Monday, March 16, 2026

心にxx、心をxx、心がxx

 

 前回のポスト<気にxx、気をxx、気がxx>の最後の方で

いくつかは<気>を<心>で入れ替えられるが、意味が違ってくる。また<心>の方はシリアスになるようだ

 と書いたが、どうもそれだけではない。おもしろい課題だ。

このポストが長くなってきたので、今回はこれまでとし、次回のポストで

<気>ガ主で<心>が従、付属となっている。これを逆転させて<心>ガ主で<気>が従としてチェックして、もう少し深入りしてみる。

結論めいたもの先に述べておくと

上の

1)<気>を<心>で入れ替えられるが、意味が違ってくる。また<心>の方はシリアスになるようだ。

 以外に、これも前回のポストで書いたが

2)<心>の方は慣用的な言い方ではないが、なんとかなるのだ。言い換えれば、<心>は<気>よりも汎用性が大きいのだ。

3)上の2)はおもしろい。<気>は <ki> で一音節,一方<心は>は <kokoro> と3音節で長い。 長いが言いずらいことはない。むしろ <kokoro> は響きがいい。

4)<気>はやまとことばのようであるが、中国語由来とも考えられる。

sptt Notes Grammar のポスト<気は心>では

<気>は大和言葉のように使われていいるが、元はれっきとした漢語であると書いている。これは間違いないだろう。だが相当大和言葉化されており、無意識では<気>は<き>の大和言葉だ。<気(け)>は<気(き)>と同じ。多分1)日本に入ってきた時が違う、2)中国語の方言、3)日本に入ってきてから変化した。現代北京語では気(qi)だが広東語では<hei>と発音する。<hei>は<kei>に近い。あるいは昔の(あるいは今でも)中国のある地域では<ke>に近い発音ではなかったか(ないか)。

と書いている。

5)調べてみたら、<気は心>シリーズの最近の”<気は心>か?-2“  (Nov, 2023) で

これまた予想外に<心>を<気>で入れ替えできるものは少ない。<気>と<心>は別物なのだ。違いを大雑把に比べてみると

 (1) <気>は短期的、刹那的。<心>は長期的、永続的。

<楽しい、うれしい>は <気>の現われ。<しあわせ>は<心>の現われ。

中国語では happy を<開心>と訳し、<幸福>は使われないと言っていい。<開心>には<心>の字が使われているが、総じて短期的、刹那的な<楽しい、うれしい>気分のことだ。

 (2) <気>は概して浅薄、薄っぺらだ。一方<心>は深刻、奥が深い。

 (3) <気>は英語の mind 相当。<心>は heart 相当。

以上から、<気は心>の一つの解釈として

気は表面的な意図で、心は隠れた深い思い。気 (意図) がないと始まらないが、大事なのは心だ。心の深さは表面的な意図とは関係ない。

と分析している。

さて<心にxx、心をxx、心がxx>のチェックしてみる。<気は心>シリーズでチェックしたことがあるが、今回は再チェック。

上で

これまた予想外に<心>を<気>で入れ替えできるものは少ない。

と書いているが、これは前回のポスト<気にxx、気をxx、気がxx>のチェックで再確認した。

心にxx(動詞)

心に浮かぶ
心に浮かべる
心に受けとめる  (受け止める、受け留める)
心に置く   <心おきなく>は慣用表現

心にかかる     <気にかかる>と言うのが普通
心に隠 (かく) す
ここに叶 (かな) う
心に決める

心に刺 (さ) さる
心に従 (したが) う
心に沁 (し) みる
心にしまう
心に沿 (そ) う
こころに染 (そ) まる
心にそむく

心に溜 (た) まる
心に誓 (ちか) う
心にとめる (止める、留める)   <気にとめる>という言い方がある。

心になじむ
心にない    心にもない
心に残る、心に残す

心に響 (ひび) く
心にひそむ
心に触れる

心にまかす  心に任 (まか) せる

心にわだかまる

 
何を<慣用的な言い方>と言うかがははっきりしないが、<元の意味からズレているもの>とすると<慣用的な言い方>は決して多くない。大半は<一般的>な言い方だ。おおむね文字通り解釈すればいい。<気にかかる>、<気にとめる>以外は、試してみればわかるが、基本的に<心>を<気>で置き換えられない。これは<気>は汎用性が低いと言える。

