Monday, November 30, 2020

<まる>について

<まる>は元来<丸、円、circle>だが日常語の<まる>はこれを意識せずに使っている。慣用語、慣用句をならべてみる。

まる暗記
まる写(うつ)し
まるがかえ
まるかじり
まる腰(ごし)
まるごと
まる損(ぞん)
まる出し
まるつぶれ
まる呑(の)み
まる裸(はだか)
まる坊主(ぼうず)
まる見え
まる儲(もう)け
まる焼き

まる(っ)きりダメ
まるくおさまる(おさめる)
まるでダメ
まるでxxのようだ

おもしろいことに以上の語、句に本来の<まる(丸、円、circle)>の意味があるのがない。ただし別のところで独立して取り上げたが

まるくおさまる(おさめる)

は本来の<まる(丸)>の意味が意識されている。 

上記例で使われている<まる>の意味としては

1)すべて、全体 - これが一番多い 

2)もとのままのすがた、状態

まるかじり、まる焼き; まる腰(ごし)、まる裸(はだか)

慣用句の方はなぜか否定が多い。Not at all だ。そしてかなりの超頻度使用句だ。無意識のうちに毎日使っているだろう。

これまた別のところだが何度か日本語動詞の特徴の一つ<まるーめる>を調べて書いたことがある。この本家とも言えるのは

まる(丸)まる
まる(丸)める

だ。

まる(丸)まる - まるまって寝る。丸虫がまるまる。

まる(丸)める - まるめて団子にする。紙をまるめて、たま(玉、球、弾)にして投げる。背中をまるめる。

以上はなぜか様子が目にうかんでくる。 

日本語では2Dでも3Dでも<まる>で間に合うようだが3Dの球(きゅう)は<まり(毬)>というやまとこばがある。2.5Dみたいな球面は適当なやまとこばがないようだ。<たまづら>、<まりづら>が該当するか?英語のほうも

丸、円 - Circle (ラテン語系)  丸いは round という純英語系の語がある。
球面  - Sphere (ラテン語系)
球 - Ball  (純英語系)

で統一がとれていない。

 

sptt



 

Thursday, November 19, 2020

<一様収束(数学)>のやまとことば

少し前に<楕円曲線(数学)解説のやまとことば>というのを書き始めたが、まとまるまでの1/10にもならずにほうり投げている。何度か読み返しているが、先へ進む気力がなかなか出てこない。最近何度か読みかえしてみたがはじめの方に

楕円曲線は、代数幾何学的には、射影平面 P2 の中の三次の平面代数曲線として見ることもできる。より正確には、射影平面上、楕円曲線はヴァイエルシュトラス方程式あるいはヴァイエルシュトラスの標準形

{\displaystyle Y^{2}Z+a_{1}XYZ+a_{3}YZ^{2}=X^{3}+a_{2}X^{2}Z+a_{4}XZ^{2}+a_{6}Z^{3}}
により定義された非特異な平面代数曲線に双有理同値である(有理変換によってそのような曲線に変換される)。そしてこの形にあらわされているとき、O は実は射影平面の「無限遠点」である。

というのがある。

{\displaystyle Y^{2}Z+a_{1}XYZ+a_{3}YZ^{2}=X^{3}+a_{2}X^{2}Z+a_{4}XZ^{2}+a_{6}Z^{3}}

むずかしそうだが、この式と関連して<楕円曲線(数学)解説のやまとことば>の出だしで

<楕円曲線>はフェルマーの最終定理 (Simon Singh, 青木 薫訳、新潮文庫)のなかででてくるが、これがわからないとこの本の意味が半分くらい解らないと言っていい . . . .

と書いたが、フェルマーの最終定理  のなかでは楕円曲線の紹介として


”楕円曲線” と言う名前は誤解をまねきやすい。というのも、それは楕円でもなければ、日常的な言葉の意味では曲線でもないからである。楕円曲線とは、次のような形をもつ方程式のことだ(訳注
有理数を係数とする変数変換をほどこしてこの形になればいい)。

y2 = x3+ ax2+ bx + c   (a, b, c は任意の整数)

楕円曲線と言う名前は、かつてこの形の方程式が楕円の周や惑星軌道の長さなどを測るために使われたところからついたものである。しかし本書では誤解を避けるため、楕円曲線ではなく、”楕円方程式” と呼ぶことにする。

"

というくだりある。

さて内容は今もよくわからないが、ここを引用したのはヴァイエルシュトラスという数学者がでてくるからだ。 ヴァイエルシュトラスは知る人ぞ知る大人物で、ここにあるように楕円曲線に深く関係しているが、これとは別に<一様収束>という収束概念を作りあげた人物のようだ。時々頭をかきかき四苦八苦しながら読んでいる The Calculus Gallery : Masterpieces from Newton to Lebesgue (William Dunham)

みなそろってxxする
勢ぞろい
そろい踏(ぶ)み
おそろいの制服

と言った常用句がある。また上の例からすると<そろい>は形容詞にも名詞(体言)にもなる。副詞形<そろって>だ。収束を考えると

幼稚園児たちがそっろてひとところに集まる。
幼稚園児たちがそっろて一列にならぶ。

様子が<一様収束>に似ている。したがって<そろい収束>になる。だがこれは正確にいうとヴァイエルシュトラスの<一様収束>ではなくその前の各点収束(pointwise convergence)になるだろう。どうも<そろい方>に違いがあるようだ。Wikiの<一様収束>の出だしは


一様収束

数学の一分野である解析学において、一様収束(いちようしゅうそく、: uniform convergence)とは、各点収束よりも強い収束英語版概念である。関数 (fn) が極限関数 f一様収束する (converge uniformly) とは、fn(x)f(x) へ収束する速さが x に依らないということである。

