Sunday, December 16, 2018
ゆらぐ、ゆるぐ、ゆるす、ゆるむ、ゆする、ゆずる
<ゆらぐ>、<ゆるぐ>、<ゆるす>、<ゆるむ>、<ゆれる>は yu-r (a, u, e) で<yu-r>の部分は同じ音源(語源に準ずるもの)の動詞といえる。意味も関連している。さらに広げると<ゆする>、<ゆずる>というのもある。これは日本語(やまとことば)の大きな特徴を言ってよく、時間をかけて調べる価値がある。活用を見てみる。
終止形 連用形
ゆらぐ ゆらぎ
ゆるぐ ゆるぎ
ゆるす ゆるし
ゆるむ ゆるみ
ゆれる ゆれ
ゆする ゆすり
ゆずる ゆずり
<ゆらぎ>は日常語というようりは物理現象や心理描写(こころの動きの表現)に使われる。<いこい>、<やすらぎ>にかわって<いやし>というのを聞くがこの<ゆるぎ>も<いやし>ににたところがあって<今っぽい>、<now い>表現のようだ。
<ゆるぎ>は<ゆるぎない>の否定表現(否定形容詞)でよく聞く。これは<ゆるぎ>の未然形<ゆるが>+<ない>の<ゆるがない>が変化したものではなく、<ゆるぐ>の連用形の体言(名詞)用法も<ゆるぎ>+<ない>で<ゆるぎがない>、<ゆるぎのない>の<が>や<の>が省略されたものだろう。
ゆるがない決心
はいいが
ゆるぎない決心
はややおかしい。<ゆるぎない基礎>とか<ゆるぎない信念>ならいい。 <ゆるぎない決心>すこしダメで<ゆるぎない信念>がOKなのは説明がいる。おそらく<ゆるぎない>は一語の形容詞に近くなっている、あるいはもうすでに形容詞になっている。いっぽう<ゆるがない>はまだ動詞<ゆるぐ>+<ない>で動詞のイメージがまだ残っているといえる。決心は特定の個人のことを言う場合が多く、一般化されていないのでこうなっているいるのだろう。<一般化されていない>はまだ<形容詞化されていない>ともいえる。
太郎のゆるがない決心
太郎のゆるぎない決心
は同じように聞こえるが、 <太郎のゆるがない決心>がまだ
太郎の-ゆるがない-決心
のように、動詞感を残して、分解されるのに対して<太郎のゆるぎない決心>は
太郎の-ゆるぎない決心
と、動詞感が薄れて、分解されそう。だが両者間には<ゆらぎ>があり、だれにでも容易にわかる確かな差があるとはいえないようだ。<ゆるぎない>の反対語では<たよりない>、<おぼつかない>という同じく否定形容詞型の言葉がある。<たよりない>は<ゆらぐ>と同じく<たよらない>という言い方がある。一方<おぼつかない>は<おぼつく>の未然形<おぼつか>+<ない>で、連用形の<おぼつき>+<ない>の<おぼつきない>という言い方はない。そもそも<おぼつき>という語はないようだ。これも<ゆらぎ>の一種と言えそうだ。
<ゆるす>は<ゆらぐ>、<ゆるぐ>と関係なさそうだが、次の<ゆるむ>を考えると<ゆるす>は束縛、規制、規律、法律(きまり)を<ゆるめて>することが多い。 <ゆるす>は大雑把には<ゆるめる>ことと言える。<ゆるむ>は自動詞<ゆるめる>は他動詞。
<ゆるゆる(な、だ)>は<しまりがない>の意も<余裕がある>の意もある。 口語だが意味深(いみしん)な言葉だ。社会や個人の<自由>の定義に関連しそうだ。<自由>のやまとことばななにか?
好き勝手
思いのまま
ではないが、
自由(な)社会は制限はあるがかなりな程度<好き勝手>ができる<ゆるゆる社会>といえないだろうか。
<ゆする>は<ゆらす>に近いが派生語がよく使われる。ひどい<ゆすり>は犯罪だ。<ゆすりをかける>は<おどしをかける>ほどではないがあまりほめられない意図的な行為だ。
<ゆずる>は<ゆする>のがなまったものといえるが、<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ゆすって>空間をつくり、他人が目的を達成できるようにすることと言える。一方<する>がなっまった(ずれた)<ずる>という動詞がある。<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ずらして>空間をつくることともいえる。<ゆる>+<ずる>の合成動詞の可能性がある。
sptt
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