Saturday, December 23, 2023

<待ち人来たらず>とは?

 

 前回のポスト ” 人(ひと)の使われ方 ” で

待ち人 (びと)(きたらず)   これは<待つ人>ではなく<待たれている人>。
たずね人 (びと)     
これも<たずねる人>ではなく<たずねられている人>。

と書いたが、これはおもしろい、というか変な言い方だ。

<待ち人>がなぜ<待たれている人>になるのか。

人を人が待つ場合は<待つ人>と<待たれている人>がいることになる。

<待ち人来たらず>は<待たれている人来たらず> なのだが、これでは長すぎる。

 待たれ人来たらず>で少し短くなるが、こうは言わない。

<待ち人>の<待ち>はどこからきたのか?

<待っている人>と言った場合、実際には二つの違った意味にとれ、曖昧なところがある。

一方<待つ人>はただ一つの意味で間違いない。したがって<待ち人>が<待たれている人>を意味するようにしても間違いは少ない。だが<待ち人>は<待つ人>、<待たれている人、待たれ人>の意味にもなりうる。 

 <待つ人>は<待つ>の連体形<待つ>+<人>で、普通のつながり方だ。一方<待ち人>の方は<待つ>の連用形<待ち>+<人>で、連用形<待ち>は連用形の名詞 (体言) 用法。つまりは、動詞の名詞形+名詞<人>と言う並び方だ。この並び方はよく見られる。

待ち時間、待ち部屋(待合い室、<会い>は<会う>の連用形)

上の場合も<待つ人>の<待ち時間>、<待つ人>がいる 待ち部屋 (待合い室) だ。 

<待ち人来たらず>の場合、後に<来たらず>がくるので間違いは少ないか? また<だが>だが、それでも、曖昧さは残るようだ。

<たずね人>の場合も同じようなことが言える。

 

sptt


 

Wednesday, December 20, 2023

人(ひと)の使われ方

 

すこし前ののポスト "<ひと (いち) >はやまとことばの宝庫 " で<ひと> (イチ、一) の慣用的な言い方を辞書で調べてページをめっくていると<人 (ひと) >の慣用的な言い方が紛れ込んでくる。<人 (ひと)>の使われ方もおもしろい。

日本語の独立して使われる、または頭にくる<人>は多分に<他人>のことだ。これはやまとことばの特徴ではないか。ここでは辞書のように<あ、い、う、え、お>に並べないが、ある程度の区別をつけて、思いつくままに書き出すと

人を見たら泥棒と思え。(渡る世間に鬼はなし、というのもあるので、そう悲観することはない、世間=世間の人々とすると、正確には<渡る世間に鬼はいず、いない>となる)

人のふり見てわがふり直せ。
人のふんどしで相撲をとる。  
人様のものには手を出すな。

人の金に手をつける。.
人のうわさを気にすることはない。人の言うことを気にすることはない。
人の言うことをよく聞け。  この場合の<人>は往々にして話し手のこと。
人の手を借りる。
人は人、自分は自分。
人を人とも思わない。  初めの<人>が他人で、二番目の<人>は<人扱いされる標準的な人>。
人には親切にするものだ。

人聞きが悪い
人目をはばかる
人前もはばからず
人の目を盗んで
人の顔に泥を塗る。

人の口にのぼる
人並み

人まね

ーーーーー
合成語

 合成語というのは私が勝手につけた名前で、<人+動詞の連用形>のパターンでこれが名詞句となっているもの。そしてこの過程で、下記の太字で示した助詞が消えてしまうのだ。このポストの一つのポイント。これは<ひと (いち) >はやまとことばの宝庫 " のポストの最後で大発見としてやっていることとほぼ同じ。やまとことばのおもしろさ、かくれた文法性と言えるのではないか。


人聞きが悪い  人聞く ―>聞き
人ずれした(人ずれする)  人すれる ー>ずれ
人慣れした (人慣れする) 人慣れる ー>慣れ
人嫌い    人嫌う   嫌う ー>嫌い
人思い    人思う   思う ー>思い
人まかせ  人まかせる    まかせる ー>まかせ
人頼り(だより)   人頼る   頼る ー>頼り
人騒がせな   人騒がせる   騒がせる ー>騒がせ
人見知りする、しない  人見知る   見知る ー>見知り 

<見知る>は<見て知る>が原意だが、<人見知りする>は<子供が、見知らぬに対して、恥ずかしがったり嫌ったりすること>というかなりひねくれた意味になっている。<人怖じする>と似たような意味なので<人を怖じる>と同じく<人を見知る>でいいと思うが、これだとすると<見知る>を<見て、怖じる>の意に解さないといけない。機会があれば別途検討。

人好きがする (人に好まれる、か)  人好く  好くー>好き
人あたりがいい  人あたる  あたる ー>あたり
人あしらいがうまい (必ずしもほめ言葉ではない) 人あしらう  あしらう ー>あしらい
人使いが荒い   人使う  使う ー>使い
人怖 (お) じする、しない  人怖じる、 怖じる ー>怖じ
人助け (人だすけ) する   人助ける   助ける ー>助け

 

 ーーーーー

かならずしも他人ではない、一般的な人。微妙なところがあるものがある。

人殺し、人さらい、人買い、人込み、人け (気)、人影 (ひとかげ)、人手 (ひとで)、人違い、人並み

<人殺し、人さらい、人買い、人込み、人違い>は上の

<人+動詞の連用形>のパターンでこれが名詞句となっている。そしてこの過程で、下記の太字で示した助詞が消える。

が適用できる。

人殺し  人殺す  ころす ー>殺し
人さらい  人さらう  さらう ー>さらし
人買い  人買う  買う ー>買い
人混み  人混む  混む ー>混み
人違い  人違う  違う ー>違い

人がいい  これは特別な意味もある
人が悪い  これも特別な意味がある

人は考える動物である。  考える人
人は死ぬものである。
人は見かけによらぬものだ。

ーーーーー

<xxする人>の意で人が後にくるもの。この慣用表現はなぜか意外と、と言うか異常に少ない。このポストのポイント。

恋人 (こいびと)  残したいいいやまとことばの上位にくりだろう。今のところ消えそうににない。
小人 (こびと)
旅人 (たびびと)   いいやまとことばだが、古語の近い。旅行者
罪 (つみ) びと
村人 (むらびと) 
ぬすびと (盗人)  これも古語に近い。
世捨て人  これも古語に近い。
読み人 (知らず) これも古語に近い。

その他は<ひと>がなまったもので

あきんど 商人
おちゅうど 落人
かりゅうど 狩人
助っ人 (すけっと)
ぬすっと  盗人

その他では、あまり使わないが

待ち人 (びと)(きたらず)   これは<待つ人>ではなく<待たれている人>。
たずね人 (びと)     
これも<たずねる人>ではなく<たずねられている人>。

下記参照

人(ひと)は動詞。形容詞、形容詞の連体形につくのが普通で、意味は一般的なものにと止まっている。

行く人、来る人、歩くひと、走るひと、する人、作るひと、食べる人、働く人、遊ぶ人、考える人、etc
いい人、悪い人、美しい人、etc  <
いい人>、<悪い人>は慣用的な意味の場合もある。静かなひと 、etc

