Sunday, June 27, 2021

雉も鳴かずば撃たれまい


<雉も鳴かずば撃たれまい> は<よけいなことは言わない方がよかった>、さらには一般化して<よけいなことは言わない方がいい>といった意味だが、日本語として相当こなれた言い方だ。またすべてやまとことばだ。何も特別<雉>でなくてもいいようだ。

鳩も鳴かずば撃たれまい。
猿も騒(さわ)がずば捕(と)られまい。
タヌキも穴から出ずば捕(と)られまい。
モグラも頭を出さずばたたかれまい。 

細かいことをいうと<雉も鳴かずば>の<も>はどういう意味か?これは

菊も香(かお)る季節

という言い方に似ている。 いろいろ考えたが、次のように解釈したらどうか。

雉も、鳴かずば、撃たれまい。

雉も(そうだが、雉にかぎらず、撃たれる運命にある雉と同じような状況にあるモノはみな)、鳴かずば、撃たれまい。

と言い換えできる。この<も>は(  )内にあるような背景を背負った助詞といえる。 これで教訓性がでる。とりわけ雉でなくてもいいのだ。

これは、私の新発見か、と思って調べたが、残念ながらそうではない。” 譲歩の大助詞<も> ” のポストで紹介しているが、手もとの辞書<三省堂新明解>の助詞<も>の解説の一番目に

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

とあり、まさしくこの<同様の事柄がまだあることを言外に表わし>だ。

これをを参考に

菊もかおる季節

を考えてみる。 <菊もかおる季節>は秋を想定させる。同類の範囲を狭めて、あるいは広げて

 菊も(そうだが、菊にかぎらず、秋に花を咲かせてかおる花々が)かおる季節

とならないか? 

以上は最近書いた sptt Notes on Grammar の方の ” <キジも鳴かずば>の<も>について、大助詞<も>-2 ” (大助詞<も>シリーズ)の結論部。


sptt

 


Sunday, June 20, 2021

しらを切る、しらばっくれる


しらを切る、しらばっくれる、知らんぷり(する)

<知っているのに知らない>という、と言い張る、ふりをする 

<知らんぷりする>は言葉通りで<知らないふりをする>だが、<しらを切る>、<しらばっくれる>は語源がいくつかあるようだ。<しらを切る>はやや改まった言い方だが<しらばっくれる>、<知らんぷり(する)>は日常口語だ。意味はずれるが、昔の学生用語だろうが<しかとする>というのがある(あった)。 

英語で何というかというと

to pretend not to know something even though knowing it.

だが、これではおもしろくない。<しらを切る>、<しらばっくれる>の語感がない。

なぜこんな話をしているかというと<ピノキオの冒険>にでてくる話と関連がある。ピノキオはウソをつくと鼻が長く(高く)なる。 ピノキオの鼻が長く(高く)なる場面はたくさん出てきそうだが、わずか2回しかない。これは二番目の話だ。この場面の原文と英語訳は次のようになっている。

第29章


http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_29.htm


"E chi è questo Pinocchio?" domandò il burattino facendo lo gnorri.

"Dicono che sia un ragazzaccio, un vagabondo, un vero rompicollo..."

"Calunnie! Tutte calunnie!"

"Lo conosci tu questo Pinocchio?"

"Di vista!" rispose il burattino.

"E tu che concetto ne hai?" gli chiese il vecchietto.

"A me mi pare un gran buon figliuolo, pieno di voglia di studiare, ubbidiente, affezionato al suo babbo e alla sua famiglia..."

Mentre il burattino sfilava a faccia fresca tutte queste bugie, si toccò il naso e si accòrse che il naso gli era allungato più d'un palmo. Allora tutto impaurito cominciò a gridare:

"Non date retta, galantuomo, a tutto il bene che ve ne ho detto; perché conosco benissimo Pinocchio e posso assicurarvi anch'io che è davvero un ragazzaccio, un disubbidiente e uno svogliato, che invece di andare a scuola, va coi compagni a fare lo sbarazzino!"

Appena ebbe pronunziate queste parole, il suo naso raccorcì e tornò della grandezza naturale, come era prima.


英語訳

"And who is this Pinocchio?" asked the marionette, playing possum.

"They say that he is a bad boy, a vagabond, a true daredevil..."

"Calumnies! all calumnies!"

"Do you know this Pinocchio?"

"By sight!" replied the marionette.

"And what is your opinion of him?" asked him the little old man.

"He seems to me a very good boy, full of willingness to study, obedient, affectionate to his father and to his family..."