連続性リーマン可積分性といった性質は、一様収束極限には引き継がれるが、各点収束極限に引き継がれるとは限らない。これは一様収束の重要性を浮かび上がらせている。 

となっており、正確には<fn(x)f(x) へ収束する速さが x に依らないということである>のところをやまとことばに入れないといけないのだ。The Calculus Gallery ではこのところを簡単な一行の数式(不等式)と言葉(英語)でうまく、わかりやすく説明している。

の字は中国系ネット辞書では

《說文》:「斂,收也。从攴僉聲。」

斂=收>でくわしい説明になっていない。

領収書
集金 - 収金でもよさそう
収集 - これは<斂=收>と同じく<集=收>になるだろう。

<一か所に集(あつ)まる>あるいは<一か所に収(おさ)まる>は<収束>に近い。数学用語で<近似する>というのがあるが、これも<収束>に近い。

< おさまる>をコンピュータワープロでは

収まる、納まる、治まる、修まる

と出てくる。違った漢字を使って区分するようだが、区分は明確ではない。もともとは平仮名で書けば、あるいは実際言ったり聞いたりする時はやまとことば<おさまる>の一語だ。慣用的な言い方を拾い出すと

落ちつくところにおさまる
これですべて丸くおさまる。
たくさんあるがひと箱におさまる。
風がおさまる。
騒ぎがおさまる。
混乱がおさまる。
腹の虫がおさまらない。
それではおさまりがつかないだろう。
さいわい今日は腰の痛みがおさまっている。
この国はいまは問題が山積しているが昔はよくおさまっていた。
国王(社長)の座におさまる。

このようにいろいろな意味で使われると言葉の意味に反して<おさまる>は<おさまりがつかない>ようだが、共通項は見つけられそうだ(別途検討にしておく)

<納まる>は<納入される>で<税金、年貢(ねんぐ)を納める>の他動詞<納める>にくらべると使用頻度は少ない。

国が<治まる>は国がひとつにまとまる。<国を治める>のように他動詞で使うのが多そうだ。

<痛みがおさまる>は治療の字からは<治(おさ)まる>でもよさそうだが<終息(終わる)>でもよさそう。<風が、騒ぎが、混乱がおさまる>も<終息(終わる)>でもよさそう。

<修まる>も他動詞<修める>が主に使われ、<学業を修める>で<身につける>。今はあまりはやらない<身を修める>というのがあるが、これはいかえると<修身>で中国(哲学)由来で意味は<道徳的に合格になる>といったところだ。

さいわい自動詞の<納まる>、<修まる>がほとんどつかわれないので自動詞<収まる>はあまり意味が広がらずに<ひとところにあつまる>、<ひとところにまとまる>と言った意味にかなり限定される。

落ちつくところにおさまる
たくさんあるがひと箱におさまる

という言い方はかなり<収束>の意味を表わしている。 <丸くおさまる>、<おさまりがつかない>はおもしろい表現だがこれも別途検討。

<集(あつ)まり>は集合のやまとことばどしてすでに使っている。<束(たば)ねる>は<ひとつにまとめる>に近い。これは他動詞。<束ねる>の自動詞はないようで<束になる>といった表現になる。<束になってかかってこい>という慣用表現がある。<束になる>は<まとまる>に近い。

以上から収束のやまとことば候補として

収束 =まとまり

上で < 一様収束><そろい収束>としたので<一様収束>のやまとことば候補として 

一様収束 = そろいおさまり(第二候補:そろい近づき。第三候補:そろいまとまり)

 としておく。

<そろい>をつかわないと、ここでは説明しないが

まるめおさまり (まるめ=まるめて)
まとめおさまり (まとめ=まとめて)

が考えられるが、<一様>の感じがでない。

少し古いが<なべて>という言葉がある。<おおよそみな、すべて>と言った意味だ。<おしなべて>は<ならすと>、<平均すると>と言った意味だ。これを使うと

なべおさまり、おしなべおさまり

だがこれも<一様>の感じがでない。

 

<追加>  一様ノルム

<一様収束(数学)>に関連して<一様ノルム(uniform norm)>を取り上げる。

数学や物理になじみがない人にはノルム(norm)は聞きなれないかもしれないが、ごく大雑把に言って<ノルム>とは<距離>のことだ。数学では考え方、そして決め方で<距離>にもいろいろある(相当常識離れしたものが多い)。

Wikiの<一様ノルム(uniform norm)>の解説は日本語版の方が少し長く、最後の部分をの除けば日本語版のほうが丁寧な解説だ。だが以下に引用する最後の部分は日本語版の部分はほぼ英語版の翻訳で、なじみの少ない翻訳語が多くわかりにくい。

日本語版 


一様構造

{\displaystyle d(f,g)=\|f-g\|_{\infty }}
は、ある特定の定義域上のすべての有界関数からなる空間(および、その任意の部分集合)上の距離となる。関数列 {fn : n = 1, 2, 3, …} がある関数 f に一様収束するための必要十分条件は
{\displaystyle \lim _{n\to \infty }\|f_{n}-f\|_{\infty }=0}


が成り立つことである。この距離位相について閉集合および閉包を定めることが出来る; 一様ノルムについての閉集合は一様閉と呼ばれ、同様に閉包は一様閉包と呼ばれる。関数からなる集合 A の一様閉包は、A 上の一様収束する関数列により近似されるようなすべての関数からなる集合である。例えば、ストーン=ワイエルシュトラスの定理の主張を「区間 [a, b] 上のすべての連続関数からなる集合は、[a, b] 上の多項式すべてからなる集合の一様閉包である」という形に述べることができる。


