Saturday, December 29, 2018
加減乗除のやまとことば - 2 和差積商のやまとことば
<加減乗除のやまとことば>のポストではあきらめかけたが、終わりに<和差積商>のやまとことばに簡単にふれている。
”
上で<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらない、と書いたが、よく探してみると
和: 足し合わせ
差: 違い
積: 掛け合わせ (これは<掛け算>の意味をもたせられるようだ)
商: 割り分けまえ (<分けまえ>だけでは等分にならない)
が可能だ。<違い>は一語ですっきりしているが、その他は複合(合成)動詞になる。
”
これとはまったく別に<和、差、積、商>に再度挑戦してみる。
加減乗除は
加 - 足し算 -> 足し
減 - 引き算 -> 引き
乗 - 掛け算 -> 掛け
除 - わり算 -> 割り
足し、引き、掛け、割りは<足す>、<引く>、<掛ける>、<割る>の連用形の体言(名詞)用法。<和差積商>はそれぞれの計算の結果(答え)を表す語だ。 英語では
足す: to add (addition)
引く: to subtract (subtraction) to deduct (deduction) でもいいようだがが数学では to subtract (subtraction) が使われている。
掛ける: to multiply (multiplication)
割る : to divide (division)
に対し
和: sum
差: difference
積: product
商: quotient
のようにまったく違う言葉が使われている。積: product、商: quotient はなじみの薄い語となる。
やまとことばの和差積商の候補としては
和 - 足し増し
差 - 引き残り
積 - 掛け増し
商 - 割り分け
増し、残り、分けは<増す>、<残る>、<分ける>のこれまた連用形の体言(名詞)用法。数字に限っていえば
和 - 足し増し数(かず)
差 - 引き残り数(かず)
積 - 掛け増し数(かず)
商 - 割り分け数(かず)
になる。
商は、たとえば
10 割る 2 = 5
を言葉でしめすと
10を2で割ってそれぞれ等しく分けたときの<分けられた数(かず)>の方が結果を示す感じがあり、<分けた>数よりよさそう。これをあとの三つにも応用して列記すると
和 - 足し増され数(かず)
差 - 引き残され数(かず)
積 - 掛け増され数(かず)
商 - 割り分けられ数(かず)
になる。だが長すぎるようだ。 もう少し調べてみる。
<残る>は自動詞なので
差 - 引き残り数(かず)
でいい。<増す>は自動詞/他動詞両刀使いで、自動詞を優先すると
和 - 足し増し数(かず)
積 - 掛け増し数(かず)
でいい。
<分ける>は他動詞だが(<分かつ>という他動詞もある)、<分かれる>という自動詞がある(昔は<分かる>と言っていたようだ)。したがって
商 - 割り分けられ数(かず) -> 割り分かれ数(かず)
ところで、<加減乗除のやまとことば>では気がつかなかったが、掛け算は足し算の一種と言える。
2x3=6 は
2+2+2 = 6
これをやまとことばであらわすと<2を三たび足す>ことだ。<たび>は日常よく使う。
たびたび
ひとたび
ふたたび
みたび
よたび
以下は漢語にり
5(ご)たび
6(ろく)たび
<ひとたび>は<ひとたびxxxxすると>という言い方があり、英語の<once xxxx>に相応する。
<ふたたび>は<また>にほぼ同じ。<もうひとたび>といえるがこれは大方(おおかた)<もう一度(いちど)>に置き換えられている。
2+2+2 = 6 にもどると
<2を三(み)たび足し重ねる>ともいえる。(<たび重なる>という言い方がある)。したがって
積 - 掛け増し数(かず) ‐>足し重ね数(かず)
