Tuesday, July 23, 2013
xx のおそれがある、おそろしがる
<xx のおそれがある>はよく使う。<おそれ>は漢字を使って<恐れ>とも書くが、とくに何かが<恐ろしい>わけではない。
台風が近づくおそれがある。
失敗するおそれがある。
今の実力では試験に落ちるおそれがある。
以上を形容詞<恐ろしい>、動詞<恐れる>を使って言い換え
(私は)台風が近づくので、恐ろしい。
(私は)台風が近づくのが恐ろしい。
(私は)台風が近づくのを恐れる。
(私は)失敗するのが恐ろしい。
(私は)失敗するのを恐れる。
(私は)今の実力では試験に落ちるので、恐ろしい。
(私は)今の実力では試験に落ちるのを恐れる。
といえるが、伝える内容はかなり違ってくる。
<恐れがある>は存在(あること)を示す客観的な叙述であり、可能性を示すような意味であるのに対して、<xx が恐ろしい(形容詞)>、<xx を恐れる)>は主観的な心情の描写だ。この区別は別として、なぜ<恐れ>が可能性を示すような意味を持つかだ。
<xx を恐れる>は xx が起こること、xx に(めぐり)会うことを恐れるのだが<xx が起こること>、<xx に(めぐり)会うこと>が決まっているわけではない。<xx が起こらないこと>、<xx に(めぐり)会わないこと>もあるわけで、いわば可能性の問題だ。また<xx>はよくないことだ。
ところで、日本語では
<太郎は台風が近づくのが恐ろしい>とはまず言わず<太郎は台風が近づくのを恐ろしがっている>となる。第三者が太郎の心情をそのまま表現することはできないのだ。<恐ろし>そうに見えるだけだ。
sptt
Friday, July 12, 2013
<かぞえる>、<計算ずく>について
<かぞえる>は基本的な動詞だが日本語ではあまり発展していない。名詞(体言)は、連用形の<かぞえ>もあるが、独立した<かず>だ。
1、2、3 と数える
が基本的な使い方だが、比喩的な使い方としては
きみも<かぞえ>ておく - きみも<かず>に入れておく
<かぞえ>ちがえる - 見込みちがえる、読みちがえる
一方名詞(体言)<かず>の方はけっこう使われる。
<かず>ある中で
<かずかず>の、<かずかず>ある
<かず>かぎりなく、
<かず>に入れておく
ものの<かず>ではない
<かず>にものをいわせる
関連語としては<そえる>(か+そえる)、<そろえる>、<かさむ>、<かさねる>がありそうだが、関連性はいまいち。
<計算ずく>というおもしろい言い方があるが <かぞえずく>、<かずずく>という言い方はない。<かずずくめ>はあるか?
<計算ずく>の三省堂の新明解国語辞典の解説は
自分に損にならないように、よく考えたり、先の先まで成り行き読んで、行動したり、すること
とあるが最後の<行動したり、する>は余計で<....... 読んで>の意だ。
ところで、<計算ずく>の<ずく>だが、<基(もと)づく>の<つく>で<計算づく>、すなわち<計算><に基づく>ではなく、<透く>の<ずく>のようだ。<先の先まで読む>ためには<先の先まで><透けて>見えないといけない。したがって、<読む>の比喩的な使い方として<かぞえる>、<かずに入れる>、<かずに入れておく>があることになる。
力ずく、腕ずく、金ずく、納得ずく、といった言い方があるが、これも<透く>の<ずく>だろう。<xx ずくめ> もこのグループだろう。
sptt
Monday, July 8, 2013
まく、巻く、撒く(蒔く)、相手を(煙)に巻く
前回のポスト ’<見舞う>の語源’ で<巻く-->舞う>ではないかと書いた。真偽は別として、<巻く>の<まく>は<巻く>以外に<水を撒く>の<撒く>、蒔絵の<蒔く>がある。いづれも仮名で書けば、あるいはもっと原始的に発音したり、耳で聞くときは<まく(ma-ku)>の一つだ。東京発音では<巻く>の<まく>は ku にアクセントがあり(あるいは ma にも ku にもアクセントなしか)、<撒く>、<蒔く>は ma にアクセントがある。<撒く>、<蒔く>は<xx を yy でおおう>で基本的には同じような意味。<巻く>の方は<あるモノ(コト)のまわりを何かが一まわり以上する、何かで一まわり以上させる>ことで、<撒く>、<蒔く>とは関係なさそうだ。下線をつけた<まわり>は前回のポストの
巻く-->舞う
と関連がありそう。
まく-->まう (舞う)-->まわる、まわす
中間の< まう (舞う)>を除いても、<巻く>と回(まわ)る、回(まわ)す、は明らかに意味上の関連がある。
<追っ手を巻く>という表現がある。三省堂の新明解国語辞典に<巻く>の項目の中で次のような?マーク付きで解説がある。
(1)の用法(<巻く>の一般的な解説)の用法にもとづき、相手をいたずらにぐるぐる回り続ける結果に終わらせる、の意からきたか?
?マーク付きなので、?マーク付きで私の意見を述べれれば、
相手を煙に巻く、という表現があり、 <追っ手を巻く>とは<追っ手を><煙に巻く>、の意からきたか?
