Saturday, December 29, 2018

加減乗除のやまとことば - 2 和差積商のやまとことば


<加減乗除のやまとことば>のポストではあきらめかけたが、終わりに<和差積商>のやまとことばに簡単にふれている。


上で<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらない、と書いたが、よく探してみると

和: 足し合わせ
差: 違い
積: 掛け合わせ (これは<掛け算>の意味をもたせられるようだ)
商: 割り分けまえ (<分けまえ>だけでは等分にならない)

が可能だ。<違い>は一語ですっきりしているが、その他は複合(合成)動詞になる。



これとはまったく別に<和、差、積、商>に再度挑戦してみる。

加減乗除は

加  - 足し算 -> 足し
減  - 引き算 -> 引き
乗  - 掛け算 -> 掛け
除  - わり算 -> 割り

足し、引き、掛け、割りは<足す>、<引く>、<掛ける>、<割る>の連用形の体言(名詞)用法。<和差積商>はそれぞれの計算の結果(答え)を表す語だ。 英語では

足す: to add (addition)
引く: to subtract (subtraction)    to deduct (deduction) でもいいようだがが数学では to subtract (subtraction) が使われている。
掛ける: to multiply (multiplication)
割る : to divide (division)

に対し

和: sum
差: difference
積: product
商: quotient

のようにまったく違う言葉が使われている。積: product、商: quotient はなじみの薄い語となる。

やまとことばの和差積商の候補としては

和 - 足し増し
差 - 引き残り
積 - 掛け増し
商 - 割り分け

増し、残り、分けは<増す>、<残る>、<分ける>のこれまた連用形の体言(名詞)用法。数字に限っていえば

和 - 足し増し数(かず)
差 - 引き残り数(かず)
積 - 掛け増し数(かず)
商 - 割り分け数(かず)

になる。

商は、たとえば

10 割る 2 = 5

を言葉でしめすと

10を2で割ってそれぞれ等しく分けたときの<分けられた数(かず)>の方が結果を示す感じがあり、<分けた>数よりよさそう。これをあとの三つにも応用して列記すると

和 - 足し増され数(かず)
差 - 引き残され数(かず)
積 - 掛け増され数(かず)
商 - 割り分けられ数(かず)

になる。だが長すぎるようだ。 もう少し調べてみる。

<残る>は自動詞なので

差 - 引き残り数(かず)

でいい。<増す>は自動詞/他動詞両刀使いで、自動詞を優先すると

和 - 足し増し数(かず)
積 - 掛け増し数(かず)

でいい。

<分ける>は他動詞だが(<分かつ>という他動詞もある)、<分かれる>という自動詞がある(昔は<分かる>と言っていたようだ)。したがって

商 - 割り分けられ数(かず) -> 割り分かれ数(かず)

ところで、<加減乗除のやまとことば>では気がつかなかったが、掛け算は足し算の一種と言える。

2x3=6 は

2+2+2 = 6

これをやまとことばであらわすと<2を三たび足す>ことだ。<たび>は日常よく使う。

たびたび

ひとたび
ふたたび
みたび
よたび
以下は漢語にり
5(ご)たび
6(ろく)たび

<ひとたび>は<ひとたびxxxxすると>という言い方があり、英語の<once xxxx>に相応する。
<ふたたび>は<また>にほぼ同じ。<もうひとたび>といえるがこれは大方(おおかた)<もう一度(いちど)>に置き換えられている。

2+2+2 = 6 にもどると

<2を三(み)たび足し重ねる>ともいえる。(<たび重なる>という言い方がある)。したがって

積 - 掛け増し数(かず) ‐>足し重ね数(かず)

ともいえる。わるくないと思うが、<掛け(る)>が抜けてしまう。しかし<重ねる>は応用がきく。<掛け重ねる>は同じ数を<掛け重ねる>と乗数(べき乗計算)になるので乗数を<掛け重ね数(かず)>になる。<重ねる>は他動詞で自動詞は<重なる>なので<掛け重なり数(かず)>となる。もっとも積(せき)は<積み重ねる>につながる。<積み重ね>は掛け算でなく足し算だ。これからすると、割り算は<引き重ねる>、商は<引き重ね(引き重なり)数>になり、まちがいではないが、割り算の基本的な役割の<分ける>が抜けてしまう。

以上は初歩的な算数の計算を漢語ではなくやまとことばで言い換えたもので、少し長くなるが(漢語愛好者は<長たらしくなる>と言うか)、習いたての子供には掛け算、割り算の理解に役立つのではないか。 もちろんやまとことばの習得には大いに役にたつ。

sptt

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Sunday, December 16, 2018

ゆらぐ、ゆるぐ、ゆるす、ゆるむ、ゆする、ゆずる


<ゆらぐ>、<ゆるぐ>、<ゆるす>、<ゆるむ>、<ゆれる>は yu-r (a, u, e) で<yu-r>の部分は同じ音源(語源に準ずるもの)の動詞といえる。意味も関連している。さらに広げると<ゆする>、<ゆずる>というのもある。これは日本語(やまとことば)の大きな特徴を言ってよく、時間をかけて調べる価値がある。活用を見てみる。

 終止形   連用形  
ゆらぐ    ゆらぎ
ゆるぐ    ゆるぎ
ゆるす    ゆるし  
ゆるむ    ゆるみ
ゆれる    ゆれ
ゆする    ゆすり
ゆずる    ゆずり

<ゆらぎ>は日常語というようりは物理現象や心理描写(こころの動きの表現)に使われる。<いこい>、<やすらぎ>にかわって<いやし>というのを聞くがこの<ゆるぎ>も<いやし>ににたところがあって<今っぽい>、<now い>表現のようだ。

<ゆるぎ>は<ゆるぎない>の否定表現(否定形容詞)でよく聞く。これは<ゆるぎ>の未然形<ゆるが>+<ない>の<ゆるがない>が変化したものではなく、<ゆるぐ>の連用形の体言(名詞)用法も<ゆるぎ>+<ない>で<ゆるぎがない>、<ゆるぎのない>の<が>や<の>が省略されたものだろう。

ゆるがない決心

はいいが

ゆるぎない決心

はややおかしい。<ゆるぎない基礎>とか<ゆるぎない信念>ならいい。 <ゆるぎない決心>すこしダメで<ゆるぎない信念>がOKなのは説明がいる。おそらく<ゆるぎない>は一語の形容詞に近くなっている、あるいはもうすでに形容詞になっている。いっぽう<ゆるがない>はまだ動詞<ゆるぐ>+<ない>で動詞のイメージがまだ残っているといえる。決心は特定の個人のことを言う場合が多く、一般化されていないのでこうなっているいるのだろう。<一般化されていない>はまだ<形容詞化されていない>ともいえる。

太郎のゆるがない決心
太郎のゆるぎない決心

は同じように聞こえるが、 <太郎のゆるがない決心>がまだ

 太郎の-ゆるがない-決心

のように、動詞感を残して、分解されるのに対して<太郎のゆるぎない決心>は

太郎の-ゆるぎない決心

と、動詞感が薄れて、分解されそう。だが両者間には<ゆらぎ>があり、だれにでも容易にわかる確かな差があるとはいえないようだ。<ゆるぎない>の反対語では<たよりない>、<おぼつかない>という同じく否定形容詞型の言葉がある。<たよりない>は<ゆらぐ>と同じく<たよらない>という言い方がある。一方<おぼつかない>は<おぼつく>の未然形<おぼつか>+<ない>で、連用形の<おぼつき>+<ない>の<おぼつきない>という言い方はない。そもそも<おぼつき>という語はないようだ。これも<ゆらぎ>の一種と言えそうだ。

<ゆるす>は<ゆらぐ>、<ゆるぐ>と関係なさそうだが、次の<ゆるむ>を考えると<ゆるす>は束縛、規制、規律、法律(きまり)を<ゆるめて>することが多い。 <ゆるす>は大雑把には<ゆるめる>ことと言える。<ゆるむ>は自動詞<ゆるめる>は他動詞。

<ゆるゆる(な、だ)>は<しまりがない>の意も<余裕がある>の意もある。 口語だが意味深(いみしん)な言葉だ。社会や個人の<自由>の定義に関連しそうだ。<自由>のやまとことばななにか?

好き勝手
思いのまま

ではないが、

自由(な)社会は制限はあるがかなりな程度<好き勝手>ができる<ゆるゆる社会>といえないだろうか。

<ゆする>は<ゆらす>に近いが派生語がよく使われる。ひどい<ゆすり>は犯罪だ。<ゆすりをかける>は<おどしをかける>ほどではないがあまりほめられない意図的な行為だ。

<ゆずる>は<ゆする>のがなまったものといえるが、<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ゆすって>空間をつくり、他人が目的を達成できるようにすることと言える。一方<する>がなっまった(ずれた)<ずる>という動詞がある。<ゆずる>とは他人の障害になっている自分の身や考えを<ずらして>空間をつくることともいえる。<ゆる>+<ずる>の合成動詞の可能性がある。


sptt




Friday, December 14, 2018

<うしろめたい>の語源-2 <めた>、<めちゃくちゃ>


前回のポスト ” <うしろめたい>の語源 ” の最後で次のように書いた。

"

<めた>を探しているうちに、手元の辞書(三省堂)で<めた>をみつけた。 日常よくつかっている。

めためた(めちゃめちゃ) - 事態はもう<めためた>だ。なまって、事態はもう<めちゃめちゃ>
だ。 その侍(さむらい)は相手を<めためた>に切った。
めちゃくちゃ - 太郎は花子が好きなおもちゃを<めちゃくちゃに>こわした。
めちゃ - このステーキは<めちゃ>うまい。
めった(にない) - こういううまい話は<めったに>ない。
めったやたら - こういううまい話は<めったやたらに>ない。この秘密は<めったやたらに>に人に語るものではない。

この<めた>はおもしろいので別途とりあげることにした。

"
と書いたので、忘れないうちに続けてかくことにする。

手元の辞書(三省堂)によると<めた>は中世の言葉だ。 <めちゃうまい>などの現代語になっているのはおもしろい。<めちゃうまい>と言っている人で<めた>が中世の言葉と知って使っている人はごくまれだろう。手元の辞書には語源説明がないが、語源は漢語(仏教語らしい)の<滅多>だろう。<めくら滅法>、<滅法つよい>、<滅法もない>という言い方がある。<滅法>の<滅>は<滅(めっ)する>で、<全滅>というのもある。<めっすると、なくなる>ので<ない>という意味につながる。<法がない>は<決まり、規律がない>で<めちゃくちゃ>に通じる。したがって<滅多>は<多くはない>ということになる。<滅多(めった)にない>は<多くはなくはない>になってしまうが、これは二重否定による<否定>の強調で説明できる。<滅多(めった)にない>は<けっして多くはない>。<けっして多くはない>は辞書の説明の<そんじょそこらにない>だ。<法がない>は<方法がない>の意味もあり、これだと<やみくも(闇雲)>になる。これも辞書の説明に似たようなのがある。

さて<うしろめたい>の語源の話にもどって、 <うしろめたい>の<めた>を上記の<めた>とすると、<い>を形容詞語尾として<うしろめた>、<うしろ滅多>を考えてみる。

<うしろ>がめちゃくちゃ、<うしろめちゃめちゃ>
<うしろ>がまったくない
<うしろ>がやみくも、<うしろが>なんだかわからない

が考えられる。<うしろがめちゃくちゃ>の心理を考えてみると少し飛躍することになるが<したことを考えると、もうどうしていいかわからない>となる。状態を示す形容詞語尾<い>を付け加えると、<うしろめたい>で<したことを考えると、もうどうしていいかわからない(こころの、思いの)状態>の形容となる。

sptt




Thursday, December 13, 2018

<xx やか>婦人


やまとことばの<xx やか>形容動詞を<アイウエオ>順に並べてみる。

あざやか
あでやか
おだやか
かろやか
こまやか
さわやか
しとやか
しめやか
すこやか
すみやか
たおやか
つややか
なごやか
にぎやか
にこやか
のびやか
はなやか
まろやか
ゆるやか

以上を使うと理想的(イデアル)な女性ができあがる。

肢体はすこやかに育ちてのびやかにしてかつまろやか。あざやかな衣装に身をつつみてかろやかにあるく姿はすみやかに動き、ときにはなやかときにあでやか。

ほほえむつややかなにしてきめこまやかな肌のにこやかな顔。しとやかな口もとからゆるやかに出る言葉はさわやか。

こころはおだやかにしてこまやか、さらにはなごやか 。

ねべてたおやかなり。


sptt

<うしろめたい>の語源


<うしろめたい>、<うしろめたさ>はシリアスに考えると良心の呵責(かしゃく)、罪悪感、罪の意識となる。西洋では教会で告解(こくげ)をすると罪の意識(うしろめたさ)が薄らぐことになっている。だがこれはカトリックで、これをやめてしまったプロテスタントとは相いれないという由々しき問題なのだ。さてやまとことばの<うしろめたい>の語源はなにか? 似たような言葉に<うしろぐらい(暗い)>があるが語源をさぐるというほどのことはない。意味はズレるが<後ろ髪を引かれる>というのもある。

<うしろめたい>の語源で問題は<めたい>だ。古語は<うしろめたし>でこれが<うしろめたしい>-><うしろめたい>になったもにだろう。<めたい>、<めたし>は何か?<xxたい>、<xxたし>は願望でつかわれるが<め+たい>とすると<め>はなのか。少し違う<見(み)たい>では<うしろ見たい>となり何のことだかわからない。むしろ<うしろ見たくない(が見えてしまう)>とう思いだ。だが<うしろ見たい>も否定はできない。何かの事情で<うしろめたい>の意に変わってしまったのだ。

次(つぎ)

<め>は<めっす(る)、滅する>の<め>。<うしろ滅(めっ)したい>-><うしろ滅め(っし)たい>と変化した。意味は<うしろ(過去のまちがい)を消したい>で意味が通じる。だが<滅(めっ)する>は漢語由来だ。しかも促音便で関東方言だ。めくら滅法の滅法(めっぽう)という漢語がある。元来は仏教用語だろう。<めっす(る)、滅する>は意味がようく伝わらない(イメージがわかない)まれな言葉ではなかっただろう。

やなとことばに<消す>というような意味の<めつ>という動詞があり、これに<たい>がついて<めちたい>。<ち>がぬけて<めたい>。

<みたす(満たす)>がなまって<めたす>。だが<うしろ満たす>はナンセンスだ。

あるいは<めたす>という動詞があり、この連用形は<めたし>で、連用形には体言(名詞)用法があり、<うしろ+めたし>ー><うしろめたし>で、元来は体言(名詞)だったが、修飾語(形容詞)になった。だがほかの<xxxめたし>がみつからない。

次(つぎ)

<めたい>、<めたし>とい形容詞、形容詞語尾があった。<めでたし>ではない。<うしろめでたし(い)>ではこれまた何のことだかわからない。だがほかの<xxx めたし(い)>がみつからない。

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<めた>を探しているうちに、手元の辞書(三省堂)で<めた>をみつけた。 日常よくつかっている。

めためた(めちゃめちゃ) - 事態はもう<めためた>だ。なまって、事態はもう<めちゃめちゃ>
だ。 その侍(さむらい)は相手を<めためた>に切った。
めちゃくちゃ - 太郎は花子が好きなおもちゃを<めちゃくちゃに>こわした。
めちゃ - このステーキは<めちゃ>うまい。
めった(にない) - こういううまい話は<めったに>ない。
めったやたら - こういううまい話は<めったやたらに>ない。この秘密は<めったやたらに>に人に語るものではない。

この<めた>はおもしろいので別途とりあげることにした。

sptt



Friday, December 7, 2018

イデアル(環論)のやまとことば


このポストは ”<環論(Ring Theory)>のやまとことば” の追記(かなり長くなっている)の一部コピーに手を加えたもの。


Wiki- Japan <イデアル(環論)>

冒頭の解説に続いて<イデアル>の定義があるが、定義よりも冒頭の解説がの方が直観的で分かりやすい。

<イデアル(環論)>の冒頭の解説

"
抽象代数学の分野である環論におけるイデアル: ideal, : Ideal)はの特別な部分集合である。整数全体の成す環における、偶数全体の成す集合や 3 の倍数全体の成す集合などの持つ性質を一般化したもので、その部分集合に属する任意の元の和と差に関して閉じていて、なおかつ環の任意の元を掛けることについても閉じているものをイデアルという。