これはある意味では大きな特徴と言える。 そしてこの<ひと>は独立して冒頭などに使われれ、冒頭にはこない<者 (もの)>などとの大きな違いだ。

一方、おもしろいのは<者 (もの) >で、ちょっと調べれば、<あ、い、う、え、お>に並べられるほどある。


あぶれ者
あらくれ者

あわて者
あらくれ者
いたずら者
いなか者
うかつ者
うかれ者
うっかり者
うつけ者
うらぎり者
おたずね者
おろか者

ーーーーー
駆け出し (者)  初心者
かたぎ者  堅気者
きらわれ者
こわ者

ーーーーー 
さらし者  晒し者
しっかり者
忍びの者
しゃれ者
しれ者 (痴れ者)
好き者

ーーーーー
だて者
たわけ者
つまみ者
とらわれ者

ーーーーー
流れ者
なまけ者
ならず者
にくまれ者
のけ者

ーーーーー
ばか者
はぐれ者
はたらき者 (働き者)
鼻つまみ者
はみだし者
ひかげ者  日陰者
ひかれ者 (の小唄)
ひとり者
ひねくれ者
ふしだら者
ふとどき者

ーーーーー
まぬけ (者)
まわし者

ーーーーー
やくざ者
よそ者
よた者

ーーーーー
若者 (わかもの)
笑い者
わる者


なぜか悪い、好ましくない者 (ひと) が多い。漢語+<者>もこの傾向があるようだ。

邪魔 (じゃま) 者
正直 (しょうじき) 者
粗忽 (そこつ) 者
道楽 (どうらく) 者
半端 (はんぱ) 者


人を意味する<手 (て) >も少なくない。ピアノ、ギターなどの弾き手  英語でも pianist, guitarist, violinist などと言う。
歌い手  singer  (英語の<xxする人>はほとんど<xx-er, or>で済ましている。
おどり手 dancer

ある種のペア

送りて、渡し手 ー 受け手、取り手
あげ手 ー もらい手
教え手 ー 習い手
読み手、語り手、話し手 ー 聴き手 、聞き手
売り手 ー 買い手

その他
稼 (かせ) ぎ手
漕 (こ) ぎ手 、泳ぎ手、潜 (もぐ) りて、走り手
作り手
担 (にな) い手
やり手    やり手ばあさん



sptt






Friday, December 15, 2023

<ひとしきり >と<しきりに>


ひとしきり 
 
ネットでチェックしてみると

ひとしきり: しばらくの間。その間に物事集中する様子にいう。いっとき。ひとっきり

出典:デジタル大辞泉(小学館)

例文をコピー、ペイスト、自作してみると

ひとしきり泣いていた
ひとしきり笑いころげていた
ひとしきりがやがやしていたが、今は静かになった。
外では蝉がひとしきり鳴いていた。

いっとき、いっとき、いちじ盛んだったが、今はその勢いはない。
 
という言い方もある。
 
<しきる>、<しく>は古語で、聞くこと、使うことはまずなく、意味を知っている人はごくわずかだろう。だが形容動詞の<しきり (だ) >ははまだ生き残っていて

しきり【▽頻り】

1 同じことが何度も引き続き起こるさま。ひっきりなし。「警笛が—に鳴る」「問い合わせが—だ」

程度・度合いが著しいさま。むやみ。やたら。「—に故郷を懐かしむ」「雨が降ること—だ」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

雨が降りしきる     どっこい<しきる>はしぶとくに生き残っていることになる。

<しくしく泣く>は関連語だ。


一方<しきりに>は形容動詞の<しきり (だ) >の連用形になるが、むしろ<しきりに>は頻度副詞、様態副詞でいいだろう。

1 同じことが何度も引き続き起こるさま。ひっきりなし。「警笛が—に鳴る」「問い合わせが—だ」

は発生頻度で、英語は

always   いつも
usually   たいてい
often    しばしば
sometimes  ときどき
seldom   めったにxxない
never    けっしてxxない

を中学で覚えさせられるが、これら以外によくつかうのは frequently。<しきりに>は very frequently 相当だろう。

太郎は花子のところにしきり行く。
最近夜中にしきりトイレに行くようになった。
 
しきりにせがむ
太郎は花子のことをしきりに思う。 
 
このふたつは上の
 
程度・度合いが著しいさま。むやみ。やたら。「—に故郷を懐かしむ」「雨が降ること—だ」の意に近い。



sptt

 


 

 


<ちょっと>は<わずか><すこし>ではない

 
<ちょっと>は<ちと>由来。昔の老人は困ると<ちと難しい>と言っていたようだが、今は老人でも<ちょっと難しい>と言う。<ちっともない>では、<ちと>が残っている。ところで、この<ちょっと難しい>だが、<すこし難しい>の意もあれば<そこそこ、かなり難しい>の意もある。場合によりけりだ。人に何かをしてもらう (たとえば、金を貸してもらう) ことを頼んだ場合、返事が<ちょっと難しい>だったらあきらめた方がいい。言外の意味はほぼ100%<かなり難しい>、<まったくダメ>なのだ。<ちょっと>は<わずか><すこし>ではないのだ。
 
<ちょっと待ってください>も 必ずしも<ごく短い時間>ではないと思った方がいい。
 
彼はこの業界ではちょっとしたやつだ。ちょっと知られたやつだ。
彼はかくれた政界ではちょっとした人物だ。
彼はちょっとくクセのある人物です。(ひとクセ、ふたクセもある人物だ)
この骨董品はちょっとした値打ちがあります。
この家具は重くてちょっとやそっとでは動かない。
 
以上は<わずか><すこし>どころではなく<相当、かなり>、さらには<とても>の意味だ。ある意味では、これらの<ちょっと>は反語、強調表現だ。
 
ねえ、ちょっと
 
は超高頻度に使われる、注意をひく慣用的な言い方だ。
 

sptt

 


<ひと足先に行く>と<一歩先に行く>、<一歩先を行く>

 
トリッキーだが<ひと足先に行く>と<一歩先に行く>は意味が違う。
 
<一歩先に行く>は to go one step further で汎用的。<一歩先を行く>、<一歩先んじる>もほぼ同じ。一方<ひと足先に行く>は慣用表現で<先に行く>。<ひと足>は<少し、ちょっと>の意味で<足>、<一歩>の意はない。
 
ひと足先に失礼します。
ひと足先に行く。
ひと足先に行っている。

をよく聞き、よく使う。 

 

sptt


Wednesday, December 13, 2023

<ひと (いち) >はやまとことばの宝庫

漢語の<一 (いち) >に相当するやまとことばの<ひと>はやまとことばの宝庫だ。

<ひとつ、ふたつ、みっつ 、...... >は<いち、に、さん、...... >に追いやられているが、どっこい<ひとつ>の<ひと>は日常会話で大活躍している。思いついたものを<あ、い、う、え、お>順に並べてみる。主旨は<注>の方にあるので<注>だけ読んでもいいが、主旨は例文から抽出したもの。

