Monday, October 19, 2015

<Die Gedanken sind frei>のやまとことば


<Die Gedanken sind frei>というドイツの歌がある。直訳すれば<思想は自由>。ニュアンスが違ってくるが思いは自由>とも訳せる。<自由>のやまとことばはすぐには浮かばない。前回のポスト ”童謡<山の音楽家>のやまとことば” の<Ich bin eine Musikante>同じく古い歌で、500年くらい前までさかのぼれるらしい。

現在歌われるドイツ語とそのほぼ直訳英語は次の通り。

インターネットでいろいろ聞いてみた。メロディは比較的簡単でどれも同じだが(末尾参照)歌詞はバリエーションがある。


Die Gedanken sind frei, wer kann sie erraten,
sie fliegen vorbei wie nächtliche Schatten.
Kein Mensch kann sie wissen, kein Jäger erschießen
es bleibet dabei: Die Gedanken sind frei!

Ich denke was ich will und was mich beglücket,
doch alles in der Still', und wie es sich schicket.
Mein Wunsch und Begehren kann niemand verwehren,
es bleibet dabei: Die Gedanken sind frei!

Und sperrt man mich ein im finsteren Kerker,
das alles sind rein vergebliche Werke.
Denn meine Gedanken zerreißen die Schranken
und Mauern entzwei: Die Gedanken sind frei!

Drum will ich auf immer den Sorgen entsagen
und will mich auch nimmer mit Grillen mehr plagen.
Man kann ja im Herzen stets lachen und scherzen
und denken dabei: Die Gedanken sind frei!

Ich liebe den Wein, mein Mädchen vor allen,
sie tut mir allein am besten gefallen.
Ich sitz nicht alleine bei meinem Glas Weine,
mein Mädchen dabei: Die Gedanken sind frei!
Thoughts are free, who can guess them?
They fly by like nocturnal shadows.
No man can know them, no hunter can shoot them
with powder and lead: Thoughts are free!

I think what I want, and what delights me,
still always reticent, and as it is suitable.
My wish and desire, no one can deny me
and so it will always be: Thoughts are free!

And if I am thrown into the darkest dungeon,
all these are futile works,
because my thoughts tear all gates
and walls apart: Thoughts are free!

So I will renounce my sorrows forever,
and never again will torture myself with whimsies.
In one's heart, one can always laugh and joke
and think at the same time: Thoughts are free!

I love wine, and my girl even more,
Only her I like best of all.
I'm not alone with my glass of wine,
my girl is with me: Thoughts are free!

ドイツ語の方は脚韻を踏んでおり、聞いて耳に心地よい。

一方英語で歌われる場合は次のようになる。英語歌詞の方もいくつかバリエーションがある。

Die Gedanken Sind Frei (Thoughts Are Free)

Die Gedanken sind frei, wer kann sie erraten,
sie fliegen vorbei wie nächtliche Schatten.
Kein Mensch kann sie wissen, kein Jäger erschießen
mit Pulver und Blei: Die Gedanken sind frei!

Die Gedanken Sind Frei, my thoughts freely flower,
Die Gedanken Sind Frei, my thoughts give me power,
No Scholar can map them, no hunter can trap them,
No man can deny, Die Gedanken Sind Frei!


Ich denke was ich will und was mich beglücket,
doch alles in der Still', und wie es sich schicket.
Mein Wunsch und Begehren kann niemand mir wehren,
es bleibet dabei: Die Gedanken sind frei!

I think as I please and this gives me pleasure,
My conscience decrees this right I must treasure,
My thoughts will not cater to duke or dictator,
No man can deny, Die Gedanken Sind Frei!


Und sperrt man mich ein im finsteren Kerker,
das alles sind rein vergebliche Werke.
Denn meine Gedanken zerreißen die Schranken
und Mauern entzwei: Die Gedanken sind frei!

And should tyrants take me and throw me in prison,
My thoughts will burst free like blossoms in season,
Foundations will crumble and structures will tumble,
And free men will cry, Die Gedanken Sind Frei!


Drum will ich auf immer den Sorgen absagen
und will mich auch nimmer mit Grillen mehr plagen.
Man kann ja im Herzen stets lachen und scherzen
und denken dabei: Die Gedanken sind frei!

And now I renounce forever my sorrows,
And never again to fret my tomorrows,
I'll always have laughter and joy ever after,
For in my heart I'll sing, Die Gedanken Sind Frei!

