Friday, January 29, 2016

<xx のため>の<ため>の語源


<xx のため>という言い方はよく使う。少なくと二つの意味がある。文法的には<ため>は助詞だ。

1)原因、理由を示す

事故のため地下鉄が遅れた。

2)目的を示す

勝つために練習する。

漢字では<為>と書くが、<行為>の<為>で<する、なす>が第一義のようだが、現代中国語の<為()>はけっこう複雑。

Examples:

1. 汽车路线到此止了,你得叫辆的士。
   The bus route goes as far as that, so you'll need to take a taxi.
2. 你以你在跟谁说话?
   Who do you think you're talking to?
3. 我愿借此机会感谢每一位这个项目辛勤工作的人。
   I'd like to take this opportunity to thank everyone for their hard work on the project.
4. 我因追赶公共汽车,弄得上气不接下气。
   I was out of breath after running for the bus.
5. 他对他以前不光彩的行感到羞愧。
   He is ashamed for his former dishonorable action.
6. 我认他侵占我的停车位肯定是有意和我作对。
   I'm sure he took my parking space just to spite me.

<此止>は<此(ここ)をもって止まる>。

この使い方は日本人にはなれるまで難しいが、<ここで止めとなす>、<ここをもって止まりとなす>といった見方なのだろう。<為>=<なす>なのだが、気が付きにくいのは<と為す>で日本語では<と>がはいることだ。

<以>の二語で<xx と思う、考える>だが主に過去のこと<xx と思っていた、考えていた>と使われるようだ。

これも<xxx を以(もって) yyy となす> と解釈する。<xxx を以(もって)>の<xxx>の部分がないが、暗黙の了解で省略と解釈する。これはかってな解釈ではなく、中国語では古来から<以>の字にはこのような使い方がある。

<因>の二語で<xx のため(原因、理由)>

<认>の二語で<xx とみなす、考える)>

<认xxx>となるが<xx なす> でこれまた<となす>がでてくる。<と>は一語だが重要。


<因>で原因、理由<ため>がでてくる。<目的>を示す<為>がない。しかし

 勝つために練習する。

の<ため>は<目的>とも<理由> いえる。

練習するのはなぜか?、どういうわけか?の答えとして

勝つために練習する。

といえる。

さて<ため>の語源だが、これは<ためる>の連用形<ため(て)>だろう。<ためる>という動詞の意味はかなり複雑。

金をためる。

この場合<貯める>、<溜める>という漢字を使う>

疲労がたまる。

の<たまる>は他動詞<ためる>に相応する自動詞。これも漢字を使うと

<疲労が貯まる> はだめで<疲労が溜まる>だろうが、<疲労がたまる>とひらがながよさそう。

<このくそ暑いのに、クーラーが故障したんじゃ、たまったもんじゃない>
<このくそ寒いのに、風が吹いちゃ、たまったもんじゃない>

という言い方があろ。<これじゃ、たまらない>も同類だが、この<たまらない>は<金がたまらない>、<疲労がたまららい>の<たまらない>と意味が違う。<これじゃ、たまらない>の<たまらない>は<耐、堪(た)えられない>、<ガマンできない>といった意味だ。だが全く違うというわけではなさそう。

<耐、堪(た)える>ということはどういうことか? 物理現象として<圧力にたえる>という言い方がある。これはそのまま<圧力にたえる>とか<プレッシャーにたえる>で心理状態も示す。物理現象として<圧力にたえる>では圧力(力、force )に対する応力という反作用の力が圧力に見合って同時に発生する。圧力が増すと応力も増す。耐えきれないと壊れたり、変形したりする。<圧力が増すと応力も増す>はいいかえると<圧力が増すと応力もこれに応じてたまっていく>のだ。

もう一つの例では弓矢がある。弓を少しだけ引いて(引きしぼって)矢を放つと、矢は飛んでいくがあまり遠くへは飛ばない。力(応力)があまり<たまって>いないのだ。弓を大きく引いて矢を放つと、矢は遠くへ飛んでいく。力(応力)がたくさん<たまって>いたのだ。さらに引くと弓は破壊、変形する。破壊、変形するまで弓は<耐える>、言いかえると<力をためる>。

以上から<ためる>、<たえる>は関係、関連がある。 この<たまった>力は目に見えないがある働きをする。目に見える<ある働き>の原因、理由なのだ。このあたりが語源だろう。

<タメがたりない>という言い方がある。ある目的を達成する(ための)<ためる>力が足りないことを言うようだ。


sptt






Friday, January 22, 2016

<なぐさめ>について


<なぐさめ>、<なぐさめる>(他動詞)の語源は<なぐ(凪ぐ)>+<さめる>だろうが、<なぐ>は自動詞、<さめる>も他動詞ではなく自動詞なので少し変だ。<さめる>の他動詞には<さます>がある。<さめる>の使役形は<さめさす>、<さめさせる>だが、<さます>を使うのがふつうだろう。この<さめる>、<さます>は<冷める>、<冷ます>で、<覚(醒)ます>、<覚(醒)める>では意味が逆転しそうだ。だが、普通は語源までさのぼらず<なぐさめ>、<なぐさめる>の一語としてつかう。

