Wednesday, April 16, 2014
<引っ越し>について(語源)
日本語の<ひく>は、別のポスト(<ひく>、<つく>、<おす>について)で書いたが、<引く>だけにとどまらずいろいろな意味があり、それぞれ適当な漢字が当てられている(当て字)。
<ひく>
ワープロ辞書の漢字: 引く、牽く、轢く、弾く、挽く、曳く、惹く、退く
だが大和言葉では<ひく(hi-ku)> の一語だ。標準語ではアクセントも一つ。 言い換えると<ひく>で引く、牽く、轢く、弾く、挽く、曳く、惹く、退くをすべてカバーする。
<引っ越し>はイメージからすると<引く>よりも<牽く>、<曳く>の方がよさそうだが、畢竟(ひっきょう)<ひっ越し>だ。さて<引っ越し>の語源だが、<引く>と<越す>に分けてみる。
<引く>は基本的には to pull の意だが、これに方向性のある<行く>、<来る>を加えてみる。
引く + 行く ---> 引いて行く
引く + 来る ---> 引いて来る
こうすると方向性(あるところから遠ざかって行く 、あるところからへ近づいてくる)以外に<引く>が<牽く>、<曳く>のイメージに変わる。
<引越し>の<越し>は<越す>の連用形の体言用法。<越す>は<xxに越す>で<xxに引っ越す>の意で自動詞だが、<を>取ることもできる(例:峠(とうげ)を越す、踏み切りを越す)。これはいわゆる<を>をとる移動動詞。また<渡る>、さらに<移る>に似た意味がある。<渡 る>は<渡す>、<移る>は<移す>という他動詞があるが<越す>はあくまで自動詞のようだ。<川を渡る>は一方の岸から川を越えてもう一方の岸へ行くことだが、<引っ越す>には今まで住んでいた家から別の 家へある距離を越して行くというイメージがある。
さて、英語の習いたてのころは<引っ越す>が to move のイメージと結びつきにくい。また中国語では<搬家>というが、これも<家を運(はこ)んでいく>イメージがあり、使い慣れるまで変な感じがする。一方ドイツ語の<引っ越す>は日本語のように<引<(ziehen)>または接頭辞<um->をつけた<umziehen>を使い、場所を示すだけで特に<越す>はいらないようだ。<um->は<まわり>の意で<越す>の意はない。<越す>の意を持つ接頭辞は<über->だ。
from Collins' Internet dictionary (German <->English)
<ziehen >
nach Bayern/München ziehen to move to Bavaria/Munich
<umzihen>
nach Köln umziehen to move to Cologne
<to move>
we've been moved to a new office wir mussten in ein anderes Büro umziehen
♦ to move house (Brit) umziehen
♦ to move office (in ein anderes Büro) umziehen
sptt
Friday, April 11, 2014
<甘える>と<甘んじる>-似て非なるもの
<あまえる>、<あまんじる>は漢字で書くと<甘える>、<甘んじる>で関連がありそうに見える。しかし、よく調べてみると<甘える>と<甘んじる>は似て非なるもののようだ(何か関連がありそうでもある)。
1.あまえる
<あまえる>は<甘える>でもよさそうだ。形容詞<甘い>と動詞<あまえる>は関連がある。<甘える>の意味は結構複雑だ。一昔前(Japan as No. One の頃か)<甘えの構造>とか言う日本人論があった。<甘える>は手もとの辞書(三省堂)の意味の解説は次のようになっている。
”
相手が許してくれるだろうと期待して節度を越えた行動をとる(こと)。
”