さて中国が出てきたところで。中国版Wiki の Ideal を見ておく。


理想 (环论)
维基百科,自由的百科全书

理想(Ideal)是一个群论中的概念。 若某环之一子集与原先的加法自成一群,且该子环内所有元素与原环之元素相乘的结果均在其内,则称其为原环的理想通俗地说,一环的理想在加法上成群且在乘法上表现如同一个黑洞。 


大体察しがつくと思うが

子集: subset
 该子环: subring
 黑洞:black hole

下線部は英語版、日本語版にない。<俗説では環のイデアルは加法では群をつくるが乗法ではブラックホールの如きモノを表現する>とでもなるか。最後の箇所は<イデアルは乗法ではブラックホールをつくる>と言い換えられるが、この意味の理解にはイデアルの作用をわかっている必要があり、しゃれた表現だ。英語ではこのイデアルの作用を multiplicative absorption とか multiplicative absorbent と呼んでいる。ブラックホールはなんでも<吸い込んで>しまうものだろう。

中国語では<理想>の二字ですませて抽象代数の ideal の訳語でさほど違和感がないようだ。日本語ではダメだろう。それではイデアルのやまとことばはなにか?原語のままイデアル(ドイツ語の発音)で使っているのは適当な日本語がみつからなかったためだろう。難題なのだ。検討してみる。

理想は<望む、欲する好ましいこと、姿(すがた)>といえる。

理想は文字通りでは<理を想(おも)う>、<理想(おも)い>だが、これでは何のことだかわからない。<理にかなう>という表現があるが、この<理>は理想とほとんど関係ない。理念の<理>は理想の<理>に通じるところがある。
<望(のぞ)む>の名詞(体言)形<のぞみ>はいいやまとこことばだが、理想とはズレがある。<望ましい>という形容詞がある。
<欲しい>は形容詞でふつうは<xx が欲しい>となる。<欲する>は漢文口調だ。<ほしがる>は<xx を欲しがる>で他動詞だが漢文調他動詞<欲する>とは意味が少しズレる。<欲する>、<欲しがる>の名詞(体言)形は<欲(ほっ)し>、<欲しがり>だが独立した名詞(体言)としては聞いたことがない。
<好(この)む>の名詞(体言)形<好み>は<好き嫌い>の<好き>で理想ではない。イデアルの訳語としてはダメだ。
<好み>はよく使うが動詞(他動詞)の<好(この)む>はあまり使われず<好き>が<xxが好き>の形で使われる。<好き>は何詞?おそらくあまり使われない他動詞<好(す)く>の連用形<好き>の名詞(体言)用法 +<だ>、<に>、<で>、<な>の形の用法だろう。<名詞(体言)用法>なので<好きは(が)xxxx>は可能で<好きこそものの上手なり>が思い浮かぶ。<好きにしろ>というのもある。だがイデアルの訳語として<好き>はまずダメだ。
<姿(すがた)>はいいやまとことばだ。これを<xxxx 姿(すがた)>として使いたいが<姿(すがた)>は静的で<作用>機能があるイデアルにそぐわない。

イデアルのやまとことばはなにか?難題だ。(別途再検討予定)



と書いたのでさらに再検討しておく。

語源はWiki-環論の<歴史>の項目で次のような記述がある。


. . . . . . .  。 クンマーは、x 2 + 1 の分解のためには -1 の平方根を含むより広い領域が必要となるように、R の元が上のように完全に分解されるより広い領域が存在すると考えた。そしてこの A, B, C, D のような理想的な分解を与える因子を理想(複素)数 (ideale complexe Zahl ) あるいは理想因子 (ideal Primfactor) と名付けて、理想数の理論を築いた。
クンマーの理想数の理論は非常に形式的で、とても難解なものであった。後になってデデキントは理想数の理論を整理することによってイデアルを考案した。歴史的には、ヒルベルトの『数論報告』の中で、デデキントのイデアル概念が取り上げられたことから、イデアルという名称が採用されることになった。イデアル (Ideal) とは、明らかに理想数に由来する名前である。



なぜか日本語版がないが、Wiki-英語版にはIdeal number(理想数)というが独立してある。また歴史的には上記のように<理想因子>というのがある。数字に限っていえば<理想>よりは<理想数>の方が数学らしい。だが<理想数>もやまとことばではない。<数(すう)>は<かず>でやまとことばだ。イデアルは<xxxx 数(かず)>、または(集合、群、)環になっているので<xxxx 組数(くみかず)>、ひっくり返して<xxxx 数組(かずくみ)>でよさそう。問題は<xxxx>のところだ。

イデアルの内容を重視すると

<掛け増し数組(かずぐみ)>  掛け増し:倍数全体の成す集合
<組づくり数組(かずぐみ)>組(くみ)=群、Group
<吸い込み数組(かずぐみ)>

が考えられるが、発音すると長すぎる。

<掛けまし>は<望まし(い)>に発音が似ている。

<理想数>のやまとことばは<望まし数(かず)>でどうだろうか。

イデアル(理想)のやまとことばは難しい。<理想>は<最も(一番)望まれること、姿>で<最も(一番)>(絶対的な最上級)が必要なのだ。<最も望まれ(る)姿>が<理想>のやまとことばに近い。

このポストを書いているうち芋づる式に、文法上おもしろい(大げさに言うと、重大な)発見をした。

繰り返しになるが


<望(のぞ)む>の(連用形)名詞(体言)形<のぞみ>はいいやまとこことばだが、理想とはズレがある。<望ましい>という形容詞がある。

.
.


<好(この)む>の(連用形)名詞(体言)形<好み>は<好き嫌い>の<好き>で理想ではない。イデアルの訳語としてはダメだ。


のぞむ - のぞみ - のぞましい
このむ - このみ - このましい

以上は

動詞 - 連用形の名詞(体言)用法 - 形容詞

に一般化 できる。<一般化>は抽象代数あるいは数学全般でよく出てくる重要作業。

長くなりそう文法的なことなので sptt Notes on Grammar のポストとして書く予定。


sptt







Thursday, November 22, 2018

Identity (アイデンティティ)のやまとことば


Identity (アイデンティティ)は普通<自己同一(性)>と訳されるが、日常ではもちろんあらたまった場面でも<自己同一(性)>が使われることはないだろう。一方 Identity (アイデンティティ)はしばしば聞く。IDカードは身分証明書だが、日本にはなぜかIDカードがなく、身分証明書としては運転免許証や住民票がIDカード(身分証明書)として使われている。IDカードはそれで自己(その人であること)を証明するので<自己同一(性)を示すカード>の意味にはなる。さて、<自己同一(性)>は仰々しい漢語。Identity (アイデンティティ)のやまとことばは何か?

 手もとの辞書(三省堂)では

 アイデンティティ

1) 自己同一性

に続いて

2)自分という存在の独自性についての自覚

とある。 2)はあきらかに人について、しかも身分証明とは関係ない。実際の場面では<自己のアイデンティティを見つける、立てる>というように使う。ここで注意したいのは、日本語では<アイデンティティをみつける、立てる>だけではだめで<自己の>が必要にになるようだ。

2)自分という存在の独自性についての自覚

は日本語の解説だが、<自分>、<存在>、<独自性>、<自覚>と漢語が並びやまとことばはつなぎの語だ。これらの漢語をやまとことばに置き換えて同じような意味を出すのは難しい。

自分: おのれ
存在: あること
独自性: ただ xx だけ(であること)、ただ一つ(ひとり)
自覚: おのれが深く思うこと

 とすると

 おのれというあることがただそれだけであることについてのおのれの深い思い。

では何んことだかわからない。言い換えて

ただおのれがあることだけについて(おのれが)深く思うこと

とでもなるが、これもわかりずらい。内容を重視すると

オレはオレ、あなたはあなた。

あるいはもっと簡単に

オレはオレ(わたしはわたし)

でよさそう。これは人ばかりでなくモノについてでもよく

これはこれ、それはそれ。

これだけでも独自性を内包している(implied)が、独自性を出すと

おのれはおのれ(オレはオレ、わたしはわたし)、ほかの人はかかわりなし。
これはこれ、ほかのモノ(コト)はかかわりなし。

おのれはおのれでただ一人、ほかの人はかかわりなし。
これはこれでただひとつ、ほかのモノ(コト)はかかわりなし。

となる。

Identity (アイデンティティ)のやまとことばは

おのれはおのれ(オレはオレ、わたしはわたし)

でいいだろう。
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以上は今書きかけ中の<抽象代数学のやまとことば>シリーズで勉強中で次の説明に出会って書いたもの。抽象代数学では Identity がどこにも出てくる。

例  Wiki - Field (Mathematics) (日本語はなじみのない<体(たい)>という)。



Definition (定義)

Additive and multiplicative identity: there exist two different elements 0 and 1 in F such that a + 0 = a and a · 1 = a.

日本語の方はなぜかもっと抽象代数学らしく理屈っぽくなって

a
+ 0K = 0K + a = aK の元 a の取り方に依らずに満たされる零元と呼ばれる特別な元 0K が存在する。 (ゼロ<0>のことと見ていい)

a
1K = 1Ka = aK の零元 0K でない元 a の取り方に依らずに満たされる単位元と呼ばれる特別な元 1K が存在する。(<1>のことと見ていい)



以上は何のことはなくて、

足し算はある数字に<ゼロ>を足しても変わらない。
掛け算はある数字に<1>を掛けても変わらない。

ということ。英語でAdditive identitymultiplicative identity

は Additive identity が<ゼロ(0)>、multiplicative identity が<1>といっている。これに対応する日本語では、こここでは identity という語が出てこない。内容的には<自己同一(性)>に関連している。

英語の Field (Mathematics) ではこの identity に続いて似て非なる inverse というのがでてくる。


Additive inverses
: for every a in F, there exists an element in F, denoted a, called the additive inverse of a, such that a + (−a) = 0.
Multiplicative inverses
: for every a ≠ 0 in F, there exists an element in F, denoted by a−1, 1/a, or 1/a, called the multiplicative inverse of a, such that a · a−1 = 1.

というのがでてくる

日本語版は

aK の元ならばそれに対して a + (−a) = (−a) + a = 0K を満たす、マイナス元と呼ばれる元 −a が常に存在する。

a が零元 0K でない K の元ならばそれに対して aa−1 = a−1a = 1K を満たす、逆元と呼ばれる元 a−1 が常に存在する。

内容はこれまたあたりまえのことだ。頭をひねることもない。

英語版 Wiki - Field (Mathematics) (最新の英語版はかなり長く、教科書のようだ)の方では、

For example, the additive inverse -a and the multiplicative inverse a−1 are uniquely determined by a.

という解説がある。 当たり前のことなので気づきにくいが<uniquely determined by a.>は<自己同一(性)>の意味に近い。禅問答のようだがこのコンセプトは重要。


sptt



















Wednesday, November 7, 2018

空間のやまとことば


<時空>は<時間>と<空間>。時間は<とき(時)>というやまとことばがあるが<空間>のやまとことばはすぐには思い浮かばない。<空間>のやまとことばについて考えてみる。<間>のやまとことば読みは<ま>だが<空>はいくつかある。

酒瓶(さかびん)が空(から)になる  
空(あ)き缶、席が空(あ)く   <空(あ)く>
腹が空(す)く  <空(す)く>

これからすると

空間(からま)
空間(あきま)
空間(すきま)<すきま>は<隙間>というのもある。

となる。

<空(あ)き>は<空(あ)く>の、<空き>は<空(す)く>の連用形の体言(名詞)用法で

席にまだ<空(あ)き>がある。
相手に<空(す)き>を見せてはいけない。

のように使える。空間(あきま)、空間(すきま)は<間(ま)>を修飾しているので体言の形容詞(修飾語)用法といえる。

<空(から)>は体言(名詞)と思われるが、

xxは空だ

と言う時<空だ>は古くは<空なり>で<静かだ><静かなり>と同じとみれば形容動詞になる。だが<空(から)>は<静か>と違って独立性<体言性、名詞性>が高い。体言につく場合が多い場合<連体詞>という文法用語もある。

空間(からま)は聞いたことがないが、<空(から)の部屋>の意味になりそう。だがこれは<空(あ)き間)>という言葉がありそう。普通は<空き部屋>だ。<空(す)き間>はよく使うが、否定的な意味があり、空間(くうかん)には違いないが、どうもそぐわない。<隙間>とも書く。これからすると<空(あ)き間)>が一番よさそうだが上にように<空(から)の部屋>の意がつきまとう。

以上は前半の<空>についてだが、後半の<間>は<ま>以外に<あいだ>という三音節のやまとことば読みがある。<間>はあきらかに当て字だ。<あいだ>は場所だけでなく時間の<あいだ>もある。

つかの間 (<つか>は何か?)
またたく間 (目、まぶたをたたくあいだ)

そのあいだに
このあいだ

日常では<時所(ときところ)による>、<時と場所(ばしょ)によりけり>と言うので<所(ところ)>、<場所>が時空の<空>にあたる。場所は湯桶読みで<場(ば)>はやまとことばだが<所(しょ>は漢語だ。物理で<場の理論>というのがありこの名づけはいい。やまとことばの<場(ば)>が抽象化されて<理論>という抽象度の高い漢語とくみあわせても違和感がない。それでは空間を<場>といえるか?数学、物理では<ベクトル空間>と<ベクトル場>があり、<場の理論>は<ベクトル場>と関連がありそう。したがって数学、物理ではこまかく言うと<空間>と<場>とは似て非なるものなのだ。この辺はややこしい。

日常語の<場所>は、ヒトに関連しては大体やまとことばの<いどころ>で置き換えられる。モノの場合はどうか?<ありどころ>はあまり聞かない。<モノ(カネ、宝)のありか>というのでモノの<いどころ>は<ありか>か。<ありか>の<か>はなにか?<すみか>の<か>と同じようだ。だが<すむ(住む)>はモノではない。この<か>はどうも<(存在する)場所>を示しているようだ。<(存在する)場所>は具体的すぎて抽象度の高い<空間>とはかけ離れている。<場(ば)>は重箱読みでも使われる。

現場(げんば)
火事場(かじば)

<場(ば>にはまた

どたん場 (<どたん>は何か?)
この場に及んで
場を踏(ふ)む
場を読む

という慣用的な言い方があるが、<場>は<状況>の意に近い。 この<場>は超重要語だ。慣れもあるが<場>が違和感なくしっくりしている、さらには意味深げなのはこの<状況>の意が背後にあるためかも知れない。

<場(ば)>は一音節で耳で聞いただけでは漢語の感じがするがれっきとしたやまとことば。一方くところ(to-ko-ro)>は三音節で(しかも0音が三つ続く)いかにもやまとことばらしく聞こえ、<こころ(ko-ko-ro)>と同じ語呂で耳で聞いて心地よい。だが<場の理論>は<ところの理論>で置き換えられないだろう。空間そのままの順では<ところあいだ>で何のことだかわからないが、並び替えた<間空>は<あいだところ>でなんとか意味がとれる。一字違いだが<あいところ(空いたところ、でもある)>は語呂のいい<あきどころ>に言い換えられる。この<あきどころ>は空間の意に近い。空間は<あき>だけでもいいが、<ところ>は時間の<あき>と区別するため念押し。

----ー
追加

前にもどって

空(から)  
空(あ)く、空(あ)き
空(す)く、空(す)き

の違いをしらべておく。

1)空(から)

xx が(は)空(から)だ。
xx が(は)空(から)になる。

以外に修飾語として活躍する。

空威張り
空売り(株式用語)
カラオケ
空元気
空騒ぎ
空手   格闘技、またはスポーツの<空手>以外に、<空手に終わる>といった言い方がある。
空手形
空振り
空回り
空約束
空っぽ

多くは否定的な

(あるべき)中味、中身)がない
殻(から)だけで肝心な中味、中身がない。

といった意味だ。 英語でも empty promise というのがある。

<からから>が濁った<がら>、<がらがら>は

がら空(あ)き
がらがらに空(す)いている

というのがある。

2) 空(あ)く、空(あ)き

まだ空きがある。
席が空く。 空き席
手が空く
空き時間
空き巣
空き地
空き家

これは<本来あるべき中味、中身)がない>状態、状況を言っているが否定的な意味はない。<埋めるべき、埋められるべき、埋められる場所がまだある>といった意味だ。英語の形容詞 open の意味(開いていて受け入れる余地がある)もある。動詞の to open は

