Wednesday, September 27, 2017

<ほのお>のやまとことば-2 ほのぼの、ほのめかす


だいぶ前に ”<ほのお>のやまとことば” というポストを書いた。その中で


一方<火がともる>の方は燃え上がるのではなく<ほのかな>な感じだ。夜空の<ほし>は<燃える>というよりは<ともっている>感じだ。<燃える>のは太陽、すなわち<日(ひ)>だ。


と書いた。今回は<ほのかな>、<ほのか>について考えてみる。<ほのかな>は漢字で書くと<仄かな>だが、これを<ほのかな>とよめる人は50%ぐらいではないか?<ほのぼの>は関連の言葉だが、<仄々>を<ほのぼの>と読める、読む人は10-20%か?<ほのぼの>は<ほのぼのとした家庭>のように使われる。

漢詩が好きなひとは<平仄(ひょうそく)>という用語と意味を知っているだろう。さらには<平仄が合わない、平仄がばらばら>と言う表現の意味も知っているだろう。簡単には、私の理解では、脚韻のことと思っていたが、どうも違うようだ。中国版google 百度の<仄>の字の解説(かなり長い)には

傾斜摇晃。会意:小篆字形象人側身在山崖洞穴里的形状。
 
仄,側傾也。――《説文》  
仄日:夕陽、斜陽

という部分があるので、<日が斜めに差す>様子のようだ。<仄々(ほのぼの)>は少し問題があるが<仄(ほの)かな>はよさそう。話は中国語ではなくやまとことばなので<ほのぼの>、<ほのか>について話を進める。 

ほのぼの

<ほのぼの>はあまり使わないが<ほのぼのとした家庭>という言い方があり、<あたたかさが伝わってくるような家庭>のような意味。この<あたたかさ>は目には見えないが存在して伝わってくるもので、寒い冬に家の中でストーブをたくと、ストーブから目に見えない熱が伝わってくるが、昔の熱源は<火(ひ>だ。<ほのぼの>は<ほのお>とこ直接的に関連する。対照的なのは<ひえびえとした家庭>で<ほのぼの>、<ひえびえ>は語呂が対応している。

家の中でストーブをたいたような<ほのぼのとした家庭>
冷蔵庫の中にいるような <ひえびえとした家庭>


<ほのかににおう梅の香り>というのでこの場合<ほのか>は<目には見えないが存在して、何かを伝える(この場合は香り)こと>の形容のようだ。目には見える場合もあるが<あるかなきか>、<おぼろげながら>に見える様子のことのようだ。<ほのかな>、<ほのかだ>の活用から形容動詞らしい。<ほのか>はこの形容動詞の原形。<ほのかに>は副詞で<目には見えないが存在して、(あるいは<あるかなきかに>、<おぼろげながら>存在して)何かを伝える>の様子を示しているようだ。文法的に問題のある形容動詞の代表は<しずかな、しずかだ>で<しずか>はこの形容動詞の原形だが<しず>だけでも意味内容は伝えられる。したがって<しず>が原型で<か>は形容動詞形成の接尾辞ともいえる。

あざやか
おだやか
あでやか
おろか
かろやか
こまやか
さわやか
なめらか
はなやか
はるか(はるかかなたの<はるか>)
まことしやか
(まだまだいくらでもある)

<か>はどうも様子を示す形容動詞語尾と言えそう。<やか>が多いので<やか>は<か>とは別の形容動詞形成の接尾辞か。最後の<まことしやか>はすこし長いが<まことし+やか>で<やか>は<xxのような><xxのように見せる>の意だろう。形容動詞はいろいろ問題があって sptt Notes on Grammar の方でいろいろ書いたことがある。あるいは問題が多いので勝手なことがいろいろ言えるのだ。

<ほのめかす>は

1) <ほのかにめかす>の<かに>を省略したもの。<ほのかに>は十分副詞だが<ほの>だけでも<ほのかに>の意になりそう。

2) <ほのめく>の他動詞、使役形でもいいが、分析して<めく>、<めかす>という動詞があるので(春めく、めかしこむ)<ほの+めかす>になる。したがって<ほの>に意味があることになる。この<ほの>は何か?<ほのお(炎)>の<ほの>、あるいは<ひ(火)>の<ほ>に語呂合わせの<の>がついたものではないか?