<xxx だろうと期待して>は仮定だ。文法用語的には仮定法の前半だ。ただしこれは明言されているのではなく暗黙のうちの仮定だ。
この辞書の例文
”
お言葉に甘えて
母親に甘える
”
英語に to spoil と言う動詞があるが、似たような意味がある。 to spoil には to damage (ダメにする、<ダメ>はこの damage 由来か)の意があるが、to damage が直接的な表現であるのに対して to spoil は含みがある。単純な to damage ではない。<節度を越えた行動を許すことによって>といった意味が含まれている。
2.あまんじる
<あまんじる>は難しい。これもかなり複雑な意味を含んでいる。同じ手もとの辞書の解説は次の通り。
”
あまんじる(甘んじる)、<甘(あま)んずる>とも
あたえられたもの(能力、環境)以上に多くを望まず、おとなしく受け入れる(こと)。
”
この辞書の例文
”
現状に甘んじる
批判に甘んじる
屈辱に甘んじる
”
もう一度この辞書の解説を見てみよう。
”
あたえられたもの(能力、環境)以上に多くを望まず、おとなしく受け入れる(こと)。
”
この説明で<現状に甘んじる>はいい。しかし<批判に甘んじる>、<屈辱に甘んじる>の説明としては何かおかしい。
<批判、屈辱(あたえられたもの)以上に多くを望まず、おとなしく受け入れる(こと)>はおかしい。
したがって、この辞書の<甘んじる>の解説は<現状、(能力)、環境 >に特化した説明で、一般化されていないのだ。
もう少し考えてみる。
<あまる>という動詞がある。同じ辞書の<あまる>の説明。
”
あまる(余る)
1)条件を満たすものを除いたあとに、当面は必要のないものとしてそこにある。
例) 人があまっている、一万円あまった、ありあまる
2)能力(器、枠)を越えるものとしてそこにある。
例) 力にあまる
”
<そこにある>が<どこにあるのか>よくわからないが、まあいいとして、<あまる>の意味の解説も、<あまえる>、<あまんじる>ほどではないが、結構複雑だ。
<そこにある>は<残る>、<残っている>で置き換えられるが、<余る>、<余っている>は<残る>、<残っている>ではない。 <残る>の方が一般化が進んでおり、<余る>は<条件をみたすものを除いたあとに、当面は必要のないものとして>、<能力(器、枠)を越えるものとして>といった条件が含まれており特化されているのだ。
<あま(ama)んじる>と<あま(ama)る>に何か関係はないか。
簡単な算数を考えてみる
5 割る 3 = 1 あまり 2 - 割りきれないのだ 。
5 引く 3 = 2 - 差が2、ということだ。<あまり 2>、とはあまり言わない。
以上は余と差に算数上の定義があるようだ。
<余(あまり)>にしても<差>にしてもある数字が<残る>、<残っている>ことで、共通した部分がある。<差がある>は<足りない>の意で用いられ、否定的な面がある。<差をつける>は肯定的のようだが、劣等感と優等感の関係と同じようで、100%肯定的とは言えない。一方<余る>、<余りがある>も否定的、肯定的の両面がある。
金が余っている - 基本的には肯定的だが、<金が余っているのに不幸だ>では否定的になる。<必要以上に金があること>が否定的とも言いきれない。
人が余っている - 基本的には否定的。<仕事が少なくなり、人が余っている>
さて<あまんじる>の<じる>の方に目を向けると
かろんじる、軽んじる
おもんじる、重んじる
がある。
<軽んじる>は軽く取り扱う、対処する、処理する、軽視する、の意だ。
<重んじる>は重く取り扱う、対処する、処理する、重視する、の意だ。
これを<あまんじる>に適用すると
<あまんじる>は<あまく>取り扱う、対処する、処理する、軽視する、の意になる。<あまく>は<軽く>、<重く>と同じで形容詞<甘い>由来だ。