わずらわしくなるが英語版(末尾参照)の英語をカッコ内にいれると

{\displaystyle d(f,g)=\|f-g\|_{\infty }}

は、ある特定の定義域(a particular domain)上のすべての有界関数(bounded functions)からなる空間(space)(および、その任意の部分集合=and, obviously, any of its subsets)上の距離(a metric)となる。関数列(sequence) {fn : n = 1, 2, 3, …} がある関数 f に一様収束する( converges uniformly)ための必要十分条件(if and only if )は

{\displaystyle \lim _{n\to \infty }\|f_{n}-f\|_{\infty }=0}

が成り立つことである。この距離位相(this metric topology)について閉集合(closed sets)および閉包(closures of sets)を定めることが出来る; 一様ノルムについての閉集合(closed sets in the uniform norm)は一様閉uniformly closed)と呼ばれ、同様に閉包は一様閉包uniform closures)と呼ばれる。関数からなる集合 A の一様閉包(The uniform closure of a set of functions A)は、A 上の一様収束する関数列により(by a sequence of uniformly-converging functions on A)近似されるような(can be approximated)すべての関数からなる集合((the space of all functions)である。例えば、ストーン=ワイエルシュトラスの定理の主張を「区間 [a, b] 上のすべての連続関数からなる集合(the set of all continuous functions on [a,b]は、[a, b] 上の多項式すべてからなる集合(the set of polynomials)の一様閉包 the uniform closure )である」という形に述べることができる。

なじみのない日本語

定義域-domain

空間(および、その任意の部分集合)-数学上の<空間>は往々にして集合のことだ。

および、その任意の部分集合=and, obviously, any of its subsets

は英語を参考にすれば<(したがって、その任意の部分集合)>となる。

閉包(へいぽう)-closures of sets。日本語の方には sets が抜けている。正確にはここは<集合(複数)の閉包> で、こうしない意味がとれない。閉包(closure)の語はまだ認知されていないだろう。だから意味がとれない。閉包は文字通りでは<閉じ包む>でこれまた何のことだかわからない、<畳み込み>という用語があり、これは convolution の訳語。これは<畳み込む>作業のことで<畳み込まれた>結果ではない。一方閉包(closures(of sets))は<閉包された>結果の状態だろう。 閉包のやまとことばは<包み閉じられた、込まれた状態>になりそうだが、言葉としては変なので<包み閉じ>、<包み込み>としたらどうか。

<一様ノルムについての閉集合>も正確には< 一様ノルムの閉集合>としないといけない。<閉集合>は<一様ノルム>集合の中にあるのだ。

すべての関数からなる集合((the space of all functions) - ここはspace が集合と訳されている。

最後の最後の部分


例えば、ストーン=ワイエルシュトラスの定理の主張を「区間 [a, b] 上のすべての連続関数からなる集合は、[a, b] 上の多項式すべてからなる集合の一様閉包である」という形に述べることができる。

がおもしろそうなところだが、ここでまたヴァイエルシュトラスが登場してくる。大人物のわりにヴァイエルシュトラスがなじみがないのは名前が長すぎるからだろう。縮めて<ヴァイシュト>としたらどうか?こうしてもドイツ人らしい名前はたもたれる。<XX-ヴァイシュトの定理>となり、言いやすくなる。

 

 

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末尾

英語版


The binary function

d(f,g)=\|f-g\|_{\infty }

is then a metric on the space of all bounded functions (and, obviously, any of its subsets) on a particular domain. A sequence { fn : n = 1, 2, 3, ... } converges uniformly to a function f if and only if
\lim _{n\rightarrow \infty }\|f_{n}-f\|_{\infty }=0.\,


We can define closed sets and closures of sets with respect to this metric topology; closed sets in the uniform norm are sometimes called uniformly closed and closures uniform closures. The uniform closure of a set of functions A is the space of all functions that can be approximated by a sequence of uniformly-converging functions on A. For instance, one restatement of the Stone–Weierstrass theorem is that the set of all continuous functions on [a,b] is the uniform closure of the set of polynomials on [a,b]


 

 

Tuesday, November 17, 2020

丁寧(ていねい)のやまとことば

 

丁寧(ていねい)はいい言葉だ。

花子は丁寧な仕事をする。
丁寧に書かれた文章、説明、解説は読みやすい。 (だが<丁寧に書かれた詩>は褒め言葉ではないだろう。)
この家具は丁寧に仕上げてある。

しかし使われすぎているためか

電話ですむところをご丁寧にも電車に乗ってやってきた。

と皮肉的、否定的に使われることもある。 さらには

電話で簡単すむところをバカ丁寧にも雨の中電車に乗り、正装し、手みやげ持ってやってきた。

ともなる。これは皮肉でなくなる。

丁寧の語源を調べてめて驚いた。


https://www.changshiwang.com/ryrm/12529.html

【丁寧の語源・由来】
丁寧は、金属製の楽器の名に由来する。
昔、中国の軍隊で、警戒や注意を知らせるために鳴らす楽器を「丁寧」といった。
そこから、注意深くすることを「丁寧」と言うようになり、細かい点まで注意が行き届いていることや、礼儀正しく手厚いことも意味するようになった。

他のネット語源辞典も大体同じだ。だが中国で中国語で聞いたり見たりしたことはない。Wiki言語辞典では https://zh.m.wiktionary.org/zh-hant/%E4%B8%81%E5%AE%81

4番目に<言語懇切貌>というのがあるが文例は昔の文書語なので現代では死語だろう。ここで懇切がでてくるが、同義語だろう。懇切丁寧というのもある。歴史的には丁寧は<
丁寧は、金属製の楽器>のことして輸入されて、その後日本で今の丁寧の意味変わっていった、とは考えにくい。したがって上の本家中国の4番目の意味<言語懇切貌>で書面語として輸入されたのだろう。

