Monday, July 8, 2013

まく、巻く、撒く(蒔く)、相手を(煙)に巻く


前回のポスト ’<見舞う>の語源’ で<巻く-->舞う>ではないかと書いた。真偽は別として、<巻く>の<まく>は<巻く>以外に<水を撒く>の<撒く>、蒔絵の<蒔く>がある。いづれも仮名で書けば、あるいはもっと原始的に発音したり、耳で聞くときは<まく(ma-ku)>の一つだ。東京発音では<巻く>の<まく>は ku にアクセントがあり(あるいは ma にも ku にもアクセントなしか)、<撒く>、<蒔く>は ma にアクセントがある。<撒く>、<蒔く>は<xx を yy でおおう>で基本的には同じような意味。<巻く>の方は<あるモノ(コト)のまわりを何かが一まわり以上する、何かで一まわり以上させる>ことで、<撒く>、<蒔く>とは関係なさそうだ。下線をつけた<まわり>は前回のポストの

巻く-->舞う

と関連がありそう。

まく-->まう (舞う)-->まわる、まわす

中間の< まう (舞う)>を除いても、<巻く>と回(まわ)る、回(まわ)す、は明らかに意味上の関連がある。

<追っ手を巻く>という表現がある。三省堂の新明解国語辞典に<巻く>の項目の中で次のような?マーク付きで解説がある。

(1)の用法(<巻く>の一般的な解説)の用法にもとづき、相手をいたずらにぐるぐる回り続ける結果に終わらせる、の意からきたか?

?マーク付きなので、?マーク付きで私の意見を述べれれば、

相手を煙に巻く、という表現があり、 <追っ手を巻く>とは<追っ手を><煙に巻く>、の意からきたか?

となる。

さて、この<巻く>だが、たいそう広範囲に活躍する。

任(まか)す、賄(まかな)う、は漢字で書くと見えにくくなるが、まかす(ma-ka-su)、まかなう(ma-ka-na-u)で<まく(ma-ku)>と関連がある。この場合の<まく>は<巻く>の<まく>だ。<巻く>とはどういうことかというと、上述のように<あるモノ(コト)のまわりを何かが一まわり以上する、何かで一まわり以上させる>ことで、特に他動詞の場合は<あるモノ(コト)の>に制限、拘束をくわえることを意味する。<巻く>を<(ぐるぐる)しばる、しめる>とすればこの意味が鮮明になる。但し、<しばる、しめる>や<巻きつける>にくらべると<巻く>は制限、拘束の度合いが弱く、<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている、ということだ。これは重要なことで、大げさに言えば、法治国家、民主主義にかかわってくる。こう説明すれば、任(まか)す、賄(まかな)う、が<巻く>と関連があることが推測できよう。

任(まか)す - あるモノ(コト、ある人)にある程度の自由をあたえてxx させる、の意だ。
賄(まかな)う - あるモノ(コト、ある人)からにある程度の自由をあたえられてxx する、の意だ。

さらに、少し想像力のある人には<ぐるぐる巻く>が<撒く>、<蒔く>の<xx を yy でおおう>と関連があるのは明らかであろう。もう少し想像力のある人には<まくる>、<めくる>、<めぐる>、<曲(ま)がる>、<曲げる>、さらには<向(む)く>、<向(む)ける>、またさらには<報(むく)いる>も<巻く>関連の語群と思えるのではないか。

<巻く>から離れるが、この意味では<囲む>も<巻く>に似ており、囲まれた<あるモノ(コト)>は動く自由がある。動く自由があるが、制限、拘束をくわえれれている。これは意識上、したがって言語上(言語は意識を反映している)の重要なコンセプトだと思う。


sptt 





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