<あそぶ>は日常よく使われる言葉だが少しよく考えてみると、なかかな奥深い意味があるやまとことばだ。だが調べてみると混乱しているというか、とらえどころがないところがある。また否定的にも肯定的にもなる変幻自在、融通無碍 (むげ) なことばだ。
1)<あそぶ>の語源
もっともらしいのは、引用の引用になるが
http://katagipepo.blog.fc2.com/blog-entry-410.html
”
岩波古語辞典には「おそばふ」、「そばふ」は「調子に乗ってふざける」意味と書かれています。「そばふ」「おそばふ」は、私の全く知らなかった言葉で、語源を別の視点から考える参考になりました。
”
これとは別に私は<そふ(添ふ、沿ふ)>が関連しているのではないかと思っている。<あ>は接頭語で<あそふ>。
2)<遊ぶ>。当て字の<遊>
中国語の<遊>は歴史が古く (古くさかのぼれる)、説明が長くなるので省略。基本的には日本語の<あそぶ>に似て奥が深い。
3)<あそぶ>の意味
ネットで調べてみると相当多岐にわったている。
デジタル大辞泉
「遊ぶ」の意味・読み・例文・類語
あそ・ぶ【遊ぶ】
1 スポーツ・趣味など好きなことをして楽しい時間を過ごす。「野球をして―・ぶ」「よく学び、よく―・べ」でこれが第一義だろう。<スポーツ・趣味など>の<など>をさがしてみるとままごとをしてあそぶ。(ままごと= ままごと(飯事)とは、幼児の遊びの一種。おままごとともいう。分類上はごっこ遊びの一種と考えられており、身の回り人間によって営まれる家庭を模した遊びである。ー Wiki)比較的小さいこどもの<xxごっこ>はあそびだ。<ごっこ>はおとなの遊びと思われる将棋や囲碁は<あそぶ>とは言わない。将棋や囲碁は趣味にはなる。よくある趣味には<本を読む、音楽を聴く、写真をとる、映画を見る、料理をする / つくる、魚釣りをする、旅行をする>があるが、これまた<あそぶ>とはあまり言わない。いづれも<好きなことをして楽しい時間を過ごす>のに<あそぶ>とは言わない。
がある。いづれも素人であれば<楽しい時間を過ごす >ためにするのだが、これまたとは普通言わない。いづれも<好きなことをして楽しい時間を過ごす>のに<あそぶ>とはあまり言わない。最近はテレビを見る人が減っているようだが、<テレビを見る>は趣味でも<あそび>でもない。特に<好きなことをして>いるわけではないが、好きなテレビドラマや野球中継を見るときは<楽しい時間を過ごして>いることになるか?だが<テレビを見てあそぶ>とはけっしていわない。スポーツ関連ではも<あそぶ>とはあまり言わない。 例文の「野球をしてあそぶ」も子供がすると<あそび>なるが、大人がする<あそび>になりにくい。 高校野球やプロ野球は<あそび>とはいえない。したがっては日本語<あそぶ>の定義にはならないようだ。だが比較的小さい子供であればで問題ない。小さい子供と一人前のおとなでは<あそぶ>に違いがある。この辺に<あそぶ>の定義が<混乱している>理由がありそうだ。<あそぶ>とよく対比されるのは<勉強する><仕事をする>だ。冒頭の「よく学び、よくあそべ」とはどういうことか? これはクセモノで<よく学んで>、はじめて<よく学べ>と言う、言われるので、<よく学ぶ>が前提になっている。子供に対して<よく勉強する見返りとして、あそんでいい>というニュアンスがある。一方<よく働き、よくあそべ>というのはあまりきかない。一人前の大人に対して<よくは働く見返りとして、あそんでいい>というのは何かおとなげない。もっとも自分自身に<よく働き、よくあそぶ>というのはおかしくないようだ。 2 何もしないでぶらぶらして時を過ごす。決まった仕事・職がなく暇でいる。「失業して―・んでいる」<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>と<決まった仕事・職がなく暇でいる>は違う。 「失業してあそんでいる」は後者の例だ。 