ともいえる。わるくないと思うが、<掛け(る)>が抜けてしまう。しかし<重ねる>は応用がきく。<掛け重ねる>は同じ数を<掛け重ねる>と乗数(べき乗計算)になるので乗数を<掛け重ね数(かず)>になる。<重ねる>は他動詞で自動詞は<重なる>なので<掛け重なり数(かず)>となる。もっとも積(せき)は<積み重ねる>につながる。<積み重ね>は掛け算でなく足し算だ。これからすると、割り算は<引き重ねる>、商は<引き重ね(引き重なり)数>になり、まちがいではないが、割り算の基本的な役割の<分ける>が抜けてしまう。
以上は初歩的な算数の計算を漢語ではなくやまとことばで言い換えたもので、少し長くなるが(漢語愛好者は<長たらしくなる>と言うか)、習いたての子供には掛け算、割り算の理解に役立つのではないか。 もちろんやまとことばの習得には大いに役にたつ。
sptt
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Sunday, December 16, 2018
ゆらぐ、ゆるぐ、ゆるす、ゆるむ、ゆする、ゆずる
<ゆらぐ>、<ゆるぐ>、<ゆるす>、<ゆるむ>、<ゆれる>は yu-r (a, u, e) で<yu-r>の部分は同じ音源(語源に準ずるもの)の動詞といえる。意味も関連している。さらに広げると<ゆする>、<ゆずる>というのもある。これは日本語(やまとことば)の大きな特徴を言ってよく、時間をかけて調べる価値がある。活用を見てみる。
終止形 連用形
ゆらぐ ゆらぎ
ゆるぐ ゆるぎ
ゆるす ゆるし
ゆるむ ゆるみ
ゆれる ゆれ
ゆする ゆすり
ゆずる ゆずり
<ゆらぎ>は日常語というようりは物理現象や心理描写(こころの動きの表現)に使われる。<いこい>、<やすらぎ>にかわって<いやし>というのを聞くがこの<ゆるぎ>も<いやし>ににたところがあって<今っぽい>、<now い>表現のようだ。
<ゆるぎ>は<ゆるぎない>の否定表現(否定形容詞)でよく聞く。これは<ゆるぎ>の未然形<ゆるが>+<ない>の<ゆるがない>が変化したものではなく、<ゆるぐ>の連用形の体言(名詞)用法も<ゆるぎ>+<ない>で<ゆるぎがない>、<ゆるぎのない>の<が>や<の>が省略されたものだろう。
ゆるがない決心
はいいが
ゆるぎない決心
はややおかしい。<ゆるぎない基礎>とか<ゆるぎない信念>ならいい。 <ゆるぎない決心>すこしダメで<ゆるぎない信念>がOKなのは説明がいる。おそらく<ゆるぎない>は一語の形容詞に近くなっている、あるいはもうすでに形容詞になっている。いっぽう<ゆるがない>はまだ動詞<ゆるぐ>+<ない>で動詞のイメージがまだ残っているといえる。決心は特定の個人のことを言う場合が多く、一般化されていないのでこうなっているいるのだろう。<一般化されていない>はまだ<形容詞化されていない>ともいえる。
太郎のゆるがない決心
太郎のゆるぎない決心
は同じように聞こえるが、 <太郎のゆるがない決心>がまだ
太郎の-ゆるがない-決心
のように、動詞感を残して、分解されるのに対して<太郎のゆるぎない決心>は
太郎の-ゆるぎない決心
と、動詞感が薄れて、分解されそう。だが両者間には<ゆらぎ>があり、だれにでも容易にわかる確かな差があるとはいえないようだ。<ゆるぎない>の反対語では<たよりない>、<おぼつかない>という同じく否定形容詞型の言葉がある。<たよりない>は<ゆらぐ>と同じく<たよらない>という言い方がある。一方<おぼつかない>は<おぼつく>の未然形<おぼつか>+<ない>で、連用形の<おぼつき>+<ない>の<おぼつきない>という言い方はない。そもそも<おぼつき>という語はないようだ。これも<ゆらぎ>の一種と言えそうだ。
<ゆるす>は<ゆらぐ>、<ゆるぐ>と関係なさそうだが、次の<ゆるむ>を考えると<ゆるす>は束縛、規制、規律、法律(きまり)を<ゆるめて>することが多い。 <ゆるす>は大雑把には<ゆるめる>ことと言える。<ゆるむ>は自動詞<ゆるめる>は他動詞。
<ゆるゆる(な、だ)>は<しまりがない>の意も<余裕がある>の意もある。 口語だが意味深(いみしん)な言葉だ。社会や個人の<自由>の定義に関連しそうだ。<自由>のやまとことばななにか?