意味はやや特殊でかなり限定された状況で使われるようだ。英語の to cheer up、to encourage  (元気づける)とは少し違うようだ。<なぐさめる>には to sooth という動詞がある。

思いがけず試験に落ちたり、勝つはずの試合に負けたりしたして<気落ちした>(*)人を<なぐさめる>のと<元気づける>のとはどこが違う?<元気づける>の方はそこそこ積極的で<覚(醒)ます>、<覚(醒)める>の意味が少しはありそう。一方<なぐさめる>にはそれほどの積極性はなさそう。いわば<元気づける>は<気落ちした人>を引き上げようとするが、<なぐさめる>は<気落ちした人>をこれ以上<落ちない>ようにする程度のようだ。

もう一つ<なぐさめ>、<なぐさめる>、特に<なぐさめ>は応急処置的、とりあえず的な感じがあり、そこそこの効果はあるが、大きな、本格的な回復は期待していない感じがある。<癒(いや)し><癒す>というのが最近はやっている。現代は<なぐさめ>、<なぐさめる>では足りないようだ。

<おなぐさみ>という慣用句がある。<なぐさめ>とはちがった使い方だ。 文章で読む場合になるが漢字を使って<慰め>とするとまた少し感じが違うようだ。


(*)<意気消沈>という四字漢語がある、やまとことば派としては<気落ち>がいい。


sptt



Thursday, January 21, 2016

価値評価のやまとことば


前回のポスト<名誉毀損のやまとことば、ほまれ>で


そもそも<ほめる>とはどういう意味か?これは評価、価値評価と関連があろう。



書いた。<評価、価値評価>のやまとことばを調べたくなる。<評価>も<価値>も<価>の字がある。<価>、<価値>のやまとことばは<あたい>、<値(ね)>、<値うち(値打ち)>だろう。モノばかりでなく人の値うち>もある。一方<あたい>はかなり抽象的な語で数学で使われ、それなの用法はあるが、あまり一般的ではないようだ。評価は<はかる>の名詞(体言)形<はかり>がある。<値をつける>、名詞体言)形は<値付け>という言い方もあり、<値付け>だけで<評価、価値評価>の意になりそいうだ。だが<値付け>だとモノの値段がまず連想される。<評価>は<見方(みかた)>でもよさそう。<価値評価が違う>は<モノの見方が違う>でも大きな間違いはない。<評価、価値評価>は<値踏(ぶ)み >でもよさそう。少しあらたまった<価値評価>にはほとんど聞かないが、昔のやまとことばらく聞こえる<値うちばかり>は悪くない。

<値(ね)>がつくやまとことばはそこそこある。一部繰り返しになるが

値上げ
値崩(くず)れ
値下がり、値下げ
値付け
値幅(はば)
値引き
値踏み

言い値
売り値
卸(おろし)値
買い値
掛(かけ)値 、掛け値なし
高(たか)値
底(そこ)値
安(やす)値


<ね>にはほかに<根っこ>の<根(ね)>、<寝る>の<ね>があり、まぎらわしい。

一方<あたい>は、はじめに書いたようにかなり抽象的な語で、数学でよく使われ、それなりの用法はあるが、あまり一般的ではないようだ。<あたい>の語源は<当(あた)る>、<与(あた)える>(昔は<あたふ>か)が考えられるが、<xx にあたいする>と言った場合は<当(あた)る>の意が残っている。

AはBにあたいする。

AはBにあたる。


だが<当たる>の名詞(体言)形は<当たり>だ。


面白いのは英語で、コマーシャルでは<安い(cheap)>とは言わずに<価値ある(value、valued)>が使われる。<価値ある(value、valued)>のやまとことばは<ねうちがある>だろうが、コマーシャルではイマイチだ。


sptt

Tuesday, January 19, 2016

名誉毀損のやまとことば、ほまれ


名誉毀損(めいよきそん)はときどき聞くが明らかに漢語由来だ。あえてやまとことばを探してみる。

名誉は<ほまれ(誉)>というのがある。毀損(きそん)は文字通り<毀(こわ)し損(そこ)なう>を選ぶと<ほまれこわしそこない>になり長すがすぎるので<ほまれこわし>、<ほまれそこない>としてもいい。ほかに毀損(きそん)から離れて<ほまれよごし>、<ほまれけがし>、<ほまれつぶし>が思い浮かぶ。<面目まるつぶれ>という言い方がある。<きずつける>といういいやまとことばがあるが<ほまれきずつけ>は長すぎる。

