Wednesday, June 21, 2017

かまう、かまける


<かまう>、<かまける>は口語でよく使うが、いったいどういう意味なのか?

 <かまう>は否定用法が多いようだ。<かまうものか>は反語で否定の<かまわない>で置き換えられる。

そんなことはかまわない。そんなことかまうものか。

わたしはかまわない。(わたしはかまうものか、とはあまりいわない)

この英語版は I do not care (mind).  It does not matter with (to, for) me.

(It does not me matter. It does not matter me. は文法違反だが、簡潔な表現で意味もつたわる。)

中国語版は 没关(関)系。

でほぼ決まり文句でよく使う。

おもしろいのは<(私は)かまいません>という丁寧語はよく使うが<(私はかまいます>はほとんど聞かない。 Do you care (mind) ? の答として I do care (mind). (わたしは大変気にします)とはいうが、有关(関)系は聞いたことがない。

私はウナギだ。私は天丼。わたしは何でもかまわない。
わたしにはかまわないでくれ。
わたしにはかまわないで、早く行ってください。
負けてもかまわない。 負けてもかまうものか。
勝とうが負けようがかまわない。勝とうが負けようがかまうものか。
花子は服装(みなり)にかまはない。
花子は太郎が去って行ってもかまはない。
 
たまには子供たちをかまってやれ。
忙しくて子供たちをかまってやれない。
太郎はこのところ忙しくて前のように花子をかまってやれない。

以下は<かまける>でもよさそう。

そんことに(は)かまっていられない。 そんことに(は)かまけて(は)いられない。
そんことにかまっているヒマ(時間)はない。そんことにかまけているヒマ(時間)はない。

以下は<かまける>でないとダメ。

忙しさにかまけて、たのまれた品物の買い物を忘れてしまった。
 

以上の例を分析して、やまとことばで言いかえると

かまう - 気にする

かまう - 気にかける

かまう - 面倒をみる。面倒は和製漢語か。

英語版は to take care of
中国語版は 照顾(顧)

発音からするともとは漢語のようだがやまとことばになりかけている<世話>を使った<世話をする>があるが、<面倒をみる>とは少し意味が違うようだ。だが<世話をかける>は<面倒をかける>、<世話になる>は<面倒になる>とほぼ同じ意味だ。

ある意味の<かまう>は<余計(よけい)なお世話をする>のような意がある。

男子校の生徒が学校帰りの女学生をかまっている。

<面倒をかける>の中国語版は<麻煩>で名詞(面倒の意)でもあるが、動詞にもなり

(我)麻煩你

となる。<かまう>をつかうと<(私は)あなたをかまけさせます(が)> となりそうだが、こういう日本語はない。普通は<面倒をかけます(が)>、<ご面倒ですが(が)>、<ご面倒をおかけいたします(が)>などとなる。

<かまう>は日常よくつかわれるので 連用形体言(名詞)の<かまい>があってもよさそうだが、なさそう。 また否定形用法が多く肯定形ではあまり使われないことから動詞<かまう>は未発達といえる。

だがこれは詮索が足りないのだ。 <かまい>は発達して丁寧、尊敬の接頭辞<お>がついた<おかまい>で日常多用されている。だがこれまた否定形が多いのだ。

(おかまいする) おかまいしました。またおかまいします。

以上は

(お邪魔する) お邪魔しました。またお邪魔します。

と<お>のついた変な漢語の<お邪魔>の方がよく使われる。<おかまい>の否定形は

おかまいなしに、おかまいもなしに (かまわずに、少しも気にかけずに)
おかまいもしませんで

<世話>に<お>のついた<お世話>もよく使う。

お世話になる。お世話になりました。
お世話さまです。

<お世話>にさらに<さま>がついている。<ご面倒さま>、<お邪魔さま>、さらには<ご迷惑(さま)>というのもある。日本語はこのへんが非常に発達しているといえる。だが<おかまいさま>はない。やまとことばの<かまい>は漢語にそうとう侵食されている。


さて<かまける>はどうか?

かまける - 気をつかう。 ワープロでは<気を遣う>とでてくる、<こころを遣(や)る>の意か?

