Thursday, April 29, 2021

<しかし>の語源

 

<しかし>は逆説の接続詞の代表。手もとの辞書(三省堂新明解)で調べてみたら、<しかしながら>の解説が

<しかし>の強調 

となっている。語源からすると本末転倒だろう。

<しかし>の<しか>は、<然(しか)り>の<しか>で

しからば (しかあらば) 順接
しかして (そうして)  順接
しかも  順接、追加

と活躍する。 <しかし>は<しかしながら>の短縮形だろう。

しか+しながら

<しながら>は

せまいながらも楽しい我が家 (貧しいながらも楽しい我が家、でもいいだろう)

これは <も>がない

せまいながら楽しい我が家

でもいい。

<しながら>の<し>は<する>の連用形の<し>。<xx ながら>同時進行の<食べながら歩く>という言い方もあるが

どぎまぎしながら(も)なんとか答えた

四苦八苦しながら(も)完成させた(生活した)

で逆接、さらには譲歩の意味がある副助詞。したがって

しか+しながら (しかしながら)

しか<する>だが(にもかかわらず)

すうするが、そうするのではあるが ‐> そうではあるが、そうであるにもかかわらず

のような意味になる。


 sptt


Tuesday, April 20, 2021

なしくずし

 <なしくずし>はよくわからない言葉だ。意味がわからないので使ったことはないが、聞いたことはある、だが、残念ながらどういう状況で使われたのかは記憶にない。おそらく意味がわからないので記憶に残らないのだろう。ネット調べてみたが、誤用が優勢になっているようだ。

https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=409

のサイトに詳しく丁寧な解説がある。これでわかったような気がするが実際自分で使うとすれば優勢になっている誤用の方だろう。勢いにはさからえないのだ。これは<なしくずし>の結果だろう。また<なしくずし>の威力ともいえる。

<なしくずし>は、手もとの辞書の簡単な解説によると<既成事実をつくること>と書いてあるが、大体はあるよからぬ、けしからぬ意図をもって既成事実をつくること、だ。これはよく目にする。けしからぬ意図がみえみえのこともあり、これは意味がさらに少しズレくるようだ。

 

sptt

Saturday, April 17, 2021

<ことわり(理)>と<お断り>

 

<理>の一字で<ことわり>と読める人、読む人はごくまれだろう。<これ、ものごとの理なり>と書いてあれば、<これ、ものごとのリなり>でもいいが<これ、ものごとのことわりなり>のほうが語呂がいい。

やまとことばの大きな特徴のことばに<わかる>がある。<わかる>は<分ける>の関連語。<わかる>は<ものごとを分けて考えれば分かる>で、<ものごとを分けて考えること>、分析的な考え方の重要性を言葉が示している。

一方<理、ことわり>は<こと割>、<ことを割る>そして<ことを割って考える>に通じそうだが、そうはならず<断(ことわ)る>に通じていまう。<断(ことわ)る>には関連はあるが違った主に二つの意味がある。

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。
2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

<断る>と書いてしまうとわからなくなるが、<ことを割る>がこのような二つの意味を持つようになったのは謎だ。また1)と2)どちらが元(もと)で、どちらが派生か?も謎だ。

ネットの語源関連辞典 (由来・語源辞典 http://yain.jp/i/%E6%96%AD%E3%82%8B ほか)では


断るの語源・名前の由来について、語源は「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味で使われていた。

それがあらかじめ理とつくして相手に知らせておく意や、事情を話して辞退する意になった。

となっているが、納得できる、あるいは<目からうろこ>の説明ではない。 <理とつくして>は<理つくして>だろう。だがこれからすると<「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する>がなぜかよくわからないが <あらかじめ理をつくして相手に知らせておく意や、事情を話して辞退する意になった>とあるので<ことわる(理)>と<断(ことわ)る>は関連があることになるが、疑問が残る。<語源は「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味で使われていた。>は本当だろうか。これまた疑問だ。


「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味

 ”

は<分けて>で<割って>ではない。<分ける>と<割る>は同じではない。<モノ>を<割る>と壊れる。モノを<割って、壊して>見ると中身を調べることができる。これは<分ける>でもいいが、<割る>の場合は破壊がともない元にもどらないのが基本だ。<分ける>は<分けて>見て、調べたあと、もとに戻すことができる可能性がある。あるいはもとに戻すことを前提として<わける>と考えることもでききる。