前者の<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>は上の<好きなことをして楽しい時間を過ごす>と内容が違う、またはある意味で反義的な意味内容だが<あそぶ>の第二定義とも言える。この違いは重要で、前々回のポスト "<勉強する>の語源 " で簡単にふれたが日本語の<勉強する>、<勉強>の意味になった、というもの。つまりは元来<やりたくはないが、むりやりxxさせられる、学習させられる>の意があるという説明が持ち出される。で、別の意味で<あそぶ>(好きなことをして楽しい時間を過ごす)の反義的な意味になる。したがって<あそぶ=何もしないでぶらぶらして時を過ごす>は多義語の<あそぶ>の第二定義と言える。一方<決まった仕事・職がなく暇でいる>は一人前の大人にいつて言っていることで、子供が<決まった仕事・職がなく暇でいる>でも問題はない。子供が<決まった仕事・職がない>のは当然で、<暇でいる>ことになる。実際子供が<暇でいる、暇でとくに何もしない>のはまれで、食べるとき、寝ているとき以外はなにかの遊びをしている。子供にとっては<あそび>が<仕事、仕事、なすべきこと>と言える。ここにも子供が<あそぶ> とおとなが<あそぶ>の大きな違いがある。 子供が<あそぶ>にはあまり制限、制約がないが、おとなが<あそぶ>にはいろいろ制限、制約がある。本来<あそぶ>にはあまり制限、制約がないのだが、子供があそんでいても、メチャクチャに遊んでいるわけではない。特に二人以上であそぶ場合がそうだが、制限、制約がやぶられる場合もある。一人であそぶ場合も自分なりに制限、制約をもうけているようだが、制限、制約をやぶる場合もある。制限、制約がやぶられても大きな問題にならないところが<あそぶ>の特徴ではないか。成功不成功にこだわらず、失敗してもてもいいから<あそび半分>でやってみたらどうだ。勝敗にこだわらず、負けてもてもいいから<あそび半分>でやってみたらどうだ。は否定的ではない。<あそび>、<あそぶ>のややこしいところだ。はあまり制限、制約がなく<xxする>ことだ。制限、制約、さらには目的があるとまじめに、真剣にとりくむことになり、趣味から離れて仕事になるか。この意味でも<仕事、しごと>は<あそび>に対峙する。<しごと>は<するべきこと>だ。
これはあそびではない。もっとまじめに (真剣に) やれ。
3 飲酒・色事・ギャンブルなどに身を入れる。遊興する。「―・ぶ金欲しさに盗みをはたらく」飲酒 (飲む)。 ギャンブル (打つ) 、色事 (買う) は良くないことで、これらを<好きなことをして楽しい時間を過ごす>で実際にしたら / されたらろくなことはない (いいことはない)。だが<遊ぶ=好きなことをして楽しい時間を過ごす>に変わりはない。つまりは<あそぶ>対象が問題になる。したがって2 の<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>方がましだ。
4 労力・機械・土地などが有効に使われずに捨て置かれる。「手が―・んでいる」「―・んでいる資本」これは意味的には<2 何もしないでぶらぶらして時を過ごす>の派生と見て言い。
5 (「…にあそぶ」の形で)見物や勉学のために他の土地へ行く。旅行する。遊学する。「京都に―・ぶ」「三年間パリに―・ぶ」
6 野球で、投手が打者のねらいをさぐったり、打ち気をそらしたりするために、わざとボールになる球を投げる。「ツーストライクのあと一球―・ぶ」
7 相手をもてあそぶ。からかう。「力が違いすぎて、すっかり―・ばれてしまった」元来は<もちて+あそぶ>、<手にもって、手のひらにもって><あそぶ>の意だろう。
8 詩歌・管弦などを楽しむ。
「をとこは、うけきらはず呼び集へて、いとかしこく―・ぶ」〈竹取〉
これは<1 好きなことをして楽しい時間を過ごす。>に通じる。竹取物語からの引用なので、これが<あそぶ>の元の意味に近いだろう。<あそぶ、あそび>で奥深い意味があるやまとことばは<あそびごころ>ではないか?<あそびごころ>はおおむね肯定的だ。
No comments:
Post a Comment