かまける - 心をうばわれる



sptt

Saturday, June 17, 2017

Life、<生活>のやまとことば、 <日々を生きる>

英語の Life は多義語でこれに相当する一語の日本語はない。

Life -1
Please save my life. 
わたしの命(いのち)をお助けください。

Life -2
Taro ended his long life.
太郎は長い一生を終えた。

Life - 3
Hanako leads a busy life every day.
花子は毎日忙しい生活をおくっている。

Life は動詞 to live の名詞形。 to live は

Taro lives. だけだと<太郎は生きる>になるが、英語でも日本語でもめったにこうは言わないだろう。だが to live は<生(い)きる>だろう。

Taro lives in Tokyo. は問題ない。<太郎は東京に住んでいる>が相当。だが<生きる>と<住む>ではえらい違いだ。したがって動詞 to live も相当な多義語だ。だが<太郎は東京で生活している>とも言える。

Taro lived a long life. とは言えるが to live と life が重なるので Taro had a long life. が簡潔でいい。

<太郎は生きてる> は<死んでいない>を意味するときはTaro is living. ではなく Taro is alive. で関連形容詞の alive がでてくる。(A) live concert の live は動詞ではなく形容詞用法だ。

さて日本語の方にもどるが<命(いのち)>はれっきとしたやまとことば。だが<一生>も<生活>も漢語由来だ。

太郎は長い一生を終えた。--> 太郎は長いいのちを終えた。

はなんとか通じる。

一生に一度のチャンス --> いのちに一度のチャンス

これはダメ。

長いいのちに一度のチャンス

は通じるし、やまとことばのニュアンスがでてくる。

才能ある美代子の短かった一生が悔やまれる。--> 才能ある美代子の短かったいのちが悔やまれる。

これもやまとことばのニュアンスがでてきていい。

もっと例を調べるべきだが、<一生> は<いのち>でなんとか置き換ええられそう。

花子は毎日忙しい生活をおくっている。--> 花子は毎日忙しいいのちをおくっている。
 
 これはまったくダメと言っていい。 

A poor life    - まずしい生活 --> まずしいいのち
A happy life   - しあわせな生活  --> しあわせないのち
A daily life   - 毎日の生活  --> 毎日のいのち
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->いのち水準 
すでにかなり時間がたつが、英語圏では Fashion が使い古されて魅力がないためか意味が広いがLife style という言葉使われるようになっている。
Life style - 生活スタイル -->いのちスタイル

これまたもっと例を調べるべきだが、<生活>は<いのち>でカバーできない。上に述べたように<生活>は漢語由来だ。

日本語では普通<生きる>と書くが、場合によっては<活きる>とも書く。<XXをいかす>は活用、活性化の意から<XXを活かす>の方がよさそう。また魚屋や海鮮料理屋では<生き魚>ではなく<活き魚>だ。<生魚>だと<なまざかな>になりかねない。漢字を使うとこういう区別があるが、やまとことばの<いきる>には<生きる、生きている>と<活きる、活きている>の意味があることになる。<いきいきした>は<生き生きした>表情、生活とも<活き活きした(新鮮な)>さかな、野菜。とかき分けられそうだが、やまとことばでは<いきいきした>だけだ。

以上は前置きで、このポストの目的は<生活>に相当するやまとことばを見つけることなのだ。答えは意外と簡単で、やまとことばには<くらし>というのがある。

A poor life    - まずしい生活 --> まずしいくらし
A happy life   - しあわせな生活  --> しあわせなくらし
A daily life   - 毎日の生活  --> 毎日のくらし
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->くらし(の)水準 
Life style - 生活スタイル -->くらし(の)スタイル

大体<くらし>でもおかしくない。これで解決か。<くらし>は<くらす>の連用形の体言(名詞)用法。したがって、意味に<くらす>の意味がつきまとう。

<大体<くらし>でもおかしくない>と書いたが、

まずしい生活 --> まずしいくらし    OK
しあわせな生活  --> しあわせなくらし  はOKだろうか?

もう少し調べてみる。

みじめな生活 --> みじめなくらし    OK
くるしい生活 --> くるしいくらし     OK  これは語呂がよくない。
らくな生活 --> らくなくらし    OK
裕福な生活 --> 裕福なくらし    OK
たのしい生活 --> たのしいくらし    はOKだろうか?  <たのしい>も<生活><くらし>とあいそうがよくないようだ。
くらしむきがよくない --> (経済的な)生活状況がよくない

<生活>も<くらし>もどうも経済的な要素がからんでいるようだ。

 しあわせな生活  --> しあわせなくらし  はOKだろうか?
 たのしい生活 --> たのしいくらし    はOKだろうか? 