また<もの割る>ではなく<こと割る>だ。 <分ける>の方はことさら<もの分ける>でも<こと分ける>でもないが<割る>のほうはことさら<こと割る>だ。<もの割る>ではなく<こと割る>はかなり高度化、抽象化されたモノゴトの見方、表現で、むかしの日本人がやまとことばで考えていた時代に<ことを割る>ような高度化、抽象化されたモノゴトの見方をしていただろうか。おそらく漢語が入ってきてからの<やまとことば>だろう。

漢語の<理>は理由の理だが、理の一語では理由にならないだろう。<理屈>は漢語のようだが、日本版の漢語だ。これは下記の中国人向け日本語学習ネットの<理屈>の説明を見ればわかる。

https://www.hujiang.com/jpciku/je79086e5b188/
 
理屈是什么意思及读法
【名】
(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)
理屈に合っている。/合乎道理。
双方ともに理屈がある。/双方都有理。
あの男に理屈を言って聞かせても無駄だ。/向他讲道理也白搭báidā。
理屈は結構だが実行はむずかしい。/理论满好,实行困难。
そんな理屈はない。/没有那种道理;岂有此理qǐ yǒu cǐ lǐ。
物事は理屈どおりにはいかない。/事物不能总照理走。
(2)歪理wāilǐ。诡辩。借口jièkǒu。(捏造niēzào的)理由lǐyóu。(こじつけの理由。現実を無視した条理。また、それを言い張ること。)
彼は何とか理屈をつけては学校を休もうとする。/他千方百计qiān fāng bǎi jì地找借口想不上学。
理屈をこねまわして自分の主張を通す。/捏造种种理由坚持自己主张。
理屈を言えばきりがない。/歪理说起来没有完。
そりゃ何とでも理屈はつくさ。/要找借口有的是!
理屈と膏薬はどこへでも付く。/借口随时都可找,膏药到处都可贴

 ”

この説明はたいへん参考になる。

(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)

ここにやまとことばの<すじみち>、<ことわり>がでてくる。 道理は純漢語で日本版漢語ではない。道理は現代中国でもよく使わてるが(よく聞くのは<有道理>)、意味に日本語の道理とは少しズレがあるが、<ものごとの道理>はほぼ同じような意味だ。日本語では

道理で(おかしいと思った)

という慣用的な言い方がある。(1)のなかに<理由>があるのに注目したい。これは日本版漢語<理屈>の説明だが、<理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu>なので、中国語では<理lǐ = 理由lǐyóu>としても大きな間違いではないだろう。ややこしいがここで<理lǐ>は<理lǐ =理论lǐlùn。道理dàoli>。さらにこれを日本語に流用すると、<ことわり>は<理由>、そしてやまとことばの<わけ>になる。<わけ>は<分ける>で、これがややこしい話をますますややこしくする。

日本版漢語<理屈>の説明で大いに参考になるのは(2)だ。

(2)歪理wāilǐ。诡辩。借口jièkǒu。(捏造niēzào的)理由lǐyóu。(こじつけの理由。現実を無視した条理。また、それを言い張ること。)

なぜかここでまた<理由>がでてくる。 (2)の解説は日本版漢語<理屈>の否定的な面の意味だ。いわば<へ理屈>の解説だ。私の見たところでは中国ではこの種の言葉が発達している。

繰り返しになるが、強調したいのは

<ことわり>は<理由>、<ことわり>は<わけ>になる。<わけ>は<分ける>で、これがややこしい話をますますややこくする。

の箇所。算数も<割り算>は<分け算>ともいえる。10を2で割ると5になる。言いかえると10個のモノを2個のグループで(2個ごとに)分けると5個の2個のグループになる。(末尾参照)

念のため手もとの辞書にあったてみたところ、<ことわり>の解説は


是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>の名詞形。ことわり(事分)の意。

とある。これでは<事割り>とは<ことわり(事分)>のこととなり、わけがよくわからない。話はやはりややこしいのだ。文献をたどれば<是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>>があるのだろうが、<ことわる>はやまとことばだが意味内容<是非を判断する意>は純やまとことばとは思えない。これは中国文化の影響がある。話はやはりややこしいのだ。この説明よりは、上記の中国語版日本語学習ネットの<理屈>の説明の1)、繰り返しになるが

(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)

が大いに参考になる。これからすると

ことわり = 物事のすじみち、道理

となる。 道理はやまとことばの<わけ>に通じる。<わけ>は使い込まれた語でいろいろな慣用句がある。

わけがわからない  <理由、物事のすじみち>がわからない。
わけない   むずかしいことはない。むずかしいわけ(理由)はない。簡単だ。
わけあり   目に見えない、かくされた理由(事情)がある。