だが<甘んじる>は<甘く>取り扱う、対処する、処理する、軽視する、の意にならない。
現状に甘んじる。- あたえられたもの(能力、環境)以上に多くを望まず、おとなしく受け入れる(こと)。
以上から<あまんじる>が<甘い>の<甘んじる>でないことがわかる。
では<余る>の<余んじる>ではどうか。<余る>の純副詞はないが<余って>で考えてみる。
<余んじる>は<余って>取り扱う、対処する、処理する、の意。
おかしい。無意味(non-sense) のようだ。では名詞句<余りで>はどうか。
<余んじる>は<余りで>取り扱う、対処する、処理する、の意。
場合によっては意味を汲み取ることが出来そうだが、まだおかしい。
では、少し長くなるが<余ったものとして>はどうか。
<余んじる>は<余ったものとして>取り扱う、対処する、処理する、の意。
これは意味があり、一般化も出来そうだ。<余ったものとして>は<何かが残ったたものとして>と言い換えられる。
<余んじる>は<何かが残ったたものとして>取り扱う、対処する、処理する、の意になる。これをはじめの方の辞書の3例に当てはめてみる。
現状に甘んじる - 現状には何かが残っているが、<残ったものとして>取り扱う、対処する、処理する
批判に甘んじる - 批判には何かが残っているが、<残ったものとして>取り扱う、対処する、処理する
屈辱に甘んじる - 屈辱には何かが残っているが、<残ったものとして>取り扱う、対処する、処理する
以上3例は<あたえられたもの(能力、環境)以上に多くを望まず、おとなしく受け入れる(こと)>よりも一般化が進んでいる。 <何か>は何かといえば、割り切れないで残っているもの(余、あまり)だ。
以上からかなり高い確率で<あまんじる>が<甘んじる>と言う(正確には書くだが、意識としては<甘い>があるようだ)のは間違いで<余んじる>が正しいといえる。<余り>を取り扱う、処理する、<余り>に 対処するのだ。
<あまんじた>、<あまんじて受けた>場合心理的にスッキリしないのは何か割りきれないもの、あまりが残っているからだ。
<甘(ama)い>と<余(ama)り>は関係がありそうだが別の機会に検討予定。
sptt
Tuesday, April 8, 2014
<みちびく>、<ひきいる>について
<みちびく>はほとんどの場合<導く>と書かれ、発話する場合でもこの<導>の漢字が頭に浮かんできているのではないだろうか。少し考えれば<みちびく>は<道(みち)引く>がもとのやまとことばだろうと察しがつく。だが<道引く>、<道を引く>とはいったいどういうことか?<道を敷(し)く>ではないので(<ひく>と<しく>の区別がない地方がある)で<道をつくる>の意味ではない。したがって<道を引く>は<道にそって人々を引いて行く>、<道にそって人々を率(ひき)いてて行く>が語源だろう。いい言葉だと思うが、残念ながら、この意味で<みちびく>はあまり使われずリーダーを意味する<みちびき手>はさらにほとんど使われない。リーダーとか指導者を使うのが一般的だ。
<みちびく>が人気がないのはもとの意味の<道を引く>のイメージにあるようだ。<道を行く>の<行く>は自動詞だが<引く>は他動詞。したがって。<道を引く>は<道を(手前に)引く>、<道を(手前に)引っ張る>感じがするのだ。<道を引いて行く>とすれば<道にそって(前に)(人々を)引っ張って行く>の感じが少しはでるがこのイメージはわきにくい。
何か別のいいやまとことばはないか?
<ひきいる>、漢字で書くと<率いる>という動詞がある。手元の辞書(三省堂)を引くと次のような説明がある。
<引く>+引率の意の雅語<ゐる>(末尾参照)
<ゐる>の見出し語はこの現代語辞書にはない。引率の意の<ゐる>を知る人はごく限られているだろう。一般の人で<ゐる>で<引率の意>を連想する人はいない。<引く>自体に<引率の意>がないだろうか?