一方日本語では日常生活で、皮肉的な言い方を含めてかなり頻繁に使われる。丁寧(ていねい)のやまとことばは何か? 上のネット辞典

【丁寧の語源・由来】では丁寧の意味として

1) 注意深くすること。 

(これは注意深くxxすること、あるいは注意深いこと、だろう。)

2)細かい点まで注意が行き届いていること。

3)礼儀正しく手厚いこと。

を意味としている。 

3)は<礼儀正しい>と<手厚い>同じレベルでは結びつかない。したがって、3)礼儀正しいこと。4)手厚いこと。になるだろう。だが<手厚い>は意味を調べないといけない。<手厚い>は簡容ネット辞書では、ほぼみな同じで(だから版権はないだろう)

扱い方やもてなし方が、親切で丁寧である。

 ここで丁寧がでてくるので親切がないと

手厚い: 扱い方やもてなし方が丁寧である。

となり堂々巡りになる。 <親切>は漢語だが、これは丁寧に似てほぼ日本語になっている。親切の語源は、これまたネットで簡単に調べられるが版権がありそうなので、簡単に説明すると

<親>は親(した)しい -> <親(した)しい>ためには仲が良くないといけない。<仲が良い(状態)>ためには相手の立場、相手の身になって考え(理性)、思って(こころ、心情)相手に対応する必要がある。言い換えると<親>は<思いやりがある対応>をにおわせる。

<切>は<切実>の<切>で、<切>だけで<切実>の意味がある。<切る>とは基本的に関係ない。<切実>は実(じつ、み)があるで、からっぽ、表面的の反対の意味だ。

以上のような<親>と<切>を足すと

実のある(表面的でない)+思いやりがある対応

となり

心から思いやりがある対応

とでもなる。本場の中国では<親切>ほとんど聞かない。死語ではないか。末尾(注)参照。だが丁寧のやまとことばを考えるときこの和製漢語のような<親切>はキーワードだ。

さてはじめの例文を考えて見る。

1. 花子は丁寧な(丁寧に)仕事をする。 

具体的には、仕事内容にもよるが、丁寧な仕事とは

1)ミスが少ない、2)やり直したり、訂正する必要がごく少ない、3)<細かい点まで注意が行き届いていること>を感じさせる

仕事と言えそうだ。

花子がなぜ丁寧な丁寧に)仕事をするかというと、考えられるのは

花子の性格。いい加減に仕事はしたくない。ここで<いい加減>は元来の意味(良い加減)とは反対の意味に変遷してしまっている。細かい点まで注意が行き届いていること>は<注意深い>とは違う。<注意深い>は<ミスがない、やり直したり、訂正する必要がないようにxxする>に近い。細かい点まで注意が行き届いていること>はどの方向かよくわからないが、<注意深い>から一歩進んでいる。

2. 丁寧に書かれた文章、説明、解説は読みやすい。 (だが<丁寧に書かれた詩>は褒め言葉ではないだろう。)

これも逆に<いい加減に>書かれた文章、説明、解説は読みにくい、わかりずらい、さらには読みたくないとなる。なぜか。筋(すじ)が追えない、頭にはいってこないのだ。細かい点まで注意が行き届いて>書かれた文章、説明、解説というのはすぐにはピンとこない。したがってよくできていても<細かい点まで注意が行き届いていること>を感じさせることは少ない。書かれた文章、説明、解説は読みやすい、わかりやすい、筋(すじ)が追える、すんなり頭にはいってくればいいようだ。

一方、だが<丁寧に書かれた詩>は褒め言葉ではないだろう。これはなぜか。よい詩は独創性が必要だ。少し読みにくくても独創性があればよい詩になる。細かい点まで注意を行き届かせる>と常識にとらわれ独創性をそぐことになる可能性がある。ただし細かい点まで注意を行き届かせた>独創性のある詩もあるだろう。

細かい点まで注意を行き届かせる>と常識にとらわれるのは、主に他人(読者)がどう思うか、他人がどう対応するかを考えすぎるからだろう。これは別の見方をすると、<他人への思いやり、親切心>の行き過ぎ、方向違いともいえ、自己、自主性、独自性がそこなわれるのだ。

3.この家具は丁寧に仕上げてある。

丁寧に仕上げれた家具は見栄え(みばえ)がよく、使い勝手がいい。 場合によっては愛すべき家具となる。

さてこのポスとの題目<丁寧(ていねい)のやまとことば>にもどる。

丁寧(ていねい)と親切の違い

1. 花子は丁寧な丁寧に)仕事をする。

1-1)花子は親切な(親切に)仕事をする。

2. 丁寧に書かれた文章、説明、解説は読みやすい。

2)-1 親切に書かれた文章、説明、解説は読みやすい。

3.この家具は丁寧に仕上げてある。

3-1)この家具は親切に仕上げてある。

<親切>がまったくダメというわけではないが、<親切>を使う人、ケースはごく限られるだろう。<親切>は相手、対象との人的関係が強く、<思いやり>が深くからんでいる。一方<丁寧>は相手、対象とは関係するが、細かい点まで注意を行き届かせる>のは必ずしも<相手、対象への思いやり>からではない。花子の例のように、一種の(花子の)性格、性質によるところが大きい。言い換えると、人的関係を第一としなければ、 丁寧は親切より本質的といえる。

さて丁寧のやまとことばだが、

丁寧には上記のように

1) ミス(落ちど)が少ない

2) 細かい点まで注意が行き届いている

3) 本質的な好ましい性格、性質

の属性がある。やまとことば候補として

丁寧(ていねい): 落ちどぎらい(たち)

 はどうか?