そんなことするわけない。  そんなことする(理由、道理、すじ、いわれ、はず)はない。

いいわけ   口実(こうじつ)。これは中国語での言い換えのようだが、本場の中国語は上にある<借口jièkǒu>だろう。<いいわけ>は順序を入れ替えたやまとことばの<わけ<理由>を言う>がもとになっている。これからすると、<わけいい>だ。<わけをいってみろ>という言い方がある。答えは口実、借口の<いいわけ>とは限らない。

わけがわからない  <理由、物事のすじみち>がわからない。

そんなこと、いいわけないだろう。  この<いいわけ>は上の<いいわけ(口実)>ではなく<よいわけ>で(イントネーションが違う)、<よい道理><よいみちすじ>の意。

以上は基本的には<理由>だが<物事のすじみち>とオーバーラップしているのがある。<理由>と<物事のすじみち>は不可分のところがあるようだ。


しない(行かない)というわけ(意味)ではない。 するのか、しないのか / 行くのか、行かないのか? かなり持って回った言い方だ。
xx というわけではない。   xx ということ(内容)ではない
これはあれとわけ(内容)が違う。
これはそこいらの安物とはわけ(内容)が違う。

以上は<理由、みちすじ>から意味がズレている。<わけ=意味、内容>というのは手もとの辞書にある<わけ>の意味の解説のひとつだが、<わけ=意味>はなんとか理解できるが、<わけ=内容>は相当の飛躍だ。

聞きわけがない  聞く耳をもたない、言ったことに従わない。<聞き分ける>由来だろうが、<聞き分からない>由来とも考えられる。   

話がだいぶ横道にそれているので、始めの話にもどる。繰り返しになるが

<断(ことわ)る>には関連はあるが違った主に二つの意味がある。

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。
2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

<断る>と書いてしまうとわからなくなるが、<ことを割る>がこのような二つの意味を持つようになったのは謎だ。また1)と2)どちらが元(もと)で、どちらが派生か?も謎だ。

どちらが先か?はおそらく1)が先で、2)は相当込み入った1)の派生と考えらる。 

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。

は<ことを割る>というよりは<ことを分ける>、<ことわけ>、<コトのわけ(理由、事情)を説明する>に近い。

2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

は<一般的な申し入れ、願いごと>を拒絶する、ではなく、1)の事前の了解を得る、得ておく<申し入れ、願いごと>あるいは<ことわけ>、これを受け入れないこと、受け入れないことの表明ではないだろか。こうすると、1)と2)の関連ができる。さらに、ここで<割る>がでてくるが(使われるようになった)、これは<こわす>(拒絶)の意がある。つまりは2)の<ことわる>は、<物事の是非・優劣などを分けて判断する>や<是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>なんかではなく、<ことわけ>を<こわす>ことの意からでてきた表現ではないか。

これが結論。


末尾

かなり前に<加減乗除のやまとことば >というポストを書いたことがある。その中で


<割る>は<分ける>でもあるが、正しくは<等しく分ける(等分)>だ。<割る>と余りが出たり、分数になったりする。一方分数を掛けることは<割る>ことになるので<掛ける>が常に<増える>ことではない。これは負数(マイナス)を足すと<引く>になるのに似ているが、<負数(マイナス)を足す>はかなり高度な数学的な技(わざ)だ。<掛ける>も見方を変えれば<同じモノ(数字)を何度も<足して>いくことなので、少なくとも<足す、引く、掛ける>は<足す>でまに合うことになる。

と書いている。 


sptt

 

Friday, April 16, 2021

<こころなし>と<こころない>では大違い

 

<こころなし>の<なし>はいわゆる形容詞をつくる接辞で<こころがある>という意味が基本にある。一方<こころない>の<ない>は否定の<ない>で<こころがない>が基本にある、というか、状況によってばそのまま<こころが無い>で通じる。

こころない人々のおかげで、この道路にはたばこの吸い殻(すいがら)がたくさん落ちている。
こころない人々のによってまだつぼみの桜の花の枝がたくさん切り取られている。

いっぽう<こころなし>はむずかしい。<こころがある>の意味が基本にあり、手もとの辞書によると、<こころなし>の<なし>は<形容詞をつくる接辞>で、意味は<こころがそう思うからか>となっている。

いいかえると、 <なす>を使って

こころがなすためか - こころがなす技のためか

となる。

太郎はこのところ、こころなしか、さびしそうだ。
花子はこのところ、こころなしか、少しやせたようだ。

 

<思いなしか>も同じような意味で<そう思うからか>、<思いがそうなすためか - 思いがなす技のためか>などの意味となる。いずれにして、かなりデリケートなやまとことばだ。

 

sptt

 

形容詞化の接辞<ない(なし)>

 