今度は英語の方も脚韻を踏んでいる。ドイツ語のオリジナル版は古いせいか意味が曖昧、あるいはよく<筋が通らない>箇所があるが、英語版歌詞の方は新しくつくらたので筋が通っている。日本でも<筋が通らない>古い話おとぎ話や民話はめずらしくない。

初めの引用では最後に<ワインと女性が出てくる>一節があるが、二番目の引用のように歌われない場合があるようだ。私もそうだが、この一節の内容は<思想は自由>とはほとんど関係がないので<なくもがな>だ。長い歴史のなかで後から追加されたものだろう。

さて本題はこの歌の日本語版だ。ごく簡単に調べたかぎりでは見つからなかったのであえて試みる。<思想の自由>が基本的に許されていない中国だが、どういうわけか簡体字の中国語版はあり、次のようになっている。


思想是自由的
有谁可以猜测呢?
他们如夜间的影子飞翔
没有猎人可以射杀 
以火药及铅字子弹
思想是自由的

我想我爱的,想令我高兴的
但思想都是沉默
而它本来就是这样的
我的希望和愿望,而没人能阻止我
而它永远是这样的
思想是自由的

我爱酒,更爱我的女孩子
而只有我最爱她的
我并不孤单因有一杯酒
和我的女孩陪我
思想是自由的

如果我被关进最黑暗的大牢
但这一切都将是徒劳无工
以为我的思想能冲破牢门
和粉粹墙壁
思想是自由的

我将永远离我的悲伤
也再不想一些奇特的东西来折磨自己
在一个人的心内,总是可以大笑和开玩笑
并在同一时间来思想
思想是自由的

日本語の漢語から推測すれば大体意味は分かるのでないか。ただし意味不明なところがいくつかある。最初に取り上げたドイツ語(歌詞)-英語訳併記を並べてみる。


1)他们如夜间的影子飞翔 - They fly by like nocturnal shadows. (sie fliegen vorbei wie nächtliche Schatten.)
  
2)但思想都是沉默、而它本来就是这样的 - still always reticent, and as it is suitable. (doch alles in der Still', und wie es sich schicket.

3)而它永远是这样的 - and so it will always be. (es bleibet dabei)

4)并在同一时间来思想  - and think at the same time: (und denken dabei


1)他们如夜间的影子飞翔

Schatten を相良独和大辞典を調べてみると<影>とともに<闇(やみ)>の意があり、 nächtliche Schatten  は<夜の影>(nocturnal shadows、夜间的影子)というよりは<夜の闇>ではないか。
相良独和大辞典: die Shatten der Nacht で<夜の闇>となっている。Shatten はここで男性単数 der Shatten の複数形。ただし独英辞典(German-English Revrso)では闇の意が見当たらない。また<sie fliegen vorbei wie nächtliche Schatten.>の sie は die Gedenken のことでこれは複数形。 fliegen も複数形だ。英語は shadows と複数形になっているnächtliche Schatten は冠詞がないが形容詞の語尾変 nächtlicheからこれは複数形。中国語はここでは思想は<他们>と複数になってる。

他们如夜间的影子飞翔 - <思想は夜の影のように飛んでいく>は抽象詩のようでもあるが、何百年も前の歌詞としては抽象化度合いが高いので、意味不明と言えよう。<思想は夜の闇のように飛んでいく>であれば<とらえどころがない>のような意味になる。また Schatten には<まぼろし>、幻影(げんえい)の意もあり、これは影よりこの歌詞にふさわしい。この個所のもう一つの問題は vorbei で、英語では fly by で<飛び去る>、<飛び去って行く>感じだ。飞翔には<去る>の意はない。vorbei は<過ぎて>、<過ぎ去って>という意味の副詞だ。


2)<但思想都是沉默>はder Still が沉默の意であれば<都>には<べて>の意があるのでドイツ語の訳に近い。英語では reticent というやや改まった語がつかわれているが、この語は基本的に<沈黙の>、<沈黙を守りたがる>の意の形容詞だ。またドイツ語ではalles in der Still とあるが、この alles は必ずしも Gedenken (thoughts, 思想)とはかぎらない。したがって、少なくとも英語版はドイツ語の意味とかなり違う。

而它本来就是这样的>の<>は思想のことだろうが<>は単数だ。複数は上記の他们。意味は and as it is suitable よりはドイツ語の und wie es sich schicket に近い。この es は特に意味のない es で英語(it)もそうだがドイツ語も主語がないと文が成り立たないので使われる es だ。<es sich schicket>は慣用句で<就是这样的(こんなものだ)、なるようにになる>といった意味だ。これも中国語はドイツ語に近い。英語の and as it is suitable は何のことだかよくわからない。<思想は沈黙を守りたがるが、その方がいい>といった意味か。