<ほのお>、<ひ(火)>の役割はなにか?あかりや暖(だん)をとるのが主だが、これ以外にかがり火、星、ホタルのような<ほのかな>火(ひかり)は存在を示すサイン(sign)だ。このように<ほのかに存在、何かがあることを示す>は<ほのめかす>だ。電気器具にはLEDが付いていて、多くは必要な時だけ<ともり><何かがあることを示して>注意を促す。英語では indicator, indication (動詞は to indicate)が使われる。<ほのめかす>もひかえめだが注意を促すことだ。動物や鳥の鳴き声は<愛のやりとり>のためもあるが、注意を促す、注意をひくためのことが多い。

英語もこの辺は結構発達していて

to indicate
to suggest
to signal
to nod
to wink
to gesture
to hint

などの動詞があり、シグナル(を送る)、ウィンク、ヒントは日本語になっている。特にヒントは<ほのめかす>の領分を犯しているが、<ほのめかす>では間に合わない独自の領域を開拓している。

sptt


Thursday, September 21, 2017

<へ>、<へま>、<へちま>


英語に blunder と言う言葉がある。<間違い>のことだが a mistake (mistakes) (よく使う語なので単数と複数に注意)は汎用的な<間違い>であるのにたいして blunder は<(比較的大きな、そして多くは不注意による)馬鹿げた間違い>のことだ。日本語では<(大きな、大変な、とんでもない)へま>が適当のようだ。この<へま>の語源はなにか?<へちま>の<ち>抜けの可能性がある。

<へともおもわない>は私のコンピュータワープロでは<屁とも思わない>と出てくるし、私もこう思っていたが、これは大きな間違い(blunder)だ。よく考えると<屁とも思わない>では言っていること(言いたいこと)の意味に結びつかない。<こんな失敗は屁とも思わない>。<課長の注意など屁とも思わない>。この間違いは<思わない>の対象(失敗、注意)を<屁>とも思わないで何となく意味が通じてしまうためだろう。手もとの辞書には、元来は<へちまとも思わない>。そしてこの<へちまとも思わない>は元来<へちまの皮とも思わない>、という解説がある。へちまは中身を使う(化粧水、ふろ場用具)ので<へちまの皮>は無用なもの、という解説がついている。これで納得。へちまの実は真っすぐなのや曲がっているものがあって形は千差万別。その姿はなかなか味があり、東洋画でよく描かれる。おなら(お鳴ら)の<へ>は、漢字で<屁>と書き、<放屁>の<屁(ひ)>で似かよっているが<へ>はやまとことばだろう。

<へ>、<へま>、<へちま>以外の<へ>がつくやまとことばには


へこむ - おなかがペコペコの<ペコペコ>はこの<へこむ>由来だろう。<へこむ>は<へりこむ>由来か?

へし折る - 鼻をへし折る

へそ - へそをまげる、へそで茶をわかす、と言う表現がある。へそ(臍)は人の体の中心にあるので、<かなめ>でもいいのだが、<これがかなめだ>の意味で<これがへそだ>というのは悪くない表現だと思うが、めったに聞かない。

へた(下手) - 上手(じょうず)の反対の意味以外に<へたをすると>という言い方があり これは mistake と言うようより blunder <へま>に近い。くだものや野菜の<へた>と同源か?

へたる、へたりこむ、へとへと - へとへとに疲れる。

へど - へどがでるような、比喩的に使うのが多そう。口語では<げろ>(これも方言か)。

ヘドロ - これは日本語。<どろ>は<泥(どろ)>の意。

へなへな - へなへなした頼りない男。

へばる - <へたる>と同じような意味。関東方言か。

へべれけ - へべれけに酔う。

へっぴり腰 - これも私のコンピュータワープロでは<屁っ放(ぴ)り腰>と出てくる。<へとも思わない>と同じで<屁をひる格好の腰>でなんとなく意味が通じるので、私もこれまで<屁っぴり腰>と思っていたが、どうも違うようだ。

