最近は<いやし、癒し>というにがはやっているようだが、似たようなやまとことばに<なごみ>、<おだやか>がある。
<いやし>は<いやす>とう動詞の連用形体言(名詞)。<なごみ>も<なごむ>とう動詞の連用形体言。一方<おだやか>は形容動詞で
おだやかでない(ある)
おだやかに
おだやかだ
おだやかな
おだやかなら
という活用をする。
<なごみ>、<なごむ>は<なごやか>という形容動詞形がある。
<いやし>、<いやす>はなにか強制的なところがある。また人が強く関係している。<いやす>は他動詞で<いやす>モノ、コトがあって人は<いやされる>のだ。
<なごみ>、<なごむ>、<なごやか>は強制的なところは薄く、<もっとなごやかにしろ>はなにかちぐはぐだ。これも人というか人間関係が絡んでくる。<ひとりなごなかにしている、xxする、>はこれまたちぐはぐだ。<なごむ>は<心がなごむ>で自動詞。自動詞は元来強制的なところは薄い。
いっぽう<おだやか>は<おだやかな人柄>のように人にも関連するが、<おだやかな天気、日(ひ)より> のように人から離れて自然の状態、状況も表現する。<おだやか>も強制的なところはすくないが<もとおだやかに話したらどうだ>という言い方はある。
<いやし>は<いやす>はもともと<キズをいやす>のような医療、治療で使われていたようようだが、近年の精神的やまいの治療に及んだものだろう。
<なごみ>、<なごむ>、<なごやか>もいいやまとこばだが、最近<おだやか>は哲学、美学に及ぶ奥深いことばであることを発見した。
英語に serene beauty という表現がある。この表現の適当な日本語訳がみつからなかったのでいろいろ探してみた。いろいろさがした結果は<おだやか>が serene に近い、さらには<おだやか>にはそれ以上に奥深いのだ。個人的な見方、意見でもあるが、数ある花の中でも serene beauty を見せるのはだんとつにハスの花だ。ハスの花を見ていると心が<洗われれ>、<おだやか>な気持ちになるのだ。中国ではハスの花は<泥から出てきて汚れなき(美しさを見せる)>花として鑑賞される。
出於淤泥而不染,花中之君子也 (例)
英語 serene には
calm(冷静な、落ち着いた、おだやかな)
peaceful(平和な、なごやかな)
untroubled(問題なき)
tranquil(静かな)
と簡単な辞書では説明しているが。<清(きよ)い>、<聖なる>の意味もある。serene を深く掘り下げているいるのはイタリア文化で、イタリア語版Wikiの ”serenità” に長い解説がある。
https://it.wikipedia.org/wiki/Serenit%C3%A0)。
イタリア語は英語で大体推測がつくので、ひまと興味がある人には原文を見てもらいたい。大幅にはしょって言うと
という有名な言葉があるが、これは<冷静な(に)>が適当だろう。
<おだやかな>には犯(おか)しがたい神聖なところがある。心を<なごます>というより、心を<清(きよ)ませる>のだ。清(きよ)むと心はしばし別世界に入ったように(少なくとも、目に前に小さな別世界があるようで)<おだやかな>心になる。ここから<幸福の状態>になるのは飛躍で、<しばしの別世界>がむしろいいのだ。
禅宗か何かでは<無心>の状態というのがある。よくわからないところが禅宗だが、雑念、邪念、余計な思い、考えがあると<無心>にはなれない。昔、中学生のころ剣道部の先輩が<無念無想が剣道上達の極意>というようなことをいっていた。<無心>の状態と<おだやかな心>は同じようようでもあり、違うようでもある。<おだやかな心>になると余計なことはわすれる、のはたしかのようだ。
別のところで<ハスの花の美>を題材にして次のように書いた。
心おだやかにしてハスの花さらに美し。
(ハスの花の場合には、 ハスの花をみると心がおだやかになる。そのおだやかなになった心でハスの花を見るとハスの花はさらに美しくなる、という関係を表現したもの。)
さらに一般化して
心おだやかにして見るものさらに美し。
sptt
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