3)<并在同一时间来思想>は英語の and so it will always be の訳だ。ドイツes bleibet dabei は一番目の歌詞では第一節と第二節の繰り返し出てくる。第一節の英語版は with powder and lead で、これは二番目ドイツ語歌詞で mit Pulver und Blei となっている。だがこの mit Pulver und Blei はその前の kein Jäger erschießen と相応するがややとってつけた観があり、後代の変更だろう。es bleibet dabei の方が<繰り返し(リフレイン)>効果もあり歌詞らしい。さて es bleibet dabei の意味は難しい。英語では and so it will always be となっている。bleiben dabei をそのままの意味で<そこらあたりにとどまっている>とすれば and so it will always beでもいいが、それでは意味が曖昧だ。bleiben は<とどまる>が原意だが、相良独和大辞典によると<es bleibet dabei.>は慣用句で<それでよし、そう決めた>といった意味で、このほうが筋が通る。

4)<并在同一时间来思想>は英語の and think at the same time に近い。ドイツ語は und denken dabei でまた dabei がでてくる。 しいて訳せば<そしてそれについて思う>だが、これでは何のことだかわからない。

さて、これからやまとことば化を試みるのだが、その前にまだ講釈が少しある。まず問題は

die Gedanken - thoughts - 思想

の違いだ。die Gedanken は形からして denken という動詞の意味が強く残っている。die Gedanken は sind が続くことから複数形。英語の動詞 to think の過去形、過去分詞形は thought だが thoughts と複数形になっていることもあって名詞の感じが強い。<思想>は名詞形で、中国語の柔軟性からして動詞にもなるだろうが、現代中国語では動詞は>の一語だ。またこれまた中国語の柔軟性からして<思想是自由的>ではなく<想是自由的>ともいえるだろう。もちろん意味はズレてくる。やまとことばでは<考える>、<考え>があるが、歌詞として長すぎる。また別のところで書いたが、純やまとことばではなさそう。歌詞としては<思う>、<思い>が適当だろう。ただし日本語の<思う>、<思い>は純思想的な、哲学的意味になれない。<われ思う、故にわれあり>は悪くないと思うが、思想臭、哲学臭が薄いというか、なにか軽いのだ。

spttやまとことば訳

思いに囲いはない

思いに囲いはない。これはだれも拒(こば)めない。 
思いは飛び去って行く。夜(よる)の闇のように。
思いはつかめない。狩人(かりうど)も撃ち落とせない。
それでいいのだ。 思いに囲いはない。

われは好きなように思う。楽しくなることを思う。
ものみな静かだ。なるようになるのだ。
わが望みと願いは誰も拒めない。
それでいいのだ。 思いに囲いはない。

誰かがわれを岩のほろ穴に閉じ込めようと 
それはまったく空しい仕事だ。
わが思いは岩をも真っ二(ぷた)つに打ち砕(くだ)く。
思いに囲いはない。

われは悩みからとこしえに解き放(はな)たれた。
もうくだらぬことに苦しむことはない。
そこで、心から笑い、遊び楽しむのだ。
そして思いを馳(は)せる。
思いに囲いはない。

以上はほぼ直訳。歌にあわせた歌詞も試みてみる。


思いは馳(は)せる

思いは飛び去る。空(そら)飛ぶ鳥のよ(う)に。
空(そら)に囲はない。 思いに囲いはない。
だれもつかまえられない。かりうどさえも
撃ち落とせない。 思いは飛び去る

思いは跳びまわる。野走るウサギのよ(う)に。
野原に囲はない。 思いに囲いはない。
だれもつかまえられない。かりうどさえも
撃ち取れない。 思いは跳びまわる

思いは気まま。大空の雲のよ(う)に。
形(かたち)はない。 思いに形はない
だれもつかまえられない。お日様さえも
つかまえられない思いは気まま。

思いはゆれる。振り子のよ(う)に。
思いはくだける。ガラスのよ(う)に。
でもあきらめない。願いと望(のぞ)みと
夢あるかぎり。 思いは続く



末尾


\relative c'' {
  \key c \major   \time 3/4   \partial 4   \autoBeamOff
  g8 g  |  c4 c e8[ c]  |  g2 g4  |  f d g  |  e c
  g'  |  c c e8[ c]  |  g2 g4  |  f d g  |  e c
  c'  |  b d d  |  c e e  |  b d d  |  c e
  c  |  a a c8[ a]  |  g2 g8 e'  |  e[ d] c4 b  |  c2  \bar "|."
}
\addlyrics {
  \set stanza = #"1. "
  Die Ge -- | dan -- ken sind | frei, wer | kann sie er -- | ra -- then?
  Sie | flie -- gen vor -- | bei wie | nächt -- li -- che | Schat -- ten.
  Kein | Mensch kann sie | wis -- sen, kein | Jä -- ger sie | schie -- ßen.
  Es | blei -- bet da -- | bei: Die Ge -- | dan -- ken sind | frei.
}
\midi {
  \context { \Score  tempoWholesPerMinute = #(ly:make-moment 132 4) }
}

sptt

Friday, October 2, 2015

童謡<山の音楽家>のやまとことば


山の音楽家>という童謡がある。もとはドイツの童謡<Ich bin ein Musikante>だ。日本語とドイツ語を比べてみる。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ongakuka.html