丁寧な - 落ちどぎらいな
丁寧に - 落ちどぎらいに (これは新語だ)


末尾 (注)

https://www.zdic.net/hant/%E8%A6%AA%E5%88%87

親切 qīnqiè

(1) [cordial;kind]∶形容人態度親愛和善

態度親切

(2) [intimate]∶親密;親近

(3) [cordial]∶熱情關切

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國語辭典
親切qīn qiè ㄑㄧㄣ ㄑㄧㄝˋ
  1. 和善熱誠。如:「對人要親切。」冷淡,冷漠 1.凶暴 2.隔膜,疏遠

  2. 親近、親密。《紅樓夢.第五八回》:「儼似同胞共出,較諸人更似親切。」親密,親暱,親近,親熱

  3. 仔細、準確。《三國演義.第一八回》:「暗地拈弓搭箭,覷得親切,一箭射去,正中夏侯惇左目。」《老殘遊記.第一回》:「章伯看得親切,不禁狂叫。」

英語 amiable, cordial, close and dear, familiar

 

sptt

 

 



Sunday, November 15, 2020

もともと、目もと、口もと

 

<もともと>は英語にすると originally だろう。以前に数学の集合の<元>のやまとことば候補として<もと>をとりあげたが、<もと>はオリジンの意はあるが多義語、というか派生語が多くやまとことばの特徴がある。<もと>をコンピュータワープロで出すと

もと:元、本、基、素、下、許

と出てくる。<もと>を使った慣用語、慣用句を並べてみる。

xxがもとで   風邪(かぜ)がもとで
もとから
もとじめ
もとづく  (基づく)
もとで(元手)
もとにもどる
xxのもとで
もとのxx
もとのもくあみ
もとは
もとはといえば
もともこもない
もともと
もとより
もとをたどると

(追加予定)
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味の素(もと)
おおもと
おやもと
織(おり)もと  古語に近い
だめもと <- ダメでもともと
たもと (<-手もと)
ねもと
ひのもといち(日の本一)
火のもと用心火の用心
みもと
みなもと (源)
わざわいのもと

身体部分関連では

足もと  足もとにも及ばない、お足もとにご注意
襟もと  襟もとがさむい。なぜか<首もと>はほとんど聞かない
口もと  口もとに笑(え)みを浮かべる
腰もと
手もと  手もとに置く、手もとの辞書
喉もと  喉もと過ぎれば
(お)膝(ひざ)もと
耳もと  耳もとでささやく
胸(むな)もと
目もと  目もとパッチリ、目もとすずしい


意味がわからないのは調べて見てください。以外な発見がある。 意味は大体<xxのまわりのところ>(*)で見事に統一がとれている。これからすると<身もと>は<身のまわり(のところ)>になるがそうなっていない。

(*)<xx>のまわり不特定な広がりが感じられる。

<頭(あたま、かしら)もと>がないが、英語では Watch your head! という表現がある。この英語の中国語版は<小心碰头(頭)!>。逆に中国人は Be careful, hit your head! と言いそうだ。日本語で<お頭(かしら)もとに注意!>というのはどうか? 

Be careful は差し迫った時の注意(をながす)には不適だ。差し迫った時のの注意は英語では Watch out ! という。この out は何か?<もと>(xxのまわりのところ)に似ていなくもない。

----ー

<漢語+>になるが

元栓(もとせん)
発売元(販売元) - 売りもと
製造元 -

<もと>の反義語というか対称語は<さき(先)>だ。<先>をコンピュータワープロで出すと<もと>

に関連しては<先>しか出てこない。

xx (もと) ---> xx (さき)

(販売元) - 販売先
(売りもと) - 売り先
卸(おろし)もと - 卸先

(取り引きもと) - 取引先
(送りもと) - 送り先
(届(とど)けもと) - 届け先
(尋(たず)ねもと) - 尋(たず)ね先
(問い合わせもと) - 問い合わせ先

以上は<卸(おろし)もと>を除けば<もと>の方はほとんど使わない。目、意識が<さき>の方に向いているからだろう。

根元(ねもと) <-> 枝先(えださき)

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<求む>は<もと>と関連はないか?少し考えて見たがあまり根拠のないこじつけしか見つからない。

 こじつけ論法語源-1

<もとむ>(現代語は<もとめる>)は少し多義語で、

 1)得ようとする

2)要求する - 相手に<xxをくれるように、xxをしてくれるように>頼(たの)む

3)もとをたどる - この意味があればいいのだが、上の1)得ようとするもの、2)の<xxを>の<xx>があるところ(もと)をたどる、さがすこと言える。

こじつけ論法語源-2

参考になるには身体関連の<もと>で、 これはかなり古い(やまとことばが出てきた頃の)意味を保っているだろう。すなわち、上で ” 意味は大体<xxのまわりのところ>で見事に統一がとれている” と書いた。これからすると

もとむ -  xxのまわり(のところ)でxxするとなる。<xxする>が何かが問題だ。何かをさがすにはありそうな<ところのまわり>(もと)見たり、調べたりする。このような行為を<もとむ>と言った。


一方<もどる、もどす>はあきらかに<もと>由来だがなぜか濁音になっている。

 

sptt


 

 


Friday, November 13, 2020

<トポロジー>のやまとことば

 少し前のポスト<位相(フェイズ、phase)のやまとことば>のなかで

 

数学では topology の訳語に位相が使われているよるようだが、 よくわけがわからないまま<トポロジー>も使われているようだ。

位相空間(数学) (Wiki)