 

心をxx(動詞)


心をあかす   心のうちを明 (あ) かす、心をうち明ける、心をうち明ちかす
心を痛 (いた) める
心を動かす    <気を動かす>はまれ。一方、<気を働 (はたた) かす>とは言うが<心を働かす>はまれ。これは、ある意味では<気>は実用的、<心>は実用向きではないとも言える。

心を打つ
心を移 (うつ) す    <心を移 (うつ) す >とはあまり言わないが、<気が移る>、<気が移りやすい>、<移り気 (ぎ) >はよく聞く。<心を移す>と元に戻りそうもないが、<気を移し>てもまた元に戻りそうな感じがある。

心を売る   シリアスな表現だ。
心を置く。  <心置きなく>は慣用表現。ここでは意味を詮索しない。

心を買う    <気を買う>という言い方があるが、軽い感じだ。
心をかすめる
心をきたえる   <気をきたえる>はあまりきかない。<弱気をきたえる>とは言えそう。
心を決める   決心する
心を清 (きよ) める    <気を清める >とも言えそう。だが。<心を汚 (よご) す>とは言えるが<気を汚す>はダメ。
心をくすぐる   軽い感じだが<気をくすぐる>は聞かない。
心を焦 (こ) がす
心を込める   慣用表現  心を込めたxx、心の込もったxx。心を探 (さぐ) る、 心心を探 (さぐ) る、心の内 (うち) を探る

心を騒 (さわ) がす    <気を騒がす>とは言わないが<気が騒ぐ>とは言いそう。<心が騒ぐ>とも言いそう。

心を静 (しず) める   <気を静める>が普通。
こころを占 (し) める
心を染 (そ) める

心を正 (ただ) す
心を試 (ため) す、心を試される これもシリアスな表現だ。
心を尽くす
心を照らす
心をとかす(融かす)
心を解 (と) く   <心を開く>という言い方もある。 
心を閉 (と) ざす 、心を閉 (と) じる

心をはぐくむ  xxの心をはぐくむ  茶道の心をはぐくむ 
心を開く   これもシリアスな表現だ。
心をふくらます

心をまかす(任す)   心をまかせる
心を曲げる     <心を曲げる>と<気を曲げる>は別の意味だ。<気を曲げる>は<へそを曲げる>に近い。
心を見せる
心を満たす
心を乱 (みだ) す    <気を乱す>という言い方もある。
心をむしる
心を燃 (も) やす

心を焼く    <気を焼く>という言い方もありそうだが、意味が違う。
心をゆがめる
心をゆする (揺する)
心をゆさぶる (揺さぶる)
心をゆだねる
心を寄せる

心を分 (わ) ける    <同情する>の意になるか?
心を割 (わ) る    <心を解 (と) >、<心を開く>という言い方もある。

かなり多種の心理描写が出きる。<気>ではこうはいかない。

 

心+動詞、心+が+動詞

心あたたまる、心があたたまる
心痛む、心が痛む
心がいかれる    気がいかれる  いかれる = こわれる
心が痛 (いた) む
心うきうき、心がうきうきする
心が浮く  浮気
心がうずく
心がうめく
心が落ち着く
心がおどる  <心が躍る>と出てくるが<当て字的だ。<心踊る>


心が固 (かた) まる
心が傾 (かたむ) く 
心が腐 (くさ) る    心が腐っている
心がくもる (曇る)
(心が狂 (くる) う)    <気が狂う>が普通。
心が凍 (こお) る  心が凍りつく

心が冷 (さ) める
心が騒 (さわ) ぐ
心が沈 (しず) む    気が沈む
心がしめる (湿る)   気が湿る
心が澄 (す) む

心がすくむ      気がすくむ 
心が済 (す) む    気が済む、気が済まない <気>の方は慣用表現に近い。
心する、注意する、覚えておく ー 気にする、気に掛ける いずれも慣用表現。これも<心>の方が<気>より重みがある。

心がせく(急く)     気が急く

心が高まる      気が高まる
心がたるむ      気がたるむ
心が縮 (ちぢ) む、縮まる    気が縮む、縮まる 
心が咎 (とが) める   気が咎める   <心が咎める>はシリアス。<気が咎める>はやや軽い。

心がときめく

心がなごむ
心が濁 (にご) る 

心がはずむ
心が離 (はな) れる
(心が張る)    気が張 (は) る <気>は糸やロープのような線状のものとして捉えられている。気が張りつめる。<心が張る>はほとんど聞かない。


心が果てる    <心が果てる>はほとんど聞かない。<心が果てて>で<絶望して>になるか?