「山の音楽家」
水田詩仙訳詞・ドイツ曲




わたしゃ音楽家 山の小りす
じょうずに バイオリン ひいてみましょう
キュキュ キュッキュッキュ
キュキュ キュッキュッキュ
キュキュ キュッキュッキュ
キュキュ キュッキュッキュ
いかがです

わたしゃ音楽家 山のうさぎ
じょうずに ピアノを ひいてみましょう
ポポ ポロンポロンポロン
ポポ ポロンポロンポロン
ポポ ポロンポロンポロン
ポポ ポロンポロンポロン
いかがです

わたしゃ音楽家 山の小鳥
じょうずに フルート ふいてみましょう
ピピ ピッピッピ
ピピ ピッピッピ
ピピ ピッピッピ
ピピ ピッピッピ
いかがです

わたしゃ音楽家 山のたぬき
じょうずに 太鼓(たいこ)を たたいてみましょう
ポコ ポンポンポン
ポコ ポンポンポン
ポコ ポンポンポン
ポコ ポンポンポン
いかがです

わたしゃ音楽家 山の仲間
じょうずに そろえて ひいてみましょう
タタ タンタンタン
タタ タンタンタン
タタ タンタンタン
タタ タンタンタン
いかがです 




ドイツ語

いろいろバリエーションがあるが、基本的には同じような内容。


http://www.mamalisa.com/?t=es&p=1188
Ich bin ein Musikante
(German) 

Ich bin ein Musikante
Und komm' aus Schwabenland ;
Wir sind auch Musikanten
Und komm'n aus Schwabenland
Ich kann spielen auf meiner Trompete ;
Wir können spielen auf uns'rer Trompete
Tä tä tärä tä tä tärä
Tä tä tärä tä tä

Ich bin ein Musikante
Und komm' aus Schwabenland ;
Wir sind auch Musikanten
Und komm'n aus Schwabenland
Ich kann auch spielen, Wir könn'n auch spielen.
Die Violine. Die Violine.
Sim sam-ser-lim, sim sam-ser-lim,
Sim sam-ser-lim, sim sam-ser-lim,
Sim sam-ser-lim, sim sam-ser-lim,
Sim sam-ser-lim, sim sim.

Ich bin ein Musikante
Und komm' aus Schwabenland ;
Wir sind auch Musikanten
Und komm'n aus Schwabenland
Ich kann spielen auf meiner Flöte ;
Wir können spielen auf uns'rer Flöte
Tü tü tü tü tü tü tü
Tü tü tü tü tü tü tü

Ich bin ein Musikante
Und komm' aus Schwabenland ;
Wir sind auch Musikanten
Und komm'n aus Schwabenland
Ich kann auch schlagen,
Wir könn'n auch schlagen.
Auf die Pauke. Auf die Pauke.
Herum bum bum, herum bum bum,
Herum bum bum, herum bum bum,
Herum bum bum, herum bum bum,
Herum bum bum, bum bum.

------


ドイツ語の原詩は相当古くミンネジンガー(宮廷めぐり歌うたい)の歌で何百年も前の歌。一方<山の音楽家>は(第二次世界大)戦後の歌だ。

歌の内容はドイツ語、日本語とも簡単だが、日本語の方が格段にすぐれている。  

ドイツ語 - <私は音楽家、シュバーベンからやってきました>
日本語 - わたしゃ音楽家 山の小りす>

ドイツ語の方は人の音楽家だが、日本語では<小りす>になっている。ドイツ語の方続いていろいろな楽器が登場してくるが音楽家は人なのだ。一方日本語の方は小(コ)リスに続いてウサギ、小鳥(コトリ)、タヌキが出てきて、それぞれにふさわしい楽器を演奏することになる。

ドイツ語でも日本語でも、この歌のいいところは楽器にしても動物(鳥、昆虫などでもいい)にしても適当に変えられるところだ。楽器の音も当然適当に変える。
 
シュバーベンはドイツの地名で山というよりは森のようだが、日本語の<森>はイメージ薄い。一方<山>はここでは<家の裏山>のような<山>のイメージがある。<わたしゃ音楽家 山のxxx>はごく簡単だが、大成功だ。


