Wednesday, December 26, 2012

ざわめき立つ


<ざわめき立つ>はいかにも大和言葉的な表現かつ響(ひび)きだ。

音は<音が出る>、<音を出す>、<音がする>、<音をさせる>という表現もあるが、<たつ>、<たてる>を用いて

音が立つ - 音が立たないように歩く
音を立てる - 音を立たてないように歩く

音は目に見えないものだが、香りや風も目に見えない。 最初に自然現象表現として

香りが立つ 
風が立つ 

目には見えるが細い粒子では

霧が立つ
煙が立ちのぼる

がある。これらも大和言葉的な表現かつ響(ひび)きだ。

<立つ>は<自然現象-何かが周囲に広がっていくといった現象を表し>ており、3次元的な動きを示している。

sptt

Friday, December 7, 2012

<たくさん>の語源


私が使っている国語辞書(三省堂)では<たくさん>は沢山、卓山とかかれるが大和言葉。語源不詳になっている。

<たくさん>は数、量、割合(部分)を示す語で、その語尾変化から形容動詞とみなせ、意味は<多い>に近いようだが、たいそう複雑。別のところで、チェックした結果次のように述べた。

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<たくさん>の形容動詞チェック結果

たくさんで(中断)、、、、たくさんである、たくさんでない、たくさんになる、たくさんにする、たくさんに行う(ダメ)、たくさんだ、たくさんだった、たくさんの、たくさんな(ダメ)、たくさんならば

<たくさん>は相当複雑。なにせ語源不詳なのだ。

たくさんである - この意味は<もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>。<多くある>という意味では<で>のない<たくさんある>になる。

た くさんでない、たくさんではない -  <もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>の反義語にはならない。<たくさんではない>は<多くはない>とほぼ同じ。では反義語は何かというと  - <もういらないというわけだはない>、<もう十分だというわけだはない>、<十分すぎるというわけだはない>とかなり長くなる。

たくさんになる - <多くなる>とほぼ同じ。
たくさんにする - <多くする>とほぼ同じ。

たくさんに行う(ダメ) --> たくさん行う  <多く行う>と同じではない。たくさんは量または頻度が多いことを示す。一方<多く>はどちらかというと頻度または割合さらには選択されたモノ、コトの頻度を示す。受身形にするとこの差がよく出る。

xxが(は)たくさん行われる。
xxが(は)多く行われる。

xxが(は)たくさん歌われる。
xxが(は)多く歌われる。

た くさんだ - <多い>ではない。<多い>の意には<多い>がすでにあるのだ。<たくさんだ>この意味は通常<もういらない(ほどある)>、<もう十分だ (なほどある)>、<十分すぎる(ほどある)>。<多い>という意味で<おお、こんなにたくさんだ>とは言える。<おお、こんなに多い>とは微妙に違う。

おお、こんなにたくさんだ。 - <少し>との対比が意識されている。<少ない>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんなに多い。  - <少ない>との対比が意識されている。<少し>との対比はあまり意識されていない。

たくさんだった - <多かった>の意にもなりえるが、普通は<もういらないほどあった>、<もう十分なほどあった>、<十分すぎるほどあった>、<もういらなかった>の意だ。

<たくさんの>が普通。<たくさんな>は基本的にダメ。

たくさんならば - <多ければ>の意にも<もういらない(ほど)ならば>、<もう十分(なほど)ならば>、<十分すぎる(ほど)ならば>の意にもなる。

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<たくさん>関連のは数、量、割合(部分)を表す言葉は<多い>、<少ない>、<少し>だ。グループ化すると、

形容詞組み -  <多い>と形容動詞<もどき>の<多くの>がある。
<少ない>は形容動詞<もどき>の<少くの>はなく、<少しの>というのがあるがこれは下記の副詞系になってしまう。

形容動詞系、副詞系組み - <たくさんの>、<少しの>。
形容動詞語尾変化の<たくさんな>は使われず<たくさんの>になる。<少しな>は使われず<少しの>になる。また副詞用法としては<たくさんに>ではなく<に>のない<たくさん>、<少しに>ではなく<に>のない<少し>になり。したがって純形容動詞とは言えない。

 となる。これらの関連語もかなり複雑で形容動詞チェック結果は次のとおり。

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<多くの>の形容動詞チェック結果

多くで(中断)、、、、多くである、多くでない、多くになる、多くにする(ダメ)、多くに行う(ダメ)、多くだ、多くだった、多くの、多くな(ダメ)、多くならば(ダメ)