ひと足     ひと足先に行っている   <一歩先に行く>は意味が違う。
ひと味 (あじ)  ひと味違う
ひと汗     ひと汗かく
ひと雨     日照り続きで、ひと雨ふったらいいのに
ひと歩き    ひと歩きする
ひと泡 (あわ)   ひと泡 (あわ) 吹 (ふ) かせる
ひと安心     これでひとまず、ひと安心
ひといき    ひといきにやる
ひとえ (重)    ひと重まぶた;  ひとえ (単衣) という服装用語もある。
ひとえに    これひとえにあなたの援助のおかげです
ひと押し    もうひと押し
ひと思いに   ひと思いに身投げでもするか、思い切って

ーーーーー
ひとかかえ
ひとかけら   良心のひとかけらもない
ひとかせぎ (稼ぎ)  ひと稼ぎする
ひとかた (方)   ひとかたならない、ひとかたならならず  かた (方) はおもしろい語だ。
ひとかた (片)   ひとかたもない  <方>と<片>は違う
ひとかたづけ  ひと片 (かた) づけしてから出かける
ひとかたまり
ひと皮      ひと皮むけば
ひとがんばり  ひとがんばりする
ひときわ (際)   ひときわ目立つ服装
ひと区切り   ここらでひと区切りして、ひと休みしよう
ひとくさり   いやみ (嫌味) をひとくさり
ひとくせ (癖)  ひとくせもふたくせもあるやつだ
ひと口     ひと口で食べてしまう; ひと口のってみる
ひと工夫     ひと工夫ほしいところだ
ひと組 (くみ)
ひと苦労    ひと苦労したほうがいい、ひと苦労してみたらどうだ
ひとけた (桁)   数字がひと桁ちがっている
ひと声     ひと声かける
ひとこと    おまえはいつもひとこと多い   <こと>は言葉
ひとこま    感動的なひとこま
ひと頃 (ころ)   ひと頃よりずっと人が少ない

ーーーーー
ひとさわぎ (騒ぎ)   きのうここでひと騒ぎあったようだ
ひとしお    これを見ると思いひとしおだ
ひとしきり            待つことひとしきり;<しきりに>は<頻繁に>、<ひどく>
ひとしずく    ひとしずくの涙
ひと芝居(しばい)  ひと芝居打つ
ひとすじ    以来これ ひとすじ、ひとすじ縄ではいかない
ひとそろい

ーーーーー

ひと束 (たば)
ひとたび    ひと度 (たび) 旅に出るといつ帰るかわからない 
ひと段落    一 (いち) 段落
ひとつ     <ひとつ>は><イチ、一>、<イッコ、一個>のことだが、副詞的に         <ひとつ間違えば>、<ここは、ひとつ、よろしくお願いします>のよう         に使う。
ひと包み
ひと粒 (つぶ)   ひと粒の米、ひと粒のキャラメル、ひとつぶ種 (だね)
ひととおり (通り) 書類にはひと通り目を通しておきました
ひととき (時)   やすらぎのひととき、ひとときもじっとしていない;いっとき (一時、重箱読み) は別の意味になる。 聞く (問う) は一時の恥。だが<一時(いっとき、いちじ)のよう勢いがない、という言い方はある。

ひとところ (所)  ひとところ、子供はひとっところにじっとしていない
ひととび、ひとっとび (飛び、跳ぶ)  高いビルディングもひとっ 飛び、スーパーマン

ーーーーー
ひとにぎり (握り)  ひと握りの食べ物; 比喩的には<ひと握りの悪党>。本当の悪党は<ひと握り>に過ぎない。
ひとのみ (飲み、呑み)   大きな津波は海岸の村をひと呑みにした

ーーーーー
ひと走り、ひとっ走り
ひとはた (旗)   ひと旗揚げる
ひと働 (はたら) き  まだひと働きしてもらわないと
ひとはだ (肌)   ひと肌脱ぐ
ひとはな (花)   ひと花咲かせる
ひと晩 (ばん)  ひと晩中、ひと晩泊まる
ひとひねり   物語のすじとしてはもうひとひねりあったほうがいい、あんな奴、ひとひねりで黙らしてやる
ひと吹き
ひと筆      ひと筆書き、<ひと筆で / に書く、描く>は意味がちがう。
ひとふり (振り)
ひと風呂    ひと風呂あびる
ひとふんばり

ーーーーー
ひと間 (ま)  この一間を借りて住んでいます
ひとまず    ひとまずここで終わりにする
ひとまたぎ (跨ぎ)
ひとまとめ  ひとまとめにする、ひとまとまり
ひとめぐり  ひとめぐりする
ひとまわり  ひとまわりする、ひとまわりめ 、ひとまわり大きい
ひと昔    それはもうひと昔前の話だ
ひと目    ひと目でわかる、ひと目ぼれ
ひともうけ  ひともうけする
ひともめ   あの夫婦またひともめあったらしい
ひともんちゃく (悶着)  あの夫婦またひと悶着あったようだ

ーーーーー
ひと役   ひと役買って出る
ひと休み  ここでひと休みしよう
ひと山   ひと山いくら; ひと山当てる

ーーーーー
ひとわたり  これで検査はひとわたり済んだ

ーーーーー

注1)

中国語でいう<量詞>に相当するもの

ひとかかえ ー 英語でも an armful of xxx というのがある
ひとそろい  ー a full set of
ひと束 (たば) ー one bundle of というのもありそう
ひと包み

以上は集合量詞というようだ。以上の他、昔ながらの果物屋、八百屋、魚屋、肉屋などの店に行けば

ひと山、ひと皿、ひと束、ひと箱、ひと籠(かご)、ひと袋、ひと瓶、ひと缶、etc いくらで売っている。

おもしろいのはやまとことばの方で

ひと山、ふた山、これ以上はほとんど聞かない。
ひと皿、ふた皿、み皿、よ皿 / よん皿、ご皿、ろく皿、 . . . . .
ひと束、ふた束、み束 / さん束、よ束 / よん束、ご束、ろく束、 . . . . .
ひと皿、ふた皿、み皿 / さん皿、よ皿 / よん皿、ご皿、ろく皿、 . . . . .
ひと箱、ふた箱、み箱 / さん箱、よ箱 / よん箱、ご箱、ろく箱 / ろっ箱、. . . . .
ひと籠、ふた籠、み籠/ さん籠、よ籠 / よん籠、ご籠、ろく籠 / ろっ籠、. . . . .
ひと袋、ふた袋 / に袋、み袋 / さん袋、よ袋/ よん袋 / し袋、ご袋、ろく袋 . . . . .
ひと瓶、ふた瓶 / に瓶、み瓶/ さん瓶、よん瓶、ご瓶、ろく瓶、 . . . . .
ひと缶、ふた缶 / に缶、さん缶、よん缶、ご缶、ろっ缶、 . . . . .