となる。
さて、この<巻く>だが、たいそう広範囲に活躍する。
任(まか)す、賄(まかな)う、は漢字で書くと見えにくくなるが、まかす(ma-ka-su)、まかなう(ma-ka-na-u)で<まく(ma-ku)>と関連がある。この場合の<まく>は<巻く>の<まく>だ。<巻く>とはどういうことかというと、上述のように<あるモノ(コト)のまわりを何かが一まわり以上する、何かで一まわり以上させる>ことで、特に他動詞の場合は<あるモノ(コト)の>に制限、拘束をくわえることを意味する。<巻く>を<(ぐるぐる)しばる、しめる>とすればこの意味が鮮明になる。但し、<しばる、しめる>や<巻きつける>にくらべると<巻く>は制限、拘束の度合いが弱く、<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている、ということだ。これは重要なことで、大げさに言えば、法治国家、民主主義にかかわってくる。こう説明すれば、任(まか)す、賄(まかな)う、が<巻く>と関連があることが推測できよう。
任(まか)す - あるモノ(コト、ある人)にある程度の自由をあたえてxx させる、の意だ。
賄(まかな)う - あるモノ(コト、ある人)からにある程度の自由をあたえられてxx する、の意だ。
さらに、少し想像力のある人には<ぐるぐる巻く>が<撒く>、<蒔く>の<xx を yy でおおう>と関連があるのは明らかであろう。もう少し想像力のある人には<まくる>、<めくる>、<めぐる>、<曲(ま)がる>、<曲げる>、さらには<向(む)く>、<向(む)ける>、またさらには<報(むく)いる>も<巻く>関連の語群と思えるのではないか。
<巻く>から離れるが、この意味では<囲む>も<巻く>に似ており、囲まれた<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている。これは意識上、したがって言語上(言語は意識を反映している)の重要なコンセプトだと思う。
sptt
Saturday, July 6, 2013
<見舞う>の語源
<見舞う>の語源を時々考えているが、確かそうな回答が見つからない。このポストは中間報告。
<見舞う>には少なくとも関係なさそうな二つの意味がある。
1)病人を見舞う、被災地を見舞う
2)パンチを見舞う、関東地方を水害が見舞う、関東地方が水害に見舞われる(他動詞の受身だが、被害、迷惑の意もふくまれるようだ)
<見舞う>は助詞<を>をとるので他動詞。名詞(体言)は<見舞い>だ。丁寧にいえば<お見舞い>。したがって、1)2)は次のようにも言える。
1)病人をお見舞いする(または、病人のお見舞いをする)、被災地の見舞をする
2)パンチのお見舞いをする、水害のお見舞いを受ける(ふざけた言い回しのようだが、可能だ)
1)の<病人を見舞う、被災地を見舞う>の<見舞う>は<訪れる>、<たずねる>でもいいが、 一般的な言い方だ。一方<見舞う>は対象が病人、被災地と不利、困難な状況にある人、ところの場合の専用だ。これは2)パンチを見舞う、水害に見舞われる、に関連するようだが、意味は違う。2)はあくまで<害>を与えることで、 不利、困難なな状況にある人、ところを<訪ねる>とは根本的に違う。
1)2)のどちらか元来の意味で他方派生的な用法と考えることができるが、それではどちらが元来の用法か。言葉の歴史を調べればわかるだろう。
<みまう>の<み> は<見る>の<見(み)>でいいと思うが、問題は<舞う>だ。<舞(まい)を舞(ま)う>と言うが、<舞>、<舞う>と1)<訪れる>、<たずねる>(病人や被災地の人々を見に行って舞を舞うわけではない)、2)害をあたえる、といったいどういう関係があるのか?
<まい>は<まう>の連用形名詞(体言)用法。いかにも大和言葉のようだが、大和言葉には<おどりをおどる(踊りを踊る)>の<おどる(o-do-ru)>がある。これはかなりの高確率で大和言葉だ。一方<舞う>の<舞>は現代中国語(普通語、北京語)で<wu>(四声は無視)と発音するが広東語では<mou>(これも六声だか七声は無視)で<まう>と関連がありそう。なお、中国語では名詞も動詞も<舞>のひとつだ。<おどる(o-do-ru)>に比べれば<まう>がで大和言葉である確率はそう高くない。
推測-1)<訪れる>、<たずねる>に関してはは<まいる(参る>という大和言葉がある。見にまいる --> 見まいる --> 見まう、の変化は考えられないか?
推測-2)<舞い上(あ)がる>、<舞い降(お)りる>という言い方がある。<舞い下がる>とは言わない。この<舞(ま)う>は<巻(ま)く>に近い。ぐるぐる巻きながら(回わりながら)上がり、降りる、のだ。<ホコリが舞い上がる>、<竜(りゅう)が舞い上がる(降りる)>、<ヘリコプターが舞い上がる(降りる)>だ。<蝶のように舞い、蜂のように刺す>ボクサーがかなり前にいたが、私の観測では蝶は<ひらひら舞う>だけで<舞い上が>ったり、<舞い降り>たりはしない。<巻く> --> <舞う>は考えられないか?これはさらにもうひとつ意味上の関連がある。<舞い降りる>は<上から降りてくる>のだが、これは<予期せぬモノ>が現れることもあらわす。さらには<予期せぬコト>が現れることもあらわす。<予期せぬコトが現れる>のはよいコトの場合もあるが、悪いことの場合は<災害>だ。<災害>は<舞い降りて>くるのだ。これで2)の<パンチを見舞う、関東地方を水害が見舞う>の説明はつく。さて1)の<病人を見舞う、被災地を見舞う>だが、今は電話などで都合を聞いてから<見舞う>が、これは本来相手が<予期しないのに現れる>ことではなかったか?昔は電話という文明の利器はなかった。
sptt
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