Saturday, September 24, 2022

やせガマンと強がり

 <やせガマン>の<やせ>は<痩せている>なので<痩せている人がガマンする>となるが。太った人でも<やせガマン>する。この<やせ>は<やせた土地>の<やせた>で<やせた土地>でが作物がよくそだたない、実をむすばない。<やせガマン>は、したがって、少し飛躍するが、<できもしないのにガマンする、しようとする、しているように見せる>といった意味なる。<やせガマン>はだいたい否定的、批判的に使われる。

 一方<ガマン><我慢>で、ネット辞書では 


耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。「彼の仕打ちには—がならない」「ここが—のしどころだ」「痛みを—する」

我意張ること。また、そのさま。強情。

「—な彼は…外(うわべ)では強いて勝手にしろという風を装った」〈漱石道草

仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢

という解説がある。意味の変遷では3→2→1の順か? もとは仏教用語で文字通りでは<我が高慢>。2の例は<我が高慢>の意をの残しているが<やせガマン>の意に通じるところがある。<うわべでは . . . . 装う>。3が現代の<ガマン>の意味だが、2との関連から、この現代の<ガマン>の意味は、逆に<やせガマン>から発生したのでないか?<やせガマン>はかなりの頻度で使われる。もとっも<ガマン>の方は<ガマン>としてもっと頻繁に使われる。

もうガマンできない。
ガマンにもほどがある
ガマン強い。

 <ガマン>には<したいことをしない、しないでいる>の意がある。大げさに言うと<ガマンの哲学>、<ガマンの幸福論>が作れる。<したいことができない>状態は幸福ではないが、

 "The secret of happiness is not always doing what you want, but always wanting what you do." - Leo Tolstoy

というのがある。もちろんもとはロシア語だろう。前半はいいとして、後半は<することをしたい>では意味がとれない。<することをしたいようになる>でなんとか意味がとれる。

幸福になる秘訣は、<いつもしたいことをする>のではなく することをいつもしたいようになる、する、ことだ>。

<ガマンする>に対応するやまとことばには、上記のネット辞書にあるように<たえる>、<こらえる>、<しのぐ>がある。<たえしのぐ>というのもある。これらは英語の to endure に相当するが、to endure は<ガマンする>になるか。<痛みをガマンする>は<したいことをしない、しないでいる>ではすぐには説明がつかない。

 <したいことをしない、しないでいる>の典型は禁煙、禁酒だ。

 <やせガマン>に似ていることばに<強(つよ)がり>がある。これはやまとことばだ。

強がりを言う。
強がりに過ぎない。

 強くもないのに強いように見せるといったところだ。<強がり>もだいたい否定的、批判的に使われる。これからすると<ガマンがる>が<やせガマン>になる。

上の<することをしたいようになる>はおかしな日本語だが<することをしたがるようになる>とすると変な日本語でなくなる。

 幸福になる秘訣は、<いつもしたいことをする>のではなく (どんなことでも)することをしたがるようになる、する、ことだ>。

<やせガマン>、<強がり>に共通しているのは他人から見て<うわべでは、我慢できる、強いように装う>。また多分に他人の目を意識しての言動で一種の演出。このような演出が好きな人と嫌いな人がいる。好きな人はこのような演出には効果がある、嫌いなひとは演出は不自然とみているのだろう。

 

sptt

 

 

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