 で(個人差があろう)やまとことばと漢語の拮抗が見られる。なぜか<し、四>がない。<死>の連想からの忌み語あつかいになっているのか。

ひと粒 (つぶ)

 一般の<量詞>は<いち (一) >が多い

一個、一本、一枚、一匹、一頭、一件、一軒 (の家) 、一杯 (の水)

 

注2)

<いち (一) >は数が少ないので<わずかな、すくない、<a few of>の意味がありそうだが、あまりない。

ひと雨  わずかな、少しの雨ではない

ひと思いに   ひと思いに身投げでもするか、思い切って

これは決して<わずかな、小さい><思い>ではない。むしろ<大きな><思い (決断) >だ。

ひとかけら

<ひとかけら>は<小さいかけら、小片>だが、<良心のひとかけらもない>のように使い、<良心はひとかけらのように小さい>とはいわない。<良心のひとかけらもない>は<良心がひどく欠けている>といような意味だ。

<ひとかたまり>もけっして<小さいかたまり>とは限らない

ひとこと    おまえはいつもひとこと多い   <こと>は言葉

<ひとこと>もそうだが、二言 (ふたこと) 、三言 (みこと) も数が少ない。だが、これらも<わずかな、すくない>の意味は薄い。

 ひとかせぎ、ひともうけ

も多くはないが、決してわずかな、少ない金ではない。

ひとさわぎ (騒ぎ)  、ひともめ 

も<ささいなさわぎ>、<ちいさなもめごと>ではない。

これはどうしたことか? 辞書にあったてみると、この辺は曖昧だ。ネット辞典でチェックしてみた。簡単なのは


https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%B2%E3%81%A8/

ひと【一】の解説


1 ひとつ。いち。

2 (名詞や動詞の連用形の上に付いて)

㋐一つ、または1回の意を表す。「—包み」「—勝負

㋑不特定の一時期や大体の範囲などを表す。「—ころ」「—わたり」「—通り」

㋒ちょっとしたものであることを表す。「—かど」「—くせ」

全体に及ぶさまを表す。全部。…中 (じゅう) 。「—皿たいらげる」「—夏を山荘で過ごす」

㋔(「ひと…する」の形で)軽くある動作を行う、あることをひととおりする意を表す。「—眠りする」「—風呂浴びる」



比較的詳しいものをこれもそのまま下に引用(コピー / ペイスト)する。



精選版 日本国語大辞典 「一」の意味・読み・例文・類語
ひと【一】
[1] 〘名〙 物の数を、声に出して順に唱えながら数えるときの一(いち)。ひい。ひ。

[2] 〘語素〙 (名詞助数詞または動詞連用形の上に付けて用いる) 

物事の数がひとつであること、または一回分であることを表わす。「ひと足」「ひと冬」「ひと勝負」「ひと浜」など。

② ひとつのもの全体に満ちている、または、全体に及ぶ意を表わす。…にいっぱい。…全体。…じゅう。「ひと鍋」「ひとかかえ」「ひと晩」など。

不特定のある一点を漠然とさして表わす。ある。

④ 一応その範疇にはいる意、またちょっとしたものである意を表わす。ひとかどの。いちおうの。


⑤ (「ひと…(…)する」の形で) その動作を一応する、一通りする意を表わす。ちょっとの。また、ひとしきりの。「ひと苦労する」「ひと泡ふかす」「ひと旗あげる」「ひとかせぎする」など。なお、この後半を略して「ひと…」の形だけでいうことも多い。

⑥ (「ひと…に…する」の形で) その動作が一回だけで終わる、一回だけで完全に行なわれる意を表わす。一回だけの。一度だけの。また、いっきの。ひといきの。「ひと筆に書く」「ひと打ちに打ちのめす」など。なお、この後半を略して「ひと…」の形だけでいうことも多い。

(sptt注)

ひと足」「ひと冬」は

物事の数がひとつであること、または一回分であること、ではない。

ひと足先に行く>は慣用表現で<先に行く>。<ひと足>は<少し、ちょっと>の意味で<足>、<一歩>の意はない。

「ひと冬」は

② ひとつのもの全体に満ちている、または、全体に及ぶ意 、の方だろう。

 「ひと浜」は聞いたことがない。<>は<浜辺>のことか?
 
手元の三省堂辞書では意味ありげな解説がある。
 

一回的な (ちょっとした)  ことではあるが、無視することができないなにかがあるととらえられることを表わす。
 

<無視することができないなにか>は some significant になるが、<ひとつ>は one であるので some significant one を表わす、となる。<
ひときわ (際) >には significantly の意味がある。
 

さて。もとに戻って、該当するのは

㋒ちょっとしたものであることを表す。「—かど」「—くせ」

だが、この<ちょっと>、<ちょっとした>は<ひと、ひとつ>と同じくクセモノで <すこしの、わずかな、とるにたらない>の意ではなく、むしろ<そこそこの、かなりの / な>の意だ。

④ 一応その範疇にはいる意、またちょっとしたものである意を表わす。ひとかどの。いちおうの。

これまた<ちょっとしたもの> だ。

⑤ (「ひと…(…)する」の形で) その動作を一応する、一通りする意を表わす。ちょっとの。また、ひとしきりの。「ひと苦労する」「ひと泡ふかす」「ひと旗あげる」「ひとかせぎする」など。なお、この後半を略して「ひと…」の形だけでいうことも多い。

 例文の「ひと苦労する」「ひと泡ふかす」「ひと旗あげる」「ひとかせぎする」はわたしにリストにもあるが、けっして<その動作を一応する、一通りする意>はない。むしろ<ちょっとの>、すなわち<そこそこの、かなりな>の意だ。

上のような例文の<ひと>、<ちょっと>は一種の反語、レトリックといえる。一種の強調表現なのだ。もっとあきらかなのは否定語とともに使われる場合で

ひとつもない
だれひとり来ない

ひとかけらもない
ひとかた (方) ならない、ひとかたならならず
ひとかた (片) もない
ひとこともない
ひとしずくの涙もない  一滴 (いってき) の涙もない
ひとすじ縄ではいかない
ひと粒の米も残っていない

の強調表現。

 

注3

今回のチェックで発見したのは(上の解説にあるので、新発見ではないが)

㋔(「ひと…する」の形で)軽くある動作を行う、あることをひととおりする意を表す。「—眠りする」「—風呂浴びる」

⑤ (「ひと…(…)する」の形で) その動作を一応する、一通りする意を表わす。ちょっとの。また、ひとしきりの。「ひと苦労する」「ひと泡ふかす」「ひと旗あげる」「ひとかせぎする」など。なお、この後半を略して「ひと…」の形だけでいうことも多い。

のパターン表現だ。意味を正しくとらえていないのは今述べたが、 パターン化はまちがいない

「—眠りする」「—風呂浴びる」

 ひと苦労する」「ひと泡ふかす」「ひと旗あげる」「ひとかせぎする」

以外にわたしのリストでは

ひと味違う
ひと汗かく
ひと雨ふる
ひと歩きする     
もうひと押しする


ひとかたづけ
ひとがんばりする
ひと区切りする   
ひと声かける

ひとさわぎ (騒ぎ) ある / する 
ひと芝居打つ / する

ひととび、ひとっとび (飛び、跳ぶ)