戸を開(あ)ける
戸が開(あ)く

 となるが<あく>にかわりはない。<空(あ)く><開(あ)く>は関連語だ。

あの店は夜10時でも開(あ)いている。

と書くがしゃべる時は<空(あ)く><開(あ)く>の区別はないと言っていい。英語の be open の意に近い。

3) 空(す)く、空(す)き

手が空く
腹が空く。
電車が空いている
空き(スキ)がある 、 少しの空き(スキ)もない
すき間(隙間)

これは<本来詰まっているべき、詰まっているのが普通なところが詰まっていない>状態、状況を言っているがかならずしも否定的な意味はない。

<埋める、埋まる>と<詰める、詰まる>の違いが反映しているようだが、<手が空(す)く>と<手が空(あ)く>には<埋め合わせ>と<詰め合わせ>ほどの違いはない。


スカスカ - 空間があって固定しない。

このスカート(ズボン)はスカスカだ。(ウエストサイズが大きすぎて合わない)

スカスカ - 詰まっていない。

この電車はスカスカだ。
<この電車は空(あ)いている>はおかしいが<この電車はスカスカに空(あ)いている>はよさそう。<この電車はスカスカに空(す)いている>でもよさそう。

昔、駄菓子屋のクジで<当たり>に対して<スカ>(ハズレ)というのがあった。


sptt

Saturday, October 13, 2018

<対称群(Symmetric Group)>のやまとことば - うつし(写し、映し、移し)


前回のポスト”<群論(Group Theory)>のやまとことば - 組み” に続いて代表的な群(組み)である対称群のやまとことばについて考えてみる。対称群は Symmetric Group の訳だ。Symmetry Group の訳ではない(英文 Wiki では<Not to be confused with Symmetry group.>という注意書きがる)。群論の概論ではいろいろな群が紹介されているが、これまた代表的な群(組み)の置換群は耳で聞いただけは<痴漢>が連想されてしまうが、数学に痴漢が出てくることはまずないのでさほど問題ないが、置換群は Permutation Group の訳なので<順列群>、あるいはやまとことばそのままで<置き換え群>でいいだろう。さてSymmetric Group の訳<対称群>は問題が多い。

1.耳で聞いただけでは<対称>は<対象>、<対照>と同じに聞こえる。

2.形容詞の symmetric、symmetrical は<対称的(な)>の意にかなり近いが、symmetry = 対称ではない、というか日本語では<対称>という言葉は独立してはまず使われない。<対称>そのものの意に近い<対称性>ならまだいい。

対称がある。 (ほとんどダメ)
対称性がある。
対称的だ。 
対称的なところがある。

<対称的群>はダメだが<対称性群>は<対称群>よりいい。

置換と<痴漢>に似た混同もある。<対象>は群論、または抽象数学で取り扱うのは数字もあるが、文字もあり、一般的には、そして抽象的には何らかの<対象>だ。集合(集まり)でいえば<元(elements)>が対象だ。<対照>もまた問題で、<対照>は contrast の訳になる。ある意味では symmetry の反対語だ。<対照>は<対称>と違って<対照>だけで<対照性>の意があるようだ。

この絵(文章、表現)には対照がある。 <この絵(文章、表現)に対照性がある>ともいえるが、なのかかしこまった、説明的な感じだ。 ただし、対象、対称との混同があるので<この絵(文章、表現)にはコントラストがある>と言いそう。一方<対称>は

この絵(文章、表現)には対称がある。  ほぼダメ  -> この絵(文章、表現)には対称性がある。混同を避けるためには<この絵(文章、表現)にはシンメトリがある。>がよさそう。だがコントラスト、シンメトリはカタカナで書いてもやまとことばではない。

<対称群>の解説を読んでいくと図形(正三角形、正四角形)を回転させる、正三角形の場合は120度、240度、正四角形の場合は90度、180度、270度回転させる、または中心線にそって<映し返えす>操作がある。回転させても映し返えても元の図形がそのまま保たれるので対称性(シンメトリ)があることになる。この<映す>、<映し>は英語では to reflect、reflection だ。すこし古い wiki では to flip、flip だった。

<写す>、<写し>は to copy、copy だが、移されたもの(コピー)は元の図形(図形と限らなくていい、もとのモノ、対象、 original)と同じもので、もとのモノ(original)とコピーは対称性(シンメトリ)がある。コピーは<写し>だが、もとの図形、モノ、対象を平行移動で<移した>場合も位置は変わるがもとの図形、モノ、対象はそのまま保たれ、対称性(シンメトリ)があることになる。始めの回転も中心点を固定して回すことだが、これも<移し>と考えられる。回転と平行移動の両方をしても対称性(シンメトリ)が保たれる。コンピュータでは<コピー>だけでは事半分で<ペースト、ペイスト>しないとコピーしたことにならない。

以上の<映す>、<映し>、<写す>、<写し>、<移す>、<移し>は耳で聞けは、あるいは発音すればみな<うつす>、<うつし>だ。これはやまとことばの真骨頂といえる。

以上から Symmetric Group のやまとことばとしては<うつし群>がかなり適当だ。

やまとことばの真骨頂の代表として<かわる>、<かえる>がある。<かわる>、<かえる>はコンピュータワープロで<対称>関連では

かわる - 変わる、代わる、換わる、替わる

かえる - 変える、代える、換える、替える、返る、帰る(返る、帰る、は東京発音ではイントネーションが違う)

が出てくる。一方<対称群>の解説では関連した群で

置換群 Permutation Group
交代群 Alternating Group
巡回群 Cyclic Group

があり、関連した操作で互換(Transposition)というのが出てくる。

 さて<群論>の<群>の定義は


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは>



で二項演算をしてももとの集合 G に含まれるような群(Group)なのだ。これは言い換えると<変えても変わらない> ということだ。前の<変えても>は

換えても(変わらない)
代えても(変わらない)

イントネーションの違う<返る>、<帰る>は<もとの場所に戻ること>で、

返ると(変わらない)
帰ると(変わらない)

で意味が成り立つ。 イントネーションは違っても<かえる>グループ(群、組み)と言える。

さらには上に戻って

映しても(変わらない)
写しても(変わらない)
移しても(変わらない)

で置き換えられる。この<変わらない>は一般的に数学や物理の英語では Invariant と形容詞が使われ、極めて重要なコンセプトだ。



sptt






Friday, October 5, 2018

<群論(Group Theory)>のやまとことば - 組み

<群論(Group Theory)>のやまとことばについては<集合>のやまとことば、その他<xx論(抽象数学)>のやまとことばで、中身を詳しく問わずに何度かふれている。

集合のやまとことば(2013年4月)


数学では<集合>以外に<群>があり<群論>として高等代数(抽象数学)で使われている。<群>のもとの英語は group だ。set、group ともラテン語系ではなく純英語なので(注)、<群>のやまとことばをさがしてみる。群論は<ぐんろん>と読まれるが、 群のやまとことばは<むれ>だ。<むれる>、<むれをなす>は大体似たモノが集まることだ。したがって、 group --> 群(ぐん)でいいのだが、これを<むれ(論)>とすると数学者から文句が出そうだ。数字ではなく動物が集まる感じがする。また俗語の<グルになる>は<グループになる>がもとの意味だ。


最近<群論の中身を少し詳しく勉強しているが、かなりな広範囲にわたっており、しかも中身があり、<むれ(論)>ではすまないようだ。<体論(数学)のやまとことば>で引用したが

<体>の方が<群>より抽象度(汎用度)が進んでいるようだが、<群論、Group Theory>の解説(Wiki)の冒頭には


 In mathematics and abstract algebra, group theory studies the algebraic structures known as groups. The concept of a group is central to abstract algebra: other well-known algebraic structures, such as rings, fields, and vector spaces, can all be seen as groups endowed with additional operations and axiom.

群論(ぐんろん、英語: group theory)とは、を研究する学問。 群の概念は抽象代数学における中心的な概念。ベクトル空間などは、演算公理が付与された群と看做すことができる。

"

と言う解説がある。また Wiki の<群論、Group Theory>解説のほうが<体論>の解説よりはるかに長く内容も多い。つまりは<群論>が主、<体論>は従の扱いだ。

抽象度に関しては<体>が四則演算に従うのを原則としているので、制約の少なさを抽象度の目安とすると、<群>は下記の定義からすると<体>よりも進んでいることになる。<体>は<演算公理が付与された群と看做すことができる>。

<群>の定義 Wiki-Japan


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは、以下の3つの条件を満たすことをいう:
  1. 結合法則)任意の G g, h, k に対して、μ(g, μ(h, k)) = μ(μ(g, h), k) を満たす:
    {\displaystyle (\forall g,h,k\in G)[\mu (g,\mu (h,k))=\mu (\mu (g,h),k)].}
  2. 単位元の存在)μ(g, e) = μ(e, g) = gG のどんな元 g に対しても満たすような G の元 e が存在する:
    {\displaystyle (\exists e\in G)(\forall g\in G)[\mu (g,e)=\mu (e,g)=g].}
    • このような e は存在すれば一意であり、G単位元という。
  3. 逆元の存在)G のどんな元 g に対しても、μ(g, x) = μ(x, g) = e となるような G の元 x が存在する:
    {\displaystyle (\forall g\in G)(\exists x\in G)[\mu (g,x)=\mu (x,g)=e].}
    • このような x は存在すれば一意であり、この xgG における逆元といい、しばしば g−1, あるいは演算を加法的に書く場合には −g で表される。
群よりも広い概念として、1 を満たすものは半群、1 と 2 を満たすものはモノイドという。



これが群の定義なのだが、当たり前のことなので気が付きにくいが

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が上記の3条件を満たす

ときに群論での特別な意味をみを持った<群>になる、と言うことなのだ。この当たり前のことが<気が付きにくい>のは<群>という日本語はあまり使わないからだ。一方英語の Group は日常語でいろいろ一般的な意味があり(組み、仲間、集まり)、定義をしないと数学上の特別な意味にはならないのだ。

最後の行の解説は<群よりも広い概念として>とあるので詳しくはここで調べないが<半群>や<モノイド>の方が抽象度が高いということになる。だが<抽象度が高い>と制約が少なくなるためか何だかわからなくなる、という弊害がでてくることがある。

さて定義に戻ると、まず初めの

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは>とは何を言っているのか?ポイントは<組 (G, μ)>、いいかえればまず< (G, μ) という組>をつくり、<μ>二項演算で、集合 G、具体的には集合 G の元、に対する操作(演算)する。そしてその結果は演算後も集合Gにある、すなわち同じグループにとどまるということ、なのだ。ここでは<二項演算>とは何かを知っていないといけない。

二項演算 Wiki-Japan

"
数学において、二項演算(にこうえんざん、: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法、 結合などともいう。

定義

集合 A 上で定義される 2 変数の写像
\mu \colon A\times A\to A;\ (x,y)\mapsto \mu (x,y)
A 上の二項演算あるいは乗法などと呼び、集合 A を二項演算 μ の台集合 (underlying set) などと呼ぶ。A の 2 元 x, y に対し、順序対 (x, y) の二項演算 μ による像 μ(x, y) を xyあるいは結合などと呼んで、多くの場合に中置記法に則って x μ y のように記す(混乱のおそれの無い場合には、しばしば xy と略記する)。

また、A × A 上の写像 gA 上の二項演算を与えるとき、Ag について閉じているあるいは gA において閉じているという。



二項演算は四則演算(加減乗除)ではなく

四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念>の一般化した概念>が重要で、数学の抽象化が進み、いろいろ応用が利(き)くことになる。加減乗除や数字にこだわることもないのだ。

さてポイントの集合(G)と演算(μ)の<組 (G, μ)>の<組(くみ)>というやまとことばについて考えてみる。

<組み>自体<グループ>とも訳せるが<グループを組む>という言い方がある。<組みを組む>とは言わない。<組み>は動詞<組む>の連用形の体言(名詞)用法。体言(名詞)用法の意味としては

1)組むということ
2)組んだ、組まれた状態
3)組まれたモノ、コト

が考えられる。

<組み>はなじみのある日常語で、小学校に入ると

1年1組、 1年2組、 1年3組 . . . .

に組み入れられる。<年>は漢語だが<組(くみ)>はやまとことばだ。運動会では紅組、白組に組み入れられる。これらの組は3)組まれたモノ、コトに相当する。英語の<クラス>は学校では<組み>の意で使われる。<組み分け>より<クラス分け>の方よく使われるようだ。

1)組むということ、については、集合を考えると生徒が元になり、<組むということ>が操作に相当するが二項演算ではない。小学校では男女に分けることはないので、分け方は学校の方針とか<きまり>によるのだろう。だがこの操作の意味での<組み>という語は使われない。<学校の方針とか<きまり>による><組み>とは言わないののだ。<組み>にこの抽象性はないのだ。ではどういうかというと、<学校の方針とか<きまり>によって><組むこと>となるか。例外はあるだろうが、日本語では動詞の抽象化は<動詞連体形>+<こと>になるようだ。

2)組んだ、組まれた状態、の意味の<組み>はどうか?<組みが悪い、良い>とはほとんど言わない。複合動詞語の<組み合わせ、組み立て>は<組み合わせ、組み立てが悪い、良い>と言う。2)の意味では<組み具合悪い、良い>はよさそうで<具合>が必要のようだ。<具合>は状態のやまとことばに相当。

動詞によってはこの<具合(状態)>の語がいらないのがある。

<走り>のいい車(くるま)
<動き>のいい(にぶい)選手(プレイヤー)
<払い>のいい(悪い)会社
<つくり>の悪い木造家屋
これらの動詞も<走り>、<動き>、<払い>、<つくり>は<走ること>、<動くこと>、<払うこと>、<<つくること>にはならないようだ。

<走り>が嫌い。 -> <走る>のが嫌い。
<動き>は体にいい。 -> <動く>のは体にいい。
 <払い>は義務だ。 -><払う>のは義務だ。
<つくり>はむずかしい。  -><つくる>のはむずかしい。

これはおもしろい日本語の特徴だ。話がそれたが、

以上から体言(名詞)用法の<組み>の意味としては大方3)組まれたモノ、コトの意になるようだ。

群論にもどると、 3)組まれたモノ、コトの意の<組み>(の分析)も重要だが、<組にする>操作も重要だ。<組する>は簡潔でよさそうだが別の意味になってしまう。<組にする>方法(しかた)は、限られるが複合動詞で表せる。

組み合わせる - <組み合わせ>は数学用語で Combination の訳語だ。
組み入れる - 組み入れ  <組み入れる>は<組んで入れる>ではなく<組に入れる>の意の造語法だ。
組みかえる - <遺伝子組み換え>と言うのがあるが<組み換え>という数学用語はあるか?やまとことばの<かえる>は<変える、換える、替える、代える、返る、帰る>といろいろな意味がある。
組み込む - 技術用語の Embedded は<組み込み>と訳されている。<組み込む>は<組んで込める>というよりは<組に入れ込める>の意だ。
組み立てる - <組み立て>は<工場での製品の組み立て>などのように使われるが、抽象的な意味では<構造>のやまとことばに近い。この意味でもう少し頻繁に使われてもいいのではないか。一方<つくり>も<構造>の意のやまとことば候補だ。
組み直(なお)す - 組み直し
組み分ける - 組み分け。 <組んで、分ける>は文字通りでは矛盾表現だ。上述のように<組み分け>は<クラス分け>の意だろう。

入り組む - ふつうは<入り組んでいる>のように使う。この意味で<入り組み>とは言わない。
取り組む - 取り組み <取り組む>は

今<群論(Group Theory)>のやまとことば(の問題)に取り組んでいる。

のように使い、文字通りでは<取って、組む>でよくわからない。 <取り組み>がは相撲の<取り組み>のように使い、<問題に取り組む>の<取り組み>とズレがある。少しなまって<取っ組み合いのけんか>という。この意味の<組む>では