ドイツ語 - <私はバイオリンがひけます。私たちはバイオリンがひけます>
日本語 - <じょうずに バイオリン ひいてみましょう>

これは自己紹介の内容だが、ドイツ語の方は<わたし>に続いて<私たち>が出てくる。日本語の方はここでは<私たち>(同族の仲間)はでてこない。一方<じょうずに xx する>という紹介があり、これは最後の<いかがです? >と呼応している。ドイツ語の方はこのような呼応ななく、当該楽器の音が出てくるだけだ。日本語はこれまた大成功だ。

仲間については最後に<わたしゃ音楽家 山の仲間 じょうずに そろえて ひいてみましょう>を加えて<仲間>の雰囲気を出している。意味がややあいまいだ。複数(小リス、ウサギ、コトリ、タヌキ)とすると<わたしゃ>はおかしいが、わたしたちゃ>では字余りになってしまう。

楽器名はいたし方ないが、<音楽家>を除けば残りは全てやまとことばだ。


sptt

Wednesday, September 9, 2015

勾配(gradient)のやまとことば


以前に<回転のやまとことば>というポストを書いた。数学、物理(ベクトル解析)に限って言えば、英語の<curl>の訳語が<回転>で、<divergence>が<発散>、<gradient>が<勾配>となっている。ベクトル解析の<回転>、<発散>、<勾配>の理解度は人によってまちまちだろうが、物理現象の理解を深めるためには理解度が高い方がいい。その意味では、日本人にとっては、とってつけたような漢語よりやまとことばを使った方がいい場合がある。

勾配(gradient)のやまとことばは<かたむき>だろう。漢字で<傾き>と書くと本来のやまとことばから離れてしまう。<かたむき>の<むき>は<向く>の連用形の体言(名詞)用法。<向く>の動詞的な意味が強く残っている体言(名詞)だ。問題は<かた>の方で、思いつくだけでも

1.向き、方向の<かた>、来(こ)し方
2.片方の<かた>、かたちんば、かたわ(差別用語か?)、片手落ち、片腕、片親
3.方法の<かた>、<やり方>の<かた>
4.形(型)(かたち)の<かた>
5.肩の<かた>
 
がある。それぞれ違う意味があるがもとをたどれば全て<かた>だ。<かたむき>の<かた>は

1.向き、方向の<かた>

が一番意味がありそうだが、これだと<かたむき>は<向き向き>になってしまうが、<向(む)き>の強調とは違う。<かた向き>と<向き>はちがう。<傾(かたむ)き>、<傾(かたむ)く>には否定的(negative)な意味合いがある。<家、会社が傾(かたむ)く>。いわば暗黙に<下に、下方向に傾く>で、<上に傾(かたむ)く>、<上に傾(かたむ)ける>は変だ。

2.片方の<かた>、かたちんば、かたわ(差別用語か?)、片手落ち、片腕、片親

も否定的な意味があり(足りない、完全ではないの意)、<かたむき>、<かたむく>にはこの意味が混じっていそう。

5.肩の<かた>

<右肩上がり>と言うのが普通だが、<右肩下がり>とも言え、変ではないので、こちらは中立だ。

さて、本題のベクトル解析用語の<勾配>、やまとことば<かたむき>について考えてみる。人にもよるだろうが、もっとも理解しにくいのが<curl、回転>、次いで<divergence、発散>、比較的理解しやすそうなのが<gradient、勾配>だろう。

wiki (日本語版)(2015年9月)の<勾配(ベクトル解析)>の冒頭は次の通り。


ベクトル解析におけるスカラー場勾配(こうばい、: gradient; グラディエント)は、各点においてそのスカラー場の変化率が最大となる方向への変化率の値を大きさにもつベクトルを対応させるベクトル場である。簡単に言えば、任意の量の空間における変位を、傾きとして表現(例えば図示)することができるが、そこで勾配はこの傾きの向きや傾きのきつさを表している。
wikiの解説は基本的に改善されていくが、正確さの改善も要求されるため、場合によっては、だんだんわけがわからなくなる場合もある。約5年前の2010年10月時の解説は次の通り。

ベクトル解析における勾配とは、スカラー場に対して定義され、場の各方向への変化率を記述する偏微分ベクトル(勾配場)のことである。スカラー場からその勾配場を与えるベクトル偏微分作用素そのものをさす