かなり問題がある。<多くの>は純形容詞<多い>の連用形<多く>に<の>がついた形だ。動詞と同じく形容詞の連用形には名詞化(体言化)の働きがあり、この名詞(体言)に<の>がついたもの。

多くである  --> 意味は<多くある>、すなわち<多い>ではない。この純形容詞<多い>があるため、<多くである>は<多くの場合である>の意になる。

多 くでない、多くではない(*) --> 意味は<多くない>でも<多くはない>でもない。<多くではない>は<多くの場合ではない>あるいは<多くのの部 分ではない>、<大部分ではない>の意。もっと正確に言えば<多くの場合というわけではない>あるいは<多くの部分というわけではない>、<大部分とい うわけではない>の意になる。
(*)否定の場合、形容詞でも形容動詞でも助詞<は>がつく。 この<は>の働きはなにか?

多くになる --> <多くなる>ではない。<おおくの部分になる>の意だ。
多くにする(ダメ) --> <多くする>ではない。 <多くにする>は意味をなさない。
 やはり純形容詞<多い>の影響がある。 

多くに行う(ダメ) --> 多く行う  <多く>は形容詞<多い>の連用形。

多くな(ダメ)

多くならば(ダメ) --> 多いならば  <多くならば>は意味をなさない。

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<少しの>の形容動詞チェック結果

<少しに行う>はダメで<少し行う>になる。形容詞的に<少しく>という言い方もあるが、一般的ではない。
<少しな>もダメではないが、<少しの>が圧倒的に普通の言い方。<少しな>に対しては形容詞<少ない>の連体形<少ない>がある。ただし<少しの>と<少ない>は違う。<たくさんの>と<多い>の違いに似ている。

少しで(中断) - 少なく
少しである - 少ない
少しでない、少しではない - 少なくない、少なくはない
少しになる - 少なくなる
少しにする - 少なくする
少しに行う(ダメ)--> 少し行う - 少なく行う
少しだ - 少ない
少しだった - 少なかった
少しの - 少ない
少しな  - 少ない
少しならば  - 少ないならば

おお、こんなに少しだ。 - <たくさん>との対比が意識されている。<多い>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんな少ない。 - <多い>との対比が意識されている。<たくさん>との対比はあまり意識されていない。

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以上に関連して<十分な>もチェックしてみた。

<十分な> 形容動詞チェック結果

十分で(中断)、、、、 十分である、十分でない、十分になる、十分にする、に行う(副詞用法)、十分だ、十分だった、十分の、十分な、十分ならば

<十分の>でもよいが、<十分な>が普通。ほぼ完全な形容動詞だ。
<十分な>は漢語由来でこれに相当する大和言葉は<たりた>、<たりている>、<たりる>(<たりる>の連体形)。叙述の場合は<たりる>でこれは連体形ではなく自動詞<たりる>の終止形。

これで十分。 これで十分だ。- これでたりる。

文法的には、 <これで十分>の<十分>は形容詞、<これで十分だ>の<十分だ>は形容動詞<十分な>の終止形となる。なんとなく変だが、こうしておく。

問題は形容詞<十分>、形容動詞<十分だ>に相当する大和言葉の形容詞、形容動詞がすぐにみつからないのだ。上で説明した<たくさん>はどうか?<たくさん>は語源不詳だ。

<たりる>は自動詞で意味としては<十分ある>、<十分にある>だ。古い形は<たる>だ。
<たりる>の活用は

たら + ない (未然形)
たり +ます (連用形)
たりる (終止形)
たりる (連体形)
たりれば(仮定形)

古い形は多分(未チェック)

たら + ず (未然形)
たら + ば  (仮定形)
たり (連用形)
たる (終止形)
たる (連体形)
たれ + ば(已然形)

使役にすると、<たらす>だが、<たす>でもよさそう。意味は<xxを十分にする>、<xxをみたす>といった意味だ。<たす>は現代語では<たす>=<くわえる>だ。

<たす>の活用は

たさ + ない (未然形)
たし +ます (連用形)
たす (終止形)
たす (連体形)
たせ+ ば(仮定形)

古い形は多分(未チェック)

たさ + ず (未然形)
たさ + ば  (仮定形)
たし (連用形)
たす (終止形)
たす (連体形)
たせ + ば(已然形)

推論-1

このあたりから<たく>という語ができ、 意味としては<十分にする>(動詞)、<たし> 意味としては<十分な>(形容詞)が出来ていたのではないか?

