Wednesday, August 27, 2014

<言葉(ことば)>の<葉(は)>とは何か?


<言葉(ことば)>は<ことのは>の略といわれているが、<こと>はごく一般的なモノ、コトのコトではなく<ひとこと>、 <かたこと>と言うように<こと>だけで<ことば>の意がある。<こと(koto)>は<かたる(kata-ru)>の音韻変化とも考えられ、関連語だろう。<かたこと>の<かた>は<かたほう(片方>、<かたはし(片端)>の<かた>で、<一方のはし(端)>の意味に近い。それでは<ことのは>の<は>はいったいなにか?<ことば>は漢字で書くと<言葉>で<言 の葉>、すなはち<ことの葉>となるが、<葉>は当て字だろう。<ことば>と<木の葉>は結びつきにくい。やまとことばの名詞の<は>には、葉以外に歯、刃が ある。歯は口にあるので物理的に、または人体器官で関係があるが、<こと>自体に物理的に、または人体器官とは関係のない<ことば>の意があるので、検討の余地がある。するどい言い方や、人を殺したり、傷つけたりする<ことば>もあるが、刃も<ことば>と結びつきにくい。ただし、葉、歯、刃がまったく関係ないとはいえない。もっとも<やまとことば>の特徴でいえば、葉(は)、歯(は)、刃(は)は元来(大昔)は同類だったのだ。

<はし>という言葉がある。<はし>は意味によって橋、端、嘴、箸の漢字が当てられる。最後の箸は東京アクセントではイントネーションが違う。嘴(はし)はほ とんど独立しては使われず、実際使われるのは<口ばし>の<ばし>ぐらいだ。長い<口ばし>は箸(はし)と同じよう役目をする。ところで、手もとの辞書に よると端の<はし>の<し>は接辞で<は>が端の意味をになっている。橋は、川の両岸にかぎらず、離れた二つの端(はし)-を結びつける役目があり、<橋 をつくる>ではなく<橋をかける>という言い方が普通で、<かけ橋>とも言う。<かけ橋>は長すぎるにで<はし>になったと考えられる。<はしけ>という モノがあるが、これは同じ辞書によると<はしけ>の<はし>は<橋>ではな<く端>の意、<け>は接辞という説明だ。話が少しそれたが、<はし>の元来の 意味は<端>の意で 、<し>が接辞であるので、<は>が<端>の意ということになる。<ことのは>の<は>はかなりの高確率でこの<は>だろう。

<はし(端)>は物理的には<線状のものの終わり、または終わりに近い部分>のことを指す。また<はしくれ>、<かたはし(かたすみ)>、<東京のはし(*) (東京のはずれ)>などのように使われ、中心(やまとことばは<かなめ>か)の反義語で、<あまり重要でない>ところ、、モノ、コトをあらわすようだ。こ の<はし(端)>が言葉の<こと>とどう結びつくのか? 実際に言葉を話す場合を考えると、

1)時間の経過とともにいった言葉は過ぎ去っていく。時間軸(線状)で考えれば、端の方へどんどん離れていく。おもしろいのは方向で、前の方でも後ろの方でも言いようだ。

2)面(2次元)、立体(3次元)で考えると、まわりの端の方へどんどん離れていく。

2) の場合は円状、球面状に離れていくのだが(出所からの距離は半径になる)、この場合は<はし(端)>というよりは<へり>というやまとことばがいいが、これ以外にも<ふち>、<まわり>、 <さかい>、<きわ>などがある。もっともこれは円状、球状にかぎらず、四方形、立法体の周辺にも使われる。<窓ぎわ>は<窓のきわ>ではなく、<窓があるきわ>の意で、窓は<きわ>にあるのが普通で、窓は内外(うちそと)の堺(さかい=きわ)になっている。<へり立つ>という言葉はないが<きわ立つ> はある。<きわ立つ>は<アウトラインが目立つ>で、<はっきり見える>ことだ。

あえて結論をいうと、<ことのは>の<は>は<あまり重要でない>ところ、モノ、コトをあらわす<はし>。<言葉の尻をとらえる>という言い方があるが、<言葉のはしをとらえる>ともいう。いい意味ではないが、上で述べた<かたこと>とともに言葉の特徴をうまくあらわている。言葉はウソも本当も伝える、伝えてしまうのだ。言葉は使い、役立てることができる反面使われてしまわれ、害をもたらす面もある。


 (*)<東京物語>(古いほう)の中国語版(ビデオ)を見たことがあるが、足立区か荒川区の住まいの場所<東京のはし>を<東京的橋>と訳していた。<端>は<橋>ほどの具体性がない。


sptt

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