Wednesday, November 16, 2016

回転のやまとことば -2 (回転、Curl)


だいぶ前のポスト ”回転のやまとことば” の初めに

"

回転のやまとことばを調べてみる。

まわる - まわす   to rotate, to revolve, to spin(以上主に自転),
                                    to circulate, to orbit は通常一回転以上。
             to turn around は半回転か多くとも一回転。

<ひねる(ひねり)>も回転がらみだが、<ひずむ(ひずみ)>、<ひがむ(ひがみ)>など<ひ>がらみ言葉が多いので別途検討予定。

"
と書いたが、別の角度から<回転のやまとことば>第二弾を試みる。

数学、物理用語に Curl というのがあり、日本語では普通回転と訳される。Wiki-Japan の回転(数学)の解説のなかにつぎのような箇所があった。ただしこれは2010年頃のもので、現在(2016年)のWiki-Japan の回転(数学)はほぼ英語版の訳のようで、独自性がなくなっている。


前略

xxxx (難しい数式)

の力のずれが生じており、これが軸に対して左ねじ(反時計回り、すなわち負)の回転力として働く。 (*) 後略

下線はspttがつけたもの。

さすがに Curl(回転)の解説だけに回転がらみの言葉が多いが、やまとことが多く使われている。英語の直訳ではこうはいかないだろう。

ずれ>は確かに<ずれ>でもいいのだが、<ねじり>でもよさそう。あとに ” x軸に対して左ねじ(反時計回り、すなわち負)の回転力 ” とあるので、むしろ<ねじり>がよさそう。

しかし、前略の部分と難しい数式を抜かしているのでわからないが、難しい数式はy-zの平面上(2D)のことを言っているので<ねじり>はふさわしくないからかもしれない。<ねじり>は2Dでもいいのだがふつうは3Dの動作、(ねじられた)状態だ。それでは ”Curl” は3Dの分析なのでやまとことばは<ねじり>がいいかというと、いまいちなのだ。<ねじる>は確かに主に3Dの動作だが、特定方向なのだ。一方 ”Curl” は場(ば)のあらゆる点(箇所)での四方八方の(あらゆる方向)の ”回転” 具合を数式、図であらわすことなので、<ねじりまわり(まわし)>、<こねまわり(まわし)>が適当のようだ。<ひねり>をくわえれば<ひねりまわり(まわし)>。

個人的には<こねまわし>がいいと思うが、”Curl” は対象の<こねまわり>状態(具合)の分析だ。だが、見方をかえて自然が対象を<こねまわし>ていると考えればいい。


(*)
xxxx (難しい数式)

の力のずれが生じており、これが軸に対して左ねじ(反時計回り、すなわち負)の回転力として働く。 

これは何を言っているのかというと、 ”Curl” の解説の一部で、回転には必ず軸があり、この回転軸が 対象(対象はベクトルで方向がある、この場合方向はy-zの平面上にある)に ”Curl”をほどこした後のベクトルの方向(y-zの平面上にはなく、x軸)ということで、大事なコンセプト。一方 ”Curl” 後のベクトルの大きさは<ずれ>の大きさ。これを3Dにすると、<こねまわし>の大きさとなる。 ”Curl” の話はとかくややこしい。



sptt

Sunday, November 13, 2016

<たくさん>の語源 - 2


前に書いた ”<たくさん>の語源” はやまとことばに捕らえられていため、かなりの無理、こじつけがあった。<たくさん>は漢語由来だろう。

前半の<たく>は贅沢(ぜいたく)、潤沢 (潤沢)の<沢(たく)>だろう。

贅沢、潤沢は前半の漢字< 贅>、<潤>に<たくさん>の意味がある。<贅>は見慣れない漢字で、書けない人が多いだろうが<贅(ぜい)をつくす>の<贅>だ。<潤>はやまとことば読みにすると<潤(うるお)う>だ。一方後半の<沢(たく)>はさんずいがありやまとことば読みは<沢(さわ)>で、<水がある所>の意か。<水がかれている>ところは<さわ>とは言わないだろう。以上の漢語から、連想がはたらくと<たく>に<たくさん>の意があることになる。