好き勝手
思いのまま
ではないが、
自由(な)社会は制限はあるがかなりな程度<好き勝手>ができる<ゆるゆる社会>といえないだろうか。
<ゆする>は<ゆらす>に近いが派生語がよく使われる。ひどい<ゆすり>は犯罪だ。<ゆすりをかける>は<おどしをかける>ほどではないがあまりほめられない意図的な行為だ。
<ゆずる>は<ゆする>のがなまったものといえるが、<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ゆすって>空間をつくり、他人が目的を達成できるようにすることと言える。一方<する>がなっまった(ずれた)<ずる>という動詞がある。<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ずらして>空間をつくることともいえる。<ゆる>+<ずる>の合成動詞の可能性がある。
sptt
Friday, December 14, 2018
<うしろめたい>の語源-2 <めた>、<めちゃくちゃ>
前回のポスト ” <うしろめたい>の語源 ” の最後で次のように書いた。
"
<めた>を探しているうちに、手元の辞書(三省堂)で<めた>をみつけた。 日常よくつかっている。
めためた(めちゃめちゃ) - 事態はもう<めためた>だ。なまって、事態はもう<めちゃめちゃ>
だ。 その侍(さむらい)は相手を<めためた>に切った。
めちゃくちゃ - 太郎は花子が好きなおもちゃを<めちゃくちゃに>こわした。
めちゃ - このステーキは<めちゃ>うまい。
めった(にない) - こういううまい話は<めったに>ない。
めったやたら - こういううまい話は<めったやたらに>ない。この秘密は<めったやたらに>に人に語るものではない。
この<めた>はおもしろいので別途とりあげることにした。
"
と書いたので、忘れないうちに続けてかくことにする。
手元の辞書(三省堂)によると<めた>は中世の言葉だ。 <めちゃうまい>などの現代語になっているのはおもしろい。<めちゃうまい>と言っている人で<めた>が中世の言葉と知って使っている人はごくまれだろう。手元の辞書には語源説明がないが、語源は漢語(仏教語らしい)の<滅多>だろう。<めくら滅法>、<滅法つよい>、<滅法もない>という言い方がある。<滅法>の<滅>は<滅(めっ)する>で、<全滅>というのもある。<めっすると、なくなる>ので<ない>という意味につながる。<法がない>は<決まり、規律がない>で<めちゃくちゃ>に通じる。したがって<滅多>は<多くはない>ということになる。<滅多(めった)にない>は<多くはなくはない>になってしまうが、これは二重否定による<否定>の強調で説明できる。<滅多(めった)にない>は<けっして多くはない>。<けっして多くはない>は辞書の説明の<そんじょそこらにない>だ。<法がない>は<方法がない>の意味もあり、これだと<やみくも(闇雲)>になる。これも辞書の説明に似たようなのがある。
さて<うしろめたい>の語源の話にもどって、 <うしろめたい>の<めた>を上記の<めた>とすると、<い>を形容詞語尾として<うしろめた>、<うしろ滅多>を考えてみる。
<うしろ>がめちゃくちゃ、<うしろめちゃめちゃ>
<うしろ>がまったくない
<うしろ>がやみくも、<うしろが>なんだかわからない
が考えられる。<うしろがめちゃくちゃ>の心理を考えてみると少し飛躍することになるが<したことを考えると、もうどうしていいかわからない>となる。状態を示す形容詞語尾<い>を付け加えると、<うしろめたい>で<したことを考えると、もうどうしていいかわからない(こころの、思いの)状態>の形容となる。
sptt
Thursday, December 13, 2018
<xx やか>婦人
やまとことばの<xx やか>形容動詞を<アイウエオ>順に並べてみる。
あざやか
あでやか
おだやか
かろやか
こまやか
さわやかしとやか
しめやか
すこやか
すみやか
たおやか
つややか
なごやか
にぎやか
にこやか
のびやか
はなやか
まろやか
ゆるやか
以上を使うと理想的(イデアル)な女性ができあがる。
肢体はすこやかに育ちてのびやかにしてかつまろやか。あざやかな衣装に身をつつみてかろやかにあるく姿はすみやかに動き、ときにはなやかときにあでやか。
ほほえむつややかなにしてきめこまやかな肌のにこやかな顔。しとやかな口もとからゆるやかに出る言葉はさわやか。
こころはおだやかにしてこまやか、さらにはなごやか 。
ねべてたおやかなり。
sptt
<うしろめたい>の語源
<うしろめたい>、<うしろめたさ>はシリアスに考えると良心の呵責(かしゃく)、罪悪感、罪の意識となる。西洋では教会で告解(こくげ)をすると罪の意識(うしろめたさ)が薄らぐことになっている。だがこれはカトリックで、これをやめてしまったプロテスタントとは相いれないという由々しき問題なのだ。さてやまとことばの<うしろめたい>の語源はなにか? 似たような言葉に<うしろぐらい(暗い)>があるが語源をさぐるというほどのことはない。意味はズレるが<後ろ髪を引かれる>というのもある。
