今は<いそがしい>が一般に使われるが、<せわしい>、<せわしない>は消したくないやまとことばだ。<いそがしい>の<が>が耳ざわりだ。<せわしいひと>と<せわしないひと>はなぜかほぼ同じ意味だ。手もとの辞書では、<せわしない>は<せわしい>の強調と、なっている。<強調>というのはクセモノでなんでも強調ですませるのはよくない。<せわしい>、<せわしない>の場合、<せわしない>が<せわしい>の強調と感じる人はいないだろう。 以前に ” <だらしがない>の語源 ” というポストを書いたことがあるが、<だらしがない>の意味はよくわからない。おもしろいのは<ない>で、<ない>は単純な否定とは言えないのだ。<せわしない>も<ない>は手もとの辞書に従えば否定ではなく強調になる。だが<ない>は強調といっても、誰もすぐには納得しないだろう。ではどう説明したらいいのか?<だらしがない>のポストを利用すると
<せわしない>の<ない>は二重否定で、二重否定は肯定になり、しかも肯定を強調することになる。
というもの。
<せわしい>の関連語には<せく>、<せかせる>がある。
そななにせくことはないだろう。
は
そんなに急ぐことはないだろう。
に置き換えられつつある。だが
そんなにせかさないで(くれ)。
は
そんなに急がさせないで(くれ)
でまだ置き換えられていない。関連語では<せかせかした人>の<せかせか>がある。
さて<せわしない>の<ない>だが、少し考えたが意外と簡単だ。
<せわしい(人)>は
ゆとりがない(人)
余裕がない(人)
ヒマがない(人)
休みがない(人)
だ。 <ゆとりがない(人)>を例にとると
ゆとりがない(人)-> ゆとりない(人)
<せわしい(人)>を<ゆとりない(人)>の意で使っていると奇妙な融合(fusion)がおこる。
せわしい(人) + ゆとりない(人) => せわしない(人)
あるいは
せわしい(ゆとりない)(人) => せわしない(人)
こういう奇妙な融合(fusion)は、言語では少なからずある。
sptt
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