での特別な意味を持つようになるのだ。<組み>の抽象数学での特別な意味を持たせようとすると
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集合 G とその上の二項演算 μ: G × G → G の組 (G, μ) が(抽象数学上の)群
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の意味を加えて<もとがえり組み>がよさそうだ。この場合の<がえり>は<返り>、<帰り>だ。
かなりくだけるが
yy (たち)はxx をしても結局のところ<同じ穴のムジナ>だ、という言い方がある。
<同じ穴のムジナ組>も候補だ。これは<同じ穴のムジナ族、属>でもいいが<族、属>は漢語だ。
第二候補
集合を<集まり>とすると語呂からすると<まとまり>というやまとことばがある。
sptt
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