Monday, May 16, 2016

<濡れ衣>、<濡れ場>の語源


このポストとは、<濡れ衣を着せられる>というタイトルで書いている(長くなりつつある)別のポストを書いているうちに、たまたま<濡れ衣>、<濡れ場>の語源らしきものに出くわしたので、独立させて書いたもの。<抜き書き>なので内容はほぼ同じ。
中国(語)に<多露之嫌>という四字成語がある。日本ではなじみがないが、中国語のインターネット辞書では

多露之嫌】:露:露水;嫌:厌恶。想早晚行走,又怕露水沾湿衣裳。后用以指男女私会。也比喻行为不检点,受人指责。

という解釈がある。日本語の解説は次のとおり。

厌恶: 厭惡(けんお)

想早晚行走,又怕露水沾湿衣裳。>は<服が露(つゆ)に濡れないよう、夜は早めに出かけたい>という意味だろうが、ここで<濡れ衣(ぎぬ)>が出てくる。後半の説明からするとこれが<濡れ衣>の語源のようだが、<服が露に濡れないよう、夜は早めに出かけたい>と<無実の罪をかぶせられる>は結びつかない。後半の説明を調べてみる。
男女私会>は<デート>のことだろうが、日本語では<濡れ場>とういう言い方があり、夜に<おりる>露と関連がなくもない。これが<濡れ場>の語源かもしれない。

比喻行为不检点,受人指责。>は<点検しないで、人の指责(非難)を受ける>の意なのでこれが<無実の罪を着せられる>と結びつく。しかし<多露之嫌>から点検しないで、人の指责(非難)を受ける>への意味の変化は大きな飛躍だ。

多露>だけでも比喩的な意味がある。

多露 : 1.谓露水多。 2.比喻受霜露之苦。 3.比喻遭人议论猜疑。

<受霜露之苦>は文字通りの意。だが<霜露>をいやなものとして考え、頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>身や服を濡らす、と考えると<遭人议论(議論猜疑)(ひとの議論や猜疑に遭遇する)>と結びつく。

日本語では<夜露に濡れる>、<雨露にぬれる>という言い方はあるが、<少し嫌(いや)だ、少し迷惑だ>ぐらいの意味で、ここでとどまっているようだ。こう考えるのは私だけか?

さて<多露之嫌>から<無実の罪をかぶせられる>の意の<濡れ衣を着せられる>への発展であるが、もう少し説明が必要だろう。上で ” <霜露>を嫌(いや)なものとして考え、頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>身や服を濡らす、と考えると ” と書いたが、<頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>服を濡らす>は迷惑、被害意識が強いと、自分はなにも悪いことはしていないのに、いやな、いまいましい(忌々しい)霜露をふらした<天>を怨(うら)む、に発展する。

以上が大体<濡れ衣>の語源と考えられるが、多分に中国由来だ。繰り返しになるが、言い換えると、

霜露が、自分はなにも悪いことはしていないのに、また頼みもしないのに、夜の間に、知らずうちにおりて来て服を濡らして困らせる(難儀する)ように、自分はなにも悪いことはしていないのに<悪いことをした>と人に言われて迷惑だ、困っている、難儀している。

ということになる。


sptt

Monday, May 9, 2016

難癖をつける、いいがかりをつける

前回の<濡れ衣を着せられる>のポストで

<難癖をつける>という相応する言葉があり、<難>をのぞけばやまとことばだ。<難癖をつける>、自体おもしろい表現だが、ここでは深入りをせず、別途検討の予定

と書いたので、忘れないうちに検討しておく。<難>は<難しい>の意でではなく<非難>の<難>。中国語の解説http://xh.5156edu.com/html3/20737.html)では次のようになっている。

 1.难 (難) nán
不容易,做起来费事:难处。难度。难点。难关。难熬。难耐。难产。难堪。难题。难以。难于。困难。畏难。急人之难。
不大可能办到,使人感到困难:难免。难为。难保。难怪。难倒(dǎo )。难道。难能可贵。
不好:难听。难看。 


2.难 (難) nàn
灾祸,困苦:难民。灾难。遇难。逃难。殉难。患难。遭难。避难。排扰解难。 
仇怨:排难解纷。 
诘责,质问:发难。非难。责难。

1 と 2 では四声が違うので、中国人であればこの区別は明確だろう。1 とが全く違うかといえばそうでなく、1は<困難(な)で、2の一番目は災難といえる。2の二番目の<怨>は日本語では<あだ、かたき; うらみ>だが何のことか? 仇怨:として<排解紛>とあるので、<排難>で<仇、怨みを晴らす>の意だろう。<仇(あだ)>は<仇ち>の<仇>だが、日本語では<仇>だけではあまり用いられない。仇は<かたきという読み方もあ仇は<仇をうつ>で<(かたき)>だけでも用いられる。いづれにしても中国(語)では<難>に<あだ、かたき、うらみ>の意もあるのだ。これはおもしろいことで、検討の余地があるが横道にそれるので、詳しくは別途検討とする。ちなみに小型の中-中辞典(小型とはいっても情報量の多い漢字だけの解説なのでバカにできない)、中型の中英を調べてみたが、この意味の解説がぬけていりので、あまり一般的ではないのだろう。降りかかって来た災難が、とくに人的な場合には、<あだ、かたき; うらみ>の意になるのは不思議ではない。

2 の三番目が<非難>の<難>に相当する。人を難しい状況に置く>のが<(非)難>だ。そしてこれは

a)無意識で行われる場合、<知らずにを難しい状況に置く>場合

と 

b)意識的に行われる場合、<わざわざ人を難しい状況に落と入れる>場合

とがある。 

<非>は<非常(常ならず)>の否定の<非(ならず)>ではなく<是非(良い悪い)>の<非>、つまり<悪い(こと)>の意だ。

さて<難癖をつける>にもどると、<癖の非難をつける>ということになる。<癖の非難>とはどういうことか?そこで、次に<癖>を検討する。

<癖>は簡単に<習慣のこと>とは言えない。習慣は良い習慣もあれば悪い習慣もあり、習慣自体は中立なのだ。一方<癖>の方は<良い癖をつける>という言い方は可能であるが、<良い癖がつく>は少しおかしい。<悪いがつく>はごく自然な言い方だ<癖のある人>、<太郎の書く字は曲がる癖がある>は良いことではない。一般的に<癖>は悪い習慣、好ましくない習慣の意を内包する。<癖のある人>の<癖>は悪い、好ましくない繰り返される言動というよりは悪い、好ましくない人に付着した性質を暗示している。

こうすると、 <難癖>は

<悪い習慣、好ましくない習慣>を非難する、あるいは
<悪い、好ましくない繰り返される言動>を非難する、あるいは
人に付着した悪い、好ましくない性質>を非難する

ということになり、なんとか意味が通じる。通じるがまだ<難癖をつける>の本来の意味には遠い。<難癖をつける>は言い換えると<(わざわざ)(ある悪意をもって、あるいはある悪い目的をもって)ある人の実際にはたいし悪くもない)言動悪い、好ましくない習慣としてを非難すること>となる。言葉によるイジメこの類か?

<いいがかりをつける>は大体<難癖をつける>と同じような意味が、こちらの方は純やまとことば。また<いいがかり>だけでもつかえる。<それは難癖というものだ>でもまちがいではないが、<それはいいがかりというものだ>が普通だろう。<いいがかり>についてはイソップ寓話のなかに<狼と子羊>というとんでもない<いいがかり>の話があり、別のポストで論じた。下記参照。
 
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sptt