では<たくさん>の後半<さん>はなにか。

関西方言と思われるのに<ぎょうさん>という言い方があり、よく聞く。漢字は<仰山>だが、<仰ぎ見る山のように>で<たくさん>の感じはあり、まったくの当て字ともいえないようだ。<仰々しい>は<おおげさ>、<やりすぎ>の意で<贅沢>と通じるところがあるる。

問題は<さん>だが、<山(やま)>ではなく接尾辞の<様(さま)>由来の<さん>だろう。<様(さま)>は人につく敬語(敬称)だが<様子(ようす)>でもある。

以上でだいたい<つじつま>があう。

ところで<たくさんある>の<たくさん>と<もうたくさんだ>の<たくさん>は標準語(東京方言)ではイントネーションが違う。 これは耳が相当よくないと聞き分けらない。

sptt









Tuesday, November 1, 2016

モノをいう


<xxがモノをいう>という言い方がある。他動詞では<xxにモノをいわせる>となる。以前に<いう>については書いた。sptt Notes on Grammar "<言う>のマイナスイメージ". ではこの<モノ>は何か?




実社会では実力、行動力がモノをいう。

政界では金脈がモノをいう。

金にモノを言わせてxxを買いまくる。


<xxがモノをいう>は言い換えると<xx が力(効果)を発する>、<xx がよく働く>が考えられるが、意外さや比較の意が含まれているようで、<ふつう考えられているyyよりも>の意が隠されているようだ。

実社会では(学歴よりも)実力、行動力がモノをいう。

政界では(人脈よりも)金脈がモノをいう。

<モノ>の方は<力>や<働き>をあらわすようだ。<力>や<働き>はモノとして目には見えないがコトでもない。

<いう>は単に<しゃべる>、<話す>、<言葉で表現する>ではなく、<主張>や<言い分(ぶん)>が含まれている。sptt Notes on Grammar "<言う>のマイナスイメージ" 参照。

<もの言い>は<文句をつけること>だが、これも<主張>や<言い分(ぶん)>を伝えることだ。


sptt

Sunday, July 31, 2016

付く、着く、離れる


<Sunday, November 4, 2012>に書いたようなのだが、なくなっているので再度取り上げる。一部修正。


<離れる>は<着く、付く>の反対語だが、<着く、付く>が一般化しているのに反して<離れる>関連の動詞はそれこそ山のようにある。

ある場所から離れるのを、去る、とも言う。<立ち去る>の<立つ>(<発つ>とも書かれる)も<東京をたつ>というから<さる>の意に近い。反対語は<着く>。<xx を去る>は他動詞、<xx から去る>は自動詞なのだが、<去る>の感覚的には自動詞だ。一方<取り去る>の<去る>は感覚的に他動詞。<去る>はかなり一般化(高度化)した動詞だ。

的(まと)から離れてしまうのを、それる、はずれる、たがう(当たらない)、とも言う。反対語は<近づく>、<当たる>。自動詞。

的(まと)から離れようとするのを、避ける、逃(のが)れる、とも言う。反対語は<近づける>。他動詞。

付着していたものが離れるのを、抜ける、脱げる、とれる、落ちる、はずれる、はげる、はがれる、とも言う。反対語は<付く>。自動詞。

付着していたものを離すのを、抜く、脱ぐ、取る、落とす、はずす、はぐ、はがす、そぐ、もぐ、剃(そ)る、刈る、除(のぞ)く、ぬぐう、掃(は)く、払う、のける、とも言う。反対語はおおむね<付ける>。他動詞。