数学における位相空間(いそうくうかん、英語: topological space)とは、集合にある種の情報(位相topology)を付け加えたもので、この情報により、連続性や収束性といった概念が定式化可能になる。

と書いた。 よくわけがわからない<トポロジー>のやまとことばを探してみる。<トポロジー>の発音はやまとことばとしてわるくないので、わざわざやまとことばにする必要はないかもしれないが、訳語の<位相>がこれまたよくわけがわからないしろものなので、なじみの意味があるやまとことばあれば<位相>に代えてもいいのではないか。 トポロジー の英語の語源は

Wiki

"

位相幾何学(いそうきかがく、: topology, トポロジー)は、その名称がギリシア語: τόπος(「位置」「場所」)と λόγος(「言葉」「学問」) に由来し、「位置の学問」を意味している。 

とある。位置と場所は関連はあるがまったく違うものだ。したがって「位置の学問」と「場所の学問」は違う。だが、これはトポロジーとはあまり関係はなく、 トポロジー の内容からすると適切ではない。 

Wiki解説を続けると

 

トポロジーは、何らかの形(かたち。あるいは「空間」)を連続変形(伸ばしたり曲げたりすることはするが切ったり貼ったりはしないこと)しても保たれる性質(位相的性質または位相不変量)に焦点を当てたものである。位相的性質において重要なものには、連結性およびコンパクト性などが挙げられる。

でこれがトポロジー(の概要)なのだ。これを読んだだけでは、何のことだがわからない。細かいことをいうと

日本語の<何らかの形(かたち。あるいは「空間」)を連続変形 . . . . .>の部分がよくわからない。この箇所のWikiの英語版は

topology (from the Greek words τόπος, 'place, location', and λόγος, 'study') is concerned with the properties of a geometric object that are preserved under continuous deformations, such as stretching, twisting, crumpling and bending, but not tearing or gluing. A topological space is a set endowed with a structure, called a topology, which allows defining continuous deformation of subspaces, and, more generally, all kinds of continuity

で、日本語では<幾何(学)的対象(geometric object)>が<何らかの形>とやまとことばになっている。訳者はやまとことばファンか。問題は<形(かたち。あるいは「空間」)>の箇所でこれは英語版にない。おそらく<形(かたち)あるいは空間>ということだろう。つまりは形(かたち)だけでなく空間もトポロジーの対象(object)になるということで、これは後から出て来る内容にあっている。

 もう一つ細かいことをいうと

トポロジーは、何らかの形を連続変形しても保たれる性質に焦点を当てたものである。

からは<トポロジーは. . . . . に焦点を当てたものである。>となるが、ここの<もの>は<焦点を当てて調べ、考え、説明し、記述する学問>と思うが、これではト<トポロジー学>になってしまう。だが

位相幾何学(いそうきかがく、英語: topology, トポロジー

とすればこれでいい。<-logy>は学問なのだ。学問を除いた<トポロジー>の意味内容だけを抽出すると、英語の

topology is concerned with the properties of a geometrical object that are preserved ......

から関係代名詞句を前にもってきて


トポロジーは、. . . . .連続変形(伸ばしたり曲げたりすることはするが切ったり貼ったりはしないこと)しても保たれる<何らかの形>の性質 . . . . . に焦点を当てるものである。

 ”

とするとなぜか<もの>は問題がなくなる。上に出てきた空間は位相空間になる。繰り返しになるが

 


数学における位相空間(いそうくうかん、英語: topological space)とは、集合にある種の情報(位相topology)を付け加えたもので、この情報により、連続性や収束性といった概念が定式化可能になる。

で、これは前回のポスト<<空間のやまとことば-2 (数学の空間)>のなかの

"

 数学における空間(くうかん、: space)は、集合に適当な数学的構造を加味したものをいう。

"

で数学の<空間>はつまるところ<集合>なのだ。

 

の箇所とほぼ同じことを言っている。違うのは

集合に適当な数学的構造を加味したものをいう。 (数学の<空間>)

集合にある種の情報(位相topology)を付け加えたもので、(位相空間: topological space

すなわち

<適当な数学的構造>と<ある種の情報(位相、topology)>の箇所が違う。抽象度では<数学の空間>が<位相空間topological space>の上にあるので

位相空間(topological space) とは

集合に適当な数学的構造(ある種の情報(トポロジー))を付け加えたもの

となる。だが情報=トポロジーではないがトポロジーはある種の情報といえる。したがって抽象度を下げてトポロジー内容に特化すると

 

位相空間(topological space) とは

集合に(数学的構造の)トポロジーを付け加えたもの。

 

となる。前回のポストでは

 

(数学的)空間のやまとことば:もとあつまり

 

としたので位相空間(topological space)のやまとことばは 

位相空間(topological space):トポロジーもとあつまり

トポロジーもと>がすぐにわかれば、これでいい。だが<トポロジー>はやまとことばではない。これではもとに戻(もど)ったことになってしまう。少し前にもどって


トポロジーは、. . . . .連続変形(伸ばしたり曲げたりすることはするが切ったり貼ったりはしないこと)しても保たれる<何らかの形>の性質(位相的性質または位相不変量)に焦点を当てるものである。(言い換えてある)

位相的性質において重要なものには、連結性およびコンパクト性などが挙げられる。

 ”

連続性は、直観からも、なんとなくわかるが、コンパクト性は、少し調べて見たが、数学的<ナメクジ論法(*)>の推論、定義でこの短いポストでは((実際は理解できていないので)説明できない。ここでは大胆に、大幅にはしょって書き直すと(<はしょり論法>)