 これで<たく>。 - これで十分だ。
 これで<たく>なり。 - これで十分だ。

さらに、 <十分になる>意味の<たくす>、<十分にする>意味の<たくさす>あるいは<たくさむ>ができた。

動詞<たくさむ>から<たくさん>が出てきた。

<このあたりから>は論証としてはいただけないので、もう一説。

推論-2

動詞の連用形には名詞化(体言化)の働きがある。

行きはよいよい帰りはこわい。
押しの一手。

したがって、<たし>は<xxを十分にする、している、した-こと、状態>、<xxをみたす、している、した-こと、状態>を表す。 -->、 <十分であること>を意味する。

<たし>ある。--> 十分ある。
これで<たし>なり --> これで十分だ。 
<たし>の食べ物 --> 十分な(の)食べ物

<たし>という形から、<たし>が<十分な>を意味する形容詞とみなされ、使われるようになった。 

<たし> = 十分な。

<たし> --> <たしき>食べ物 -->  十分な食べ物

ところで、<たしかな>という大和言葉の形容動詞があるが、関連語ではないか?

<たし>の形容詞としての活用の一つとして<たく>がある。

あかし
赤き
赤くなりけり - <赤くなる>

濃(こ)し
濃き
濃くなりけり - <濃くなる>

たし
たしき
たくなりけり  - <たくなる>

形容詞の名詞化(体言化)の方法に<さ>を加えるのがある。 赤(あか)さ、濃(こ)さ。

赤さ、濃さを例にとれば<たし>は<たさ>になる。<たさ>=十分さ。 しかしなんらかの原因で(たとえばみじかすぎて、他の言葉とまぎらわしい)<たくさ>も使われた。 <たくさ>=十分さ。名詞+<の>で後の名詞を修飾する。

<たくさ>+の  --> <たくさの> --> <たくさん>の変化は十分考えられる。

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最近(2016年11月)書いた ”<たくさん>の語源 - 2” 参照。



sptt








Sunday, December 2, 2012

<ばか>、<まぬけ>、<おろか者>


<ばか>は日常会話の中で最もよく使われる日本語体言のひとつだろう。<ばか>は<馬鹿>と漢字で書かれるが、馬も鹿も発音以外はまったく関係ない。むしろ関係があるのは狐(きつね)と狸(たぬき)だ。狐は人を<ばか>し、狸は自分が<ばける>。<ばかす><ばける>は 漢字では<化かす><化ける>と書く。<ばかす>と<ばける>の関係はやや複雑。

<ばける>は自分が<ばける>(変身、姿を変える)ことなで、ひとに<ばけ>させる使役形は<ばけさす>、受身形はなく<ばけれる>は可能の意になる。
<ばかす>は対象に働きかける行為(だます、間違わせる)なので使役形はなく、受身形は<ばかされる>で、可能形は<ばかせる>、<ばかせれる>だが<ばかすことができる>が普通だろう。
<ばか(馬鹿)>は<ばかされ>やすい人のことだ。<ばかされる>は受身形なので、能動者がおり、これが<ばかす>のだ。能動者は人でも、狐でも、魔法使いでもいい。

バカの例いくらでもあるが、よく耳にするバカの用例。

バカバカしい話だ。
バカげた話だ。
バカもほどほどにしろ。
きみのバカさ加減(かげん)にはあきれる。
バカも休み休み言え。
バカに付ける薬はない。
バカを見るぞ。
バカにするのか。
バカにするな。
バカやろう 。
バカたれ。
あなたってバカね。(女性版)
(追加予定)

上記の例の意味を考えるとバカの意味範囲はけっこう広い。

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<まぬけ>は漢字で<間抜け>と書き<間が抜けている>、<間>は<肝心な時間、タイミング>で、これが<抜けている>から<間抜け>などとまことしやかに説明される。このもっともらしい説明と関連なくはないが、<まぬけ>は<まぬかれる>のもと<まぬく>由来だろう。<まぬく>は現在使われず、その受身形、 自発形、可能形とおぼしき<まぬかれる>は使われている。

<まぬく>の可能形は<まぬける>。これは<間を抜く>ことができることだ。一方、<まぬかれる>は受身形ともとれるが(最近は<まぬけれる>でもいいようだ)、これも<まぬく>の可能形とみることができる。しかし、この<間>とはいったい何か。<肝心な時間、タイミング>だろうか?