ひとつの物を二つ以上に離すのを、切る、断(た)つ、裂(さ)く、割(さ)く 、割(わ)る、やぶる、分ける、散らす、削(けず)る、とも言う。これらも反対語はおおむね<付ける>でいいが、<寄せる>、<合わせる>もある。他動詞。

<近づく>の反対語は<離れる>でもよいが、近(ちか)+付く(着く)とすると、<離れる>よりも<遠のく>、<遠ざかる>がいい。自動詞。

のく - 関連語:のける、のがれる
さかる - 関連語:避(さ)ける、裂(さ)く

調べていないが<かる>と言う古語は<離れる>の意があったようで、そうすると<さ>は接頭語でいいだろう。

sptt

Thursday, July 14, 2016

<たのむ>、<たよる>について


<たのむ>はよく使うやまとことばだ。コンピュータワープロでは<頼む>が一番目に出てくるが<頼む>だけではまに合わない場合がある。

1)花子に来てくれるように頼む(頼んだ、頼もう)。

2)花子、頼むから来てくれ。

1)は<頼む>でよさそうだが、2)の<頼む>はややおかしい。文字にするとこの違いが出てくるが、言ったり、聞いたりする場合は<たのむ>だ。1)はあまり感情がはいっていない。2)は感情がはいっているだけでなく、<頭を下げている>様子が想像され、さらに<頼む>と言う漢字はそぐわないような気がする。

名詞(体言)の<頼み(たのみ)>はどうか?

1)頼みがある。
2)頼みの綱

これまた1)は<頼み>でいいが、2)は<頼み>という漢字はそぐわないような気がする。また、これまた文字にするとこの違いが出てくるが、言ったり、聞いたりする場合は<たのむ>だ。


コンピュータワープロでは二番目に<恃む(たのむ>が出てくるが、使う人はごく少ないだろう。侍(さむらい)と勘違いしそうだ。こちらの方は、漢語を使うことになるが、<依頼する>というよりは<依存する>。<依存する>は<よりかかる>といううやまとことばがある。<たのもしい>という形容詞は<よりかかれる>といった意味だ。さらには<よりかかる>は<よる>+<かかる>だが、<よる>関連では<たよる>というこれまたよく使うやまとことばがある。<たのもしい>は<たよれる>でもある。

たのむ
たよる

と二つならべて、さらに

た のむ
た よる

としてみる。

<た よる>は接頭辞<た>+よりかかるの<よる>で語源が説明できそう。一方これを<た のむ>に応用すると接頭辞<た>+ 飲むの<のむ>になる。<のむ>には<うけいれる>と言った意味もある。こじつけのようだが、これが<たのむ>の語源ではないか?


はじめのほうで<花子、頼むから来てくれ>は<頭を下げている>様子が想像され、と書いたが、これはイタリア語勉強中 supplicare と言う動詞に遭遇して書いたもの。supplicare は<たのむ>に似た意味がある。辞書をしらべると英語にも、聞いたこと、見たことはないが、to supplicate という動詞がある。supplicare はラテン語分析すると、sub + plico で、sub は<下へ(に)>(subway, submarine)、 plico は<折る、曲げる>だ。連想がよくはたらく人は英語の to complicate が思い浮かぶのではないか。<下へ(に)><折る、曲げる>は<頭を下げている>様子が想像される。

英語には to beg という動詞がある。I beg your pardon. は聞き返すときの常套句になってしまっているが、少しゆっくり、感情をいれて言えば、頭を下げて許しを請うときにもつかえる。

ところで、中国語はどうか?<依頼>という漢語があるので、<たのむ>に相当する動詞がありそうだが、日常の口語では<助ける>に相当する<帮(手)>がきわめてよく使われるが、頭を下げるほどではない。