ひとのみ (飲み、呑み)( に)する 

ひと走り、ひとっ走りする
ひと旗揚げる
ひと働 (はたら) きする
ひと肌脱ぐ

ひと花咲かせる
ひとひねりする  
ひと吹きする
ひとふり (振り) する
ひと風呂あびる
ひとふんばりする

ひとまたぎ (跨ぎ) する
ひとまとめにする
ひとめぐりする  
ひとまわりする
ひともうけする

ひと役買う
ひと休みする 

これは汎用性があって、たとえば

ひとかたづけする

は<そうじ>関連だが

ひと掃 (は) きする、ひとたきする、ひと拭 (ふ) きする、などもある。

意味的には、上で取り上げたが、重要なので繰り返すが、三省堂辞書の解説


一回的な (ちょっとした)  ことではあるが、無視することができないなにかがあるととらえられることを表わす。
 
が大いに参考になる。
 
この辞書では、例としては
 
ひと汗かく、ひと泡吹かせる、 もうひと花咲かせたい、一工夫してしかるべきだ、もう一苦労願いたい、ひと騒動持ちあがる,ひと味もふた味も違う

があげられている。いづれも some significant one の意がある。

「ひと…する」の形だが、<する>はかならずしも<する>でなくていい。一般の動詞でもいい。<>の部分は、文法的なパターン化があり、名詞また名詞相当語でないといけない。

 歩き、押し、がんばり、区切り、さわぎ (騒ぎ)、のみ (飲み、呑み)、走り、働 (はたら) き、ひねり、吹き、ふり (振り)、ふんばり、またぎ (跨ぎ)、まとめ、めぐり、まわり、もうけ、休み

は動詞の連用形の名詞用法。 


注4 

⑥ (「ひと…に…する」の形で) その動作が一回だけで終わる、一回だけで完全に行なわれる意を表わす。一回だけの。一度だけの。また、いっきの。ひといきの。「ひと筆に書く」「ひと打ちに打ちのめす」など。なお、この後半を略して「ひと…」の形だけでいうことも多い。

注3でとりあげているのもあるが

ひといき    ひといきにやる

ひととび、ひとっとび (飛び、跳ぶ)
ひとのみ (飲み、呑み)( に)する 

ひと吹き
ひと筆      <ひと筆で / に書く、描く>
ひとふり (振り)

は<一気に> の意が強い。物騒だが、ひとを殺す場合

ナイフひと突きで
かたなひと振りで
バットひとたたきで 

一気にやることになろう。また<一気飲み>というのがる。

 

注5

順序が前後するが

全体に及ぶさまを表す。全部。…中 (じゅう) 。「—皿たいらげる」「—夏を山荘で過ごす」


② ひとつのもの全体に満ちている、または、全体に及ぶ意を表わす。…にいっぱい。…全体。…じゅう。「ひと鍋」「ひとかかえ」「ひと晩」など。  

一つ(一、いち)は2以上の数字を分数にすると、1/2以下は分数、部分になろ。一方<ひとつ (一、いち) >は全体 whole になる。

「ひと晩」はやや曖昧だが<ひと夏>は whole summer だ。

 

注6

㋑不特定の一時期や大体の範囲などを表す。「—ころ」「—わたり」「—通り」

 <不特定の一時期>と<大体の範囲>はまったく違うので分けた方がいい。

 二番目のネット辞典では

② ひとつのもの全体に満ちている、または、全体に及ぶ意を表わす。…にいっぱい。…全体。…じゅう。「ひと鍋」「ひとかかえ」「ひと晩」など。

不特定のある一点を漠然とさして表わす。ある。

と分けているが、 ③の解説はよくわからないが、意味ありげだ。<ある>と同義、または<ある>の類似語ということか。


<不特定のある一点を漠然とさして表わす。>とはどういうことか。

一番の目のネット辞典では不特定の一時期、ひところ>と時間関連しかとりあげていない。

 <ひととき>は<あるとき>にならない。だが<あるとき>はまさしく<不特定の時を漠然とさして表わ>している。その他の<不特定のある一点を漠然とさして表わす>をさがしてみる。

太郎はあるコトを隠している。 ひとコトを隠している。- ダメ
太郎はあるモノを隠している。 ひとモノを隠している。- ダメ

ダメだが<ひとつのコト><ひとつのモノ>なら問題ない。

<ある点>も<ひと点>で<一個の点>になってダメだ。
<ある人>は<ひとひと>になって具合が悪い。

だが

太郎はひとつの点を隠している。

ならなんとかなる。

ひと箇所間違っている  ー これは特定ではないが不特定でもない。話者は知っているが (特定)、聴き手はしらない (不特定) 。

子供はひとところにじっとしていない  ー これは<不特定のある一点を漠然とさして表わ>しているように見える。

だが、英語を参考にすると

子供はひとところにじっとしていない
Children do not stay at one place.

子供はあるところにじっとしていない 

直訳では

Children do not stay at a certain place. になるが

Children do not stay at certain one place.
Children do not stay at one certain place. 

とも言える。逆に日本語に訳し返すと

子供はあるひとところにじっとしていない 

 となる。

<ある>は certain 相当。<あること>、<あるもの>は a certain thing になる。ここで注意すべきところは

certain - a particular thing without mentioning any more details

で<不特定のある一点を漠然とさして表わす>ではなく<特定のある一点を差してているが、詳しいことは意図的に言わず、漠然とさして表わす>と言うことだ。これは大きな違いだ。したがって<ひと>は<ある>の同義語、類似語ではないのだ。


さて、長くなってきたので、これで終わりにしようと思っていたが、<ひと>と<ある>の例文を並べてチェックしているうちに大発見をした。これは、これまでネットや辞書で<ひと>を調べているが、だれも言及していない。

ひと味 (あじ)  ひと味違う
ひと汗     ひと汗かく
ひと雨     日照り続きで、ひと雨ふったらいいのに
ひと歩き    ひと歩きする
ひと泡 (あわ)   ひと泡 (あわ)吹 (ふ) かせる
ひと押し    もうひと押しする

ーーーーー
ひとかせぎ (稼ぎ)  ひと稼ぎする
ひとかたづけ  ひと片 (かた) づけしてから出かける
ひとがんばり  ひとがんばりする
ひと工夫     ひと工夫ほしいところだ
ひと苦労    ひと苦労してみたらどうだ
ひと声     ひと声かける
ひとこと    おまえはいつもひとこと多い  
ーーーーー
ひとさわぎ (騒ぎ)   きのうここでひと騒ぎあったようだ
ひと芝居(しばい)  ひと芝居打つ 
ーーーーー
ひと走りをする、ひとっ走りする
ひとはた (旗)   ひと旗揚げる
ひと働 (はたら) き  まだひと働きしてもらわないと
ひとはだ (肌)   ひと肌脱ぐ
ひとひねり   物語のすじとしてはもうひとひねりあったほうがいい
ひと風呂    ひと風呂あびる
ひとふんばりする
ーーーーー
ひとめぐり  ひとめぐりする
ひとまわり  ひとまわりする
ひともうけ  ひともうけする
ひともめ   あの夫婦またひともめあったらしい
ひともんちゃく (悶着)  あの夫婦またひと悶着あったようだ