の<OK?>はこれにからんでいるのだろう。また

< しあわせな生活をおくる>はいいが<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>

は微妙だがすこしおかしいようだ。

この<おくる>はクセモノで<送る>、<贈る>ではない。ではこの<おくる>はどういう意味か? これは重要なことだが、あとで検討する。

中立的、一般的な<毎日の生活>は<日々のくらし>でいい。

<毎日の生活>は<日々のいとなみ>というやまとことばでも置き換えられそう。だが<いとなみ>は<生活>にならない。<いとなみ>はこれまた動詞<いとなむ>の連用形の体言(名詞)化用法で<いとなむ>の意味が付きまとう。<いとなむ>は用法、意味がせまいようだ。漢字は<営む>となる。

小売業(小売店)、魚屋、パン屋、町工場(まちこうば)を営む。 

大企業を営むとは言わない。 -->大企業を経営する。と漢字が多くなる。

似たようなやまとことばに

<XX をなりわいとする>というのがあるが、<日々のなりわい>も<毎日の生活>にならない。<いとなみ>、<なりわい>は<生活のかてをえる>活動なのだ。これまた経済的な要素がからんでいるようだ。

さて

< しあわせな生活をおくる>、<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>

の<おくる>を検討する。この<おくる>は<送る>、<贈る>ではない。<生活>や<くらし>を<送ったり>、<贈ったり>するわけにはいかない。<おくる>は<置(お)く>由来だろう。<おくる>は多義語となる。<置く>は英語で言えば to put、to place 。<送る>は to send、<贈る>は to present (プレゼントする)だが、やまとことばでは基本的に(一般化して)同じ<おくる>だ。だがこの<おくる>はどうも違うようだ。

xxな生活をおくる -->  xxな生活を過ごす

で言い換えられるが

xxなくらしをおくる -->  xxなくらしを過ごす

の言い換えはダメだ。なぜダメなのか?これはおそらく<くらす>と<過ごす>が同じような意味を持っているからだろう。

日々をくらす
日々を過ごす

<おくる>はどうか?

日々をおくる

問題ない。以上から、二段論法か三段論法かよくわからないが、この<おくる>は<送る>、<贈る>とはべつの<置(お)く>由来の<おくる>なのだ。これからが本論。

<Life、生活=くらし(?)>の検討のため<くらす>、<すごす>、<おくる>を比較してみる。

<くらす>は<来る>由来ではなく<日が暮れる>の<くれる>の古語<暮(く)る>と関連がありそう。<くらす>は<暮る>の使役形、または他動詞化だ。<日が暮れる>は<昼間が終わる>ことだが、昔は電灯がなかったので<昼間が終わる>というよりは<一日が終わる>だ。使役形、または他動詞で<日を暮らす>と言うと<一日を終える>となる。<一日を終える>は生活のにおいがする。

<すごす>は<過ぎる>の使役形、または他動詞化だ。<一日が過ぎる>は<一日を過ごす>となる。<一日が過ぎる>は<なんとなく一日が過ぎる>感じだが<一日を過ごす>はやや自立的、積極的だ。<過ぎる>、<過ごす>はあるモノ、コトが後ろへ行くことだが、時間や日(ひ)では過去になることだ。<過ごす>は使役形、他動詞なので<一日を過ごす>は<一日を過去にやらす>ことになる。

<置く>由来の<おくる>は<過ぎる><過ごす>に近い。というのは<置く>は<置いて行く、行ってしまう>も意味するからだ。正確には<置き去る>、<置き去りにする>という言い方がある。英語では to leave が相当するが、これが自然に使えるようになるには少し時間と使用実践が必要。 to leave は多義語だ。leave の発音は live をすこし長くしただけだ。

I left my wallet at home.    財布を家に置き忘れた。
Hanako left her two children at home and went to a town for shopping.
花子は二人の子供を家に残して街に買い物に出かけた。
 Taro left Tokyo yesterday.  太郎はきのう東京を去った、離れた、発(た)った。

<日を暮らす>も見方をかえると、<一日を過去にやらす>ことに近い。したがって<くらす>、<すごす>、<おくる>は同じような意味の動詞たちと言えそう。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

に大きな差はない。

さて<Life、生活=くらし(?)>の問題だが、この方程式は正しくない。

Life には to live (生きる)の意が強く残っていて<一日を過去にやらす(to let it go)>ことではない。中国語の<生活>の方も<生きる、生命>の<生>と<死><死んでいる>に対する<活>の字の組み合わせで英語の Life の意に近い。<一日を過去にやらす>ことではなく<生きる>ことなのだ。

<生きる>と<くらす>、<生き方>と<暮らし方>とでは雲泥の差がある。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

ではなく

日々を生きる

がいい。

英語では to lead a life という。to live a life は語呂が悪いが間違いではないだろう。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

は上で取り上げた to leave が相当するようで to live a life となる。 to live a life をやまとことばにすると<日々を置き忘れる、残して出かける、去る、離れる>となる。