<うしろめたい>の語源で問題は<めたい>だ。古語は<うしろめたし>でこれが<うしろめたしい>-><うしろめたい>になったもにだろう。<めたい>、<めたし>は何か?<xxたい>、<xxたし>は願望でつかわれるが<め+たい>とすると<め>はなのか。少し違う<見(み)たい>では<うしろ見たい>となり何のことだかわからない。むしろ<うしろ見たくない(が見えてしまう)>とう思いだ。だが<うしろ見たい>も否定はできない。何かの事情で<うしろめたい>の意に変わってしまったのだ。
次(つぎ)
<め>は<めっす(る)、滅する>の<め>。<うしろ滅(めっ)したい>-><うしろ滅め(っし)たい>と変化した。意味は<うしろ(過去のまちがい)を消したい>で意味が通じる。だが<滅(めっ)する>は漢語由来だ。しかも促音便で関東方言だ。めくら滅法の滅法(めっぽう)という漢語がある。元来は仏教用語だろう。<めっす(る)、滅する>は意味がようく伝わらない(イメージがわかない)まれな言葉ではなかっただろう。
やなとことばに<消す>というような意味の<めつ>という動詞があり、これに<たい>がついて<めちたい>。<ち>がぬけて<めたい>。
<みたす(満たす)>がなまって<めたす>。だが<うしろ満たす>はナンセンスだ。
あるいは<めたす>という動詞があり、この連用形は<めたし>で、連用形には体言(名詞)用法があり、<うしろ+めたし>ー><うしろめたし>で、元来は体言(名詞)だったが、修飾語(形容詞)になった。だがほかの<xxxめたし>がみつからない。
次(つぎ)
<めたい>、<めたし>とい形容詞、形容詞語尾があった。<めでたし>ではない。<うしろめでたし(い)>ではこれまた何のことだかわからない。だがほかの<xxx めたし(い)>がみつからない。
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<めた>を探しているうちに、手元の辞書(三省堂)で<めた>をみつけた。 日常よくつかっている。
めためた(めちゃめちゃ) - 事態はもう<めためた>だ。なまって、事態はもう<めちゃめちゃ>
だ。 その侍(さむらい)は相手を<めためた>に切った。
めちゃくちゃ - 太郎は花子が好きなおもちゃを<めちゃくちゃに>こわした。
めちゃ - このステーキは<めちゃ>うまい。
めった(にない) - こういううまい話は<めったに>ない。
めったやたら - こういううまい話は<めったやたらに>ない。この秘密は<めったやたらに>に人に語るものではない。
この<めた>はおもしろいので別途とりあげることにした。
sptt
Friday, December 7, 2018
イデアル(環論)のやまとことば
このポストは ”<環論(Ring Theory)>のやまとことば” の追記(かなり長くなっている)の一部コピーに手を加えたもの。
”
Wiki- Japan <イデアル(環論)>
冒頭の解説に続いて<イデアル>の定義があるが、定義よりも冒頭の解説がの方が直観的で分かりやすい。
<イデアル(環論)>の冒頭の解説
"
抽象代数学の分野である環論におけるイデアル(英: ideal, 独: Ideal)は環の特別な部分集合である。整数全体の成す環における、偶数全体の成す集合や 3 の倍数全体の成す集合などの持つ性質を一般化したもので、その部分集合に属する任意の元の和と差に関して閉じていて、なおかつ環の任意の元を掛けることについても閉じているものをイデアルという。
”
さて中国が出てきたところで。中国版Wiki の Ideal を見ておく。
”
理想 (环论)
维基百科,自由的百科全书
理想(Ideal)是一个群论中的概念。 若某环之一子集与原先的加法自成一群,且该子环内所有元素与原环之元素相乘的结果均在其内,则称其为原环的理想。 通俗地说,一环的理想在加法上成群且在乘法上表现如同一个黑洞。
”
大体察しがつくと思うが
子集: subset
该子环: subring
黑洞:black hole
下線部は英語版、日本語版にない。<俗説では環のイデアルは加法では群をつくるが乗法ではブラックホールの如きモノを表現する>とでもなるか。最後の箇所は<イデアルは乗法ではブラックホールをつくる>と言い換えられるが、この意味の理解にはイデアルの作用をわかっている必要があり、しゃれた表現だ。英語ではこのイデアルの作用を multiplicative absorption とか multiplicative absorbent と呼んでいる。ブラックホールはなんでも<吸い込んで>しまうものだろう。
中国語では<理想>の二字ですませて抽象代数の ideal の訳語でさほど違和感がないようだ。日本語ではダメだろう。それではイデアルのやまとことばはなにか?原語のままイデアル(ドイツ語の発音)で使っているのは適当な日本語がみつからなかったためだろう。難題なのだ。検討してみる。