ところでこの<ほまれ>は<ほめる>、古くは<ほむ>の関連語だが、 <ほまれ>にはほぼ悪い意味がなく、変にこなれていないいいやまとことばだ。<ほまれ(誉)>には<名誉>の<名>が含まれてていない。<名>は表面的なものでよごしたり、けがしたり、つぶしたりできるが、<ほまれ>はこれがむずかしいようで、本質的にいいもの(こと)のようだ。

一方<ほめる>のほうは

ほめあげる (追従の意が加わるようだ)
ほめ過ぎる (体言は<ほめすぎ>)
ほめそやす  (必要以上に<ほめる>ことか?)
ほめたたえる
ほめ足りない
ほめちぎる

などの言い方があり、悪意が見え隠れする表現になるものがある。また<ほめる>自体かならずしも100%いいことではなさそう。<ほめる>の名詞(体言)形は<ほめ>で、これは連用形の名詞(体言)形で、<おほめ>というのもある。<おほめにあずかる>という言い方がある。

そもそも<ほめる>とはどういう意味か?これは評価、価値評価と関連があろう。いい(プラスの)価値評価、さらにはそれを表現することだが、少し、または大いに社会性をおびてるようだ。恋人を面と向かって<ほめる>ことはできるが、やや変だ。恋人を家族や友達、他人に<ほめる>のがことばとしては自然のようだ。

反対語は<けなす>だろう。 わるい(マイナスの)価値評価、さらにはそれを表現することことだ。こちらの方も意図が感じられる。

<うぬぼれ>、<うぬぼれる>という言い方がある。これは文字通りでは<自分自身にほれる、ほれている>の意だが<自分自身をほめる、ほめている>ことにもなりそう。 自画自賛だ。<ほれる>は<ほめる>の関連語か? だが<ほれる>は他人に対する、他人を意識した表現が伴わないので、社会性が薄い。<ほだす>という言葉もある。おもに<ほだされて>と受け身で使う。もともとは<ほめて>+<だす>の意だろが、<ほめて>+<だす>とはどういうことか?あるいは<火(ほ)出す>か? おそらく、<ほめて>+<xx させる>といったような意味だろう。<ほめる>、<ほれる>、<ほだす>は関連がありそう。<ほめる>、<ほだす>は他動詞だが<ほれる>は<xx にほれる>で自動詞扱いだ。

名誉の反対語はいろいろ考えられるが、代表は<恥(はじ)>だろう。<恥も外聞もなく>という言い方があるので、<恥>はこれまた相当他人を意識した、さらには社会性をおびた言葉だ。

名誉に近い意味の言葉はけっこうある。面子(めんつ)を重んじるのは中国人ということになっているが、日本人式にそこそこ面子を重んじている。すくなくとも言葉上は<それでは、面子がたたない>とよく言ったりする。面目(めんもく、めんぼく)というのもあり<面目ない>とよく言う。体裁(ていさい)、外聞(がいぶん)というのもあり<体裁が悪い>、<外聞が悪い>という。だがいずれも名誉にくらべると軽いようで、<面子毀損>、<面目毀損>、<体裁毀損>、<外聞毀損>とは言わない。これらはみな否定的に使われている例。<外聞が悪い>とやまとことばの<人聞きが悪い>は意味が違う。

面子を重んじる、面子を立てる、面子がある

は肯定ないし中立的な意味だが

面目を重んじる、面目を立てる、面目がある
体裁を重んじる、体裁を立てる、体裁がある
外聞を重んじる、(外聞をたてる)、外聞がある

は批判的な意味で使われる場合が多いようだ。



sptt

Saturday, January 2, 2016

<xx のくせに>の<くせ>は癖の意か?


このポストはいくつか前のポスト ”<めく>、<めかす>動詞” 、べつのところで最近書いたポスト ”譲歩文(xx にもかかわらず)” の続編。


素人(しろうと)のくせに玄人(くろうと)みたいなことを言うな。
わかりもしないくせに学者みたいなことを言うな。
平社員のくせに社長みたいなことは言うな。
まだ子供のくせに、言うことは一人まえの大人みたいだ。


<xx のくせに>は<xx にもかかわらず>とは違う。 <xx にもかかわらず>は譲歩というよりは逆説を導く確定文(節)で言外の意味(内包された意味)は中立だ。これに対して<xx のくせに>は否認、不賛成(disapproval)が言外の意味にある。ここで言外と書いたが、それでは<言>あるいは<言内>の意味はなのか。<くせに>の<くせ>は何か?