これまた人によるが、<偏微分>を知っていれば2010年10月版の方がわかりやすいかもしれない。注意したいのは≪場≫という物理やまとことばが使われていることだ。


 2015年9月では


<簡単に言えば、任意の量の空間における変位を、傾きとして表現(例えば図示)することができる、そこで勾配はこの傾きの向きや傾きのきつさを表している。>という表現があり、<傾き>と<勾配(ベクトル用語)>の違いがある。

任意の量は<任意のスカラー量>。<スカラー量>は量だけで方向がない。<変位>はこの場合(スカラー量)は静的な<違い>の意に近い。内容的に肝心なのは

1)任意の量の空間における変位 = 傾き(として表現)
2)勾配(ベクトル用語) = 傾きの向きや傾きのきつさ(を表している)

ベクトルはスカラー(量) と違って<向き(direction)>と<きつさ(magnitude)>。言葉的にも肝心で、<勾配>という漢語を<傾き>、<向き>、<きつさ>というやまとことばを使って説明している。<傾き>なので<きつさ>を使っているが、中立的な語<大きさ>も使われている。

これまた人によるが、勾配(gradient)理解のためには特に

1)任意の量の空間における変位 = 傾き(として表現)

が肝心。変位は明らかに目に見える変化量で理解しがちだが(どれだけ変化したか、どれだけ増えたか減ったか)、解析たるゆえんは変位の(変化)量ではなく、目に見えにくい変位の変化率でとらえることなのだ。ここで<傾き>とは変化率(微分)のことなのだ。さらに勾配>は<方向付き>の変化率のことなのだ。

したがって、勾配>とは<方向付き>の変化率の<きつさ(大きさ)>のことだ。やまとことばでは<かたむき>自体の<むき>の意がふくまれているので、<方向付き>の変化率は<かたむき>だけでよさそうだが、残念ながら言葉としては元来<かたむき>自体には肝心な変化率の意はない。いいかえると、

 勾配(gradient)= 空間における任意の(スカラー)量のかたむき(と)きつさ(大きさ)

となるが、イマイチだ。変化率は漢語だが、和製漢語のようで、中国では導数が使われているが(wiki China 版)、変化率が関(函)数になる場合は日本でも導関(函)数が使われる。導数も導関(函)数も和製漢語の可能性がある。変化率のやまとことば聞いたことがない。加速度は速度の時間に関する変化率で、<どんどん早く(遅く)なる割合>といえる。<どんどん>は擬態語なので<増す>由来の<ますます>の方がよさそう。<増す>由来とはいえ、<ますます遅くなる>、<ますます減る>、<ますます下がる>はおかしくない。<ますます>は副詞で、普通は変化を示す<増える、減る>、<上がる、下がる>、<速くなる、遅くなる>、<大きくなる、小さくなる>につけて使う。したがって変な日本語になってしまうが、<ますます割合>が変化率に相当するやまとことばの候補だ。したがって

勾配(gradient)= 空間における任意の(スカラー)量の向きごとの<ますます割合>とその大きさ

となる。

堂々めぐりになりそうだが、<割合(わりあい)>はやまとことばだが、<かたむき>と違って、方向性はないので<向き>を加える必要がある。また、<割合>は厳密には<きつさ(大きさ)>そのものではない。したがって<きつさ(大きさ)>を加える必要がある。ただし<割合が大きい、小さい>とは言うので、

勾配 = 空間における任意の(スカラー)量の向きごとの<ますます割合>

でもよさそう。

<割合>の代わりに<具合>、<程度>を使うときつさ(大きさ)>はいらないようだ。

勾配(gradient)= 空間における任意の(スカラー)量の向きごとの<ますます具合(程度)>

となる。少しすっきりした。しかし、<具合(ぐあい)>はやまとことばのようだが、<具(ぐ)>は漢語のようで<具合>はいわゆる重箱読みで、半分やまとことばだ。<程度>は漢語だ。<程度>に相当するやまとことばに<ほど>がある。だが<ますますほど>では何のことだかわからなくなりそう。<ますますのほど>はすこしましだ。

個人的には

勾配(gradient)= 空間における任意の(スカラー)量の<向きごとの傾き具合>

が日本語らしい。ただし<傾き>はここでは変化率のこと。タンジェント線(tangent line)(接線)の傾きは変化率を示している。

2010年10月時のwikiの解説を言い換えると(変化率 ->傾き具合)、


ベクトル解析における勾配とは、スカラー場に対して定義され、場の各方向への傾き具合を記述する偏微分ベクトル(勾配場)のことである。


となる。
 
----

話はまだ続く。順序が逆になるが、すでに引用したが wiki (日本語版)(2015年9月)の<勾配(ベクトル解析)>の冒頭の冒頭は


ベクトル解析におけるスカラー場勾配(こうばい、: gradient; グラディエント)は、各点においてそのスカラー場の変化率が最大となる方向への変化率の値を大きさにもつベクトルを対応させるベクトル場である。