へぼ  - へぼ将棋。へぼ画家でも<へちま>の絵はうまく見える。

へらずぐち - この<へら>は<減る>の<へる> の未然形だが、これまた手もとの辞書によると、正しくは<へりくだる>の<へる>(<減る>の派生的な意味)で、<へらず>で<謙虚さがない>の意。この方が<減らない口>より意味が通る。

へる (減る)

敢えて否定的な意味の言葉をな並べたが、こういう言葉がないと言葉はおもしろくない。

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<へま>に関しては<チョンボ>というのがあり(これまた関東方言か)、これは韓国語のように聞こえるだ。



sptt








Friday, September 15, 2017

break-through のやまとことば、<破り>


break-through の中国語は<突破>。中国語は融通(ゆうづう)のきくことばで<突破>で動詞にも名詞にもなる。日本語は<突破口(とっぱこう)を開く>という動詞表現があるが名詞形がない。<突破>だけでは break-through の意にならない。

さて break-through のやまとことばは何か?<突破>はやまとことば読みにすると動詞は<突き破る>、名詞は<突き破り>で少しは break-through に近づくがまだかなりダメだ。break は英語もそのまま名詞になりやまとことばでは<破ること>、<破れること>、<破り>、<破れ>だろう。through は副詞、前置詞で<xx を通って>、<xx を抜けて>に相当。ドイツでは durch という語で、この発音は私の耳にはいかにも<xx を通って>の感じがある。 break-through のやまとことばとしては<突き破り>よりは<破り抜け>の方が少しよさそう。だが break-through の訳語としてはまだまだ。

<型破り>という言葉がある。横並び志向のひと昔前とちがって今は break-through のようにいい意味で使われるようになっているのではないか?その方がいい。だが<型破り>はこれまでのところ<型破りの人間>のように使われ break-through ではない。意味を少しずらして(イントネーションも変える) break-through の訳語としたらどうか?

<殻(から)破り>あまり力を出さず、苦労しなくてもや破れるようだ。

<壁(かべ)破り>は何とかなりそう。

<囲(かこ)い破り>は out of the box を連想させるが、強い力で破る感じがなく、破るのではなく跳(と)び越えることも連想されてしまう。

漢語が混ざるが<一番しぼり>の亜流で

<一番破り>、入れ替えて<破り一番>はどうか?


<やぶる>は発音 ya-bu-ru のから耳で聞いて<破る>感じがあるので(<bu-ru>は<ぶるぶる)>で震える感じがある)<やぶる>を活かしたい。実際<やぶり>の一語で break-through の意にかなり近い。

<破り>の一手を考える。(漢語が混ざるが<破りの一手>で break-through 。)
ここは常識をはずれた<破り>が必要。

<break-through をする>で動詞になるが、これは簡単に<破る>でいい。

この難局をどう破ったものか?

<破る>は<打ち破る>あるいは<破る>だけで(相手、敵を)<負かす>、<勝つ>の意がある。<負かす>、<勝つ>はやや抽象的だが、<やぶる>は音が聞こえてくるほど具体的だ。


sptt

Tuesday, September 12, 2017

もったいない、もったいぶる - 2


<もったいない、もったいぶる>の第2弾。前回(2015年3月)は次のように書き始めている。


<もったいない>は日常よく使う。<もったいぶる>、これと似た意味の<もったいをつける>もたまに使う。やや古くは<もったいらしい>という形容詞があったようで、したがって<もったいらしく>という副詞もあったのだろう。

手もとの辞書によると<もったい>は<勿体>で漢語由来だ。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来る。例: 请勿xxx。<体>は<正体>の意。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<正体がない、がない>で、理論的には<体(正体)>の意になるが、もったいない = 体(正体)では何のことだかわからない。<勿体ない> = <正体がない、がない>とはいったいどういう意味か?