組み敷(し)く
組み伏(ふ)せる


<組み>の使われ方

xx を組みにする    上記の<群>定義は<集合(G)と演算(μ)を<組 (G, μ)>の組みにする>と言える。

xx で組みをつくる    <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みをつくる>と言える。

xx で組になる     <集合(G)と演算(μ)で<組 (G, μ)>の組みになる>と言える。


<組む>にデジタル性

このポストを書いているうちに気がついたのだが、<組む>には集合の個々の元に操作を加える、個々のブロックやモジュール(これらは小さい組ともいえる)を組み立てる、組み上げる、組み合わせるような感じがる。リニアーなモノは組み立てたる、組み上げる、組み合わせるという言い方には違和感がある。ブロックやモジュールは小さい組ともいえ、小さい組で大きな組をつくるのに使われが、製造効率があがるのでこのような<小さい組で大きな組をつくる>ようだ。いづれにしてもデジタル的だ。上でとりあげたが<つくる>、<つくり>(構造)はデジタル性がないと言っていい。

Group Theory の訳語としては、<組み>に<組み具合>の意が薄いので、<組み論>でいいのではないか?<組み合わせ論>ではない。<組み論>は必ずしも<Group Theory>の<Group>
定義を表わしていないが、英語のの方も Group という語が一般的な語で語自体に<Group Theory>の<Group>の意味はなく、<Group Theory>を勉強して始めて抽象数学での特別な意味を持つようになるのだ。<組み>の抽象数学での特別な意味を持たせようとすると


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が(抽象数学上の)



の意味を加えて<もとがえり組み>がよさそうだ。この場合の<がえり>は<返り>、<帰り>だ。

かなりくだけるが

yy (たち)はxx をしても結局のところ<同じ穴のムジナ>だ、という言い方がある。

<同じ穴のムジナ組>も候補だ。これは<同じ穴のムジナ族、属>でもいいが<族、属>は漢語だ。

第二候補

集合を<集まり>とすると語呂からすると<まとまり>というやまとことばがある。

sptt

Tuesday, October 2, 2018

加減乗除のやまとことば


加減乗除のやまとことばは、動詞では<足す、引く、掛ける、割る>、体言(名詞)にすると<足し、引き、掛け、割り>で日常よく使い、算数からはなれた慣用ことばも少なくない。一方<加減乗除>の漢字に従えば<加える、減らす、乗(の)せる、除(のぞ)く>となるが、<乗せる、除く>はダメで、 <乗せる>は<上(うわ)乗せする>で<足す>、<除く>は<取り除く>で<引く>になってしまう。<乗、除>はもとの漢語には<掛ける、割る>の意味がある、あったかもしれないが、調べていない。

加減乗除(足す、引く、掛ける、割る)の答(結果)にも漢語がつかわれ<和、差、積、商>で教科書に出てくる。 <和、差>はいいが<積、商>、特に<商>日常ではほとんど使わない。<和(わ)>は<和をもって貴(とうと)しとなす>でやまとことばのように聞こえるが漢語由来だ。 現代北京語では<he>(四声無視、<e>は<エ>ではなく曖昧(あいまい)母音の<ゥ>)だが、広東語では<wo>と発音する。 一方<輪)わ)になる>の<輪(わ)>はやまとことばだ。<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらないが、なくても日常生活ではそれほどこまらない。大げさだがつまりは数学用の特殊な専門用語と言える。これは英語でも同じようなことが言え、

和: sum
差: difference
積: product
商: quotient

積: product、商: quotient はなじみの薄い語となる。加減乗除の英語動詞(名詞)は

足す: to add (addition)
引く: to subtract (subtraction)    to deduct (deduction) でもいいようだがが数学では to subtract (subtraction) が使われている。
掛ける: to multiply (multiplication)
割る : to divide (division)

で特殊用語ではないがややあらたまった語だ。

複合動詞

<足し加える>はあまり聞かない。<足し増す>はいい。
<引き減らす>もほとんど聞かない。<引き抜き減らす>は長すぎる。
<掛け乗せる>、<掛け加える>もほとんど聞かない。<掛け増す>は理にかなっているが、これもほとんど聞かない。
<割り除く>もほとんど聞かない。<割り引く>は<割った分を引く>で理にかなっている。 <割り減らす>は理にかなっているが、これもほとんど聞かない。
<引き除く> もほとんど聞かない。

その他慣用的な言い方では

足し引き  - <足し引く>という動詞も可能。 
差し引き - <差し引く>も可能。意味は<引く>とほぼ同じ。
掛け引き - この意味の<かけひく>という動詞はない。ワープロでは<駆け引き>と出てくる。
割り引き、割り引く(上述)
割り増し - 割った分を増す
上乗せ - 掛け算と言うよりは足し算だ。<割り増し>に近い。

つけ足す -<つけ>は<加える>の意がある。
<引き離す>は<引く>の意にならない。物理的な<引く>の意が残ってしまうのだ。<引きつける>も物理的な意味だ。

<割る>は<分ける>でもあるが、正しくは<等しく分ける(等分)>だ。<割る>と余りが出たり、分数になったりする。一方分数を掛けることは<割る>ことになるので<掛ける>が常に<増える>ことではない。これは負数(マイナス)を足すと<引く>になるのに似ているが、<負数(マイナス)を足す>はかなり高度な数学的な技(わざ)だ。<掛ける>も見方を変えれば<同じモノ(数字)を何度も<足して>いくことなので、少なくとも<足す、引く、掛ける>は<足す>でまに合うことになる

足し合わせる
掛け合わせる - 掛け算にはならず<足し合わせる>とほぼ同じ意味。

言葉の方はかなり<いい加減>だ。

上で<和、差、積、商>の適当なやまとことばは見当たらない、と書いたが、よく探してみると

和: 足し合わせ
差: 違い
積: 掛け合わせ (これは<掛け算>の意味をもたせられるようだ)
商: 割り分けまえ (<分けまえ>だけでは等分にならない)

が可能だ。<違い>は一語ですっきりしているが、その他は複合(合成)動詞になる。

<割り切る>、<割り切れない>はよく使う。行動につながる決心は<割り切り>と言える。<割り切らない>は<決心しない>でいいが、<(なにか)割り切れない>は<(なにか)納得がいかない>の意になる。逆に<(これで)納得がいく>を<(これで)割り切れる>とはあまり言わない。


sptt








Sunday, September 23, 2018

<環論(Ring Theory)>のやまとことば


<圏論(Category Theory)>、<体論(Field Theory)>に続いて<環論(Ring Theory)>のやまとことばに挑戦。<環(かん)>は循環バス、環状線と熟語で使われる漢語で、<一回(ひとまわ)りすると元の場所にもどる>で意味で使われている。単独では使われないようだ。したがって<還(かん)は . . . . . . >と言うの耳にしても何のことだかわから意だろう。相当するやまとことばでは指輪(わ)、輪(わ)ゴム、浮き輪(わ)の<わ>があり、<輪論(わろん)>でもよさそう。いっぽう平和の<和(わ)>は漢語だ。<和を以て貴しとなす>は相当古い日本語だが、当時はすでに知識人には漢語、漢字の影響があったので<輪(わ)を以て貴しとなす>ではないだろう。だが<輪(わ)を以て貴しとなす>がナンセンスとは言えない。

指輪(わ)、輪(わ)ゴム、浮き輪(わ)の<輪>も円状あるいは<一回りすると元の場所にもどる>形(カタチ)、構造をしている。<輪論(わろん)>は<場の理論>になっらて<輪の理論>がよさそうだが、耳で聞いただけでは<和の理論>にもなるので、少しくだけて<輪っかの理論>でもいい。問題は Ring Theory が<”一回りすると元の場所にもどる” 形(カタチ)、構造をしている>をもとに(中心に)展開しているかどうかだ?

かなり高い確率の結論を先に行ってしまうと、環論(Ring Theory)の創成期は<”一回りすると元の場所にもどる” 形(カタチ)、構造をしている>対象が中心であったようだが(下記の注を参照)その後は範囲をどんどん広げていってしまったようだ。

環(数学)-歴史(Wiki-Japan)

1880年代にデデキントが環の概念を導入し、1892年にヒルベルトが「数環」(Zahlring) という用語を造って「代数的数体の理論」(Die Theorie der algebraischen Zahlkörper, Jahresbericht der Deutschen Mathematiker Vereinigung, Vol. 4, 1897.) を発表した。ハーヴェイ・コーエンによれば、ヒルベルトは "circling directly back" と呼ばれる性質を満たす特定の環に対してこの用語を用いている。

英語版のこの箇所はもう少し詳しく

Ring (Mathematics) - History (Wiki) 

Hilbert

The term "Zahlring" (number ring) was coined by David Hilbert in 1892 and published in 1897. In 19th century German, the word "Ring" could mean "association", which is still used today in English in a limited sense (e.g., spy ring), so if that were the etymology then it would be similar to the way "group" entered mathematics by being a non-technical word for "collection of related things". According to Harvey Cohn, Hilbert used the term for a ring that had the property of "circling directly back" to an element of itself. Specifically, in a ring of algebraic integers, all high powers of an algebraic integer can be written as an integral combination of a fixed set of lower powers, and thus the powers "cycle back". For instance, if a3 − 4a + 1 = 0 then a3 = 4a − 1, a4 = 4a2a, a5 = −a2 + 16a − 4, a6 = 16a2 − 8a + 1, a7 = −8a2 + 65a − 16, and so on; in general, an is going to be an integral linear combination of 1, a, and a2.

(my note

if a3 − 4a + 1 = 0 then a3 = 4a − 1

a44a2a

a5 = a4 a = ( 4a2a) a = a2 +4a3 a2 +4(4a − 1) = a2 + 16a − 4

etc. )

I found one more article on Hilbert's "Zahlring".


http://hooktail.sub.jp/algebra/RingDef/

環 - 歴史

環という奇妙な用語はドイツ語の Zahlring (数の輪の意味)から来ており,英語では ring ,フランス語では anneu と,各国語でもリングを直訳した用語が使われています.この命名者はヒルベルト( \text{David Hilbert (1862-1943)} です.ヒルベルトは a+b\root 3\of {2} + c\root 3\of {4} という形をした数の集合を考ましたが, a+b\root 3\of {2} + c\root 3\of {4}\root 3\of {2} を一回掛けると 2c+a\root 3\of {2} + b\root 3\of {4} になり,二回掛けると 2b+2c\root 3\of {2} + a\root 3\of {4} になり,というように,この操作を続けていくと (a,b,c) の位置がグルグル回っているように見えることが輪のようだと思い,このように命名したのだということです.



この説明は<輪>がでてきてわるくない。その後の環論全般の話はかなり範囲が広く深く、長くかなり高級な(わかりにくい)ので、このポストでは<環>のやまとことばの話に限定する。

始めに輪(わ)を取り上げたが、輪(わ)のように一回りしてもとにもどるのが<環>だが、たいていはそれをくりかえす。この<くりかえす>のも<環>と考えられる。<くりかえす>の<くり>は<くる>の連用形で<くり>+<かえす>の複合(合成)動詞だ。<かえる>は重要語で

かえる - 変える、代える、換える、替える、返る、帰る(返る、帰る、は東京発音ではイントネーションが違う)

でここではイントネーションが違う<返る、帰る>が相当し自動詞。他動詞は<返す>、<帰す>だ。さて<くる>のほうも隠れた重要語といえる。<くる>は<来る>の使用頻度が圧倒的に高いため気づきにくいが<くる>にはイントネーションの違う<繰る>、<刳る>がある。

刳(く)る>は<くり抜く>、<えぐる>の<くる>。<環>と関係のある<くりかえす>の<くり>の<くる>は<繰る>だ。この<繰る>は<糸を繰る>の<くる>だが<糸を繰る>ことがなくなった現在では単独ではほとんど使わない。わたしが子供のころですでにおばあさんが使う古語の感じだ。だが複合(合成)動詞では

繰り上げる
繰り返す
繰り越す
繰り下げる
繰り出す
繰り延べる
繰り広げる

<繰り出す>と<繰り広げる>は解説が必要だがその他は日常生活、会計処理(一種の算数)でよく使う。

<繰り出す>、<繰り広げる>は一斉に、一挙に、または大幅に<xxする>と言うよりは<少しずつ>、<一つづつ><続けて、次々と><xxする>といった意味だ。

<くる>+動詞語尾の<む>で<くるむ>となるが<くるむ>は抽象数学でも重要語だ。

くるむ - くるまる - くるめる  (完全な<まる-める>動詞だ)
(ひっくるむ - ひっくるめる)

体言(名詞)では

くるま

(当たり前だが<車>の一語で<くるま>と読む。音読みの<しゃ>の一語ではまったく独立性がない。現代の<くるま>の語源はもともとは<くるくるまわる><糸車(いとぐるま)>とか水車の<くるま>だろう。)

繰りごと(言)
順繰り

がある。また接頭辞、または接頭辞と思われる語(音)を加えると

(おくる) 送り出す(<送り入れる>は聞かない)
(さぐる)
(くくる)   首をくくる、括弧(カッコ)でくくる
(くぐる)
たぐる、たぐりよせる   頭の<た>は<手(て))>がなまったもの。
(ひったくる <引き+たくる>)
(まさぐる) <ま>+<さぐる>
(まくる)   競馬で<まくる>、<まくりをかける>と言うのがある。意味を調べてみたが語源がよくわからない。
めくる   ページをめくる、トランプをめくる、スカートをめくる(これは<まくる>がなまったものだろう。
めくるめく(*)
(もぐる)
めぐる

(*)<めくるめく>は手もとの辞書(三省堂)は<目がくらむ>という解説があるが<目がくらむ>というよりは<目がくるくるまわる>感じだ。

( )内の動詞のうち

さぐる
まさぐる
くぐる
もぐる

は関係なさそうだが<少しずつ>、<一つ一つ>、<一歩一歩>、<一かき一かき><xxする>ことで、共通している(くくれる)。

上記の動詞例では明らかには出てこないが、環論でもう一つ大事なのは<一(ひと)まとめ一(ひと)まとめて(組にして、集合にして)><xxする>だ。

<xxする>はいわば関数 function、写像 mapでいろいろあるが、たとえばすぐ上の例では<移動(移す)>、<入れ替え>に<繰る>を加えると<繰り移し>、<繰り入れ替え>という語はないが<くくって移す>、<くくって入れ替える>意味と想像できる。

<くくる>は抽象数学では重要かつ頻繁に使われる作業だ。 <環>でも同じく重要かつ頻繁に使われる。

<たぐる>、<めくる>は説明が要らないだろう。これまた<スカートめくり>が常習化してはまずいが、<たぐる>は<少しずつ>、<めくる>は<一つ一つ、一枚一枚>だ。

<めぐる>は

朝昼晩はめぐる。
四季(春、夏、秋、冬)はめぐる。

この<めぐる>は輪(わ)や円周をまわるというよりは直線上で同じことが<繰り返される>感じがある。

一方<ヨーロッパめぐり>は<繰り返し>がないが<一つ一つ、一か所一か所><順に>の意がある。

<順><順序><順番>に関しては英語ではプロトコルというのがあり、<決められた(計算、実施、実行)手順>といった意味だ。マトリックスがややこしいのは直観的な計算ではなく直観的でないプロトコルに従った計算だからだ。環論でも<マトリックス環(Matrix Ring)>と言うのがある。これまたややこしい。

以上から、<繰る、くる>の体言(名詞)形<繰り>を使った<繰り論>が<環論>のやまとことば候補だ。<くくり論>より適用範囲が広い。だが<繰り論>は語呂があまりよくない。さらに<耳で聞いただけでは<栗(論)>と間違いそう。<くるくる論>、新語だが<繰るる論>はどうか?語呂はわるくない。

<くるくる論>はふざけた感じだが、<繰る>を<繰り返す>または<繰る>を二か所同時にやるというはなれわざ。この操作は多項式環ででてくる。多項式環は理解しにくいとことろがあるが、そこが肝心かなめのところで末尾で少し詳しく調べる予定。


多項式環

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search 数学、殊に抽象代数学における多項式環(たこうしきかん、英語: polynomial ring)は係数を持つ一変数または多変数の多項式の全体の集合が成すである。

英語版
In mathematics, especially in the field of algebra, a polynomial ring or polynomial algebra is a ring (which is also a commutative algebra) formed from the set of polynomials in one or more indeterminates (traditionally also called variables) with coefficients in another ring, often a field.