<たのむ>は手元の辞書の第一義は


相手を信用して、力を貸してくれる(自分のかわりに何かをしてくれる)ように申し入れる。



となっており、けっこう複雑な内容。<たのまれる>ということ信用されているということだ。ひとは<たのまれているうちが花>と言えそう。


sptt









Monday, May 16, 2016

<濡れ衣>、<濡れ場>の語源


このポストとは、<濡れ衣を着せられる>というタイトルで書いている(長くなりつつある)別のポストを書いているうちに、たまたま<濡れ衣>、<濡れ場>の語源らしきものに出くわしたので、独立させて書いたもの。<抜き書き>なので内容はほぼ同じ。
中国(語)に<多露之嫌>という四字成語がある。日本ではなじみがないが、中国語のインターネット辞書では

多露之嫌】:露:露水;嫌:厌恶。想早晚行走,又怕露水沾湿衣裳。后用以指男女私会。也比喻行为不检点,受人指责。

という解釈がある。日本語の解説は次のとおり。

厌恶: 厭惡(けんお)

想早晚行走,又怕露水沾湿衣裳。>は<服が露(つゆ)に濡れないよう、夜は早めに出かけたい>という意味だろうが、ここで<濡れ衣(ぎぬ)>が出てくる。後半の説明からするとこれが<濡れ衣>の語源のようだが、<服が露に濡れないよう、夜は早めに出かけたい>と<無実の罪をかぶせられる>は結びつかない。後半の説明を調べてみる。
男女私会>は<デート>のことだろうが、日本語では<濡れ場>とういう言い方があり、夜に<おりる>露と関連がなくもない。これが<濡れ場>の語源かもしれない。

比喻行为不检点,受人指责。>は<点検しないで、人の指责(非難)を受ける>の意なのでこれが<無実の罪を着せられる>と結びつく。しかし<多露之嫌>から点検しないで、人の指责(非難)を受ける>への意味の変化は大きな飛躍だ。

多露>だけでも比喩的な意味がある。

多露 : 1.谓露水多。 2.比喻受霜露之苦。 3.比喻遭人议论猜疑。

<受霜露之苦>は文字通りの意。だが<霜露>をいやなものとして考え、頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>身や服を濡らす、と考えると<遭人议论(議論猜疑)(ひとの議論や猜疑に遭遇する)>と結びつく。

日本語では<夜露に濡れる>、<雨露にぬれる>という言い方はあるが、<少し嫌(いや)だ、少し迷惑だ>ぐらいの意味で、ここでとどまっているようだ。こう考えるのは私だけか?

さて<多露之嫌>から<無実の罪をかぶせられる>の意の<濡れ衣を着せられる>への発展であるが、もう少し説明が必要だろう。上で ” <霜露>を嫌(いや)なものとして考え、頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>身や服を濡らす、と考えると ” と書いたが、<頼みもしないのに、知らずうちに<おりて来て>服を濡らす>は迷惑、被害意識が強いと、自分はなにも悪いことはしていないのに、いやな、いまいましい(忌々しい)霜露をふらした<天>を怨(うら)む、に発展する。

以上が大体<濡れ衣>の語源と考えられるが、多分に中国由来だ。繰り返しになるが、言い換えると、

霜露が、自分はなにも悪いことはしていないのに、また頼みもしないのに、夜の間に、知らずうちにおりて来て服を濡らして困らせる(難儀する)ように、自分はなにも悪いことはしていないのに<悪いことをした>と人に言われて迷惑だ、困っている、難儀している。

ということになる。


sptt

Monday, May 9, 2016

難癖をつける、いいがかりをつける

前回の<濡れ衣を着せられる>のポストで

<難癖をつける>という相応する言葉があり、<難>をのぞけばやまとことばだ。<難癖をつける>、自体おもしろい表現だが、ここでは深入りをせず、別途検討の予定

と書いたので、忘れないうちに検討しておく。<難>は<難しい>の意でではなく<非難>の<難>。中国語の解説http://xh.5156edu.com/html3/20737.html)では次のようになっている。