少し前の<やまとことばじてん>の方のポス ト” <せつない>の意味 ” の追記で次のように書いた。


追記

もと<切なる>

とある。だがこの語源(由来)についてそれ以上の説明はない。

の再考。 この辞書でたまたま<あぶない>を調べたが、<あぶない>の<ない>は形容詞をつくる接辞と書いてある。これだと、<せつない>の解説はごく簡単で説明が要らないくらいだ。

<あぶない>の変化の順序は

あやふい(あやうい) -> あふなし (<なし>は形容詞接辞)  -> あぶない

ところでこの形容詞接辞の<なし>は<なす>由来ではないか。<なす>は

借金をなす(返す)  関東方言か?
(この場を)とりなす
おりなす
(追加予定)

の<なす>と関連があろう。だが<なす>は自動詞<なる>とコンビの他動詞で、動詞化の接辞ならわかるが、形容詞接辞にはなりにくい。これも再考予定。

” 形容詞をつくる接辞<ない>” の例を探しみた。否定の<ない>が圧倒的に多く、これに比べると、” 形容詞をつくる接辞<ない>” の例はごくすくなく、探すのに苦労した。手もとの辞書で ” 形容詞をつくる接辞<ない>” と書いてあるもの。上記の<あぶない>以外では

ゆくりない、ゆくりなし

これは難しい。由緒ある<やまとことば>のようなので意味や使い方は読者にまかせる。わたしはこれまた少し考えるとよくわからない<こころおきなく>の類と考ていた。実際この意味で使ってしまったことがあるかもしれない。

はしたない

これも難しく、由緒ある<やまとことば>だが比較的簡単なので、手もとの辞書の解説を参考に解説すると

<はし><端><端っこ>の<はし>で、<はした金>が一例。つまりは<端にあって重要でないモノ、コト>さらには<見下すべきモノ、コト>となる。次の<た>は<接辞>で特に意味はない。そして最後の<ない>は” 形容詞をつくる接辞<ない>”。これで意味がとおる。<はしたが無い>ではなく<はしたがある>のだ。

似て非なることばに<みっともない>がある。これは<見たくも無い>、関西語の<見とうも無い>で<ない>は否定の<ない>だ。

----ー

手もとの辞書では” 形容詞をつくる接辞<ない>”と書かれていないもの。

せつない

手もとの辞書では、” もと<せつなり>” と書いてある。これは ” <せつない>の意味 ” の方で詳しく検討している。

せわしない

手もとの辞書では、<せわしない>は<せわしい>の強調と、なっているが、

<せわしい>+ ” 形容詞をつくる接辞<ない>” とすれば、簡単に説明もなく<強調>とするよりはいい。 <やまとことばじてん>の方のポス ト” <せわしい、せわしない>参照。

あどけない 

語源不詳だは<ない>はかなり高い確率で” 形容詞をつくる接辞<ない>”。 <あどけが無い>ではない。

いたいけない

語源はややこしいが、<ない>はかなり高い確率で” 形容詞をつくる接辞<ない>”。<いたいけが無い>ではない。

 

継続調査

 

よくわからないものが多いが、それだけやまとこばらしいともいえる。少なくとも耳で聞いてやまとこばらしいのは確かだ。

 

 

sptt

 

 

Wednesday, April 14, 2021

古い、新しい、イノベーション


<古い>、<新しい>を少しまじめに考えてみた。

<古い>は<古くなる>が自然な言い方で、時間の経過にしたがった自然な流れだ。<古くする>はやや変だ。<新しい>、<新しくなる>は人の場合には<若い>、<若くなる>となるが、時間の経過にしたがった自然な流れを考えると<若くなる>は変だ。ひとの場合は<古くなる>でもいいが<老いる><年老いる>が普通だ。だが<老いる>は形容詞ではなく動詞だ。

英語と比較してみると

old (古い) - new (新しい)

to age (老いる)  aging というのがあるので age は動詞用法があり、<原形>は to age。

日本語と同じで<新しくなる><若くなる>に相当する一語の動詞が見つからない。あるとすれば<原形> to new だが、あるのは

to become new, to get new;  to become young, to get young 

という言い方なのだ。

<あたらしい>は<あらたし>の変化というので、もとは<あらたし>で<あらたになる>、<xx をあらたにする>という言い方がある。<あらたになる>と<あたらしくなる>、<xxをあらたにする>と<xx をあたらしくする>は同じような意味だが、まったく同じというわけではない。

