たまたま、<遊ぶ>関連で手もとの辞書(三省堂新明解6版)で<なまける>を調べていたら、ごく簡単に
”
自動詞。本来すべきことを、(それをする時間的余裕があるのに、)、しないでむだに過ごす。ずるける、さぼる。
”
と書いてあった。 <過ごす>はこの辞書では他動詞となっている。ついでに<ずるける>、<さぼる>も調べてみたら、やはり自動詞となってる。
勉強をなまける。仕事をずるける。
任務をさぼる。
と言う。 それでも自動詞か?
<なまける>、<ずるける>、<さぼる>はおもしろい動詞で、おそらく<なまける>がオリジン。<なまぐさぼうず>という言い方があるが、<ふまじめな、なまける僧侶>の印象がある。<ずるける>は<ずれる>のもとの語<ずる>に<なまける>の<ける>の語感がついたものか。<ずれる-ずらす>の自他コンビは自他兼用動詞<ずる>由来だろう。関連語では日常よく使う<ずるい>、<ずるがしこい>という形容詞や<ずるずる>という擬態語がある。
<ずるい>自体おもしろいことばで、わたしも使うが意味がよく分かって使っているわけではない。また意識したり意識しないで<ずるい>ことをやっているような気がする。
<さぼる>は<サボタージュ>からの造語だが、 <サボタージュ>が意識にのぼることはほとんどない。
<なまける>、<ずるける>がそうだが<xx ける>はなぜかおもしろい表現の動詞が多い。
あざける
おどける
かまける
しらける
とぼける
ふざける
ほうける
おおまかに言うと、本気、正常から少し<ずれ>ていること、<ずれたこと>をするで共通している。そして往々にして本気、正常にもどるこが予想されているので、そうシリアスにはならない。
<ける>自体は特別の意味がないのにこうなるのはどうしたわけか?
sptt
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