トポロジーは、. . . . .連続変形(伸ばしたり曲げたりすることはするが切ったり貼ったりはしないこと)しても保たれる<何らかの形>の性質に焦点を当てるものである

となる。さらに短くすると

トポロジーは、連続変形ができる<何らかの形>の性質

、大幅にはしょってはいるが意味は保たれる。だが<連続変形>と<性質>が漢語だ。

連続: 切れることのない、なめらか(な) (<なめらか>ナメクジの語源だ)

変形: かたちがえ

性質は<たち>でいいだろう。あるいは省略してもいい。

トポロジー:  なめらかかたちがえ(滑らか形変え)(たち)

少し長いが、これでトポロジーでは<コーヒーカップとドーナッツは同じ>が説明できる。

 

(*)数学的)ナメクジ論法

ナメクジのように、間違えのないようあたりをよく見ながら(調べながら)進む(動く)、という意味。

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 さて言葉について書いておく。

<トポロジー>から連想されるやまとことば

とっぽい

<とっぽい>は口語で、つまる音なので多分東京圏の言葉だろう。聞いたことはあるが、意味がよく分からないので使ったことはない。手もとの辞書やネット辞書で調べてみると、多義語で確定した意味がない。ネット辞書では死語、また昭和時代に使われた、とある。<トポロジー>は死語ではないが導入時、使用全盛期は昭和時代と思われるので<トポロジー>と関連があるのではないか?

とぼける (語源:と+ぼける)

都合の悪いコトを避けるように対応する。<トポロジー>に悪意はないが通常人の理解を避けるようなところがある。

とぼとぼ

とぼとぼ歩く。 <トポロジー>にはジャンプするようなところがない。 <なめらかかたちがえ(滑らか形変え)>なのだ。

 

sptt

 

 


 

 


 

 

Wednesday, November 11, 2020

空間のやまとことば-2 (数学の空間)

<空間のやまとことば>に再度挑戦。 <空間のやまとことば>を読み返してみたが、思いつくままに書きなぐっているようで、しかも結論がでていない。最近<関数空間>という意味ありげな数学用語に出くわしたので、数学の勉強もかねて<空間のやまとことば>に再挑戦してみる。

いったい数学ではいろいろな空間が出てくる。数学とは<空間遊び>といえるほどだ。

ベクトル空間 - これはまだ物理と関係がある。
トポロジカル空間 - これは純数学空間ともいえ物理と関係は薄くなる。

 Wiki <空間 (数学)>の冒頭の解説は

"

 数学における空間(くうかん、: space)は、集合に適当な数学的構造を加味したものをいう。

"

で数学の<空間>はつまるところ<集合>なのだ。 <集合>のやまとことばはだいぶ前に考えたことがある。読み返しててみたが

集合: あつまり

というのが結論。集合は基本的には元(げん)の<あつまり>で、ある数学的構造(きまり)を満足する元の<あつまり>が数学の<xx空間>ということになる。したがって関数空間は、調べてはいないのでよくわからないが、ごく大雑把には

ある関数を満足する元の<あつまり>が<関数空間>ということになる。

そこでこの<元(げん)>のやまとことばを探してみる。

Wkiの<>の解説。


数学において(げん、: element または member)とは、集合を構成する個々の数学的対象のことである。

これから、数学を取りのぞき、集合を<あつまり>とすると

(げん)とは<あつまり>を構成する個々の対象のことである。

となり、意味は通る。

<構成する>は<組み立てる>、<つくる>でいいだろう。
<個々>は<それぞれ>、<ひとつひとつ>でいいだろう。

 問題は今度は<対象>のやまとことばだ。 またまたWikiからの引用を続けると


集合の歴史的な定義は、Cantor (1895, p. 481)によれば

<集合 M とは我々の直観や思考からくる対象(これを M の元と言う)の集まりの、その全体のことを言う>



というのがある。同じようなことをいっているのだが、<直観や思考からくる対象>の<思考>は<考え>でいいだろう。今度は<直観>のやまとことばだ。

またまたWikiからの引用になるが、直観とは


直観(ちょっかん、英語: Intuition)とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。

とあり、一種の<認識すること>だ。 <認識>のやまとことばは<見分ける>がよさそう。以上をやまとこばでまとめて、いいかえると。

(げん)とは<あつまり>を構成する個々の対象のことである。

->

(げん)とは、<あつまり>をつくる一つ一つの見分けたり考えたりすることができるモノ、コト。

となる。何が何だかわからくなりかけているが、もとにもどると

1)数学の<空間>はつまるところ<集合>なのだ。空間=集合

2)集合は基本的には元(げん)の<あつまり>

3)集合とは

見分けることや考えることができる一つ一つのモノ、コトがつくる<あつまり>

のこととなる。 そして空間=集合なので

空間とは 

見分けることや考えることができる一つ一つのモノ、コトがつくる<あつまり>

となり、これが空間なのだ。少しずつまとまりかけてきているようだ。こうすると、空間は決して無ではない。むしろ、それこそさまざまなモノ、コトが<あつまって>いる場、ところ、と言うことになる。そして

そのような場、ところ(空間)は(個々)人がそれぞれ(意識的、無意識的に)<つくる>モノ、コトの<あつまり>

<空間>を残してカッコ内の漢字のを取り除くと

空間(と)は、人がそれぞれ<つくる>モノ、コトの<あつまり>

となり、高度に一般化されたやまとことばの言い方になる。だがこれでは

空間: 人がそれぞれ<つくる>モノ、コトの<あつまり>

となり、あきらかに長ぎる。

一方、元(げん)は、上で使ってきた元は数学的な<集合の元>の元だが、やまとことばでは<元>の字は<もと>になる。<もと>をコンピュータワープロで出すと

もと:元、本、基、素、下、許

と出てくる。やまとことばの<もと>はたいそう多義語にみえるがおおまかな意味はほぼ同じといっていい。

商品名の<味の素(あじのもと)>は大成功だが、<味の元(もと)>ともいえる。いいかえると

味を構成する(つくる)もと(のもの)