ーーーーー

ひと役   ひと役買って出る
ひと休み  ここでひと休みしよう 
ひと山   ひと山当てる 

以上太字部の<>、<>は言わない。言ってもいいのもあるが、口語のやまとことばらしくなくなる。おそらくこれは、

1)もともとに日本語では、特別の場合を除き、 格助詞の<が>、<を>はそう頻繁には使わなかった。

2)以上の例文の<ひと>は一種のレトリック、強調で、<が>、<を>を使うと叙述的になってレトリック、強調の味がでない。



sptt




 


Monday, November 27, 2023

<鬼に金棒>、<これさえあれば、鬼に金棒>の英語訳

<鬼に金棒>の英語訳を調べてみた。わたしのコンピュータの Google Searchで一番初めに出てくる Google 自動翻訳では

鬼に金棒>

Demons with gold sticks

なぜか複数になっている。また金=gold となっていて変な直訳だ。Demons with gold sticks だから何だ?で<鬼に金棒>の説明になっていない。実際には<さえ>の用法を調べているときに思いついた<これさえあれば、鬼に金棒>という例文を先にGoogle Search でチェックしたのが、これはGoogle 自動翻訳では

If you have this, you'll be able to beat the devil.

と出てくる。これは、今は死語になっているようだが、噴飯(ふんぱん)ものだ。おもしろいが、自動翻訳機の不十分さを示している。だが、新解釈として将来こういう意味になるかもしれない。Google 自動翻訳はおもしろい。これはまれな例ではなく、噴飯(ふんぱん)ものが続々出てくる。

これさえあれば、鬼に金棒。

の英訳はむずかしい。<さえ>がある条件節の前半も、慣用表現<鬼に金棒>の後半も難しい。試験問題に出したら、いろいろな回答がでてくるだろう。英語の先生でもむずかしいだろう。
 
私の回答は sptt Notes on Grammar の方にある。
 
話はそれるが、桃太郎は鬼ヶ島へ鬼退治にでかけて成功して戻って来るが、もし鬼が金棒を持っていたら、そううまくはいかなかっただろう。この金棒、普通の Metal Rod、Metal Stick ではなく、長くて太く、重そうで、とがったこぶがいっぱある恐ろしげな金棒だ。桃太郎でも鬼がこれを振り回すの見たら恐れをなして逃げ出しそうな金棒だ。
 

追記

最近日本語の助詞をいろいろ調べているが、おもしろいのがいろいろある。笑い話的なのでは

シャボン玉 とんだ
屋根まで とんだ

と言う歌を聞いた子供が母親にたずねた

かあさん、シャボン玉がとぶと、なんで屋根までとぶの?


sptt

 

 


 

Friday, November 17, 2023

<気は心>か?-2



sptt Notes Grammar の方で<気は心>というタイトルのポストをだいぶ前(2012年)に書いている。文法事項がほとんどないので<やまとことばじてん>の方がいいのだが、読み返してみて、たいして面白くないので、そのままのして<気は心か?>のタイトルで書き直すことにした。さらにチェックしてみたら、2021年に<やまとことばじてん>の方でも ”<気は心>か ” のタイトルでポストを書いている。こちらの方が出来はいい。今回のポストは上の二つを参考にしてはいるが、コピー、ペイストの箇所はほとんどなく、独立したポストだ。

 sptt Notes Grammar の方の<気は心>の冒頭は

<気は心>というが、ここでは、大和言葉化した<気>について書く。

で、いろいろ書いているが、肝心の<気は心>の意味の説明がない。<やまとことばじてん>の方の ”<気は心>か ” の方も読みかえしてみたが、<気は心>の意味の説明はいまいち。今回は三度目の挑戦で、また調べてみた。<気は心>の意味は確定したものではないが、大体は贈り物を渡すときに使うようで

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

といったひと昔前の言い方だ。あたまの<つまらないものですが>は、笑い話的に<これはどう英語に訳せばいいのか>で何度かお目にかかったことがある。ネットで調べてみると


精選版 日本国語大辞典 「気は心」の意味・読み・例文・類語

ー 1)わずかでも気のすむようにすれば心も落ち着くこと。2)量は少なくとも誠意一端を示すこと。贈物などをする時に用いる。

1)はほとんど聞いたことがないし、使ったことはない。2)はときどき聞くし、使ったこともある。<誠意>という漢語を使った解説だが、<まごころ>でもいい。だがこれだと<こころ>を使ったことになる。


GOO 辞書

気(き)は心(こころ) の解説

ー 額や量は少ないが、真心をこめているということ。贈り物をするときなどにいう言葉。「気は心ですから、少しだけ値引きします」

贈り物だけでなく、金銭でもいい。


手元の三省堂辞典では

ー 取るに足らない行為や分量であっても、気持ちが込めらていると思えば満足できること。

<満足できること>とあるが、これは行為者や贈り手ではなく受け手の感情だ。したがって受け手は

<気は心>と言うからありがたく受けましょう。

と返答するかもしれない。だが、この返答は微妙だ。

1)本当に<取るに足らない行為や分量であっても、気持ちが込めらていると思って満足している、あるいは場合によっては心を動かされいる。

2)満足も心を動かされてもいないが、さらには<これしきのもの>と思っているが礼儀上、形式的にこう返答しておく。

例えば贈り物の場合、<気は心>は贈り手でも受け手でも使えるが、意味合いが違う。

贈り手の場合は、いわゆる謙譲表現。だがいろいろなケースがある。

贈り手の場合、貧しい人が言えばいいが、大金持ちが

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

と言ってもまごころは伝わりにくい。ケチな大金持ち (これは多い) と思われかねない。

テーブルの下で高価な物品とか大金を渡す時も

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

と言うかもしれない。

さて、<気は心>の意味や使い方は上記のようでもいいが、<気は心>がなぜこのよう意味や使われ方になったかは別の問題だ。

sptt Notes Grammar のポスト<気は心>では<気>はは大和言葉のように使われていいるが、元はれっきとした漢語であると書いている。これは間違いないだろう。だが相当大和言葉化されており、無意識では<気>は<き>の大和言葉だ。漢語が生き延びているのは大体二字語で

気概、気象、意気、意気込み

<気分>、
<元気>は漢語読みだがほぼ大和言葉だ。和製漢語か。

さて漢語由来の<気>と純大和言葉の<こころ>の慣用表現をチェックして、<気>と<こころ>の違いを探ってみた。<気>の方が慣用表現が多そうなので、便宜上これを先に取り上げて<こころ>と比較してみる。

重箱読み

気合い

<きおい)は<気負い>と書くが、これは辞書によると<きほふ>という古語由来<気>は関係ない。

気後(おく)れ
気兼(が)ね
気構え ー 心構え
気軽(がる)