一応結論は出しているが、根拠は弱い。今回は二度目の挑戦。


最近(2017年9月)イタリア語の接頭辞<s->の関連で degnare - sdenare、degno - sdegno、 さらに英語の dignity、to dignify を調べているうちにある発見をした。おもしろい時間的と思われる(使われているうちの)意味のズレだ。dignity は威厳(dignity: the state or quality of being worthy of honour or respect.)といったような意味だ。一方動詞のto dignify は過去の意味は調べていないが今は to dignify: to make (something) seem worthy and impressive で<威厳をつける>から変化して<威厳があるように見せる>で<もったいぶる>に近くなっているようだ。さらに調べていくと dignity、to dignify に関連あり、またイタリア語のdegnare というよりはもとのラテン語 digno あるいは相当のフランス語由来と思われる to deign と言う動詞があるのを発見した。わたしは聞いたこともしたがって使ったこともないが、

1) to think it fit or worthy of oneself (to do something)
2) to do something that one considers to be beneath one's dignity.
3) to do something unwillingly and in a way that shows that you thing you are too important to do it.

のような意味があり、 1) がもと意味で2)、3)は派生的な意味と考えるが、1) の oneself がキーで、これが自大(自分はえらい、と思う)につながる。話がズレて行きそうなので、この話ば別の機会にすることにして<もったいない>に戻る。初めの<もったいない、もったいぶる>の第1弾の繰り返しのようになるが、

<勿体>で漢語由来。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来るが(例: 请勿xxx(注1))、昔は一般的な<否定>の意があったろう。<体>は<正体>の意。中身(中味)ともいえる。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<中身がない、がない>で、理論的には<中身がある)>の意になるが、もったいない = 中身がある、では何のことだかわからない。二重否定は文字通り<肯定>になる場合と<否定の強調>になる場合があるが<肯定>になる場合も単純な肯定ではない。中身がある>は単純な肯定だ。二重否定をある種の<肯定強調>とすると<中身がある>は本来いいことであるので、これが強調され<たいへんいいこと、ほめられること(honoured)で、さらには少し飛躍してdignity (威厳)がある>になる。一方<中身がないのは>は<からっぽ>、<仮り>、<(うわべだけ)でよくないこと>、<非難されること>、さらには少し飛躍して<威厳(dignity)がないこと>になる。したがって

もったいない ->  <中身がある> ->たいへんいいこと、ほめられること、価値がある(worthy)、ほめられる内容がある(honoured)、尊敬される内容がある(respected)、威厳(dignity)がある

となる。 <もったいない>の表現で日常一番よく耳にするのは

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>

という言い方だ。これはモノが対象で言い換えると

まだ使えるのに捨てるなんて<価値あるものを価値なくしている、むだをしてる>

となる。

<無駄なことする>無駄にも否定の<無>の字がある、<無駄>はやまとことばではなく漢語由来だろう。話がずれていくので無駄についても別途検討。さらには逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<中身あるものを中身なくしている>。

といえる。さらに逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<もったい>をなくしている。

となるがこれではどうどうめぐりか、ことばの遊びで何が何だかわからない。ナンセンスだ。

人が対象になると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うのが考えられるが、かなりあらたまった、尊敬語、謙譲語が出てくる場面での発話だ。<勿体>漢語なので庶民ではなく漢文の知識のある武士か貴族か寺子屋の先生あたりの人々でかつ、尊敬語、謙譲語が出てくるような場面で使われ始めたのだろう。

<もったいない>内容がちがってくる。この人が対象の<もったいない>も置き換えると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<中身がある、たいへんいいこと、価値がある、ほめられる内容がある、尊敬される内容がある、威厳がある>となるのだが、これではこれまた何のことだかわからない。ナンセンスだ。

はなしが相当混乱してきたので、今回の検討結果の結論を述べる。

<もったいない>は<勿体>が<ない>。 もともとの<中身がない>の意から<もったいをつける>、<もったいぶる>の<もったい>の<中身がないのにあるように見せる>の意で使われるようになった。<中身がないのにあるように見せる>に<ない>がついて意味にズレが生じ<もったい>が<ない>、<中身がないのにあるように見せる>ことが<ない>。これから、反対の<中身があるのにないように見せる>の意味を持つようになった。中身があるのにないように見せる>は一種の謙譲の、卑下した、へりくだった言動だ。このような言動は場合によって必要のない、無駄なことだ。中身があるのにないように見せる>ような言動に会った場合、または受けた場合、<わざわざ必要のない、無駄な言動に対して<もったいがない(中身がないのにあるように見せる、のではない、むしろ中身があるのにないように見せる)>と表現するようになった。これがさらに