で、この後に上で取り上げ、やまとことば解説を試みた<簡単に言えば、任意の量の空間における変位を、傾きとして表現(例えば図示)することができるが、そこで勾配はこの傾きの向きや傾きのきつさを表している。>が続くのだ。これまた数学、物理素人には何のことだかわからないだろう。だが<スカラー場>と<ベクトル場>の<場>は何となくわかるのではないか。ここでの<場>は数学、物理用語だが、砂場、遊び場、工場(ば)、一般的にいえば場所の<場>だが、<場所>と<場>は違う。<場所>は湯桶読みで、重箱読み<具合>と同じく、半分やまとことばだ。<場(ば)>は純やまとことばで一音節のごく簡単な語だが、数学、物理用語としても、また

この場
その場
立ち場
行き場
死に場

のような日常語でも意味は広く、深く、大きい。

これからすると、<場>以外にももっと大和言葉を使えば、この冒頭の冒頭の解説は数学、物理素人にももっとわかりやすくなるのではないか。

-----

以下、勾配(gradient)に興味のある人は読み続けてください。繰り返しになるが、勾配(gradient)の特徴的なのは、


ベクトル解析におけるスカラー場勾配(こうばい、: gradient; グラディエント)は、各点においてそのスカラー場の変化率が最大となる方向への変化率の値を大きさにもつベクトルを対応させるベクトル場である。

の<点においてそのスカラー場の変化率が最大となる方向への変化率の値を大きさにもつベクトルを対応させるベクトル場>

もっと正確に言うと<変化率が最大となる方向へのその最大の変化率値を大きさにもつベクトル>のところなのだが、残念ながら大体簡単な解説書はこれで済ましてなぜ<勾配(gradient)をとる(ほどこす)と変化率が最大となる方向への変化率の値を大きさにもつベクトル>になるかの説明がないのだが、これは勾配(gradient)理解のうえで不可欠なことだろう。

これはわかってしまえば意外と簡単なのだが、やや詳しい解説書では<方向ベクトル>というのを一旦導入して勾配(gradient)を一般化し、これを直交座標に当てはめる、という回りくどい説明が一般的のようだが、これではまず<方向ベクトル>というのを理解する必要がある。勾配(gradient)数式は

wiki (日本語版)(2015年9月)は一般化した数式もあるが、普通の解説書は



式で書けば、勾配は
(\nabla f(x))\cdot \mathbf{v} = D_{\mathbf v}f(x)
で決定されるということである。


v>が<方向ベクトル>でDv>が<勾配>または<勾配する>を意味している。

続いて


直交座標系において、勾配は成分が f偏微分で与えられるベクトル場
 \nabla f  = \frac{\partial f}{\partial x_1 }\mathbf{e}_1 + \cdots + \frac{\partial f}{\partial x_n }\mathbf{e}_n
である。ただし、ei はこの座標系の目地を描く直交単位ベクトルである。 関数が例えば時間のようなパラメータにも依存する場合、その勾配とは単に空間成分の微分のみからなるベクトルを指すことも多い。
と数学らしい一般化した数式をあげているが、3次元以上は理解しにくいだろう。次いで


三次元デカルト座標系においてこれは、i, j, k基本単位ベクトルとして
\frac{\partial f}{\partial x} \mathbf{i} +
\frac{\partial f}{\partial y}  \mathbf{j} +
\frac{\partial f}{\partial z} \mathbf{k}
と書ける。例えば関数 f (x, y, z) = 2x + 3y2 − sin(z) の勾配は f = 2i + 6yj − cos(z)k となる。
............
 ”

という数式がでてくる。普通の解説書ではこちらがでてくる。ポイントはデカルト座標が直交座標であることなのだが、それとともになぜ足し算になるにかもポイントだ。


sptt
 

Thursday, August 27, 2015

あちらが立てばこちらが立たず


<あちらが立てばこちらが立たず>の意味は説明するまでもないだろう。

A(あちら) + B (こちら)= C (一定, Constant の C)

の式があてはまりそうだが、少し違うようだ。≪立たず≫と否定なので等号(=)ではなさそう。かといって不等号( ≠ 、< )でもなさそう。

 A(あちら) + B (こちら) ≠ C (一定)

 A(あちら) + B (こちら) < C (一定)