<きざし>,<きざす>は、兆し、兆す 、と書くが<気差す、刺す>可能性もある。

気立て
気違(ちが)い
気取り
気長(なが)
気晴(ば)らし
気まぐれ
気前(まえ)
気短(みじか)
気持ち
気休(やす)め、気安め
 

湯桶読み

内(うち)気
勝(かち)気
おじ気(け)
寒(さむ)気(け)
むらけ

<気(け)>は<気(き)>と同じ。多分1)日本に入ってきた時が違う、2)中国語の方言、3)日本に入ってきてから変化した。現代北京語では気(qi)だが広東語では<hei>と発音する。<hei>は<kei>に近い。あるいは昔の(あるいは今でも)中国のある地域では<ke>に近い発音ではなかったか(ないか)。


気+形容詞

気軽な
気ぜわしい
気まずい
気難(むずか)しい
気易(やす)い、気安(やす)い

気+が+動詞

気が合う
気が焦(あせ)る
気がある 
気が重い
気が勝つ
気が軽い
気が沈む
気が進まない
気がする
気が急(せ)く
気が済む、気が済まない
気が立つ
気がつく
気が咎(とが)める ー 心がとがめる
(気がはずむ) ー 心がはずむ
(気がはやる) ー 心がはやる
気が張る
気が晴れる ー 心が晴れる
気が引ける
気が滅(め)入る 
気が持たない
気が向く
気が休まる、気が休まらない

気+が+形容詞

気が多い
気が大きい ー 心大きい
気が重い
気が小さい、おくびょう(臆病)ー 心が小さい
気が遠くなる
気がない(<ない>は 形容詞活用)
気が長い
気が早い
気が短い


気+の

気のおけない、おける
気の毒
気の長い(話)
気の短い(人)


気+に

気に入(い)る
気に掛ける
気に障(さわ)る
気に留(と)める - 心に留める
気になる
気に病(や)む 


気+を

気を入れる、気合を入れる
気を失う
(気を込める) ー 心を込める
気をつける
気を留(と)める
気を取り戻す
気を晴らす
気を回(まわ)す
気を向ける
気を揉(も)む
気を休める ー 心を休める
気を許(ゆる)す 、油断する

予想外に<気>を<心>で入れ替えできるものは少ない。


今度は<こころ>先に取り上げて<気>と比較してみる。

心意気 心-意気なので三文字の湯桶読みになる
心掛(が)け
こころざし コンピュータ変換では<志>とい漢字が出て来るが<心差し、指し>だろう。心積(づ)もり
心残り
心待ち
心持ち  <心の持ち方、持ち様>ではなく、<心持ち、多め>などと副詞で使う。<気持ち、多め>ともいう。
心やり(遣る)、思いやり

 心+形容詞

心苦しい
心無い
心無し
心細い
こころよい  コンピュータ変換では<快い>とい漢字が出て来るが<心良い>だろう。
心易(やす)い ー 気易(やす)い、気易く


心+動詞、心+が+動詞

心あたたまる、心があたたまる
心痛む、心が痛む
心うきうき、心がうきうきする
心ときめく、心がときめく
心騒(さわ)ぐ、心が騒ぐ
心する、注意する、覚えておく ー 気にする、気に掛ける
心はずむ、心がはずむ
こころ安(やす)まる 、こころが安まる

 昔は主格助詞の<が>はいらなかった。また<こころ>の場合は三音節と長く、今でも <が>がなくても文法違反ではないだろう。

心+が+動詞

心が咎(とが)める ー 気が咎める

心+を+動詞

心を打つ
心を痛める

心+に+動詞

心に浮かぶ
心に浮かべる
心に沈む、心の中に沈む、心の奥に沈む
心に残る、心に残す
心に響(ひび)く
心にひそむ、心の中にひそむ、心の奥にひそむ
心にもない
心にわだかまる、心の中にわだかまる、心の奥にわだかまる

 

これまた予想外に<心>を<気>で入れ替えできるものは少ない。<気>と<心>は別物なのだ。違いを大雑把に比べてみると

 1)<気>は短期的、刹那的。<心>は長期的、永続的。

<楽しい、うれしい>は <気>の現われ。<しあわせ>は<心>の現われ。

中国語では happy を<開心>と訳し、<幸福>は使われないと言っていい。<開心>には<心>の字が使われているが、総じて短期的、刹那的な<楽しい、うれしい>気分のことだ。

2)<気>は概して浅薄、薄っぺらだ。一方<心>は深刻、奥が深い。

3)<気>は英語の mind 相当。<心>は heart 相当。

以上から、<気は心>の一つの解釈として

気は表面的な意図で、心は隠れた深い思い。気 (意図) がないと始まらないが、大事なのは心だ。心の深さは表面的な意図とは関係ない。したがって受け手にとっては取るに足らないもの、金額であっても贈り手の心の深さとは関係ない。

こう解釈すると、贈り手が

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

 は謙譲表現とは言え、あまり中身のない形式的セットフレイズだ。

 

――――

追記)

このポストは、今 sptt Notes Grammar の方で形式名詞について書いているところだが、<気>や<心>や<気分>が純形式名詞ではないが形式名詞的な使い方があり、調べているうちに<気は心>を思い出したからだ。形式名詞と言うのは、これまた定義がややこしく、完全ものはないが、おおよそ



A こと、もの、ところ、わけ、はず、つもり / よう、の 

B (略)

これらは、独立した名詞としての用法のほかに、実質的な意味が薄まって(抽象化し)、常に他の言葉によって修飾される用法でも使われるようになったものです。

上のAのグループは、述語を受ける用法が重要なもので、特に「-だ」をつけて文末の「ムード」となる用法があるものです。その場合、本来の名詞としての意味は希薄になり、用法も広く、いかにも機能的な語になります。それらの中で微妙な使い分けがあり、学習者には習得しにくく、日本語教師にとっても難しいものです。

<こと、もの、ところ>が代表。<気>と<心>と<気分>では<心>は抽象化が進んでいないが

する気がある
その気になる
どんな気がする? 

する気分じゃない
そんな気分にはなれない
どんな気分ですか?

 と言え、形式名詞の資格がある。一方<心>は

する心がある
その心になる
どんな心がする?  

はほとんど使われないので形式名詞とは言えない。<心>は<心>にとどまっている。方<気>の方は<気>の元の意味が拡大、派生して抽象化した意味の用法がある。この説明はわかりにくいかもしれないが、<気は心>の解釈に役立つところがある。

 形式名詞は単独では主語になれない、という原則になっている。

<気は心>では<気>は主語になっている。この場合<>は元の意味でないといけないのだが、実際には<>の意味は拡大、派生していろいろな意味になっており、どれが、何が<>の本来の意味だか分からなくなっている。

例えば

気が気でない

の<気>は何か? 少なくとも一番目の<気>と二番目の<気>は違うだろう。 

精選版 日本国語大辞典 「気が気でない」の意味・読み・例文・類語

き【気】が 気(き)でない

ひどく気がかりである。気にかかって心が落ち着かない。気が心でない。

と言う説明さえある。これだと

一番目の<気><気>で二番目の<気>は<心>になる。少なくとも<気>は<心>より意味が広いのだ。


sptt



Monday, September 4, 2023

<おちゃっぴい>の語源は<お茶ひき>か?