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うような言い方にズレていった。これがさらに一般化され(おそらくこのころにはもとの<勿体>の意はほぼ意識になくなっている)、庶民も使うようになって

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>。
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>。

と言うようになった。


(注1)(例: 请勿xxx、は広東語の香港ではよくみるが文章語で口語は<口吾好(むほう)、口吾は一語で<む>と発音>、普通語(北京語)の口語は<不要xxx>。


sptt

Sunday, September 10, 2017

おこがましい


<おこがましい>は聞いたことはあるが使ったことはない。多分意味がわからないので使う自信がなかったためだろう。テレビドラマなどで主に<問われて名乗るもおこがましいが>と使われるか。 実際<おこがましい>が口癖になっている人はいるようだ。

<おこ(コンピュータワープロでは書けそうもない<烏滸>という漢字が出てくる)は馬鹿、間抜けの意だが、日常使わないのですでに古語だろう。以前に ”<ばか>、<まぬけ>、<おろか者>” というポストを書いたが古語としてこの<おこ(烏滸)>を付け加えた方がよさそう。

<おこがましい>は文字上は<おこ(ばか)のよう(だ)>だが、単純な<ばか>ではない。内容はかなり複雑。この<ばか>はきわめて卑下(ひげ)した<ばか>で、実際には<馬鹿>でないのを知っている。本当に自分をバカとおもって<私はバカだった>ということもあるようだが、多くは<私はバカですが、xxxx>と卑下した表現、なおかつ譲歩表現で使う。卑下した表現なら<私はおこですが>でいいのだが<おこがましいですが>は<わたしはバカのようですが>となるので実際は<私はバカです>とは言っていないことになる。つまりは卑下した表現ではないのだ。卑下というよりはむしろ自慢が見え隠れする。自慢が進む(高じる)と驕慢、傲慢となる。やまとことばで言えば

つけあがる
思いあがる
うぬぼれる

だ。<おこがましい>は<つけあがって(思いあがって、うぬぼれて)はいません>とも言っているようだ。


sptt

Thursday, September 7, 2017

リラックスのやまとことば、<ほがらか>


リラックスのやまとことばは何か?

体(からだ)が疲れたときにはマッサージをして(してもらって)<肩、体の凝りをほぐす>のが有効。リラックスした気分になる。固まったからだがほぐれた状態になる、またはそういう状態がリラックスと言える。したがって

リラックス = ほぐれ、ほぐれた

となる。<ほぐれ>は<ほぐれる>の連用形体言(名詞)化用法。マッサージは大体してもらうが(最近は電動の機械や器具にしてもらう)、<ほぐれる>は自動詞で他動詞は<ほぐす>。もともとは<糸のからまり、こんがらかり(方言か)、かたまりを解く>のような動作が<ほぐす>のようだ。<肩の凝りをほぐす>という表現は納得できる。さらには<緊張をほぐす>となり、リラックスに近くなる。

<ほぐれ>と言う発音から連想される言葉に<ほがらか>がある。<ほがらか>は大体人の性格を表現するのに使われるが、<ほがらかな人>は95%がたは<いい人>だ。残りの5%は<ほがらか過ぎる人>が嫌いな人もいるからだ。何ごともよく調べると100%(完全)はないものだ。手もとの辞書では<ほがらか>は<明るく、わだかまりがない>とある。<わだかまり>の詳しい説明は、忘れなければ別の機会にする予定だが、<水が流れないでとどまる>、<糸がからまる>ような様子、<糸のからまった>ような状態の意か?

古いやまとことばのようだが<ことほぐ>というのがある。<こと>は<ことば>の<こと>だが、<ほぐ>がよくわからない。<ことほぐ>は<言葉で祝う>の意なので<ほぐ>は<祝う>とすると<ほぐす>、<ほぐれる>とは関係なさそう。

sptt