日本語の方は<係数を持つ>のところが誤訳または意味を混乱させるといえ、もとの英語は<with coefficients in another ring(, often a field).)>でこちらが正しい。こまかく言えば<別のもう一つの環に係数を持つ>となる。つまりは多項式環 (polynomial ringは<繰る>を二組同時にやるというはなれわざ、なのだ。すこし勉強すればわかるが、多項式の係数の<環>の研究が抽象数学を発展させた一面がある。多項式環は理解しにくいとことろがあるが、そこが肝心かなめのところで末尾で少し詳しく調べる予定。

<ふざけた感>がない<繰るる論>に説明を加えると

構成: <繰る>+動詞語尾<る>。文法規則違反のようだがそこがミソ。<繰る>と言う<操作>を強調しているのだ。<繰る>操作を一度、一か所と限ることはない。

(注)偶然だが環論を調べているうちにクルルという人の<クルルの定理>とうのがあるを見つけた。

その他では

同じ穴のムジナ論 (追記参照)

この<同じ穴のムジナ論>は環論だけでなく、体論、群論にもあてはまってしまう。例えば<体論(数学)のやまとことば>でも引用したが

Wiki <Field (Math)> History の中に次の一節がある。
By a field we will mean every infinite system of real or complex numbers so closed in itself and perfect that addition, subtraction, multiplication, and division of any two of these numbers again yields a number of the system.
— Richard Dedekind, 1871

が<体(Body)>の由来とデデキントの抽象代数学の<体とは何か>の本質的な意味の説明だ。本質的な意味を広げれば群や環にも当てはまる。

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追加

始めの方で<このポストでは<環>のやまとことばの話に限定する>と書いたので、以下<環>の理解、ひいては抽象代数の基本コンセプト理解のために勝手に書くのでヒマと興味のある人が読み続けてください。

さて環論(Ring Theory)を勉強すると始めの方に<Ideal(イデアル)>と<Kernel(核)>というのが出てくる。この二つがわからないと広く深い環論の初歩も理解したことにならないので、やまとことばとは別に勉強しておくことにする。

I. Ideal(イデアル)

II. Kernel(核)

Wiki- Japan <イデアル(環論)>

冒頭の解説に続いて<イデアル>の定義があるが、定義よりも冒頭の解説がの方が直観的で分かりやすい。

<イデアル(環論)>の冒頭の解説

"
抽象代数学の分野である環論におけるイデアル: ideal, : Ideal)はの特別な部分集合である。整数全体の成す環における、偶数全体の成す集合や 3 の倍数全体の成す集合などの持つ性質を一般化したもので、その部分集合に属する任意の元の和と差に関して閉じていて、なおかつ環の任意の元を掛けることについても閉じているものをイデアルという。

整数の場合であれば、イデアルと非負整数とは一対一に対応する。即ち整数環 Z の任意のイデアルは、それぞれただ一つの整数の倍数すべてからなる主イデアルになる。しかしそれ以外の一般の環においてはイデアルと環の元とは全く異なるものを指しうるもので、整数のある種の性質を一般の環に対して一般化する際に、環の元を考えるよりもそのイデアルを考えるほうが自然であるということがある。例えば、環の素イデアル素数の環における対応物であり、中国の剰余定理もイデアルに対するものに一般化することができる。素因数分解の一意性デデキント環のイデアルに対応するものが存在し、数論において重要な役割を持つ。

イデアルは整数の算術から定義される合同算術の方法と同様の剰余環(商環)の構成にも用いられる、この点において群論剰余群(商群)の構成に用いられる正規部分群と同様のものと理解することができる。
"

先ず第一節目。

<その部分集合に属する任意の元の和と差に関して閉じていて、なおかつ環の任意の元を掛けることについても閉じているものをイデアルという。 >の箇所だが、

この箇所のもとの英文は

In ring theory, a branch of abstract algebra, an ideal is a special subset of a ring. Ideals generalize certain subsets of the integers, such as the even numbers or the multiples of 3. Addition and subtraction of even numbers preserves evenness, and multiplying an even number by any other integer results in another even number; these closure and absorption properties are the defining properties of an ideal. An ideal can be used to construct a quotient ring similarly to the way that, in group theory, a normal subgroup can be used to construct a quotient group.

したがって、<なおかつもとの環の任意の元(すなわち、任意の整数)を掛けることについても閉じているものをイデアルという。>としたほうがいい。何のことはない

偶数 x 偶数 = 偶数
偶数 x 奇数 = 偶数

と言っているのだ。だが英語の説明も偶数(集合、組)につてはいいが the multiples of 3(3 の倍数全体の成す集合)は話が違う。<3 の倍数全体の成す集合>というのは

1 x 3 = 3
2 x 3 = 6
3 x 3 = 9
4 x 3 = 12
5 x 3 = 15
6 x 3 = 18
   ----
の(3, 6, 9, 12, 15, 18, . . . )の集合(整数集合の部分集合)のことで、この集合は、整数集合や偶数集合と同じく、<環>の性質を持っている、と言うことなのだ。<閉じている>は重要な言葉(内容)。

<その部分集合に属する任意の元の和と差に関して閉じていて、なおかつ(整数)環の任意の元を掛けることについても閉じている>、ということは<3 の倍数全体の成す集合>についていえば

部分集合に属する任意の元の和
3 + 6 = 9
3 + 9 = 12
6 + 9 = 15

部分集合に属する任意の元の差
9 - 3 = 6
12 - 3 = 9
15- 6 = 9

整数環の任意の元を掛けること
3 x 2 = 6
3 x 5 = 15
6 x 3 = 18

となるように、操作(演算)後の結果は<3 の倍数全体の成す集合>の中にとどまる。これが<閉じている>でおもしろいところだ。これは簡単な操作だが<めぐりめぐってもとにもどる>感=環がある。<それでも同じ土俵の中にいる>ともいえる。土俵は輪の形をしている。だが土俵は残念ながらやまとことばではない。やまとことばを使えば<それでも同じ枠、囲いの中にいる>、さらには<つまるところは同じ穴のムジナ>とでもなるか。

日本語訳にはないが、英語の方には

these closure and absorption properties are the defining properties of an ideal.

というのがそのあとに続いている。closure は<閉じること、とじていること>あるいは簡潔に<閉じ>でいいが absorption の訳は漢語の<吸収>がすぐに思い浮かぶが、やまとことばは<吸いこみ>とか<呑(の)みこみ>といったところだ。<閉じ>と<呑みこみ>がイデアルの定義的特質といっているのだ。だが absorption (呑みこみ)の説明がない。説明がないのは、少し考えれば、わかることだからだろうが、たくさん考えてもわからない人もいる。何を absorption (呑みこみ)と言っているのかと言うと

 上の偶数集合(整数環の部分集合)のイデアルを例にとると、繰り返しになるが

偶数 x 偶数 = 偶数
偶数 x 奇数 = 偶数 

偶数(偶数集合の元)に偶数を掛けて(multiplication)も奇数を掛けても偶数になるということは偶数集合=イデアルの仲間に呑みこんでしまうということで、ある人はこのイデアルの働きを multiplicative absorption あるいは multiplicative absorbent と呼んでいる。<掛け算>で<同じ穴のムジナ>にしてしまう、<同じ穴のムジナ>になる、ということなのだ。<3 の倍数全体の成す集合>でも、上の簡単な例で示したように

3 の倍数全体の成す集合=イデアル(3, 6, 9, 12, 15, 18, . . . )の元に整数環(1, 2, 3, 5, 6, . . .  )の任意の元を掛けても同じこと(掛け算による呑み込み)が言える。

3 x 2 = 6
3 x 5 = 15
6 x 3 = 18

Wiki - Ideal (ring theory) には 

Definitions
For an arbitrary ring (R,+,\cdot), let (R,+) be its additive group. A subset I is called a two-sided ideal (or simply an ideal) of R if it is an additive subgroup of R that "absorbs multiplication by elements of R." Formally we mean that I is an ideal if it satisfies the following conditions:
  1. (I,+) is a subgroup of (R,+)
  2. {\displaystyle \forall x\in I,\forall r\in R:\quad x\cdot r,r\cdot x\in I}
Equivalently, an ideal of R is a sub-R-bimodule of R.

というイデアルの定義の解説があり、なおかつ"absorbs multiplication by elements of R." と " " 付きになってる。上の<2.>が "absorbs multiplication by elements of R." に相当する。R は Ring の略でここは整数環のこと。
 
なぜか日本語訳の方にはこの箇所がない。この箇所の理解には<additive group>と<bimodule>がわからないとかなり不十分だ。しかしこの二つを理解しようとするとどんどん横道にそれてしまうが、ここは<追記>として勝手に書いているので、それることにする。

Wiki <additive group>

An additive group is a group of which the group operation is to be thought of as addition in some sense. It is usually abelian, and typically written using the symbol + for its binary operation.
This terminology is widely used with structures equipped with several operations for specifying the structure obtained by forgetting the other operations. Examples include the additive group of the integers, of a vector space and of a ring. This is particularly useful with rings and fields to distinguish the additive underlying group from the multiplicative group of the invertible elements.

Wiki - Japan <加法群 (additive group)>   

加法群 (additive group) は群演算をある意味で加法と考えることのできるである。それは通常アーベル群であり、その二項演算を記号 + を使って書くのが一般的である。
この用語は複数の演算をもった構造で他の演算を忘れることによって得られる構造を明示するために広く使われる。例えば、整数全体、ベクトル空間加法群。これは環と可逆元全体からなる乗法群を加法群と区別するために特に有用である。

第一節はここで説明するが、後半の第二節はわかりにくい。ここは<加法群 (additive group) >と似て非なる<加群(module)>の違いを説明するのが目的なので第二節の説明ははぶく。

第一節

加法群 (additive group) は群演算をある意味で加法と考えることのできるである。

この説明はきわめて簡単だが<群>とは何かわかれば理解できる。

群論(ぐんろん、英語: group theory)とは、を研究する学問。 群の概念は抽象代数学における中心的な概念。ベクトル空間などは、演算公理が付与された群と看做すことができる。

"

と言う解説がある。、制約の少なさを抽象度の目安とすると、群は環、体、ベクトル空間よりも進んでいることになる。逆に<体>が四則演算に従うのを原則としているので一番抽象度が低い(一番制約が多い)ことになる。<ベクトル空間>というのはなぜか<空間>の名前がついているが、抽象数学では体、環、群と同じく集合の一種。

Wiki-Japan <ベクトル空間>


F 上のベクトル空間 V 」とは、後に述べるような、二種類の演算を備えた集合 V のことである。ベクトル空間 Vベクトル (vector ) と呼ばれる。体 F係数体 (coefficient field, scalar field ) と呼ばれる。係数体 F の元はスカラー (scalar ) あるいは係数 (coefficient ) と呼ばれる。ここではベクトルをスカラーから区別するために、ベクトルは太字で表す。導入節では始点を固定した有向平面線分の全体や実数の順序対の全体の成す集合をベクトル空間の例として挙げたが、これらはともに実数体(実数全体からなる体)上のベクトル空間である。
ベクトル空間が備えるべき二種類の演算の一つは、ベクトルの加法と呼ばれ、任意の二つのベクトル vw とからそれらのと呼ばれる第三のベクトル v + w を割り当てるものである。もう一つの演算は、任意のスカラー a と任意のベクトル v とから別のベクトル av を割り当てるもので、最初の例でのこの乗法がベクトル v をスカラー a 倍に拡大縮小(スケーリング)するものになっていることから、この乗法は va によるスカラー乗法と呼ばれる。
集合 V がベクトル空間と呼ばれるためには、加法とスカラー乗法が(ベクトル空間の)公理系と呼ばれる一連の制約条件に従うわなければならない。

ベクトルは学校で習っているが、このような集合的な見方もあるということだ。注意すべきはベクトルの足し算で(これも学校で習う)、変な<足し算>をする。上のスカラー乗法(掛け算)は理解しやすいが、<ベクトル同士の掛け算>はかなり変で理解しにくいが、理屈に合っている、あるいは定理をつくって理屈に合わせているといえる。<defined as xxxx>。


さて<環>は<演算公理が付与された群と看做すことができる>のだが、逆の見方をするとこれは環から<環特有の演算公理>の制約を取り除いたもにが<群>になると言える。

<群>の定義 Wiki-Japan


集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) がであるとは、以下の3つの条件を満たすことをいう:
  1. 結合法則)任意の G g, h, k に対して、μ(g, μ(h, k)) = μ(μ(g, h), k) を満たす:
    {\displaystyle (\forall g,h,k\in G)[\mu (g,\mu (h,k))=\mu (\mu (g,h),k)].}
  2. 単位元の存在)μ(g, e) = μ(e, g) = gG のどんな元 g に対しても満たすような G の元 e が存在する:
    {\displaystyle (\exists e\in G)(\forall g\in G)[\mu (g,e)=\mu (e,g)=g].}
    • このような e は存在すれば一意であり、G単位元という。
  3. 逆元の存在)G のどんな元 g に対しても、μ(g, x) = μ(x, g) = e となるような G の元 x が存在する:
    {\displaystyle (\forall g\in G)(\exists x\in G)[\mu (g,x)=\mu (x,g)=e].}
    • このような x は存在すれば一意であり、この xgG における逆元といい、しばしば g−1, あるいは演算を加法的に書く場合には −g で表される。
群よりも広い概念として、1 を満たすものは半群、1 と 2 を満たすものはモノイドという。



これが群の定義。当たり前のことなので気が付きにくいが

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が上記の3条件を満たす

ときに群論での特別な意味を持った<群>になる、と言うことなのだ。<G × G>がクセモノで<G掛けるG>ではない。 <G × G>は二項演算の前半。二項演算<μ: G × GG>の意味はG内の元と元を二項演算すると(しても)結果はGの中にあるという集合的な演算なのだ。そして集合Gと二項演算<μ: G × GG>の組 み(G, μ) が上記の3つの条件を満たすときその組みは群になる、と言っているのだ。この考え方は重要で<群>以外でも出てくるので、しつこくなるが繰り返す。

集合 G とその上の二項演算 μ: G × GG の組 (G, μ) が上記の3条件を満たす

ときに群論での特別な意味を持った<群>になる。 (もちろん、<群>以外のコンセプトでは3条件ではなくいろいろな条件になる。この後すぐに<アーベル群>が出てくる。

上記の3つの条件は二項演算は<掛け算>のようにみえるが、 Wiki-Japan <アーベル群>の解説では " * " と " + " が二項演算を表わしている。

 Wiki-Japan <アーベル群>


集合 G二項演算("*" と書くことにする)が定義されていて、以下の条件
  1. 結合法則: a*(b*c)=(a*b)*c.
  2. 単位元の存在:\exists 1;\ a*1=1*a=a.
  3. 逆元の存在: \forall a,\exists a^{{-1}};\ a*a^{{-1}}=a^{{-1}}*a=1.
  4. 交換法則: a*b=b*a.
(ただし、a, b, cG の任意の元)を全て満たすとき、G と演算 "*" の組 (G, *) をアーベル群という。考えている演算があきらかなときは省略して単に G をアーベル群と呼ぶ。
アーベル群ではしばしば演算子を "+" と記す。このとき単位元を零元と呼んで 0 などで表し、逆元も −a のように負符号を用いて表してマイナス元あるいは反数ともよぶ。また、a + (−b) は ab と書かれ、a から b を引くという減法が定義される。このような記法を加法的な記法と呼び、対して先に述べたような通常の群でよく使われる記法を乗法的な記法ということがある。アーベル群の定義を加法的に記せば
  1. 結合法則: a+(b+c)=(a+b)+c.
  2. 零元の存在: \exists 0;\ a+0=0+a=a.
  3. マイナス元の存在: \forall a,\exists -a;\ a+(-a)=(-a)+a=0.
  4. 交換法則: a+b=b+a.
のようになる。



まことにしつこいようだが、忘れないために


(集合)G と演算 "*" の組 (G, *) をアーベル群という。考えている演算があきらかなときは省略して単に G をアーベル群と呼ぶ。



が肝心なところ。G はGroup の G を意味している。


" * " は <乗法的な記法>、一方 " + " は<加法的な記法>ということになるが基本は<二項演算>。 (注)<アーベル群>では<交換法則>が加わっている。

ところで、まだこのポストの主役の<環>の定義を述べていないが、<環>は

Wiki-Japan 

"

