Friday, January 4, 2019

<欲>と<理>のやまとことば


<欲>も<理>も漢語だ。二語であらわせば<欲望>と<理性>。<欲望>と<理性>の対比や関係は、少し突き詰めて考えると哲学や心理学となり、分析はそれこそゴマンとある。欲と理の大和言葉は何か。日本は哲学や心理学を西洋や中国のように目に見えて発展はさせなかったが、<欲>も<理>に対する考え方は言葉、特に大和言葉に反映されているはずだ。

4,5年前のポスト<よこしまな、筋を通す>というのを書いた。 <すじ、筋>、<筋を通す>は理に近い。<欲>の方を考えてみる。<欲>はやまとことば読みでは<欲(ほっ)す(る)>、<欲し(い)>、<欲しがる>。<いかまほし>が<行きたい>となるようで<まほし>(<し>は古語の形容詞語尾)というのもある。<ほし>、<ほしい>は形容詞だが、動詞の<欲(ほっ)す(る)>より格段頻繁に使われる。<たい>(古語は<たし>)は<欲>をあらわす助動詞といえる。<よく、欲>は<欲張(よくば)り>ではと<よく>がやまとことばのように聞こえる、見えるが、これは

漢語の<欲、北京語<yu>、広東語<yuk (*)> + はる(張る)

(*)広東語は古い時代のある地域の発音を残しているといわれる。

で漢日の混成語だ。<欲張り>に似た構成で<意地(いじ)っ張り>というのがある。別のところで書いているが、この<意地>は漢語かやまとことばか決めかねるところがある。(sptt Notes on Grammar  ”<いじめ>と<いじ>について - 文法解析 ”)。<き、気>が漢語かやまとことばかよくわからいのに似ている(sptt Notes on Grammar <気は心>)。

拡大解釈すると

欲張り = 意地っ張り

になる。<いじ>(以下あえてできるだけ漢字を使わないで進める)には

いじっ張り

以外に

いじが悪(わる)い、いじわる
いじがきたない

が日常よく使われる。 一方

いじは悪(わる)い。
いじはきたない。

いじがいい(よい)。
いじはきれい、清(きよ)い。

いじはいい(よい)。
いじはきれい、清(きよ)い。

とは言わない。これからすると<いじ>自体は中立ではなく、少しばかり悪い、否定的な意味を背負っているようだ。<欲>の方は、<欲>自体に基本的に倫理的に悪い、否定的な意味がある。

欲が悪(わる)い。
欲がきたない。

とはいわないが(あたりまえのことで、変な重複表現になる)

欲は悪(わる)い。
欲はきたない。

なら意味が通る。<欲>は<悪く、きたない>のだ。

欲が多い(大きい)、欲が少ない(小さい)

は意味があるが

いじが多い(大きい)、いじが少ない(小さい)

は聞かない。したがって<いじ>は計(はか)れないしろものなのか?

以上から<いじ=欲>でないことは明らかだ。似て非なるものでもないといえる。<いじ>はいったい何か? <いじを張る>はあるが<いじを通す>は<すじを通す>ほどは聞かないし<すじを通す>ほどいい意味はない。

<すじ>は<理>と言え、<すじを通す>には<無理がない>。一方<いじを張る>はもちろん<いじを通す>も無理が感じられる。これは<いじ>と<すじ>の大きな違いだ。


sptt

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