<カンがはたらく>は、コンピュータワープロでは<感が働く>、<勘が働く>と出てくる。<カン>は第六感といえるが外部からの刺激に反応する感覚ではなく、頭の働きと思われるので漢字を使うとすれば<勘が働く>がいいだろう。だが<勘>は何だかよくわからない。以前に ” <考える>の語源 ” というポストを書いているが、その中で<考える>に関連して<勘>を調べたことがある。手もとに辞書では<考える>は ” <勘える>とも書く” というのを見つけた。<考える>の解説の最後に付け足しとして書いてある。
<カンが働く>以外では
勘にたよる勘所(かんどころ)をおさえる
するどい勘、にぶい勘
職人は<勘にたよる >ことが多いが、すぐれた職人は<勘所(かんどころ)をおさえて>いる。
直観は<勘>に関係しているようだが<観>一語ではあまい使われない。<xxの観を呈する>というい方があるが漢文調で日常語ではない。どちらかというと視覚関連の語だ。直観と<勘>の説明は難しい。難しいが日々に生活や長い人生(英語で言えば Life の一語になる)で相当の役割をしめている。
勘を養(やしな)う
という。ということは<勘を持つ>、<勘を働かせられようになる>には時間や訓練が必要ということになる。いい職人になるには時間と訓練(修行)が必要だ。一方直観はこれらを必要としない。
勘はいいことづくめではない。<こういう複雑なことは、勘にたよることなく、コンピュータで分析してやった方がいい>などと言う。
勘づく - <感じる(感ずる)>と関連がありそうだが<感ずく>、ではなく<感づく>。
かんがみる - <勘が見る>で意味が通じないこともない。
かんじんなところ - <肝心>は当て字とも考えられる。
カンにさわる - これはどうも<癇>という見慣れない字を使うようだ。癇癪=かんしゃく。
カンの虫 - これも<癇>という見慣れない字を使うようだ
<カンが働く>に関連しては
気がつく
思いつく
考えつく
があるが、区別がありそう。<気がつく>も日常成生活では重要な働きをするが<カンが働く>はもう少し根が深いようで、<気がつく>人はけっこういるが<カンが働く>人はさほど多くないようだ。商売や事業や投資で成功する人は概して<カンが働く>人だ。<思いつく>、<考えつく>は<気がつく>や<カンが働く>とは次元が違うようで、創造に関連している。<思いつく>は<思いつきでやられてはこまる>などと否定的にも使われる。<ちょっと思いついた>はいいいが、<ちょっと考えついた>は少しおかしい。<考えつく>はある程度の時間<考え続けて>、<考えをめぐらして>からだ。
同じようなことに見えても時間をかけないで行われることと、時間をかけておこなわれることは分けて考えられる。そしてこの違いは言葉にあらわれてくる。<幸せ>(happiness)と<楽しみ、娯楽(enjoyment)>にはこの違いがある。
このポストは、関係なさそうだが、次のソクラテスのことばを考えてから始まっている。
The secret of happiness, you see, is not found in seeking more, but in developing the capacity to enjoy less.
sptt
sptt
No comments:
Post a Comment