Friday, February 15, 2019
<甘える>と<甘んじる>-似て非なるもの - 結論編
かなり前のポスト<<甘える>と<甘んじる>-似て非なるもの>の始めと終わりに次のように書いておいた。
”
<あまえる>、<あまんじる>は漢字で書くと<甘える>、<甘んじる>で関連がありそうに見える。しかし、よく調べてみると<甘える>と<甘んじる>は似て非なるもののようだ(何か関連がありそうでもある)。
大幅中略
<甘(ama)い>と<余(ama)り>は関係がありそうだが別の機会に検討予定。
”
前のポストではもっともらしいことを書いたが、これは行き過ぎ、こじつけ過ぎで、結局のところ<甘んじる>の方は
xxxxを甘んじて受ける
の意で、これは漢語の<甘受xxxx>由来で十分説明できる。<甘受xxxx>は原文で三国演義を読んでいるときに<輒>という見慣れない字を辞書で調べているときに出くわした。辞書では例文として
甘受專輒之罪
をあげている。<輒>は前の字<專>(専断、専制の<専>)と同じような意味。
<xxxx>のところは<受けたくない>内容がくる。 <受けたくない内容だが、よろこんで受ける>と言う意味なのだ。これで
現状に甘んじる
批判に甘んじる
屈辱に甘んじる
はいずれも説明できる。 <甘い>と<よろこんで>はすぐには結びつかないが、<苦(にが)く受ける>の逆を想像すればいい。
<甘んじる>は上記とはズレがあるが<満足する>の意があり<今回の勝利に甘んじることなく、精進(しょうじん)する>といったスポーツ選手の言い方がある。日本語らしくはないが、これは<今回の勝利に己(おのれ)を満足させることなく>とすると積極性がでる。さらには、もとへもどって<今回の勝利に己(おのれ)を甘えさせることなく>となる。したがって<あまえる>、<あまんじる>は関連があるというか、同根なのだ。
sptt
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