 1.难 (難) nán
不容易,做起来费事:难处。难度。难点。难关。难熬。难耐。难产。难堪。难题。难以。难于。困难。畏难。急人之难。
不大可能办到,使人感到困难:难免。难为。难保。难怪。难倒(dǎo )。难道。难能可贵。
不好:难听。难看。 


2.难 (難) nàn
灾祸,困苦:难民。灾难。遇难。逃难。殉难。患难。遭难。避难。排扰解难。 
仇怨:排难解纷。 
诘责,质问:发难。非难。责难。

1 と 2 では四声が違うので、中国人であればこの区別は明確だろう。1 とが全く違うかといえばそうでなく、1は<困難(な)で、2の一番目は災難といえる。2の二番目の<怨>は日本語では<あだ、かたき; うらみ>だが何のことか? 仇怨:として<排解紛>とあるので、<排難>で<仇、怨みを晴らす>の意だろう。<仇(あだ)>は<仇ち>の<仇>だが、日本語では<仇>だけではあまり用いられない。仇は<かたきという読み方もあ仇は<仇をうつ>で<(かたき)>だけでも用いられる。いづれにしても中国(語)では<難>に<あだ、かたき、うらみ>の意もあるのだ。これはおもしろいことで、検討の余地があるが横道にそれるので、詳しくは別途検討とする。ちなみに小型の中-中辞典(小型とはいっても情報量の多い漢字だけの解説なのでバカにできない)、中型の中英を調べてみたが、この意味の解説がぬけていりので、あまり一般的ではないのだろう。降りかかって来た災難が、とくに人的な場合には、<あだ、かたき; うらみ>の意になるのは不思議ではない。

2 の三番目が<非難>の<難>に相当する。人を難しい状況に置く>のが<(非)難>だ。そしてこれは

a)無意識で行われる場合、<知らずにを難しい状況に置く>場合

と 

b)意識的に行われる場合、<わざわざ人を難しい状況に落と入れる>場合

とがある。 

<非>は<非常(常ならず)>の否定の<非(ならず)>ではなく<是非(良い悪い)>の<非>、つまり<悪い(こと)>の意だ。

さて<難癖をつける>にもどると、<癖の非難をつける>ということになる。<癖の非難>とはどういうことか?そこで、次に<癖>を検討する。

<癖>は簡単に<習慣のこと>とは言えない。習慣は良い習慣もあれば悪い習慣もあり、習慣自体は中立なのだ。一方<癖>の方は<良い癖をつける>という言い方は可能であるが、<良い癖がつく>は少しおかしい。<悪いがつく>はごく自然な言い方だ<癖のある人>、<太郎の書く字は曲がる癖がある>は良いことではない。一般的に<癖>は悪い習慣、好ましくない習慣の意を内包する。<癖のある人>の<癖>は悪い、好ましくない繰り返される言動というよりは悪い、好ましくない人に付着した性質を暗示している。

こうすると、 <難癖>は

<悪い習慣、好ましくない習慣>を非難する、あるいは
<悪い、好ましくない繰り返される言動>を非難する、あるいは
人に付着した悪い、好ましくない性質>を非難する

ということになり、なんとか意味が通じる。通じるがまだ<難癖をつける>の本来の意味には遠い。<難癖をつける>は言い換えると<(わざわざ)(ある悪意をもって、あるいはある悪い目的をもって)ある人の実際にはたいし悪くもない)言動悪い、好ましくない習慣としてを非難すること>となる。言葉によるイジメこの類か?

<いいがかりをつける>は大体<難癖をつける>と同じような意味が、こちらの方は純やまとことば。また<いいがかり>だけでもつかえる。<それは難癖というものだ>でもまちがいではないが、<それはいいがかりというものだ>が普通だろう。<いいがかり>についてはイソップ寓話のなかに<狼と子羊>というとんでもない<いいがかり>の話があり、別のポストで論じた。下記参照。
 
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=4865020567027254732#editor/target=post;postID=8926526023441002470;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=1;src=link 
 
sptt