L'amore e l'amicizia sbocciano dove le persone sono oneste.
はイタリア語のアフォリズムだが、日本語に訳すと
愛と友情は正直者に芽生(ば)え、花開く。
英語では
Love and friendship grow (exist) where people are honest.
といったところか。 sbocciano は sbocciare は<開く>という(原形)動詞(の三人称複数現在形)だが (un) boccio は<花のつぼみ>のことなので sbocciare は<開く>とは言っても<芽が吹き(花が咲く)>の意味がある。<正直>は漢語なので言いかえて
愛と友情はいつわりなき者に芽生え、花開く。
これだと単なるステートメントの感じでインパクトがないので
まとことの愛と友情はいつわりなき者に芽生え、花開く。
としておく。少しくだけて
まとことの愛と友情にゴマカシの入(はい)る場はない。(<余地はない>がいいが<余地>は漢語だ)
こうすると後半はやまとことばとなっていいが、前半の<愛>、<友情>は漢語だ。
<愛>と<友情>のやまとことばは何か?<友情>はくだけて<友達づきあい>とすると
まことの愛と友達づきあいはいつわりなき者の間に芽生え、花開く。(<つきあい>を考慮して<に>を<の間に>変えてある。)
愛は恋(こい)というやまとことばがあるので、これを使うと
まことの恋(こい)と友達づきあいはいつわりなき者の間に芽生え、花開く。
となるが、アフォリズムの訳語としてはまだかなりのイマイチ。また<恋と友達づきあい>はゴロが悪い。いったい<愛>と<恋>は違うようだ。<愛し合う>とは言うが<恋しあう>とはあまり言わない。これからすると<恋>はどうも個人的で一方的な感情、そして多くは<片思い>のようだ。人類愛、隣人愛、世界愛とはいえるが人類恋、隣人恋、世界恋は聞かない。<愛>と<恋>は違うのだ。友情、<友達づきあい>に関連させると<恋愛(れんあい)>あるいは<恋愛関係>がよさそうで
恋愛(関係)と友達づきあいはいつわりなき者の間に芽生え、花開く。
となり、よさそうだが恋愛(関係)は残念ながら漢語だ。いろいろ考えたがいいやまとことばが出てこない。
(中断)
さらにいろいろ考えた。恋愛関係は<恋人同士の関係>ともいえるが、<同士>は漢語だ。そこで思い切って<恋人たち>とする。そうすると<友達づきあい>は<友だち>でいい。<関係>は文字ずらからはなくなるので<者の間>はおかしくなる。そうすると
まことの恋人たちと友だちにはウソやゴマカシの入(はい)る場はない。
となる。まだまだイマイチだが、すこしアフォリズムらしくなり、そしてすべてやまとことばになる。
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よく、または少し考えると 日本語では(日本人は)<愛>と<恋(こい)>は無意識的につかい分けている。しかし、基本的には、英語国民は love、イタリア語国民は amore、中国語国民は<愛>の一語で<愛>と<恋(こい)>に対応させていることになる。
sptt
<愛と友情>のやまとことばは何か?
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