味を集合とみれば元(げん)は<もと(のモノ)>となる。この<元(もと)>を使ってみると

元気のもと  (元気の<元>は 何か?>
(睡眠と適度な運動は)健康のもと
わが社の発展のもとは . . . .
口(くち)はわざわいのもと

以上は構成要素というよりは原因、理由の意になる。これも因果関係を考えると意味がある。

もとに戻(もど)る    <もどる>は<もと>由来だろう。
もとをとる
もともと

といういいかたもある。 <もと>の詮索はこれくらいにして本題の空間にもどり、このやまとことば<もと>を使うと

空間:もとあつまり

となる。正確には<もと(の)モノ(の)あつまり>だが長すぎる。この<もとあつまり>は前回の <空間のやまとことば>の物理的な空間のやまとことばとはかなり違う。

 

sptt

 

 


 

 


 

Thursday, November 5, 2020

座標のやまとことば


座標のやまとことばは何か?いったい日常生活、一般の社会生活ではほとんど使わない。数学に興味があればデカルト座標(直交座標ともいうか)が頭の隅にあるかもしれない。さらに興味があればこれはデカルトの大発明というかもしれない。

一方囲碁や将棋に興味のあるひとはすぐに碁盤や将棋盤を連想するだろう。中国の囲碁の歴史は古く、Wikiによると


囲碁の実際の起源ははっきりとはわかっていない。少なくとも春秋時代には成立していたようで、『論語』や『孟子』の中には碁の話題が出てくる。

(中略)

碁盤の交点座標は、先手の黒から見て、横の座標を左から右に1から19の算用数字で、縦の座標を上から下に一から十九の漢数字で表すことが多く、これは数学直交座標系における第四象限と考えるとわかりやすい。

とある。ただ碁や将棋をやる人の興味は勝ち負けが第一で、碁石や将棋の駒の位置や動きに目がいき座標自体の意味を考える人はごく少数派だろう。こういうのを<宝の持ち腐れ>というのかもしれない。

さてやまとことばで座標関連の言葉をさがしてみる。

ますめ

ますめ(升目、枡目))は碁盤の<め>に近い。<ますめ>の<め>や碁盤の<め>は必ずしも<目>ではないだろう。この詮索は別途する予定。

 <ますめ>は座標といえるかもしれないが、座標は<ますめ>ではない。<ますめ>というやまとことばからはデカルトの大発明が結びつかない。むしろ、<ますめ>となっていること、そして囲碁や将棋はもっぱらこの<ますめ>を使うため、もっと自由な座標に発展しなかったのだろう。

これまたWikiからの引用になるが(座標)、 

 ”

起源

座標という概念を初めに考え出したのは哲学者であり数学者でもあるフランスのルネ・デカルトといわれている。ただし、彼の著書『幾何学』では問題に応じて基準となる直線を適宜設定しており、現在のような固定した座標軸を設定する表現は用いられていない。

(中略)

「座標」の由来である"co-ordinate"の用語を初めに用いたのはドイツの哲学者、数学者のゴットフリート・ライプニッツであり、現在の直交座標系の表記もライプニッツのものに由来する。

 ”

 <彼の著書『幾何学』では問題に応じて基準となる直線を適宜設定しており、現在のような固定した座標軸を設定する表現は用いられていない。>の箇所は重要で、これはやや専門的になるが一種の<一般座標(generalized coordinate)>(*) でこれも大発明である。

ものさし

<ものさし>はデカルトの適宜設定の直線に近いが、いわゆる座標の直交座標にはならない。言葉としては<もの>も<さす>も一般的な語で<一般座標(generalized coordinate)>のやまとことばならば<ものさし>がいい。

Wikiの説明によれば、デカルト座標(直交座標)はライプニッツの発明ということになる。デカルトもライプニッツも大哲学者だ。直交座標はあるもの<位置決め(いちぎめ)>に関連している。ここが肝心どころだ。したがって座標のやまとことば第一候補としては<ものさし>から連想しやすい

1)座標 = いどころさし

だが、連想しやすさから一本の直線を連想しやすい。用途はよく知らないが直角定規というのがある。

2)座標 = いどころぎめ

実際には<いどころぎめ>に使う道具といえるが、道具は漢語だ。したがって

座標 = いどころぎめ(につかう)もの

となるが、長すぎるし、これはどちらかというと定義だ。 一方<いどころぎめ>は<座標のはたらき>といえるので、悪くはない。上の<ものさし>と同じで連用形の体言(名詞)用法。これはやまとことば(日本語)の大きな特徴だ。

ライプニッツの直交座標は直線の組み合わせで、直線は軸(じく)ともいう。<じく>はやまとことばに聞こえるが

ネット辞典では


中国語訳轴ピンインzhóu、 【広東語】. イェール式juk6.

となっており、昔の発音を多く残す広東語は juk または zhuk (チョ(ッ)クと発音)で漢語だ。 直線あるいは線のやまとことばは、以前に調べたが、適当なのがなく<すじ>が一番近いようだ。したがってこれらの座標は

いどころぎめすじ
いどころぎめすじかい (かならずしも直交ではないが、交差している二つ以上の直線だ)

となるが、これは受け入れらられそうもない。 


(*)一般座標(generalized coordinate)>を勉強してうるうちに<座標のやまとことばは何か>と考えて、このポストを書き始めた。

 

sptt