定義と導入

原型的な例

もっともよく知られた環の例は整数全体の成す集合 Z に、通常の加法乗法を考えたものである。すなわち Z は所謂「環の公理系」と呼ばれる種々の性質を満たす。
整数の集合における基本性質

加法 乗法
演算の閉性 a + b は整数 a × b は整数
結合性 a + (b + c) = (a + b) + c a × (b × c) = (a × b) × c
可換性 a + b = b + a a × b = b × a
中立元の存在性 a + 0 = a零元 a × 1 = a単位元
反数の存在性 a + (−a) = 0
分配性 a × (b + c) = (a × b) + (a × c), および (a + bc = a × c + b × c
乗法が可換律を満たすから、整数の全体は可換環である。

厳密な定義

とは、集合 R とその上の二つの二項演算、加法 +: R × RR および乗法 ∗: R × RR の組 (R,+,∗) で、「環の公理系」と呼ばれる以下の条件を満たすものを言う)。
加法群 
(R, +) はアーベル群である
  1. 加法に関して閉じている: 任意の a, bR に対して a + bR が成り立つ。
  2. 加法の結合性: 任意の a, b, cR に対して (a + b) + c = a + (b + c) が成り立つ。
  3. 加法単位元(零元)の存在:如何なる aR に対しても共通して 0 + a = a + 0 = a を満たす 0 ∈ R が存在する。
  4. 加法逆元(反元、マイナス元)の存在: 各 aR ごとに a + b = b + a = 0 を満たす bR が存在する。
  5. 加法の可換性: 任意の a, bR に対して a + b = b + a が成立する。
乗法半群 
(R,∗) はモノイド(あるいは半群)である
  1. 乗法に関して閉じている: 任意の a, bR に対して abR が成り立つ。
  2. 乗法の結合性:任意の a, b, cR に対して (ab)∗ c = a ∗(bc) が成立する。
  3. 乗法に関する単位元を持つ。
分配律
乗法は加法の上に分配的である
  1. 左分配律: 任意の a, b, cR に対して a ∗(b + c) = (ab) + (ac) が成り立つ。
  2. 右分配律: 任意の a, b, cR に対して (a + b)∗ c = (ac) + (bc) が成り立つ。
が成り立つものをいう。乗法演算の記号 ∗ は普通省略されて、ab は、ab と書かれる。
よく知られた整数全体の成す集合 Z, 有理数全体の成す集合 Q, 実数全体の成す集合 R あるいは複素数全体の成す集合は通常の加法と乗法に関してそれぞれ環を成す。

"
 引用が多く、長くなったがここでも<とは、集合 R とその上の二つの二項演算、加法 +: R × RR および乗法 ∗: R × RR組 (R,+,∗) で、「環の公理系」と呼ばれる以下の条件を満たすものを言う>と言う論法が出てくる。

またここでも<加法群>が出てくる。Closure は<(演算の)閉性>となっている。耳で聞いただけで<閉性>が何のことだかわからないだろう。

加法群 (additive group) は群演算をある意味で加法と考えることのできるである。

加法群 (additive group) は ”ある意味で” <加法的な記法>の群ということなのだ。だが二項演算ではなく群演算とある。また ”ある意味で” がこれまたクセモノだが、詮索しないことにする。

忘れかけているが、以上の説明はの<イデアル>の解説に出てくる<additive group(加法群)>の説明だ。

Wiki - Ideal (ring theory)

Definitions
For an arbitrary ring (R,+,\cdot), let (R,+) be its additive group. A subset I is called a two-sided ideal (or simply an ideal) of R if it is an additive subgroup of R that "absorbs multiplication by elements of R."

"absorbs multiplication by elements of R." は重要なイデアルの特性(these closure and absorption properties are the defining properties of an ideal.)は上で説明した。

これに続いて

Definitions(続き)

Formally we mean that I is an ideal if it satisfies the following conditions:
  1. (I,+) is a subgroup of (R,+)
  2. {\displaystyle \forall x\in I,\forall r\in R:\quad x\cdot r,r\cdot x\in I}
Equivalently, an ideal of R is a sub-R-bimodule of R.

がある。

さて次に名前は似ているが内容がまったく違う<module(加群)>を調べてみる。まず 上の<bimodule>。

Wiki <bimodule>の日本語版。

抽象代数学において、両側加群(りょうがわかぐん、: bimodule)とは、アーベル群であって、左加群かつ右加群であり、左右の積が両立しているようなもののことである。数学の多くの部分で自然に現れることに加えて、左右の加群の関係の多くは両側加群の用語によって簡潔に表現される。

これは<加群(module)>がわかっていないといけない。<module> と言う英語がなぜ<加群>という日本語になったのかを調べれば言葉の勉強になるかもしれない。なぜ<加群>という日本語になったわけは、上の日本語<加法群>の説明の一部に関連する。ただし混乱しているのでさらに説明が必要。この混乱については次のWiki のアーベル群の冒頭の解説に見られる。

 Wiki-Japan  <アーベル群>


数学、とくに抽象代数学におけるアーベル群(アーベルぐん、: abelian group)または可換群(かかんぐん、: commutative group)は、群演算可換、すなわちどの二つの元の積も掛ける順番に依らず定まる群を言う。名称は、ノルウェーの数学者ニールス・アーベルに因む。
アーベル群は環上の加群ベクトル空間といった抽象代数学の概念において、その基礎となる加法に関する群(加法群)としてしばしば生じる。任意の抽象アーベル群についても、しばしば加法的な記法(例えば群演算は "+" を用いて表され、逆元は負符号を元の前に付けることで表す)が用いられ、その場合に用語の濫用で「加法群」と呼ばれることがある。また任意のアーベル群は整数全体の成す環 Z 上の加群とみることができ、その意味でやはり用語の濫用だがアーベル群のことを「加群」と呼ぶこともある。


つまりは<加法群>、<加群>は混乱しているのだ。このポストは環論についてなので<環上の加群>すなわち module とは何かを見ておく。

Japan Wiki <環上の加群>

"
抽象代数学における上の加群(かぐん、: module)とは、ベクトル空間を一般化した概念で、係数(スカラー)をの元とする代わりに、より一般の環の元としたものである。つまり、加群とは(ベクトル空間がそうであるように)加法的なアーベル群であって、その元と環の元との間に乗法が定義され、その乗法が結合的かつ加法に関して分配的となるようなものである。
任意のアーベル群有理整数環上の加群であり、したがって環上の加群はアーベル群の一般化でもある。また、環のイデアルは環上の加群であり、したがって環上の加群はイデアルの一般化でもある。このように環上の加群はベクトル空間・アーベル群・イデアルを包括する概念であるので、さまざまな議論を加群の言葉によって統一的に扱うことができるようになる。

"

英語版


In mathematics, a module is one of the fundamental algebraic structures used in abstract algebra. A module over a ring is a generalization of the notion of vector space over a field, wherein the corresponding scalars are the elements of an arbitrary given ring (with identity) and a multiplication (on the left and/or on the right) is defined between elements of the ring and elements of the module.
Thus, a module, like a vector space, is an additive abelian group; a product is defined between elements of the ring and elements of the module that is distributive over the addition operation of each parameter and is compatible with the ring multiplication.



元の英語と対比しても<上の加群(かぐん、: module)>は間違いではないが、加群はもっぱら<環上の加群>として出てくる。日本語版Wikiの<環上の加群>の英語版のタイトルがむしろなぜか module となっている。英語版のmodule の解説も加群(module として)そのものというよりは<環上の加群>(module over a ring)についてなのだ。しかし次のような解説がある。

  • Kならば、「K-線型空間」(K 上のベクトル空間)の概念と K-加群の概念は一致する。
  • Z を有理整数環とすると、Z-加群の概念はアーベル群の概念に一致する。すなわち、一意的な仕方で任意のアーベル群を Z 上の加群にすることができる。これには、n > 0 に対して nx = x + x + ... + xn-項の和)とし、0x = 0 および (−n)x = −(nx) とおけばよい。このようにアーベル群を加群と見たものは必ずしも基底を持たない。実際、ねじれ元を持つような群は基底を持たない(ただし、有限体をそれ自身の上の加群と見たときは基底を持つ)。
つまり、<環上の加群(R-Module、R-加群)>以外に K-加群、 Z-加群というのもある。日本語版にはないが、英語版には上の二つの例に間に K[x]-module というのが出てくrる。

  • If K is a field, then the concepts "K-vector space" (a vector space over K) and K-module are identical.
  • If K is a field, and K[x] a univariate polynomial ring, then a K[x]-module M is a K-module with an additional action of x on M that commutes with the action of K on M. In other words, a K[x]-module is a K-vector space M combined with a linear map from M to M. Applying the Structure theorem for finitely generated modules over a principal ideal domain to this example shows the existence of the rational and Jordan canonical forms.
  • The concept of a Z-module agrees with the notion of an abelian group. That is, every abelian group is a module over the ring of integers Z in a unique way. For n > 0, let nx = x + x + ... + x (n summands), 0 ⋅ x = 0, and (−n) ⋅ x = −(nx). Such a module need not have a basis—groups containing torsion elements do not. (For example, in the group of integers modulo 3, one cannot find even one element which satisfies the definition of a linearly independent set since when an integer such as 3 or 6 multiplies an element the result is 0. However, if a finite field is considered as a module over the same finite field taken as a ring, it is a vector space and does have a basis.)
したがって、module = 環上の加群ではない。Module は相当複雑。手もとにあるCollins Math Dictionary に簡潔だが少しは分かりやすい解説がある。 (末尾参照)

ところで、上の説明では

A module over a ring  - 環上の加群
K 上のベクトル空間) - K 上のベクトル空間
a module over the ring of integers Z - Z 上の加群

と言う表現がでてくる。この<xx上のyy(xx over yy)>という言い方が抽象代数学ではよくでてくる。以前に書いた<体論(数学)のやまとことば>で引用したが体論の中の重要な操作体の拡大でも

Wiki-Japan

"
抽象代数学において、体の拡大 L/K は次を満たすときに代数的: algebraic)であると言う。L のすべての元は K代数的である、すなわち、L のすべての元は K 係数のある 0 でない多項式の根である。

In abstract algebra, a field extension L/K is called algebraic if every element of L is algebraic over K, i.e. if every element of L is a root of some non-zero polynomial with coefficients in K.

"

で<L のすべての元は K 上代数的である>というのが出てくる。<K 上代数的>は読み違える可能性があり<K 上で代数的である>ということ。また<すべての元>は<every element>がもとの英語。ここは間違いではないが、基本的には every は<それぞれみな>で<すべて、all>とは違う。またよく出てくる any は大体<任意の>という漢語があてられているが、<勝手な>という訳語をみつけたことがる。<勝手>は漢字があてられているが<勝つ手>でやまとことばだ。だが数学では俗っぽすぎる。 英語の any はやまとこばの日本語表現は

どの xx も、いずれの xx も、xx どれでも

となり、やや長くなる。

<勝手な>は細かく言うと<<勝手に選んだ>で、<好きに選んだ>でもいい。また<任意の>も細かく言えば<意に任(まか)せて選んだ>となる。だがこれらは一語の any にくらべ長すぎる。どこかで書いたが any は英語の大発明なのだ。


<xx上のyy(xx over yy)>という言い方のやまとことば版を考えてみた。この<上(over)>はけっして軽い<上(over)>はではない。

一番適当なのは<またがる>ではないだろうか。 <またがる>は<馬にまたがる>がすぐに思い浮かぶが、現代では実際に馬にまたがるのは競馬の騎士ぐらいだ。だが自転車やバイクも<またがって>乗る。<乗る>は大げさに言うと自転車やバイクを制御、操作して動かす、働かせる、ことだ。<またがる>は<またぐ>の関連動詞ではるが<またぐ>が

水たまり(どぶ、障害物)をまたいで行く

などのように具体的、物理的な表現が多いのに対して、<またがる>は

この研究は物理、化学、数学の分野にまたがっている
彼の話は政治、経済、歴史、文化などさまざまな分野にまたがっていた。

などいうやや抽象的な言い方がある。<制御、操作して動かす、働かせる>の意では日常はあまり使わないが<統べる、すべる>がある。<すべてみな>の<すべて>はこの<統(す)べる>由来だ。だが<すべる>はまず第一に<滑る>が頭に浮かんでてしまう。上記の<またがる>の二つの例文は<わたる>で置き換えられる(可換だ)。

この研究は物理、化学、数学の分野にわたっている
彼の話は政治、経済、歴史、文化などさまざまな分野にわたってた。

<すべてにまたがって>とはあまり言わず<すべてにわたって>と言う。しかし上の例で

 L のすべての元は K 上代数的である。 -> L のすべての元は K にまたがって代数的である。

はいいが

 L のすべての元は K 上代数的である。 -> L のすべての元は K にわたって代数的である。

はピンとこない。

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さてだいぶ道草を食ったが<イデアル>解説の第二節目

整数の場合であれば、イデアルと非負整数とは一対一に対応する。即ち整数環 Z の任意のイデアルは、それぞれただ一つの整数の倍数すべてからなる主イデアルになる。しかしそれ以外の一般の環においてはイデアルと環の元とは全く異なるものを指しうるもので、整数のある種の性質を一般の環に対して一般化する際に、環の元を考えるよりもそのイデアルを考えるほうが自然であるということがある。例えば、環の素イデアル素数の環における対応物であり、中国の剰余定理もイデアルに対するものに一般化することができる。素因数分解の一意性デデキント環のイデアルに対応するものが存在し、数論において重要な役割を持つ。

第一の文。

整数の場合であれば、イデアルと非負整数とは一対一に対応する。即ち整数環 Z の任意のイデアルは、それぞれただ一つの整数の倍数すべてからなる主イデアルになる。

この部分はいいだろう。上で説明した。だが

<主イデアル(principal ideal)>は<それぞれただ一つの整数の倍数すべてからなる>という翻訳調の解説が語の前にあるが、<それぞれ>は突然出てくる感じだ。前の<任意のイデアル>に対応する、いわばダメ押しだ。英語では each ではなく every だ。こまかいことだが、英語では<任意のイデアル>の<任意>、<倍数すべてからなる>の<すべて>という語もない。また前半は the ideals で冠詞がついた複数形。

Among the integers, the ideals correspond one-for-one with the non-negative integers: in this ring, every ideal is a principal ideal consisting of the multiples of a single non-negative number.

その次の日本語がわかりずらい。


しかしそれ以外の一般の環においてはイデアルと環の元とは全く異なるものを指しうるもので、整数のある種の性質を一般の環に対して一般化する際に、環の元を考えるよりもそのイデアルを考えるほうが自然であるということがある。

もとの英語は

However, in other rings, the ideals may be distinct from the ring elements, and certain properties of integers, when generalized to rings, attach more naturally to the ideals than to the elements of the ring. 



日本語でわかりずらい箇所は<一般の環においては  . . . . . . 、一般の環に対して一般化する際に>で、<一般>が続いてでてくるが<一般の>と<一般化>の<一般>では意味はもちろん違う。ここは整数環 以外の一般の環と整数環 の違いを言っている。英語では冠詞つきのthe ring や冠詞なしで複数の rings がでてくるので見分けがつきやすい。<一般の環に対して一般化する際に>は when generalized to rings の訳と思われるが、誤訳といっていい。<<一般の環に対して>( to rings 相当)は整数環以外の一般の環のことではない。冠詞がないので不定の rings (不特定多数の環、環たち)。なぜ不特定かというと<整数のある種の性質(ここも英語では複数、certain properties)を(一般の環に対して)一般化>してできてくる環なのだが、<ある種の性質>はまだ不特定だからそれからできてくるのは<不特定多数の環、環たち>なのだ。

したがってこの箇所はややくどくなるところもあるが

ーー>

しかし整数環 Z以外の一般の環においてはイデアルと一般の環の元とは全く異なるものを指しうるもので、整数のある種の性質を一般化して環にする際に、整数環 Zの元を考えるよりもそのイデアルを考えるほうが自然であるということがある。

となる。

抽象代数学は<一般化(generalization)>をどんどん進めて行くので<一般化>は最重要語と言っていい。そしてそれにほぼ比例してわかりにくくなる(例外もある)。<ある種の性質(不特定)>を一般化すると特定になりそうだが、そうとは限らない。なぜなら出てきた結果はさらに一般化できるかもしれないからだ。このあたりは禅問答、哲学的になる。

次(つぎ)

例えば、環の素イデアル素数の環における対応物であり、

ここももとに英語は

For instance, the prime ideals of a ring are analogous to prime numbers,

で意味が違っている。analogous (形容詞)は<対応物>ではない。ここでは<相当>、<同じ>の意でいい。またまた細かいことをいえば日本語ではのべられているものが複数であるこが伝わらない。いいかえれば

例えば、(整数)環の素イデアルは整数環の素数と同じ(に相当する)

次(つぎ)

中国の剰余定理もイデアルに対するものに一般化することができる。

この箇所の英語は

the Chinese remainder theorem can be generalized to ideals.