While the marionette was reeling off without blushing all these lies, he touched his nose and realized that the nose had lengthened more than one hand's breadth. Then all frightened, he began to cry out:

"Don't believe, good man, to all the good I have been telling you about him; for I know Pinocchio very well and I can assure you that he is really a bad boy, disobedient and idle, who instead of going to school, goes with his companions to play scamp!"

He had scarcely pronounced these words, that his nose shortened and returned to its natural size, as it was before.

キーワードは

il burattino = the marionette からくり人形(ピノキオのこと)

facendo lo gnorri.  原形 fare (= do) lo gnorri

は<しらを切る、しらばっくれる、知らんぷり(する)>の意で、意味が通じるのだが、やや詳しいイタリア語ネット辞典では 


https://www.treccani.it/vocabolario/gnorri/

gnòrri s. m. [tratto da ignorare]. – Usato nella locuz. fare lo gn., fingere di non sapere, di non capire (con usi analoghi a nesci).

動詞<ignorare (= to ignore) 由来。熟語 fare lo gn(orri) として使用。fingere di non sapere, di non capire  = to pretend not to know (nesci = srupid, simple, naive とを示唆)

この説明からすると、 fare lo gn(orri) は<しらを切る>、<しらばっくれる>、<知らんぷり(する)>の意なのだが、最後のバカ、まぬけ、ナイーブ(世間知らず)を示唆して使われる、とある。この最後の部分は合点(がてん)がいかないところろがある。
 

 合点はいかないが、上で書いた

意味はずれるが、昔の学生用語だろうが<しかとする>というのがある(あった)。 

と少し関連がありそう。

次はこに箇所の英語訳 playing possum だが、私は初めて出くわした。

同じくネットで調べてみると

(to) play possum

1. To pretend to be dead; to play dead (typically so a predatory animal will lose interest and leave one alone). A reference to the involuntary defense mechanism of the North American opossum. If we encounter a bear in the woods, is it better to play possum or try to run?
 
2. By extension, to pretend to be asleep, inactive, or unaware as a means of avoiding someone or something. Josh just puts his head down and plays possum whenever the boss looks for someone to do a job for him. I played possum in my room when I heard my mom shouting about the broken lamp.

これからすると、アメリカ英語のidiom のようだ。またこの1.の説明からすると原意は小動物の possum が防衛のため(と思って)する<死んだふり>のようだ。これと関連はある2.の例文は<しらを切る>、<しらばっくれる>の語感はある。

小動物 possum をネットでしらべてみると落語みたいなおもしろい話がる。英訳者はおそらくこれをしってこうやくしたのだろう。

<うそをつく>と<しらを切る>、<しらばっくれる>は内容が違うが、ピノキオの鼻は長く(高く)なる。

 
Calunnie = Calumnies = 中傷(ちゅうしょう)

 

sptt

 

 

Friday, June 18, 2021

おもしろ半分、遊び半分、いたずら半分

 

<おもしろ半分(はんぶん)>はおもしろい言い方だ。

おもしろ半分にやってみた。

は中立だが、 

おもしろ半分にやってみただけだ。

はなにか悪いことをした場合には、たとえば

この万引きはおもしろ半分にやってみただけだ。
このいじめはおもしろ半分にやってみただけだ
このいたずらははおもしろ半分にやってみただけだ。

-悪いことをしようとする気持ちはなかった。
-悪気はなかった
-許してくれ。
ー責任も半分だ。

と言いわけになる。

一方なにか思わぬ良い結果がでた場合も

競馬はおもしろ半分にやってみただけだが、大金(たいきん)がころがりこんできた。
この実験はおもしろ半分にやってみただけだが、大きな発見があった。
この調査はおもしろ半分にやってみただけだが、新しい事実関係がわかった。

という。

以上は<本気半分>、<まじめ半分>とは言わないだろう。 

一方似たような言い方に<遊び半分>がある。<おもしろ半分>は<遊び半分>で置き換えられそう。

似たようなのに<いたずら半分>があるが、<いたずら>が基本的に悪いことなので、中立ではなさそう。だがこれもおもしろいい方だ。

<いたずら>は古語の<徒(いたずら>に>の<いたずら>由来で、意味にズレの変遷がある。

前回のポスト<なまける、ずるける、さぼる>で

手もとの辞書で<なまける>を調べていたら、ごく簡単に


自動詞。本来すべきことを、(それをする時間的余裕があるのに、)しないでむだに過ごす。ずるける、さぼる。

 ”

と書いたが、<いたずら>の語源(古語の<いたずら>に意味)は<なまける>と大いに関係がある。

 

sptt

 


Wednesday, June 16, 2021

なまける、ずるける、さぼる


たまたま、<遊ぶ>関連で手もとの辞書(三省堂新明解6版)で<なまける>を調べていたら、ごく簡単に


自動詞。本来すべきことを、(それをする時間的余裕があるのに、)、しないでむだに過ごす。ずるける、さぼる。

 ”

と書いてあった。  <過ごす>はこの辞書では他動詞となっている。ついでに<ずるける>、<さぼる>も調べてみたら、やはり自動詞となってる。

勉強をなまける。
仕事をずるける。
任務をさぼる。

と言う。 それでも自動詞か?