理想は<望む、欲する好ましいこと、姿(すがた)>といえる。
理想は文字通りでは<理を想(おも)う>、<理想(おも)い>だが、これでは何のことだかわからない。<理にかなう>という表現があるが、この<理>は理想とほとんど関係ない。理念の<理>は理想の<理>に通じるところがある。
<望(のぞ)む>の名詞(体言)形<のぞみ>はいいやまとこことばだが、理想とはズレがある。<望ましい>という形容詞がある。
<欲しい>は形容詞でふつうは<xx が欲しい>となる。<欲する>は漢文口調だ。<ほしがる>は<xx を欲しがる>で他動詞だが漢文調他動詞<欲する>とは意味が少しズレる。<欲する>、<欲しがる>の名詞(体言)形は<欲(ほっ)し>、<欲しがり>だが独立した名詞(体言)としては聞いたことがない。
<好(この)む>の名詞(体言)形<好み>は<好き嫌い>の<好き>で理想ではない。イデアルの訳語としてはダメだ。
<好み>はよく使うが動詞(他動詞)の<好(この)む>はあまり使われず<好き>が<xxが好き>の形で使われる。<好き>は何詞?おそらくあまり使われない他動詞<好(す)く>の連用形<好き>の名詞(体言)用法 +<だ>、<に>、<で>、<な>の形の用法だろう。<名詞(体言)用法>なので<好きは(が)xxxx>は可能で<好きこそものの上手なり>が思い浮かぶ。<好きにしろ>というのもある。だがイデアルの訳語として<好き>はまずダメだ。
<姿(すがた)>はいいやまとことばだ。これを<xxxx 姿(すがた)>として使いたいが<姿(すがた)>は静的で<作用>機能があるイデアルにそぐわない。
イデアルのやまとことばはなにか?難題だ。(別途再検討予定)
”
と書いたのでさらに再検討しておく。
語源はWiki-環論の<歴史>の項目で次のような記述がある。
”
. . . . . . . 。 クンマーは、x 2 + 1 の分解のためには -1 の平方根を含むより広い領域が必要となるように、R の元が上のように完全に分解されるより広い領域が存在すると考えた。そしてこの A, B, C, D のような理想的な分解を与える因子を理想(複素)数 (ideale complexe Zahl ) あるいは理想因子 (ideal Primfactor) と名付けて、理想数の理論を築いた。
クンマーの理想数の理論は非常に形式的で、とても難解なものであった。後になってデデキントは理想数の理論を整理することによってイデアルを考案した。歴史的には、ヒルベルトの『数論報告』の中で、デデキントのイデアル概念が取り上げられたことから、イデアルという名称が採用されることになった。イデアル (Ideal) とは、明らかに理想数に由来する名前である。
”
なぜか日本語版がないが、Wiki-英語版にはIdeal number(理想数)というが独立してある。また歴史的には上記のように<理想因子>というのがある。数字に限っていえば<理想>よりは<理想数>の方が数学らしい。だが<理想数>もやまとことばではない。<数(すう)>は<かず>でやまとことばだ。イデアルは<xxxx 数(かず)>、または(集合、群、)環になっているので<xxxx 組数(くみかず)>、ひっくり返して<xxxx 数組(かずくみ)>でよさそう。問題は<xxxx>のところだ。
イデアルの内容を重視すると
<掛け増し数組(かずぐみ)> 掛け増し:倍数全体の成す集合
<組づくり数組(かずぐみ)>組(くみ)=群、Group
<吸い込み数組(かずぐみ)>
が考えられるが、発音すると長すぎる。
<掛けまし>は<望まし(い)>に発音が似ている。
<理想数>のやまとことばは<望まし数(かず)>でどうだろうか。
イデアル(理想)のやまとことばは難しい。<理想>は<最も(一番)望まれること、姿>で<最も(一番)>(絶対的な最上級)が必要なのだ。<最も望まれ(る)姿>が<理想>のやまとことばに近い。
このポストを書いているうち芋づる式に、文法上おもしろい(大げさに言うと、重大な)発見をした。
繰り返しになるが
”
<望(のぞ)む>の(連用形)名詞(体言)形<のぞみ>はいいやまとこことばだが、理想とはズレがある。<望ましい>という形容詞がある。
”
.
.
”
<好(この)む>の(連用形)名詞(体言)形<好み>は<好き嫌い>の<好き>で理想ではない。イデアルの訳語としてはダメだ。
”
のぞむ - のぞみ - のぞましい
このむ - このみ - このましい
以上は
動詞 - 連用形の名詞(体言)用法 - 形容詞
に一般化 できる。<一般化>は抽象代数あるいは数学全般でよく出てくる重要作業。
長くなりそう文法的なことなので sptt Notes on Grammar のポストとして書く予定。
sptt
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