で簡単に<中国の剰余定理はイデアルに(として)一般化することができる。>だ。だが理解にためには<中国の剰余定理>がわかってないといけない。

中国の剰余定理(Wiki-Japan)

3~5世紀頃成立したといわれている中国の算術書『孫子算経』には、以下のような問題とその解答が書かれている。
今有物、不知其数。三・三数之、剰二。五・五数之、剰三。七・七数之、剰二。問物幾何?
答曰:二十三。
術曰:『三・三数之、剰二』、置一百四十。『五・五数之、剰三』、置六十三。『七・七数之、剰二』、置三十。并之、得二百三十三。以二百一十減之、即得。凡、三・三数之、剰一、則置七十。五・五数之、剰一、則置二十一。七・七数之、剰一、則置十五。一百六以上、以一百五減之、即得。
日本語では、以下のようになる。
今物が有るが、その数はわからない。三つずつにして物を数えると、二余る。五で割ると、三余る。七で割ると、二余る。物はいくつあるか?
答え:二十三。
解法:三で割ると、二余る数として、百四十と置く。五で割ると、三余る数として、六十三と置く。七で割ると、二余る数として、三十と置く。これらを足し合わせて、二百三十三を得る。これから二百十を引いて、答えを得る。一般に、三つずつにして物を数え、一余ると、その度に七十と置く。五で割った余りに二十一をかける。七で割った余りに十五をかける。百六以上ならば、百五を引くことで、答えを得る。

上記の問題を上記の回答、イデアルを意識することなく解いてみる。

X/3 = A あまり 2
X/5 =  B あまり 3
X/7 = C あまり 2

まず X/7 = C あまり 2 の C を考えてみる。

X(候補) = 9, 16, 23, 30, 37, 43, 51, 58, 65, 72, ....   このくらいでいいだろう。

この中で 5 で割って 3 あまるのは

23, 43, 58

 この中で 3 で割って 2 あまるのは

23 (3 x 7 = 21 + 2 = 23)

43 (3 x 14 = 42 + 1  ダメ)

58 (3 x 19 = 57 + 1 ダメ)

したがって答えは 23。23 以外答えはあるか。

特に理由はないが 23 の2倍、3倍、4倍、5倍、6倍、7倍、8倍、9倍、10倍はどうか?

23 x 2 = 46
23 x 3 = 69
23 x 4 = 92
23 x 5 = 115
23 x 6 = 138  - 138/5 =  27 あまり 3
23 x 7 = 161
23 x 8 = 184
23 x 9 = 207
23 x 10 = 230

5 で割って 3 あまるのは 138 だけだ。だが138は 3 で割り切れてしまう。3, 5,7 は素数で、これを掛け合わせると 3 x 5 x 7 = 105 だ。掛け算の素数分解ということであれば ( 3) (5 ) (7) = 105。この 105 は中国の剰余定理ででてくる。23 に 105 を足すと 23 +105 = 128。

128/3 = 42 x 3( = 126) あまり 2
128/5 = 25 x 5( = 125 )あまり 3
128/7 = 18 x 7 = (126) あまり 2

で 128 も答えとなる。これはどうしたわけか。一方 23 に 105(3x5x7) をかけた 2,415 は明らかに答えになりそうだが

2,415/3 = 805 あまり 0
2,415/5 = 483 あまり 0
2,415/7 = 345 あまり 0

という結果になる。 これはどうしたわけか。 23 x 105 = 2,415 は読み替えると

 105 + 105 + 105 + . . . .  と 105 を 23回足すことだ。これはすこし考えればわかるが、これはこれまた読み方を変えると

2,415 から 105 を 23回引くことだ。そして23回引いた結果は<あまり 0>ということだ。一方上の<128 も答えとなる。これはどうしたわけか>は、

128 から 105 を(1回)引いた結果は<あまり 23>ということだ。したがって 128 も回答ということになる。これを一般化すると

23 + 105 + 105 = 233
23 + 105 + 105 + 105 =338
23 + 105 + 105 + 105 + 105 = 443
23 + 105 + 105 + 105 + 105 + 105 = 548
.
.
.

23 + 105 + 105 + 105 + 105 + 105  . . .  (22回足す)= 23 + 105 x 22 = 2,333

233 はどうか

233 / 3 = 77 余り  2
233 / 5 = 46 余り 3
233 / 7 = 33 余り  2

でやはり<答>だ。

2,333 どうか?

2,333 / 3 = 777 余り  2
2,333 / 5 = 466 余り 3
2,333 / 7 = 333 余り  2

これから類推すると(証明ではない)23 に 105 を22回足すまですべて回答のようだ。

23 - 233 - 2,333
7 - 77 - 777  (ちなみに 23/3 = 7.6666. . . . )
4 - 46 - 466 (ちなみに 23/5 = 4.6 )
3 - 33 - 333 (ちなみに 23/3 = 3.2875714 285714 . . . )

という数字の並び方がおもしろい。

さて初等算術はこれくらいにして高等算術のイデアルの話にに戻る。

中国の剰余定理はイデアルに(として)一般化することができる。>と書いてあるが、中国の剰余定理とイデアルの関係はそう簡単ではないので、Wiki 参照。

さて中国が出てきたところで。中国版Wiki の Ideal を見ておく。

理想 (环论)
维基百科,自由的百科全书

理想(Ideal)是一个群论中的概念。 若某环之一子集与原先的加法自成一群,且该子环内所有元素与原环之元素相乘的结果均在其内,则称其为原环的理想通俗地说,一环的理想在加法上成群且在乘法上表现如同一个黑洞。 

大体察しはつくと思うが

子集: subset
 该子环: subring
 黑洞:black hole

下線部は英語版、日本語版にない。<俗説では環のイデアルは加法では群をつくるが乗法ではブラックホールの如きモノを表現する>とでもなるか。最後の箇所は<イデアルは乗法ではブラックホールをつくる>と言い換えられるが、この意味の理解にはイデアルの作用をわかっている必要があり、しゃれた表現だ。英語ではこのイデアルの作用を multiplicative absorption とか multiplicative absorbent と呼んでいる。ブラックホールはなんでも<吸い込んで>しまうものだろう。

中国語では<理想>の二字ですませて抽象代数の ideal の訳語でさほど違和感がないようだ。日本語ではダメだろう。それではイデアルのやまとことばはなにか?原語のままイデアル(ドイツ語の発音)で使っているのは適当な日本語がみつからなかったためだろう。難題なのだ。検討してみる。

理想は文字通りでは<理を想(おも)う>、<理想(おも)い>だが、これでは何のことだかわからない。<理にかなう>という表現があるが、この<理>は理想とほとんど関係ない。理念の<理>は理想の<理>に通じるところがある。中国の昔の儒教系の<理学>は<理想>追求の学問だったかもしれない。

理想は<望む、欲する好ましいこと、姿(すがた)>といえる。これだと<のぞみ>でよさそう。だが理想とはズレがある。理想は一歩(あるいは何歩も)進んで<最も、一番望む、欲する好ましいこと、姿(すがた)>と最上級、さらのは比較をこえた絶対最上級なのだ。

<欲しい>は形容詞でふつうは<xx が欲しい>となる。<欲する>は漢文口調だ。<ほしがる>は<xx を欲しがる>で他動詞だが漢文調他動詞<欲する>とは意味が少しズレる。<欲する>、<欲しがる>の名詞(体言)形は<欲(ほっ)し>、<欲しがり>だが独立した名詞(体言)としては聞いたことがない。

<好(この)む>の名詞(体言)形<好み>は<好き嫌い>の<好き>で理想ではない。イデアルの訳語としてはダメだ。

<好み>はよく使うが動詞(他動詞)の<好(この)む>はあまり使われず<好き>が<xxが好き>の形で使われる。<好き>は何詞?おそらくあまり使われない他動詞<好(す)く>の連用形<好き>の名詞(体言)用法 +<だ>、<に>、<で>、<な>の形の用法だろう。<名詞(体言)用法>なので<好きは(が)xxxx>は可能で<好きこそものの上手なり>が思い浮かぶ。<好きにしろ>というのもある。だがイデアルの訳語として<好き>はまずダメだ。

<姿(すがた)>はいいやまとことばだ。これを<xxxx 姿(すがた)>として使いたいが<姿(すがた)>は静的で<作用>機能があるイデアルにそぐわない。

イデアルのやまとことばはなにか?難題だ。(別途再検討予定)
 
次(つぎ)。最後の箇所

素因数分解の一意性デデキント環のイデアルに対応するものが存在し、数論において重要な役割を持つ。

ここは日本語の語順がおかしい。もとの英語は

There is a version of unique prime factorization for the ideals of a Dedekind domain (a type of ring important in number theory).

なので

(数論において重要な役割を持つも環の)デデキント環のイデアルに対応するある種の一意性の素因数分解がある。

一意性の素因数分解のなかには(数論において重要な役割を持つも環の)デデキント環のイデアルに対応するものがある。

となる。 ここも一意性の素因数分解デデキント環がわかっていないの何のことだかわからない。

<デデキント環のwiki を調べてみる。<デデキント>という人名は覚えやすい。<デデ>は<デカダン>,<ダダイズム>、<ダダっ子>、<キント>は<きんとき>との関連からか? もっともドイツ語の<キント(kind)>は<こども>の意(kindergarten の kind だ)なので<ダダキント>は日独合成語になる。

Wiki-Japan <デデキント環>


デデキント環(デデキントかん、Dedekind ring)、あるいはデデキント整域(デデキントせいいき、Dedekind domain)とは、任意の0でない真のイデアルが、有限個の素イデアルの積にかけるような整域のことである。そのような分解は一意であることが知られており、イデアル論の基礎定理と呼ばれる。

定義

体でない整域 R について、以下の条件は同値である。
デデキント環とは、上記条件の1つ、従ってすべてを満たすような整域のことである。体については、デデキント環に含める場合と含めない場合がある。


以下略



これを読んで内容がわかるひとはおそらくすでに<デデキント環>をよく知っている人だけだろう。定義も全くわからないといっていいが、ここに<クルル次元>というのが出てくる。わたしの ”<環論(Ring Theory)>のやまとことば” の考えた末の第一候補が<くくる>、<くる>をもじった<くるる論>なので調べたくなった。



まず冒頭の解説で

デデキント環(整域)の場合は掛け算だ。

というのがある。


<整域(せいいき)>はクリスチャンでなくともまず<聖域>が頭にうかぶだろう。イデアル(理想)が頻繁に出てくる環論ではなおさらだ。整域は<整数の域>の意で英語の<integer domain>の訳語となりそうだが、なぜか英語はintergral domain だ。Integral は似ているが数学では<積分の>の意、数学を離れれば<総合的な(個々をまとめた)>といった意味だ。 調べてみたが、ほかではまず使わない integer の形容詞形のようだ。したがって<整数の域、領域>になる。つまりは整数が持つ特徴の<世界>のようだ。もともとこれだったようだ。

これだと<整域>がわかってないといけないが、話がどんどんはずれて行ってしまうので整数が持つ特徴の<域、領域>、あるいは整数が作る<世界>ということにしておく。。もともとこれだったようだ。





Wiki-英語版

Dedekind domain
 
In abstract algebra, a Dedekind domain or Dedekind ring, named after Richard Dedekind, is an integral domain in which every nonzero proper ideal factors into a product of prime ideals. It can be shown that such a factorization is then necessarily unique up to the order of the factors. There are at least three other characterizations of Dedekind domains that are sometimes taken as the definition: see below.
A field is a commutative ring in which there are no nontrivial proper ideals, so that any field is a Dedekind domain, however in a rather vacuous way. Some authors add the requirement that a Dedekind domain not be a field. Many more authors state theorems for Dedekind domains with the implicit proviso that they may require trivial modifications for the case of fields.
An immediate consequence of the definition is that every principal ideal domain (PID) is a Dedekind domain. In fact a Dedekind domain is a unique factorization domain (UFD) if and only if it is a PID.



これを読んで内容がわかるひとはおそらくすでに<デデキント環>をよく知っている人だけだろう。定義も全くわからないといっていいが、ここに<クルル次元>というのが出てくる。わたしの ”<環論(Ring Theory)>のやまとことば” の考えた末の第一候補が<くくる>、<くる>をもじった<くるる論>なので調べたくなった。

まず冒頭の解説で

デデキント環(Dedekind ring)、あるいはデデキント整域(Dedekind domain

というのがある。


<整域(せいいき>はクリスチャンでなくともまず<聖域>が頭にうかぶだろう。イデアル(理想)が頻繁に出てくる環論ではなおさらだ。整域は<整数の域>の意で英語の<integer domain>の訳語となりそうだが、なぜか英語はintergral domain だ。Integral は似ているが数学では<積分の>の意、数学を離れれば<総合的な(個々をまとめた)>といった意味だ。 調べてみたが、ほかではまず使わない integer の形容詞形のようだ。したがって<整数の域>になる。つまりは整数が持つ特徴の<領域、世界>と言える。もともと(整域の原型)これだったようだ。

Wiki - Integral domain

Example (例)

The archetypical example is the ring \mathbb {Z} of all integers.

整域の原型的な例は、整数全体の成す環 Z である。

<聖域>の定義や例はかなりあるので省略するが、次の例(英語との日本語では少し違う)は上記の整数環に次いで重要だ。

Rings of polynomials are integral domains if the coefficients come from an integral domain. For instance, the ring {\displaystyle \mathbb {Z} [x]} of all polynomials in one variable with integer coefficients is an integral domain; so is the ring {\displaystyle \mathbb {C} [x_{1},\ldots ,x_{n}]} of all polynomials in n-variables with complex coefficients.

係数環が整域であるような多項式環は整域となる。例えば、整係数の一変数多項式環 Z[X] や係数の二変数多項式環 R[X,Y] は整域である。

さてデデキントの方にもどって、繰り返しになるが、


デデキント環Dedekind ring)、あるいはデデキント整域Dedekind domain)とは、任意の0でない真のイデアルが、有限個の素イデアルの積にかけるような整域のことである。そのような分解は一意であることが知られており、イデアル論の基礎定理と呼ばれる。


ここがわかりにくい、というかわからないのは <積にかけるような>のところで、これは誤訳といえる。元の英語は

every nonzero proper ideal factors into a product of prime ideals.