<なまける>、<ずるける>、<さぼる>はおもしろい動詞で、おそらく<なまける>がオリジン。<なまぐさぼうず>という言い方があるが、<ふまじめな、なまける僧侶>の印象がある。<ずるける>は<ずれる>のもとの語<ずる>に<なまける>の<ける>の語感がついたものか。<ずれる-ずらす>の自他コンビは自他兼用動詞<ずる>由来だろう。関連語では日常よく使う<ずるい>、<ずるがしこい>という形容詞や<ずるずる>という擬態語がある。

<ずるい>自体おもしろいことばで、わたしも使うが意味がよく分かって使っているわけではない。また意識したり意識しないで<ずるい>ことをやっているような気がする。

<さぼる>は<サボタージュ>からの造語だが、 <サボタージュ>が意識にのぼることはほとんどない。

<なまける>、<ずるける>がそうだが<xx ける>はなぜかおもしろい表現の動詞が多い。

あざける
おどける
かまける
しらける
とぼける
ふざける
ほうける

おおまかに言うと、本気、正常から少し<ずれ>ていること、<ずれたこと>をするで共通している。そして往々にして本気、正常にもどるこが予想されているので、そうシリアスにはならない。

<ける>自体は特別の意味がないのにこうなるのはどうしたわけか?

 

sptt

 

 

Friday, June 11, 2021

手を出す

 

<顔を出す>に続いて<手を出す>を検討してみる。

日本語の<手を出す>は何かをもらうときや手相を見てもらうときの<手を出す>以外は比喩的、慣用的表現になる。

会社のカネ(公金)に手を出す。
隣の奥さんに手を出す。

<手を出す>も<顔を出す>と同じく他人の手ではなく自分の手だ。イタリア語であれば自然に再帰動詞表現になる。

darsi o stringersi la mano         英語訳 to hold hands, to shake hands

英語訳は意訳と言える。英語は再帰動詞表現に乏しいのだ。再帰動詞表現に慣れてくると、英語の方が<だれの手だかはっきりしない>感じになる。

darsi o stringersi la mano  は日本語の<手を出す>の純粋の動作の表現に近い。さらには

手をさし出す
手をさし伸べる

にも相当するが、これらも比喩的な慣用用法がある。


sptt

 

 

 

耳を傾ける


<耳を傾(かたむ)ける >は文字通りでは変な表現で、多分<耳がある顔、頭を傾けて音がでているところに耳を近づけ、よく聞こえるようにする>ことだろう。これはヒトは犬のように耳だけを傾かせる、動かせることができないからだ。

一方<聞き耳をたてる>、<耳をそばだてる(直立させる)>という言い方もある。

これらは<ヒトは犬のように耳だけを傾かせる、動かせることができない>ことを考えると、比喩的な表現だ。

耳を傾(かたむ)ける



聞き耳をたてる、耳をそばだてる

は意味が違う。

<耳を傾(かたむ)ける>は飛躍して<他人の意見をよく聞く>、さらにはそして実際には<他人の意見をよく聞き、それにしたがう>とうい意味で使われる。

英語では

to listen to

あるいは比喩的に

You should have big ears.

と言うかも知れない(未確認)。

ふつう

You have big ears.

は(他人の)小さい、細かいニュース、うわさまでしっている、といった否定的な意味で使われる、ようだ。

聞き耳をたてる、耳をそばだてる

には<他人の意見をよく聞く、(聞き、それにしたがう)>という意味はない。だいたい<聞きにくい小さな音をきこうとする>の比喩的な意味で使われる。

さて、以上の<聞く>表現に関連して国が変われば、言葉が変われば同じような表現でも意味が違う例を見つけた。

ピノキオの冒険原文(イタリア語)

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_20.htm

でかなり頻繁に出て来る表現に

dare retta a (qualcuno)

と言うのがある。英語訳はだいたい

to listen to (someone)

となっており、日本語では<耳を傾ける>相当だ。< dare retta a>の retta は<直立(した)>といった意味だ。そして<体を直立して>ではなく<耳を直立させて>、<耳を立てて>、さらには<耳をそばだてて>が一番近いようだ

語源が詳しいTreccani 辞典(on-line)では

rètta1 s. f. [forse lat. arrecta (auris) «(orecchio) rizzato, teso»].

という解説がある。


sptt