<日々を生きる>はいいが、残念ながら名詞形が見つからない。<くらし>は<くらす>由来。<くらす>は<くれる>の関連語。<くれる>は<暗(くら)い>グループの言葉で、<日が暮れ>ればあたりは暗くなる。 <途方にくれる>もこの仲間で<お先まっ暗>の意だ。<くれる>には<暗い>イメージが付きまとう。これが<くらし>のイメージに影響しているようで<生き活き>の明るいイメージとは対照的だ。<暗いくらし>は語呂が悪いためかあまり聞かないがイメージはわきやすい。<明るいくらし>はイメージがわかずイマイチだ。


sptt

Saturday, June 10, 2017

勇気、挑戦のやまとことば

<勇気>は名詞(体言)で、動詞として使おうとすると<勇気をもって(xx)する>となってしまう。<勇気>のやまとことばは<いさみ>だろうが、<いさみをもって(xx)する>とは言わない。<いさみ>の動詞は<いさむ>だが、用法は限られている<いさんで(xx)する>と言えるのだが、<勇気をもって(xx)する>とは意味にズレがある。<いさんで(xx)する>はなにか軽いのだ。おそらくこれは、形容詞形の<いさましい>が<勇気ある>よりもなにか軽いのと同じだ。<いさましい姿>はいいがが<いさましい行(おこな)い>もまたなにか軽い。<いさみ足>という言い方があるので、積極的なのはいいが、なにか軽々しいのだ。

<勇気>はもちろん中国語由来。中国では<勇気>も使われるが、圧倒的によく使われるのは<勇敢>。<勇気がある>は<有勇気>ではなく<有勇敢>か。中国語の常で<勇敢>はそのまま形容詞にもなる。<你勇敢>。<勇敢>が先に来る場合は<勇敢的行為>と<的>がつきそうだが、<勇敢行為>でもよさそう。

<勇気をもって(xx)する>に相当するやまとことばとして<勇敢>の<敢>、すなわち<敢(あ)えて>を使ってみる。中国語の<敢>は<勇敢>以上によく使われようで<敢えて(xx)する>、英語の助動詞的使い方の dare 相当だ。<敢えて(xx)する>。

日本語では<あえる>という動詞はごく限られた使い方で、もっぱら<あえてxxする>、<あえてxxしない>となる。ここで<あえて>は副詞。<あえてxxする>はやまとことばというよりは英語の助動詞的使い方の dare の漢文まがいの苦心訳由来だろう。

限られた使い方では<とりあえず>という慣用的な言い方があるが、<あえず>は<あえる>の否定とすると、この<あえる>はどういう意味か?<勇気をもって、とらない>とはいったいどういう意味か?

<あえなくも>という慣用的な言い方もある。これは<あえ(が)なくも>で<あえ>は名詞(体言)だが<あえる>の連用形の体言用法で、意味は<勇気をもってすること>になる。あるいは<あえなし(い)>を形容詞と見て<勇気をもってする(した)にもかかわず>の意か?

<いさむ>、<いさみ>、<あえる>、<あえ>の詮索は別の機会にする予定として、ここでは<いさ>、<あえ>関連の言葉がまずしい(貧弱な)ことを取り上げたい。つまりは勇気は漢語なので<勇気をもって(xx)する>が純やまとことばで言えないのだ。これは表面的なことだけでな。<勇気をもって(xx)する>は民族の発展に関係するだろうから、やまと民族(日本人)にとってはゆゆしき問題だ。

<勇気>に関連した言葉に<挑戦>がある。<挑戦>には<いどむ>というやまとことばがある。だが正確には日本語の<挑戦>は名詞(体言)で<いどむ>は動詞だ。名詞(体言)の<いどみ>はいいやまとことばと思うが残念ながらまず聞かない。これまた<いどむ>(挑戦)関連のやまとことばは未発達なのだ。<挑戦する>は使われて古くなったためか効果、印象が薄くなり<チャレンジする>がよく使われる。英語の方の<チャレンジ(a challenge, challenges)>、<チャレンジする(to challenge)>もおもしろく、英語圏の政治家や役人は困難(a difficulty, difficulties)とは言わず、この意味で<チャレンジ>をよく使う。そのうち<チャレンジ>の意味が変わるだろう。

勇気、挑戦のやまとことばがまずしい、ということは日本人は勇気やチャレンジ精神がまずしいことを示唆する。

あと回しになってしまったが、<勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>を もう少し詳しくいうと、(困難や恐れがあるにもかかわらず) <勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>となる。<おそれ>のやまとことばは発達しているようだ。<おそれる>、<おそれ>、<おそろしい>、<おそろしがる>、<おそろしげ>。否定を使った言い方になるが、<勇気をもって(xx)する>は

<恐れずに(xx)する>

で純やまとことばになる。

困難の方は<むずかしい>、<むずかしさ>はいいが<むずかしがる>は日本語的な言い方だ。したがって<挑戦する>は

<むずかしがらずに(xx)する>とでもなりそうだが、<いどむ>のほうがはるかにいい。


sptt