C を一定ではなく、望ましい状態(I, Ideal の I )としてみると

A(あちら) + B (こちら) < I (望ましい状態)

が<あちらが立てばこちらが立たず>の意に近づく。


A(あちら) + B (こちら)+D  <  I

となると複雑になる。言葉ではどう表現するか?日本語には<そちら>があるが

<あちらとこちらが立たでばそちらが立たず>のほかに

<あちらが立てばこちらとそちらが立たず>などが考えられる。


<あちらが立てばこちらが立たず>の<こちら>は必ずしも発話者でないようで、第三者的な、教訓的な発話だ。<こちら>が発話者の場合は

 <あちらが立ってもこちらが立ちません>、<あちらが立ってもこちらの立場がありません>といった少し感情が入った表現になりそう。

sptt


Sunday, June 21, 2015

<待ち伏せ>について


<待ち伏せ>はけっこういろいろな意味がありうる。

待ち伏せして殺害する。

といった物騒なのがまず思い浮かぶが、もっと平和な、よい意味の<待ち伏せ>が使えないか?

<待ち伏せる>は<待って伏せる>ではなく<伏せて待つ>だ。<伏せる>のほうは<他人に見えないように身を伏せる>の意だ、何を待つかといえば<待ち伏せして殺害する>場合には殺害する時(機会)、殺害する予定の人物が現れる時(機会)だ。細かくいうと、殺害する予定の人物が一人ではではなく、ほかの人物とともに現れた場合は、殺害するのはそのときの状況、条件による。ボディーガード数人に囲まれながら現れた場合は殺害をあきらめるかもしれない。

<待ち伏せ>は物騒なことをするのでなれれば、<何かをするよい機会を待つ>の意、短く言えば<機会を待つ>の意があると言える。また待つ間(ま、あいだ)何をしているかを問題にすると、<伏せる>こと以外でもいいが、機会を失うようなことはダメだ。

以上はドイツ語の abpassen の説明に<待ち伏せ>が出ていたので考えたもの。

<機会を待ち伏せ>はわるくない。機会は漢語なので、やまとことばでは

よろしき時を待ち伏せ

となるか。

ところで、ついでに passen を調べてみた。 passen は大体<xx にあう、都合がいい>、英語では to fit が相当する。これ以外に<トランプ遊びでパスする>、<サッカーなどでボールパスする>というのがある。<パスする>は英語の to pass 由来だろうが、日本語に適当な訳語がなかったためかそのまま<パスする>を使う。この<パスする>は、よく考えると(人によっては、少し考えると)、基本的には<待ち伏せする>と同じ行為だ。何かをして、<よい機会を待つ>ことだ。<何かをする>ことが特に何のためかわからないこともあるが、<よい機会を待つ>ためなのだ。他人には<何のためかわからない>は<伏せる>ことに通じる。サッカーの<パスする>もこのように考えると、サッカーの見方がちがってくる。


sptt

Monday, June 15, 2015

<だまし>のやまとことば


だます>関連の日本語はけっこう豊富で<だます>以外に

たぶらかす (<たぶる>という動詞があったのだろう)
ごまかす
<誤魔化す>は当て字だろうが、<誤魔>はおもしろい組み合わせだ。<だます>の関連、連想語か)。<だまかす>とも言う。韓国語みたいな<チョロマかす>というのもある。
惑(まど)わす
まぎらす <まぎらわす>ともいう。自動詞は<まぎれる>。<苦しまぎれ>、<まぎれ込む>という言い方があるので<まぎる>という動詞もはある(あった)ようだ。自動詞か他動詞か?どうも<自分をまぎらして xx する>の意に近い。<まぎらす>、<まぎらわす>、<まぎれる>、<まぎる>は<まぎらわしい>(形容詞)。
まるめこむ
ばかす(化かす) - ばか(馬鹿)と関連があろう。

だま(dama)、ごま(goma)、まど(mado)、まぎ(magi)はなんとなく語呂が似ている。


辞書によると<だます>の古語に<おびく>というのがあり、現在<おびく>自体は使われないが

おびき寄せる
おびき出す

は使う。この意味に似たのでは

誘(さそ)う
誘い寄せる
誘い出す

がある。

さらには<そそ(soso)のかす>というのがあるが、<さそ(saso)う>の関連語か?<そその化す>とは考えにくい。漢語を使えば<誘惑(ゆうわく)する>で、大和言葉が豊富なわりにはこの<誘惑する>はよく使われる。おそらく<yu-u-wa-ku>という発音が<わくわくさせる>を連想させるからかもしれない。この<わく>は誘惑の<惑(わく)>というより<沸く、湧く>の<わく>だろう。


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