<あらた>の同類で<あらたまる>、<あらためる>があり、<まるーめる>の自他動詞コンビになる。漢字にすると<改まる>、<改める>になり<新たな><新しい>の感じがうすれてしまう。<改まる>、<改める>はいくつか違った意味があるが、話がずれていきそうなので別に検討する(末尾参照)。

to new という動詞はないが new がつく英語の動詞には

to re-new  名詞形 renewal
to renovate  名詞形 renovation
to innovate  名詞形 innovation

がある。これは特徴的なのだ。英語の形容詞の動詞化にはいくつかのパターンがある。一般的なのは

short - shorten
strong - strengthen
weak - weaken
wide - widen 

clear - clarify
special - specify
simple - simplify

これらからすると

new - newen
new -newfy (newify)

があってもいいのだがこういうのはない。なぜなら上で述べたようにモノ、コトは自然には

to become new, to get new;  to become young, to get young 

にならなず、自然には

to become old、 to get old

になるのだ。 これはいきものだけではなく、たとえば事業会社にも適用される。ではいきものや会社が

to become new, to get new;  to become young, to get young 

になる、するにはどうしたらいいのか?ここで少し前にもどって

new がつく英語の動詞には

to re-new  名詞形 renewal
to renovate  名詞形 renovation
to innovate  名詞形 innovation 

がある。

to re-new、to renovate は文字通りでは<再度新しくする>で<再度(ふたたび)>がつく。何故か?なぜなら新しくなる、新しくするには<別のモノやコトで入れ替える>必要があるからだ。

日本語では<新しくする>だけでよさそう。<新しくなる>も使えるというか、これが普通だ。<新しくする>、<新しくなる>には<re = ふたたび>がないが、

あの店は最近新しくなった。 (<あの店は最近新しされた>とはいわない。)

で大幅な<別のモノやコトで入れ替え>が想定される。

to innovate、innovation は<re>がないので<再、ふたたび、もとにもどって>ではない。一時(いっとき)会社論で<破壊と創造>というのがあったが、to innovate、innovation はこのこの創造に近い。<in>は必ずみ<入れる>ではなく動詞化接頭辞だ。to improve, improvement もこの類だ。

 


(末尾)

改まる

<年が改まる>でも<年が新たまる>でもいいようだ。
体制(組織)が改まる。
<やり方が改まる>はあまり聞かないが<新しい上司のもとで社員の仕事のやり方が改まった>とは言いそうだ。

なにもそうあらたまることはない。    <改まる>も<新たまる>も何か変だ。

改める

<年を改める>はあまり聞かないが<年を改めた2021年>はOKだ。
体制(組織)を改める。
<やり方を改める>は<やり方を変える>に近い。

改めてもう一度おうかがいしましょう。(<改まって>はダメだ)


sptt

Thursday, April 8, 2021

遅かれ早かれ

 

<おそかれはやかれ(遅かれ早かれ)>はときどき耳にするし、わたしも時に使うことがあるようだ。 <遅かれ早かれそうなる(だろう)>などと使う。<そうなる>のが<遅いのか、早いのか>よくわからないが、<そうなる>ことがはほぼまちがいない、といった意味だ。英語でも sooner or later というのがあり、ほぼ同じ意味だが、順序は入れ替わり<はやかれ、おそかれ>だ。時間の早い遅いの表現のうち早い方では、早い順に

ただちに
すぐ(に)
すぐさま
いそいで(いそぎ)
まもなく(間も無く)
もうまもなく
時へずして
はやくも
ほどなく(して)
じき(もうじき)
そのうち
近いうち
やがて
いつか

などがある。 漢語では<即刻(そっこく)>がある。一時<即(そく)>という言い方がはやったことがあり、<即やる>などともいっていた。<即(そく)>は<即刻(そっこく)>より短いしやまとことばの<すぐ>にも似ている。

やまとことばだか漢語由来だかはっきりしないのに

さっそく(早速)
そうそう(早々) - <はやばや>相当か?

<さっそく、そうそう、はやばや>、さらには上の<時へずして、はやくも、ほどなく(して)>はだいたい実際に起きたこたが<早い>ことをあらわす。

<遅かれ早かれ>は<やがて>で置き換えられそうだ。<やがてそうなる(だろう)>。英語のsooner or later を解説をつけて忠実に訳すと<思っている(想定される比較対象の)時より早いかもしれないし、あるいは遅いかもしれないが>といったところで、また日本語と同じで<そうなる>の意が内包されているようだ。だがこまかく言うと

1)Taro will come sooner or later.  太郎は遅かれ早かれ来るだろう。

2)Taro will do it sooner or later. 太郎は遅かれ早かれそれをするだろう。

の2)は、英語はいいが日本語の方は翻訳調だ。日本語らしいのは

太郎は遅かれ早かれそれをすることになる(だろう)。

だろう。

 

 

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