<まぬく>とは何らかのよくないこと(災害、迷惑)から<逃(のが)れる>ことだ。可能形<まぬける>、<まぬかれる>、<まぬけれる>であれば(災害、迷惑)から<逃(のが)れる>ことができ るだ。この<のがれる>も込み入った動詞で、もとは<のぐ>で、<しのぐ>の<のぐ>だ。 <ぬぐ(脱ぐ)>も親戚だろう。<のぐ>とは、<なんとか抜け出る>こと、さらにはそれによって、何らかのよくないこと(災害、迷惑)を<避(さ)ける>ことだ。この<さける>のもとは <裂く、割く>で<避ける、割ける>と間ができる。どうどうめぐりなのだが、最終的には、この <間>を<抜けて出る>と災害、迷惑から<逃(のが)れられる>、<逃(のが)れる>ことができる。<まぬける>、<まぬかれる><まぬけれる>とは災害、迷惑から<間>を<抜いて>出て、安心できる状態になることだ。

では、災害、迷惑から<間>を<抜いて>出る、<間抜ける>と<まぬけ>はどういう関係か?
ほとんど関係なさそうだ。

1) 明らかにこじつけのようだが、たとえば床板かなにかがの何かの原因でこわれ、隙(すき)間ができ人がその間から下に抜け落ちてしまう、あるいはすでに <間>が出来ていてそれに気がつかずに、人がその間から下に落ちてしまう。これは不幸な出来事だが、ある意味では不注意による<間が抜けた>あるいは<間を抜けた>バカな行為、出来事だ。

 2)もっともっともらしいのは<間>を接辞の<ま>とみることだ。接辞<ま>の用例は多い。接辞<ま>の働きは<程度><ほど>の強調なので、形容詞につくのが多い。

形容詞につく<ま>

まっ白いな、まっ黒な、まっ赤な 、まっ青な
まっ正直な、

体言化された動詞の連用形とおぼしきものにつく<ま>

まっ直(す)ぐな (<直ぐな>はほとんど使われない) <-- 動詞<直ぐ>。髪をすくの<すく>と同根だろう。
まじめ (ま締める?) <-- 動詞<締める?>


<少し抜けている>はいいが、<少し間抜けている>はおかしい。<ま>は<程度><ほど>の強調、ほぼ100%の<抜け>の意で、少し(20-30%)と相性が悪い。


<間抜け>の用例は<ばか>の用例ほど多くはない。比較的よく耳にする<間抜け>は

間抜けた話だ。
この間抜け者め。


(注) 文法説明上の<強調>について

なお、よく<強調の接辞>という表現が使われるが、これは文法の説明としてはアイマイだ。中国語文法には<強調の語気助詞>という説明が多いが、これだけでは説明不足で、どのように使い、使われているのかを詳しく説明しないと文法の説明にならない。

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<おろか者>は古語になりつつある。<おろか>は<おろかな>という形容動詞の語幹で、連体形は<おろかな>なので、文法的には<おろかな者>となるが、 <な>を省略。<おろか>を名詞(体言)と見れないことはない。この場合、名詞+名詞になる。前の名詞はあとの名詞を修飾し、形容詞用法だ。<おろかさ> は<おろか(であること)>のて程度、具合、ほど。 <おろかな>の関連語は<おろそか(な)>。
<劣(おと)る><劣った>は<落ちる>と関連がありそうだが、<おろか(な)>や<おろそか(な)>との関連はどうか。<劣(おと)る><劣った>は<劣る>の連体形。

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 <ばか>と<まぬけ>には<に(する、して>、<だ>、<な(こと、ひと)>がつき形容動詞になるが、<おろか者>は<おろか>にしないと形容動詞にならない。<に(なる、する、して>、<だ>、<な(こと、ひと)>。


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綺麗な花、美しい花


大和言葉に<うつくしい>という<うつくしい>言葉があるが、残念ながらあまり使われず、短くて便利な<綺麗な>によって片隅に追われ、置かれている。

<綺麗な>は(耳で聞けば同じだが)<きれいな>と書くと<きれい>+<な>で形容動詞のように見られるが、これはあくまで<名詞(体言)+な>ではないか? <静か>は大和言葉であり、綺麗は外来語(漢語)だが、いづれも形容動詞としてあつかわれている。中国では形容詞、名詞の形態上の変化はない。

大和言葉由来の形容動詞の代表格は<しずかな>だ。ほかに、<おだやかな>、<にぎやかな>、<はなやかな>などの<xxxやかな>、<おぼろげな> 、<ものほしげな>などの<xxxxげな>、<おろかな>などがあるが、日常の社会生活で使う形容動詞は圧倒的に下記のような<漢語+な>だろう。<綺麗な>はほとんど大和言葉化してい る。

安全な
不安な
危険な
簡単な
複雑な
便利な、不便な
有名な
重大な
壮大な
厳重な
極端な
正常な
正確な 、不正確な

形容動詞の成り立ち、特に語尾変化は漢語の輸入時に決まったのではないか。


別のポスト<綺麗な花、美しい花 -2>を参照。

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