 

中国語の中国語文法書を読んでいたら、 <おちゃっぴいの語源らしきものに遭遇した。念のためネットで調べてみたら、まったく違う語源説明で、このポストでは第二の<おっちゃぴい>の語源として紹介する。

ネットの<おっちゃぴい>語源 

『 語源由来辞典』

” 

「おちゃっぴいとは『お茶ひき』からきた言葉で、おしゃべりで滑稽な女の子。またはおませな女の子を意味する。これは江戸時代の遊郭で、なかなか客のつかない遊女をお茶ひき(仕事がなく、お茶をひいてばかりいることに由来する)と呼んだことによる。こうした客のつかない遊女の多くは、おしゃべりが過ぎることから、おしゃべりで滑稽な遊女をおちゃっぴいと呼び、後に遊女以外のおしゃべりで滑稽な女の子に対しても用いられるようになった。お茶っぴいの他、おちゃっぴー、おちゃっぴぃといった表記も用いられる。また、少女向け月刊誌『おちゃっぴー』という雑誌も存在した(1997年廃刊)。内容は現在のギャル雑誌に近いが、性情報に詳しいのが特徴であった。」


 私が出会ったのは中国語の<俏皮>。qiào pí,チャオピーと発音する。

 意思是活潑兼帶玩笑或風趣,有點調皮,出自《紅樓夢》(Baide)

調皮(tiáo pí)は何度か別にところで目にしたことがあるので、こちらが一般的だ。

調皮、tiáo pí、ティアオピーと発音する。

意思是指愛玩愛鬧,不聽勸導狡猾 。(Baide)

おしゃべりで滑稽な(女の子)、またはおませな(女の子)を意味する。

活潑兼帶玩笑或風

と重なるところが多い。

<おちゃっぴいは促音があるので東京または関東方言だろう。子供のころ、近所におちゃっぴい>な女の子がいたためか、よく耳にした。

問題はいつごろから使われ出したかで、上のネット語源字典からすると、江戸時代だ。
<俏皮>は出自《紅樓夢》とあるが、時間軸では問題ないが、《紅樓夢》を中国語で、しかも中国語の発音で読んだ人はゼロがごくごくまれだろう。だが、《紅樓夢》は中国ではいまだに人気小説で《紅樓夢》が好きな中国人 (複数でもいい) が、なんらかの経緯で日本にもたらした可能性は否定できない。

 

sptt

 

 

 


Saturday, March 11, 2023

xxに興味がある。興味と興趣

 <xxに興味がある>という言い方は今は変ではないが、これは英語学習で<to be interested in xx>の訳(やく)として頭に入ってしまっているからだろう。

I am interested in physics. 

私は物理に興味がる。

が普通だが。英語の方は

Physics interests me.

という言い方もあり、個人的にはこの方が好きだ。日本語の方は

物理は私に興味をわかせる。

という人はごく少数派だろうが、この方が動的で悪くない。

さて<興味>だが、これは中国語だ。だが本場の中国では<興趣>がつかわれる。

<興>は<おこす>で

<会社をおこす>は<興す>でも<起こす>でもいいだろうが、やまとことばからすれば 

会社をおこす

でいい。これからすると<興味>は<味をおこす>で、すぐには<興味>には結びつかない。一方中国の<興趣>は<趣をおこす>で、やまとことばを使えば<おもむきをおこす>で意味ありげだ。

趣=おもむき

としたが、<おもむき>自体がで意味ありげなのだ。少し前のポスト<風情(ふぜい)と趣(おもむき)>で


趣(おもむき)はやまとことばで<思い向く>、<思いの向き>だ、と考えたが、手元の辞書で調べて見ると、これは"<おもむく赴く>と同源で、<おもむく>は<面(おも)むく>。反対語に<背(そ)むく>" という解説がある。<そむく>には<顔をそむける>という言い方があるが<おもむく>には<顔をおもむける>という言い方はない。顔(かお)=面(おも)なので具合がわるいためか? さて、<思いの向き>があったとして

 この庭は思いの向きがある。

では通じにくいし、まずこうは言わない。まずこうは言わないが、そこはやまとことばで、日本人ならなんとなくわかる。

と書いた。 最近<Asnet Art Gallery>のブログのほうで中国の八大山人という画家の紹介文を英語でやっているが(かなり長い中国文の Google 翻訳をベースに英語翻訳している)、この<興趣>に出くわした。Google 翻訳では簡単に interest ですましているが、ことはそう簡単ではない。<興趣>は絵画鑑賞のキイワードなのだ。中国では画家の個性というような意味で<風格>という語も絵画鑑賞では使われる。<風格>は日本語の<風情>とかなり違う。

いい絵を見て感じるのは interestではなくpleasing feeling さらには fascinating feeling、さらには attractiveness、つまりは<心惹(ひ)かれる>ことなのだ。また<風格>を感じることもある。

 <心惹(ひ)かれる>は<思い惹(ひ)かれ>とも少し違う。 <心惹(ひ)かれる>の方はやや理知的で、絵画鑑賞にはいい。

 

sptt

 

 

 

Saturday, February 25, 2023

何が何だかわけがわからない

やまとことばのおもしろさは、多分に他の言語もそだと思うが、派生現象だろう。<あやまり>言葉では

すみません、すまない
ごめんなさい
 
のほかに

申し訳(わけ)ありあません

これは<言いわけ(excuse)がありません>の意だろう。<Excuse me>は<すみません>だが、<申し訳(わけ)ありあません>も使える。この<すみません(すまない)>や<ごめんなさい>もなんだかよくわからない。

<わけ>は<わかる>由来と思うが、いろいろ派生がある。

何が何だかわけがわからない(いきさつ、事情、因果関係)
 
<わけ>は<わかる>由来とすると、<わけわからない>は冗語になる。
 
そのわけは(理由)
そんなのはわけない、わけなくできる (問題、困難)
わけもなくいばりちらす(理由)
わけありげだ(理由、いきさつ、事情、因果関係)
聞きわけがない(こども) (事情の理解能力)

否定表現が多い。

 英語の reason には

1)理由、2)理性の意があり

そのわけは(理由)

the reason why that is . . . . 

 相当。

 <聞きわけがない>はことも向けだが、大人向けは

聞く耳を持たない 

か?

英語では

not listen to reason

という言い方がある。


<わける>-><わけ>が理由の意になるのは<分(わ)ける>は因果関係を分析しようとする意味があるためだろう。<わかる>は多くは理由、因果関係が<わかる>ことだが<わかる>ためには、往々にして<わけて、考える>必要がある。

 そんなのはわけない、わけなくできる (問題、困難)

の<わけ>は派生だが、どういう派生か?

<わける>必要、わざわざ<わけて、考える、する>必要はない

ということか?

 

sptt