推定-1

まず頭に浮かぶのは<癖>の<くせ>だろう。 <癖>は大体<悪い>言動、習慣のことで否認、不賛成(disapproval)の意を内包(implied)している。

推定-1

次に私の頭に浮かんできたのは<糞>の<くそ>だ。 日本語は<ののしり言葉>が極端にすくなく、<くそ>が一番多く使われるようだ。<ののしり言葉>なので当然言外に否認、不賛成(disapproval)の意を内包(implied)している。


 <xx のくそに>はやや変さが<xx のくそ>は


素人(しろうと)のくそが玄人(くろうと)みたいなことを言うな。
平社員のくそが社長みたいなことは言うな。
まだ子供のくそが、言うことは一人まえの大人みたいだ。

 で一応意味は伝わる。


sptt

< xx のせい>の<せい>の語源


”< xx のせい>の<せい>は<所為>由来。「ショイ」がなまって「せい」になった。” という解説がある(インターネット)。<所為>の現代北京語読み(ピンイン)では<suo-wei、四声無視>。<所為>は漢語の文字通りの意味は<なすところ>だ。漢語の意味の<なすところ>は<すること>、または<することすべて>。これがなぜ日本語で< xx のため>、< xx ので>の意、すなわち<原因、理由>をあらわすようになったのか?

一方<所為>の<為>は日本語読み(訓読み)では<ため>で、< xx のため>の<ため>はやはり< xx ので>の意、目的>、利益>以外の<原因、理由>あらわし多義語だ。漢語本来では<為>は<する>の意だ。

一方現代北京語では所为 (suo-wei)以外によく使う語に

所谓(suo-wei)
所以(suo-yi)
因为(yin-wei)

とうのがあり、意味はそれぞれ

所谓(suo-wei) <いうところ(の)>、<いうところすべて>。<无所谓>という慣用語がある。
所以(suo-yi) <だから>、<したがって>
因为(yin-wei) <xx なので>、<原因、理由>をあらわす。 英語の because と同じで<xx>は因为の後にくる。


推測-1

<原因、理由>という意味では<所為>より<所以>の方が関係が強く、発音も<suo-yi>で<せい>にきわめて似ている。意味的には所以は<所以 yyyy>という形で<原因、理由>の<結果>を示すので、そのままでは間違いだが、<因为(yin-wei) xxxx 所以(suo-yi) yyyy> は慣用語法でよく使われ、間違いが生じてもおかしくない。


推測-2

特に上記の<因为(yin-wei) xxxx 所以(suo-yi) yyyy> の慣用語法で因为の<为>、所以の<所>を取って、並べ替えると<所為>になり、<因为>は<原因、理由>、<所以>は<結果>をあらわすので、なんらかの混乱が生じて<所為>が<原因、理由>をあらわすようになった、と考えることができる。


推測-3

 < xx のせい>の<せい>の語源として、上記よりかなり確率は落ちるが<是非>がある。日本語では<是非(ぜひ)>と読み<是非を問う>以外に<ぜひ(とも) xx>、<ぜひ来てください>のように使われるが、本場中国では<是非>は文字通り<是、yes>、<非、no>の意味だ。<ぜひ>と<せい>の発音は似ている。問題は<是、yes>、<非、no>の意がなぜ< xx のため>、< xx ので>の意に変わったかだ。中国語に長い伝統で疑問文は<是不是>のように肯定と否定を並べてつくる。むかし<有没有>の日本語で<xx ないあるか?>というのがあった。これも順序が逆になっているが、ゴロがよく、うまい翻訳だ。<是、yes><非、no>は疑問をお暗示するのだ。英語でいえば whether (if) (xx かどうか)だ。疑問に答える場合は< xx のせい>と言ってもおかしくない。

 ----

一方< xx のため>の<ため>は意味としては<因为(yin-wei)由来だろう。<>は<xx に因(よ)り>と書かれる場合があり、これまた<原因、理由>をあらわす。<よる>は<よりかかる>で<原因、理由>に結びつくが、目的>、利益> <原因、理由>あらわ多義語<ため>の語源はなにか?



sptt



<わざわざ>の<わざ>


<わざわざ>の<わざ>は<技>だろう。<わざわざ xx する>の意味は

必用もないのに xx する
頼まれもしないの xx する

で否定的(negative)というよりは否認的、不賛成的(disapproved, disapproving)な使い方だ。

<わざと xx する>となると、さらに否認的、不賛成的の意味合いが強くなる。場合によっては悪意(あくい)をほのめかす。

子供、大人(おとな)を問わず<いじわる>、<いじめ>は<わざとする>のだ。悪意は悪い(良くない)意図で、<いじわる>、<いじめ>意図的な行為だ。<技>は長年の訓練から自然にあらわれる場合もあるが(個人的にはこれが好ましい、価値が高いと思う)、かなり意図的な場合があるというか、意図がないと価値が落ちることもまれではない。

したがって<わざわざ>の<わざ>は<技>と判断する。

sptt