Friday, December 7, 2012

<たくさん>の語源


私が使っている国語辞書(三省堂)では<たくさん>は沢山、卓山とかかれるが大和言葉。語源不詳になっている。

<たくさん>は数、量、割合(部分)を示す語で、その語尾変化から形容動詞とみなせ、意味は<多い>に近いようだが、たいそう複雑。別のところで、チェックした結果次のように述べた。

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<たくさん>の形容動詞チェック結果

たくさんで(中断)、、、、たくさんである、たくさんでない、たくさんになる、たくさんにする、たくさんに行う(ダメ)、たくさんだ、たくさんだった、たくさんの、たくさんな(ダメ)、たくさんならば

<たくさん>は相当複雑。なにせ語源不詳なのだ。

たくさんである - この意味は<もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>。<多くある>という意味では<で>のない<たくさんある>になる。

た くさんでない、たくさんではない -  <もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>の反義語にはならない。<たくさんではない>は<多くはない>とほぼ同じ。では反義語は何かというと  - <もういらないというわけだはない>、<もう十分だというわけだはない>、<十分すぎるというわけだはない>とかなり長くなる。

たくさんになる - <多くなる>とほぼ同じ。
たくさんにする - <多くする>とほぼ同じ。

たくさんに行う(ダメ) --> たくさん行う  <多く行う>と同じではない。たくさんは量または頻度が多いことを示す。一方<多く>はどちらかというと頻度または割合さらには選択されたモノ、コトの頻度を示す。受身形にするとこの差がよく出る。

xxが(は)たくさん行われる。
xxが(は)多く行われる。

xxが(は)たくさん歌われる。
xxが(は)多く歌われる。

た くさんだ - <多い>ではない。<多い>の意には<多い>がすでにあるのだ。<たくさんだ>この意味は通常<もういらない(ほどある)>、<もう十分だ (なほどある)>、<十分すぎる(ほどある)>。<多い>という意味で<おお、こんなにたくさんだ>とは言える。<おお、こんなに多い>とは微妙に違う。

おお、こんなにたくさんだ。 - <少し>との対比が意識されている。<少ない>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんなに多い。  - <少ない>との対比が意識されている。<少し>との対比はあまり意識されていない。

たくさんだった - <多かった>の意にもなりえるが、普通は<もういらないほどあった>、<もう十分なほどあった>、<十分すぎるほどあった>、<もういらなかった>の意だ。

<たくさんの>が普通。<たくさんな>は基本的にダメ。

たくさんならば - <多ければ>の意にも<もういらない(ほど)ならば>、<もう十分(なほど)ならば>、<十分すぎる(ほど)ならば>の意にもなる。

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<たくさん>関連のは数、量、割合(部分)を表す言葉は<多い>、<少ない>、<少し>だ。グループ化すると、

形容詞組み -  <多い>と形容動詞<もどき>の<多くの>がある。
<少ない>は形容動詞<もどき>の<少くの>はなく、<少しの>というのがあるがこれは下記の副詞系になってしまう。

形容動詞系、副詞系組み - <たくさんの>、<少しの>。
形容動詞語尾変化の<たくさんな>は使われず<たくさんの>になる。<少しな>は使われず<少しの>になる。また副詞用法としては<たくさんに>ではなく<に>のない<たくさん>、<少しに>ではなく<に>のない<少し>になり。したがって純形容動詞とは言えない。

 となる。これらの関連語もかなり複雑で形容動詞チェック結果は次のとおり。

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<多くの>の形容動詞チェック結果

多くで(中断)、、、、多くである、多くでない、多くになる、多くにする(ダメ)、多くに行う(ダメ)、多くだ、多くだった、多くの、多くな(ダメ)、多くならば(ダメ)

かなり問題がある。<多くの>は純形容詞<多い>の連用形<多く>に<の>がついた形だ。動詞と同じく形容詞の連用形には名詞化(体言化)の働きがあり、この名詞(体言)に<の>がついたもの。

多くである  --> 意味は<多くある>、すなわち<多い>ではない。この純形容詞<多い>があるため、<多くである>は<多くの場合である>の意になる。

多 くでない、多くではない(*) --> 意味は<多くない>でも<多くはない>でもない。<多くではない>は<多くの場合ではない>あるいは<多くのの部 分ではない>、<大部分ではない>の意。もっと正確に言えば<多くの場合というわけではない>あるいは<多くの部分というわけではない>、<大部分とい うわけではない>の意になる。
(*)否定の場合、形容詞でも形容動詞でも助詞<は>がつく。 この<は>の働きはなにか?

