Saturday, January 5, 2019

同情のやまとことば


同情のやまとことばを調べてみた。私から見た使用頻度順に書き出すと

かわいそう(だ)
気の毒(だ)  毒(どく)は漢語だが、この表現は日本語として無視できない。
いたましい <- (こころが)いたむ
あわれ(だ) <-あわれ、  <もののあわれ>というのが日本人の(美学)コンセプトとして古文学習ででてくる。
 いじらしい

同情からは少しずれるようだが

いとおしい <- いとおしむ  <- おしむ
おもいやり <-おもいやる 
こころくばり
気にかける

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かわいそう(だ)
気の毒(だ)
いたましい
あわれ(だ)
 いじらしい

以上は形容詞、形容動詞で対象が主語になり、対象の様子をあらわすが、それにとどまらず発話者の感情(気持ち、こころ)に働きかけているとかんがえられる。言い換えると

わたしは<xx を>かわいそうに思う(感じる)。
わたしは<xx を>気の毒に思う(感じる)。
わたしは<xx を>いたましく思う(感じる)。
わたしは<xx を>あわれに思う(感じる)。
わたしは<xx を> いじらしく思う(感じる)。

となる。他人の感情(気持ち、こころのうち)は実際わからないので

花子は<xx を>かわいそうに思う(感じる)。
(以下同じ)

は日本語では変な感じがある。だが英語や中国語では、この辺はいい加減で

花子は<xx を>かわいそうに思う(感じる)。

ですませているようだ。(例文はあるが、ここでは省略)

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最近調べているが

かわいそう(だ)
気の毒(だ)
いじらしい

はやまとことばのミステリーといえるほど分析が難しい。

<かわいい>は同情とほとんど関連がない。
<気の毒>とは何か?
<いじらしい>の<いじ>は<意地っ張り>の<意地>か?そうすると<いじらしい>がなぜ同情をあらわすのか?

あわれ(だ)

<あわれ、あわれむ>は<もののあわれ>というのが日本人の(美学)コンセプトとして古文学習ででてくる。これも意味の派生がある。だがこれはミステリーというほどではない。

いとおしい <- いとおしむ  <-おしむ

<それは惜(お)しいことをした。>は同情表現だろう。 <惜しむ>は<xx を惜しむ>で他動詞。<惜しい>は形容詞だ。

わたしは<xx を>いとおしく思う(感じる)。

はいいが

わたしは<xx を>おしく思う(感じる)。

はダメだ。これは<わたしは<xx を>残念に思う> の意になる。

<おもいやり>は<思いを遣(や)る>でいい言葉だと思うが、使われすぎているためか、あるいは日本人の美点にされているためか、<しいられた思いやり>もあるようだ。<思いやりの心をもて>とか、一歩譲って<少しは思いやりの心をもったら(どうか、どうなんだ)>というのはよく聞く。


sptt









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