心が晴れる    <気が晴れる>とも言うが、意味は違う。
心が冷 (ひ) える
心がふくらむ
(心がふれる)   気がふれる = 気が狂う

心がまぎれる   <気がまぎれる>が普通か?
心が乱れる    <気が乱れる>とも言うが、意味は少し違う。

こころ安 / 休 (やす) まる
心がゆるむ    <気がゆるむ>が普通か?
心がゆれる
心が喜 (よろこ) ぶ
心が弱 (よわ) る  <気が弱る>とも言うが、意味は少し違うか。


心+形容詞

心苦しい
心無い
心無し
心細い
こころよい    
心易
(やす) い ー 気易 (やす) い


心+ が + 形容詞

が明るい ー 心が暗い 

が浅い ー 心が深い

が新 (あたら) しい ー 心が古い  気が新しい ー 気が古い いづれもあまり聞かない。 

 が熱 (あつ) い ー 心が冷 (つめ) たい、寒 (さむ) い   ( 気が熱い ー 気が冷たい、 寒い)

が大きい ー 心が小さい   気が大きい ー 気が小さい  <気が大きい>、<気が小さい慣用表現。<気が大きい>は<気が大きくなる>でも使う。

心が固 (かた) い ー 心がやわらかい
心が軽い ー 心が重い   気が軽い ー 気が重い  意味はかなり違う。<気が重い>は慣用表現。<xxするのは気が重い>で<できればxxしたくない>。

(心がきつい ー 心がゆるい)   気がきつい ー ゆるい  <気がきつい>はよく聞く。人の性格。 <ゆるい>は普通<ゆるんでいる>で使われる。

心が清 (きよ) い (きれい)   ー 心が汚 (きたな) い

(心が高い ー 心が低い   気が高い ―気が高い) いづれもあまり聞かない。
心が近い ー 心が遠い   ( 気が近い ― 気が遠い) <気が遠くなる>という言い方がある。

(心が長い ー 心が短い)    気が長い ― 気が短い
(心が早い ー 心が遅い、のろい)   気が早い ー (心が遅い、のろい)  <気が早い>も慣用表現。

心が広い ー 心が狭 (せま) い

心が貧 (まず) しい ー 心が富んだ (でいる)

心がやさしい (優しい) ー 心がきびしい (厳しい)  気が優しい>は慣用表現に近い。人柄 (ひとがら) 描写。

心がやさしい (易しい) ー 心がむずかし (難しい)   この二つははあまり聞かない。   <気がやさしい (易しい)>も聞かない。<気難しい>という言い方はある。これも慣用表現に近い。

心がよい / いい  ー こころが悪い  気がよい / いい  ―気が悪い  <気がよい / いい>は慣用表現。軽いが<心がよい / いい>の意だ。一方<心がよい / いい >はほとんど聞かない。

 人の性格を表すものが多い。

一方感情を表すものは、日本語では何か変だ。


心がうれしい
心が悲しい
心がさびしい
心がさみしい
心が楽しい

 

だいぶ長くなってきたが(ここまで読み進めた人は少ないだろう)、さらに続ける。

 心+の+xx

心の動 (うご) き
こころのうさ
心のうずき
心の内 (うち)
心の奥 (おく)

心のかたすみ、 心の隅 (すみ)
心のかて (糧)
心のきずな

心の支 (ささ) え
心のしみ
心のすき、すき間 (ま)
心の外 (そと)

心のはずみ
心の働 (はたら) き
心の張り   <気を張る>というが、<心の張りを失う>というのも聞いたことがある。
心のひだ
心のほてり

心の迷 (まよ ) い

心の病 (やまい)    <気の病>というのもあるがやや軽い。
心のよすが
心のよりどころ

こころのわだかまり

 