多くになる --> <多くなる>ではない。<おおくの部分になる>の意だ。
多くにする(ダメ) --> <多くする>ではない。 <多くにする>は意味をなさない。
 やはり純形容詞<多い>の影響がある。 

多くに行う(ダメ) --> 多く行う  <多く>は形容詞<多い>の連用形。

多くな(ダメ)

多くならば(ダメ) --> 多いならば  <多くならば>は意味をなさない。

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<少しの>の形容動詞チェック結果

<少しに行う>はダメで<少し行う>になる。形容詞的に<少しく>という言い方もあるが、一般的ではない。
<少しな>もダメではないが、<少しの>が圧倒的に普通の言い方。<少しな>に対しては形容詞<少ない>の連体形<少ない>がある。ただし<少しの>と<少ない>は違う。<たくさんの>と<多い>の違いに似ている。

少しで(中断) - 少なく
少しである - 少ない
少しでない、少しではない - 少なくない、少なくはない
少しになる - 少なくなる
少しにする - 少なくする
少しに行う(ダメ)--> 少し行う - 少なく行う
少しだ - 少ない
少しだった - 少なかった
少しの - 少ない
少しな  - 少ない
少しならば  - 少ないならば

おお、こんなに少しだ。 - <たくさん>との対比が意識されている。<多い>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんな少ない。 - <多い>との対比が意識されている。<たくさん>との対比はあまり意識されていない。

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以上に関連して<十分な>もチェックしてみた。

<十分な> 形容動詞チェック結果

十分で(中断)、、、、 十分である、十分でない、十分になる、十分にする、に行う(副詞用法)、十分だ、十分だった、十分の、十分な、十分ならば

<十分の>でもよいが、<十分な>が普通。ほぼ完全な形容動詞だ。
<十分な>は漢語由来でこれに相当する大和言葉は<たりた>、<たりている>、<たりる>(<たりる>の連体形)。叙述の場合は<たりる>でこれは連体形ではなく自動詞<たりる>の終止形。

これで十分。 これで十分だ。- これでたりる。

文法的には、 <これで十分>の<十分>は形容詞、<これで十分だ>の<十分だ>は形容動詞<十分な>の終止形となる。なんとなく変だが、こうしておく。

問題は形容詞<十分>、形容動詞<十分だ>に相当する大和言葉の形容詞、形容動詞がすぐにみつからないのだ。上で説明した<たくさん>はどうか?<たくさん>は語源不詳だ。

<たりる>は自動詞で意味としては<十分ある>、<十分にある>だ。古い形は<たる>だ。
<たりる>の活用は

たら + ない (未然形)
たり +ます (連用形)
たりる (終止形)
たりる (連体形)
たりれば(仮定形)

古い形は多分(未チェック)

たら + ず (未然形)
たら + ば  (仮定形)
たり (連用形)
たる (終止形)
たる (連体形)
たれ + ば(已然形)

使役にすると、<たらす>だが、<たす>でもよさそう。意味は<xxを十分にする>、<xxをみたす>といった意味だ。<たす>は現代語では<たす>=<くわえる>だ。

<たす>の活用は

たさ + ない (未然形)
たし +ます (連用形)
たす (終止形)
たす (連体形)
たせ+ ば(仮定形)

古い形は多分(未チェック)

たさ + ず (未然形)
たさ + ば  (仮定形)
たし (連用形)
たす (終止形)
たす (連体形)
たせ + ば(已然形)

推論-1

このあたりから<たく>という語ができ、 意味としては<十分にする>(動詞)、<たし> 意味としては<十分な>(形容詞)が出来ていたのではないか?

 これで<たく>。 - これで十分だ。
 これで<たく>なり。 - これで十分だ。

さらに、 <十分になる>意味の<たくす>、<十分にする>意味の<たくさす>あるいは<たくさむ>ができた。

動詞<たくさむ>から<たくさん>が出てきた。

<このあたりから>は論証としてはいただけないので、もう一説。

推論-2

動詞の連用形には名詞化(体言化)の働きがある。

行きはよいよい帰りはこわい。
押しの一手。

したがって、<たし>は<xxを十分にする、している、した-こと、状態>、<xxをみたす、している、した-こと、状態>を表す。 -->、 <十分であること>を意味する。

<たし>ある。--> 十分ある。
これで<たし>なり --> これで十分だ。 
<たし>の食べ物 --> 十分な(の)食べ物

<たし>という形から、<たし>が<十分な>を意味する形容詞とみなされ、使われるようになった。 

<たし> = 十分な。

<たし> --> <たしき>食べ物 -->  十分な食べ物

ところで、<たしかな>という大和言葉の形容動詞があるが、関連語ではないか?

<たし>の形容詞としての活用の一つとして<たく>がある。

あかし
赤き
赤くなりけり - <赤くなる>

濃(こ)し
濃き
濃くなりけり - <濃くなる>

たし
たしき
たくなりけり  - <たくなる>

形容詞の名詞化(体言化)の方法に<さ>を加えるのがある。 赤(あか)さ、濃(こ)さ。

赤さ、濃さを例にとれば<たし>は<たさ>になる。<たさ>=十分さ。 しかしなんらかの原因で(たとえばみじかすぎて、他の言葉とまぎらわしい)<たくさ>も使われた。 <たくさ>=十分さ。名詞+<の>で後の名詞を修飾する。

<たくさ>+の  --> <たくさの> --> <たくさん>の変化は十分考えられる。

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最近(2016年11月)書いた ”<たくさん>の語源 - 2” 参照。



sptt








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