これはすでに述べたが every は<任意の>ではない。<任意の>は any で every は<(それぞれ)みな、どれもみな>、したがって<0でない真のイデアルはどれもみな>となる。

問題は<積にかけるような>でこれがわからない。わからないわけは<積にかける>が何だかわからないからだ。<積にかける>は<積に書ける>ではなく<積に掛ける>なのだが<積に掛ける>という日本語はない。<掛けると積(になる)>、<掛けた結果は積>はいいが<積に掛ける>はナンセンス。もとの英語は<factors into a product of>で、訳は苦心の末だとおもうが意味が通じない。ここで最重要語の factor がでてくるが、ここは動詞の to factor 三人称単数、そして自動詞だ。 to factor into なので<factor して積(product)となる>の意。だが<factor する>とはなにか?ここが肝心。<factor する>はふつう<かっこでくくる>という表現を使う。したがってここは<(真のイデアルが)かっこでくくると有限個の素イデアルの積になる>で少し意味がとれる。(注: こう書いたがが、ここは<有限個の素イデアルの積に書けるような>で意味が通じる。他の環論関係用語の Wiki-Japan のか解説では<積として書ける>、<積の形で書ける>と誤解のないような書き方になっている)。 <かっこでくくる>は説明しなくてもわかると思うが、初歩的な例ををあげると、

庭に2匹の猫と3匹の犬と5羽のにわとりが混じり合っているとする。これを2匹の猫、3匹の犬、4羽のにわとりをそれぞれまとめて柵か何かの囲いにいれる。

この作業は<かっこ>ではないが <囲い>でくくってわける>あるいは<わけてくくる>作業だ。結果は

(2匹の猫)(3匹の犬)(5羽のにわとり)

になるが、これでは掛け算と間違いそう。常識的にはこれは足し算で

(2匹の猫)+(3匹の犬)+(5羽のにわとり)

となるが、これは一般化して動物が合計10いるということが前提になっている。

デデキント環(整域)の場合は掛け算だ。足し算、掛け算は別として<かっこでくくる>とは<より分けてまとめる>作業だ。簡単にして<分けまとめる>作業。デデキント環(整域)は<分けまとめ掛け環(整域)>と言えそう。<環論(Ring>のやまとことばの第一候補としてあげた<くるる論>は<分けまとめ論>とも言える。

ちなみに常識から離れて

(2匹の猫)(3匹の犬)(5羽のにわとり)

の掛け算を考えてみる。数字だけをとりあげると(2)*(3)*(5)=30 となるが、(2)(猫)*(3)(犬)*(5)(にわとり)=30(猫)(犬)(にわとり)とも書けそう。さらには=30(猫犬にわとり)と書ける。<30>に何か意味はないか?これだとやや複雑なので、猫と犬だけをとりあげると(2匹の猫)(3匹の犬)=6(猫犬)なる。これは<(猫犬>という新種の動物が6いる、と解釈できる。だが5匹が掛け合わせ新種とはいえ6匹になるだろうか?

少し野蛮だが猫と犬を半分に切って半分猫、半分犬の新種を作ってみる。前(まえ)後ろは問わないとする。猫=C、犬=Dとする。

猫二匹は区別があるので C1、C2 とする。一方犬三匹は同じように D1、D2、D3 とする。

C1、C2 をそれぞれ半分に切ると C1-1、C1-2、C2-1、C2-2 となる。

同じように D1、D2、D3 をそれぞれ半分に切ると D1-1、D1-2、D2-1、D2-2、D3-1、D3-2 となる。猫半分と犬半分をつなぎ合わせて<猫犬>をつくるど

C1-1 + D1-1
C1-2 + D1-2
C2-1 + D2-1
C2-2 + D2-2
  ?       +    D3-1
  ?       +    D3-2

で新種<犬猫>は四匹しかできない。半分にきられた犬 D3-1とD3-2 が残ってしまう。この解決策は猫を半分ではなく三つに分けて C1-1、C1-2、C1-3、C2-1、C2-2、C2-3 となる。そうすると

C1-1 + D1-1
C1-2 + D1-2
C1-3 + D2-1
C2-1 + D2-2
C2-2    +   D3-1
C2-3   +    D3-2

で<犬猫>が6匹できで、6(猫犬)とかける。問題は<犬猫>のサイズが少し小さくなるが新種<犬猫>にかわりはない。名前をつければ CD-1、CD-2、CD-3、CD-4、CD-5、CD-6 だ。同じようにして6(猫犬)を5(にはとり)を掛け合わせて新種<猫犬にわとり>をつくることになるが、犬猫は6匹だが、それぞれ異なるので(CD-1、CD-2、CD-3、CD-4、CD-5、CD-6)で今度は6匹の<犬猫>を一匹、一匹を5等分する必要がある。切られた犬猫60になる。また<にわとり>5匹の方はこれに合わせては6等分だ。

CD-1-1, CD-1-2, CD-1-3, CD-1-4, CD-1-5
CD-2-1, CD-2-2, CD-2-3, CD-2-4, CD-2-5
CD-3-1, CD-3-2, CD-3-3, CD-3-4, CD-5-5
CD-4-1, CD-4-2, CD-4-3, CD-4-4, CD-4-5
CD-5-1, CD-5-2, CD-5-3, CD-5-4, CD-5-5
CD-6-1, CD-6-2, CD-6-3, CD-6-4, CD-6-5

<にわとり>の方はこれに合わせては6等分する必要がある。にわとり=H(めんどりのHen)とすると

H-1-1, H-1-2, H-1-3, H-1-4, H-1-5, H1-6
H-2-1, H-2-2, H-2-3, H-2-4, H-2-5, H2-6
H-3-1, H-3-2, H-3-3, H-3-4, H-3-5, H3-6
H-4-1, H-4-2, H-4-3, H-4-4, H-4-5, H4-6
H-5-1, H-5-2, H-5-3, H-5-4, H-5-5, H5-6

 CD と H の組み合わせは

CD-1-1 + H-1-1,  CD-1-2 + H-1-2,  CD-1-3 + H-1-3,  CD-1-4 + H-1-4,  CD-1-5 + H-1-5
CD-2-1 + H-1-6,  CD-2-2 + H-2-1,  CD-2-3 + H-2-2,  CD-2-4 + H-2-3,  CD-2-5 + H-2-4,
CD-3-1 + H-2-5,  CD-3-2 + H-2-6,  CD-3-3 + H-3-1,  CD-3-4 + H-3-2,  CD-3-5 + H-3-3,
CD-4-1 + H-3-4,  CD-4-2 + H-3-5,  CD-4-3 + H-3-6,  CD-4-4 + H-4-1,  CD-4-5 + H-4-2,
CD-5-1 + H-4-3,  CD-5-2 + H-4-4,  CD-5-3 + H-4-5, CD-5-4 + H-4-6,   CD-5-5 + H-5-1,
CD-6-1 + H-5-2,  CD-6-2 + H-5-3,  CD-6-3 + H-5-4,  CD-6-4 + H-5-5,  CD-6-5 + H-5-6,

こうして小型だが60匹の<犬猫にわとり(CDH)>ができることになる。

<犬猫にわとり(CDH)>1匹あたり割合は

猫(C) - 元の1/3 の 1/5 で 1/15
犬(D) - 元の1/2 の 1/5 で 1/10
にわとり(H) - 元の1/6

猫分 1/15 +犬分1/10 +にわとり分1/6 の割合で混じった新種<猫犬にわとり>ということになる。もし猫、犬、にわとりのサイズが同じであれば<くくれる>ので


1/15 +1/10 +1/6 = 1/3 で元の個々(一匹、一羽)サイズの 1/3 ということになる。この 1/3 は何かというと、はじめにもどって

(2匹の猫)+(3匹の犬)+(5羽のにわとり)

を考えると、それぞれを3倍にして<加える>と

(2匹の猫)x3 + (3匹の犬)x3 + (5羽のにわとり)x3 =(6+9+15)(猫犬にわとり)
=30(猫犬にわとり)になる。この場合サイズはそれぞれもとのままだ。

順序を入れ替えて犬(D)とにわとり(H)の掛け合わせを先にやった場合は

D-1-1   -    H-1-1
D-1-2   -    H-1-2
D-1-3   -    H-1-3
D-1-4   -    H-2-1
D-1-5   -    H-2-2
D-2-1  -    H-2-3
D-2-2  -    H-3-1
D-2-3  -    H-3-2 
D-2-4  -    H-3-3
D-2-5  -    H-4-1
D-3-1  -    H-4-2
D-3-2  -    H-4-3
D-3-3  -    H-5-1
D-3-4  -    H-5-2
D-3-5  -    H-5-3

で15のDH(犬にわとり)ができる。15(DH)。これに2匹の猫(C)を掛け合わせようとすると、猫(C)は一匹ごとに15等分しないといけない。2匹をそれぞれ15等分すると30の猫(C)の片割れができる。。一方15のDH(犬にわとり)は二等分する必要がある。DH-1-1、DH-1-2, . . . . . DH-15-1、 DH-15-2 の30DH(犬にわとり)。これで、個々に違う CDH(猫犬にわとり)ができあがる。当たり前のことだが、結果は猫と犬を先に組み合わせた結果と同じになる。これは乗法上の結合法則が成り立つことにる。

さて初等算術はこれくらいにして高等算術のデデキントに戻る。次の一節


そのような分解は一意であることが知られており、イデアル論の基礎定理と呼ばれる。



<そのような>は<任意の0でない真のイデアルが、有限個の素イデアルの積に書けるような整域>のこと。<分解( factorization)>とは

真のイデアル =(素イデアル-A)x(素イデアル-B)x(素イデアル-C). . . . . . . . . .

のように素イデアルの積に<書ける>、つまりは<分解できる>ということ。英語の方は  factorization で<かっこでくくること>なので<(分解して)かっこでくくった積の形になる。そしてこれが<一意>だということ。この箇所の英語は

then necessarily unique up to the order of the factors

で<一意>は unique に相当する。だが英語の方はこの後に up to the order of the factors というのが続いている。 factors はここの例では

(素イデアル-A)x(素イデアル-B)x(素イデアル-C). . . . . . . . . .

の各カッコ内の<素イデアル>でいくつかある。the order とあるので順序が関連し、順序は<一意、unique) ということだ。<一意性>の存在、証明などややこしいのがあるが、ここでは省略して次の<定義>に進む。

デデキント環(整域)の)定義’

体でない整域 R について、以下の条件は同値である。
デデキント環とは、上記条件の1つ、従ってすべてを満たすような整域のことである。体については、デデキント環に含める場合と含めない場合がある。


1.Rの任意の0でない真のイデアルは、有限個の素イデアルの積にかける。

ここは、繰り返しになるが

Rの任意の0でない真のイデアルは、有限個の素イデアルの積に(積として、積の形に)書ける

と下線部のようにしないと誤解をまねく。




2.Rネーター環で、クルル次元が1で、正規である。


3.R の任意の0でない分数イデアルは可逆である。

4.R はネーター環で、任意の極大イデアルにおける局所化は離散付値環(DVR)である。




<環論(Ring Theory)>のやまとことば


Ideal (ring theory) (イデアル(環論)

From Wiki 

In ring theory, a branch of abstract algebra, an ideal is a special subset of a ring. Ideals generalize certain subsets of the integers, such as the even numbers or the multiples of 3. Addition and subtraction of even numbers preserves evenness, and multiplying an even number by any other integer results in another even number; these closure and absorption properties are the defining properties of an ideal. An ideal can be used to construct a quotient ring similarly to the way that, in group theory, a normal subgroup can be used to construct a quotient group.
Among the integers, the ideals correspond one-for-one with the non-negative integers: in this ring, every ideal is a principal ideal consisting of the multiples of a single non-negative number. However, in other rings, the ideals may be distinct from the ring elements, and certain properties of integers, when generalized to rings, attach more naturally to the ideals than to the elements of the ring. For instance, the prime ideals of a ring are analogous to prime numbers, and the Chinese remainder theorem can be generalized to ideals. There is a version of unique prime factorization for the ideals of a Dedekind domain (a type of ring important in number theory).



(末尾)

Collins Math Dictionary

Module: a COMMUTATIVE GROUP(可換群) M endowed with an exterior multiplication (either on the left or right) that is associative (結合的) and distributive (分配的), and multiplies group elements by element of a ring (called scalar) to produce group elements; and then M is a module over R or R-module.

If, in addition, R is a unitary ring, them M is said to be a unitary module. If the product i*g = g, where i is the identity element of the ring, and g is any element of the group.

Every commutative group may be viewed as a module over the integers. A vector space is a module in which R is a field. Every ring R may be viewed as an R-module over itself and an Ideal in R is an R-module.

追記-2

多項式環 

本題の方で

多項式環 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
数学、殊に抽象代数学における多項式環(たこうしきかん、英語: polynomial ring)は係数を持つ一変数または多変数の多項式の全体の集合が成すである。

英語版
In mathematics, especially in the field of algebra, a polynomial ring or polynomial algebra is a ring (which is also a commutative algebra) formed from the set of polynomials in one or more indeterminates (traditionally also called variables) with coefficients in another ring, often a field.

を引用し

日本語の方は<係数を持つ>のところが誤訳または意味を混乱させるといえ、もとの英語は<with coefficients in another ring(, often a field).)>でこちらが正しい。つまりは多項式環 (polynomial ring)は<繰る>を二組同時にやるというはなれわざ、なのだ。すこし勉強すればわかるが、多項式の係数の<環>の研究が抽象数学を発展させた一面がある。多項式環は理解しにくいとことろがあるが、そこが肝心かなめのところで末尾で少し詳しく調べる予定。

と書いた。忘れないうちに少し詳しく調べてみる。多項式環の開設にハイライトは因数分解(基本的には<かっこでくくる>こと))。


K[X] の因数分解

多項式環の次の性質はもっと深いものである。今日では算術の基本定理と呼ばれる「任意の自然数素数の積に一意的に分解することができる」という事実は、ユークリッドによって既に知られており、その証明は自然数の最大公約数を導き出すユークリッドの互除法に基づくものであった。互除法のアルゴリズムはいずれの段階においても、自然数の組 (a, b) (a < b)rab で割ったあまりとして新しい組 (b, r) に取り替え、出てくる数をより小さくする。ガウスはこの剰余つき除算の手続きを多項式に対しても定義できることに気付いていた。与えられたふたつの多項式 p, q (q ≠ 0) に対し {\textstyle p=uq+r} と書くことができる(除法の原理)。ここで商 u と剰余 r は多項式であり、r の次数は q のそれよりも小さい。またこのような性質を持つ分解は一意である。ここでは多項式の次数が整数の除算における整数の大きさの類似の役割を担う。次数は無限に減少することはできないので、最終的には互除法の除算は終了し、最後の零でない剰余が最初のふたつの多項式の最大公約元である。この方法により、ガウスは整数に対する算術の基本定理を厳密に証明すると同時に、それを多項式に対して一般化することに成功した。ユークリッドの互除法の類似が許される可換環はユークリッド環と呼ばれ、それらは素因子への一意的な分解が可能な分解環 (anneau factoriel) あるいは一意分解整域 (unique factorization domain) と呼ばれる環になる。つまり、多項式環 K[X]分解環であり、ユークリッド整域である。
多項式の剰余付き除算の別の系として、K[X] の任意の零ではない真のイデアル I単項生成であるという事実がある。つまり I は、I に帰属する任意の多項式の最大公約元である唯一つの非零多項式 f の倍元全体からなる。したがって、多項式環 K[X]主イデアル整域である。

 

K[X] の剰余環と根体

K 上の多項式環 K[X]K に唯一つの元 X を添加して得られる。これに対し、K を含む可換環 LK に唯一つの元を付け加えたものから環として生成されるようなものならば、LK[X] を用いて書き表すことができる。特に、K の有限次拡大に対して適用できる。
可換環 LK を含み、L の一つの元 θ が存在して、Lθ によって K 上生成されるとすると、L の任意の元は θ の冪の係数を K に持つ線型結合になっている。したがって、K[X] から L への環準同型 φ で、K の元は動かさず(K 上では恒等写像として作用子)X の冪を θ の同じ冪へ写すようなものが唯一つ存在する。この φ は一般の多項式に対して Xθ への置き換え

{\displaystyle \phi (a_{m}X^{m}+a_{m-1}X^{m-1}+\cdots +a_{1}X+a_{0})=a_{m}\theta ^{m}+a_{m-1}\theta ^{m-1}+\cdots +a_{1}\theta +a_{0}}

として作用する。仮定により、L の任意の元は適当な mK の元 a0, …, am を選んで上式の右辺の形に表されるから、φ全射であり LK[X] の準同型像となる。もっと形式的に、Ker φφとすると、これは K[X] のイデアルであって、第一準同型定理により、L は多項式環 K[X] のイデアル Ker φ による商に同型である。多項式環は主イデアル環であるから、このイデアルも単項生成であって、多項式 pK[X]{\textstyle L\simeq K[X]/(p)} となるものが存在する。特に重要な応用は、大きいほうの環 Lの場合である。このとき多項式 p既約多項式でなければならない。反対に、原始元定理によれば体の任意の有限次分離拡大 L/K は単一の元 θL によって生成することができ、上述の理論により体 L は多項式環 K[X] の既約多項式 p の生成する単項イデアルによる商として具体的な記述が与えられる。実例として、複素数C実数Ri2 + 1 = 0 を満たす i を唯一つ付け加えて得られる。それに応じ、多項式 X2 + 1R 上既約であって {\textstyle \mathbb {C} \simeq \mathbb {R} [X]/(X^{2}+1)} という同型が成立する。