 まだまだいろいろありそう。

 

演歌と<心>

演歌が特に好きというわけではないが、演歌は圧倒的に<気>よりも<心>が歌われていると言っていい。<演歌の心>というのもあるか? 歌の題名候補。

心の酒、心の酒場
心の港
心の止まり木
心の雨
心の涙
心の嘆 (なげ) き

未練 (みれん) ごころ
恋ごころ

 

ザっと思いめぐらしてみたが、<(もの) 悲しい>ものが多いようだ。円満な家族や成就した恋愛の歌は少ないようだ。

 

復習とまとめ

冒頭で

1)<気>を<心>で入れ替えられるが、意味が違ってくる。また<心>の方はシリアスになるようだ。

 以外に、これも前回のポストで書いたが

2)<心>の方は慣用的な言い方ではないが、なんとかなるのだ。言い換えれば、<心>は<気>よりも汎用性が大きいのだ。

<気>と<心>は別物なのだ。違いを大雑把に比べてみると

 (1) <気>は短期的、刹那的。<心>は長期的、永続的。

<楽しい、うれしい>は <気>の現われ。<しあわせ>は<心>の現われ。

中国語では happy を<開心>と訳し、<幸福>は使われないと言っていい。<開心>には<心>の字が使われているが、総じて短期的、刹那的な<楽しい、うれしい>気分のことだ。

 (2) <気>は概して浅薄、薄っぺらだ。一方<心>は深刻、奥が深い。

 (3) <気>は英語の mind 相当。<心>は heart 相当。

以上から、<気は心>の一つの解釈として

気は表面的な意図で、心は隠れた深い思い。気 (意図) がないと始まらないが、大事なのは心だ。心の深さは表面的な意図とは関係ない。

と書いたが 、今回の再チェックで

<気>点、線、<心>は面、固まり (立体)と捉えらないこともない。

例) コジツケ的なものもあるが

心のすき、すき間 (ま)    <すき>、<すき間>は開いた空間で、点や線ではない。

(心をつける)   <気をつける>というが、<心をつける>とは言わない。<つける>は<付ける、着ける>で、<つける>モノ、つけるところは点が想像される。

(こころがつく)   <気がつく>というが、<心がつく>とは言わない。これも<つく>は<付く、着く>で、<つく>モノ、つくところは点が想像される。

(こころがつく)   <気がつく>というが、<心がつく>とは言わない。<つく>は<付く、着く>で、<つく>モノ、つくところは点が多い。

心が固 (かた) まる、心が固 (かた) い ー 心がやわらかい

<固 (かた) まる>、<固い>は通常立体、かたまり上のモノにつての状態、性質を表す。<気が固い>、<気がかたくなる>と普通言わない。<気がかたくなな>とは言いそう。

心がふくらむ   これは頭で想像できるが、<気がふくらむ>は想像が難しい。線、ロープは巾を太くできるが<ふくらむ>感じではない。

心の奥 (おく)、心のかたすみ、心の隅 (すみ) (気の奥、気のかたすみ、気の隅はダメ

場所は小さいが線状ではなく面状、立体状の場所だ。

(心が長い ー 心が短い)    気が長い ― 気が短い  

長い、短いは普通線状のモノについていう。

心の張り   <気を張る>というが、<心の張りを失う>というのも聞いたことがある。

 

 <心の張り>は面。例えば、湖が厳冬時に一面が凍りつような感じが強い。一方<>は縄、ロープ、糸がピンと張った感じだ。

 

また慣用表現の<気は心>のもう一つの解釈として

<気>は隠れている<心>の心情、やまとことばで言えば<心持ち>が表に出てきたモノとも解釈できる。<心>、すなわち隠れている<心>の元来の意味の<心持ち>が重要であって、これは本質的、永続的である。一方<気>は表に出てきたモノ (<気持ち>とも言えるか)で眼に映る。だが、気と心は<表裏一体>というか、<表、中身一体>で、表の出てきた<気持ち>で本質的、永続的<心持ち>が推測できる、と解釈したらどうか?

 

 sptt



 

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