<いろはにほへと>
ところで<辞書をひく>の<ひく>といったいどういう意味(行為)か? 明らかに<to pull>や<to draw>や<to drag> の意味(行為)ではない。別途検討。<引く(ひく)>はおもしろい動詞だ。
末尾<いろはにほへと>
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
昔は<い>と<ゐ>、<え>と<ゑ>、<お>と<を>の発音上(したがって、文字上)の区別があった。<あ>と<わ>の区別は今でもある。
sptt
Saturday, April 5, 2014
<創造>のやまとことば
<創造>のやまとことばについて考えてみる。
だいぶ前のポスト<つく、つくる、つかむ; <つくる>の語源>で<つくる>の語源を考えて次のように書いた。
”
ところで、<つく(tsu-ku)>は人の活動としては重要な動詞<つくる(tsu-ku-ru)>、<つかむ(tsu-ka-mu)>と関連ありそうだ。<つくる>の語源はおそらく<もちをつく>の<つく>からきている。もち以外について<つくる>ものに刀(かたな)がある。刀は<焼いてたたいて>つくる(鍛造)がこの製造工程の一部は<つく>だ。もちや刀はついて<かたちつくる> のだ。つくる(tsu-ku-ru)は重要な動詞だと思うが、<つく(tsu-ku)>に比べると3音節、さらに<-u>が連続するため発音しにくいし、 聞きずらい。<こしらえる>、<こさえる>はそれぞれ5音節、4音節だが発音しにくい、聞きずらいことはない。<こしる>、<こす>の語源は?マークだ が、<える>が続くので可能とともに<得る>の意がある。<つくって>、<つくった>モノを得るのだ。
”
<作る>がいちばん<創造>(creation, to create, to make)に近い。体言(名詞)は<作り>だが創造にならない。<作る>以外に他動詞では
生む - to yield
<こどもを生む> の英語は<to give birth to (a baby)>とか<to delivery (a baby)>でやや特殊。一般的な<生む>は<to yield>だろう。少し長くなるが<生み出す>がいい。体言(名詞)は<生み>で、創造に関連して<生みの苦しみ>というのはあるが<生み>だけではイマイチ。<生み出し>の方がいい。<作り出し>よりいい。
もたらす - to bring
<生む>は他動詞で<xx を生む>でいかにも主体性のある他動詞らしいが<もたらす>は<xx は(が)yy をもたらす>という表現で他動詞だが<生む>の主体性はなく、因果関係を客観的に述べている感じだ。また<被害をもたらす>、<危機をもたらす>のように好ましくないできごと、現象と相性がいいようだ。また<to bring>の翻訳調も否めない。<もたらす>は<もつ->もた>+<ら>+<す>だろう。<もつ(持つ>は<取る>が動的、積極的であるのに対して静的、現状維持的だ。どこか別のポストで書いたが<ある(有る、在る)>と通じるところがある。また<もたらされる>と受身でもよく使い<つくる>、<うむ>というよりは<あたえられる>だ。
<創造>は基本的には他動詞の行為、作業だが、実際の<創造>の過程は主体的でない場合が少なくない。創造が<もたらされる>のだ。
<創造>の自動詞を考えてみる。
いちばん<創造>(creation, to create, to make)に近いやまとことばの自動詞は<できる>だろう。<できる>は漢字で<出来る>と書くが、まさしく<出て>+<来る>だ。<出て来る>は<現(あらわ)れる>だ。基本的には<ある(有る、在る)ようになる>だ。
基本動詞-行く、来る;出る、入る-の組みあわせ
出て行く (to go out) - 出て来る (to come out)
入って行く (to go in) - 入って来る (to come in)
<出て来る(to come out)>と<入って来る (to come in)>は似通っている。
出て来る(to come out)> - 現れる
<入って来る (to come in)> - もたらされる
<出す>、<出る>は創造関連のやまとことばが多い。
作り出す、生み出す、描き出す(絵画、小説)、彫(ほ)りだす(彫刻)、 考え出す、紡(つむ)ぎ出す(比喩)、引き出す(比喩)(特徴を引き出して描き出す)、打ち出す(比喩)(新機軸を打ち出す)
湧(わ)き出る(新しいアイデアが湧き出る)
芸術は創造と表現だが、表現関連の言葉は
<表現>は文字通りでは<あらわす-あらあす>で、<あらわす>が相当する。<あらわす>は<見せる>で見世物は<見せモノ>だ。
一方発見は<見え出す>、<見えて来る>で<xx が出て来る>のを<見る>だ。
sptt
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<つく、つくる、つかむ; <つくる>の語源>(https://www.blogger.com /blogger.g?blogID=3551482075237373903#editor/target=post; postID=7449345650754587398;onPublishedMenu=allposts; onClosedMenu=allposts;postNum=35;src=link)
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