Thursday, September 21, 2017

<へ>、<へま>、<へちま>


英語に blunder と言う言葉がある。<間違い>のことだが a mistake (mistakes) (よく使う語なので単数と複数に注意)は汎用的な<間違い>であるのにたいして blunder は<(比較的大きな、そして多くは不注意による)馬鹿げた間違い>のことだ。日本語では<(大きな、大変な、とんでもない)へま>が適当のようだ。この<へま>の語源はなにか?<へちま>の<ち>抜けの可能性がある。

<へともおもわない>は私のコンピュータワープロでは<屁とも思わない>と出てくるし、私もこう思っていたが、これは大きな間違い(blunder)だ。よく考えると<屁とも思わない>では言っていること(言いたいこと)の意味に結びつかない。<こんな失敗は屁とも思わない>。<課長の注意など屁とも思わない>。この間違いは<思わない>の対象(失敗、注意)を<屁>とも思わないで何となく意味が通じてしまうためだろう。手もとの辞書には、元来は<へちまとも思わない>。そしてこの<へちまとも思わない>は元来<へちまの皮とも思わない>、という解説がある。へちまは中身を使う(化粧水、ふろ場用具)ので<へちまの皮>は無用なもの、という解説がついている。これで納得。へちまの実は真っすぐなのや曲がっているものがあって形は千差万別。その姿はなかなか味があり、東洋画でよく描かれる。おなら(お鳴ら)の<へ>は、漢字で<屁>と書き、<放屁>の<屁(ひ)>で似かよっているが<へ>はやまとことばだろう。

<へ>、<へま>、<へちま>以外の<へ>がつくやまとことばには


へこむ - おなかがペコペコの<ペコペコ>はこの<へこむ>由来だろう。<へこむ>は<へりこむ>由来か?

へし折る - 鼻をへし折る

へそ - へそをまげる、へそで茶をわかす、と言う表現がある。へそ(臍)は人の体の中心にあるので、<かなめ>でもいいのだが、<これがかなめだ>の意味で<これがへそだ>というのは悪くない表現だと思うが、めったに聞かない。

へた(下手) - 上手(じょうず)の反対の意味以外に<へたをすると>という言い方があり これは mistake と言うようより blunder <へま>に近い。くだものや野菜の<へた>と同源か?

へたる、へたりこむ、へとへと - へとへとに疲れる。

へど - へどがでるような、比喩的に使うのが多そう。口語では<げろ>(これも方言か)。

ヘドロ - これは日本語。<どろ>は<泥(どろ)>の意。

へなへな - へなへなした頼りない男。

へばる - <へたる>と同じような意味。関東方言か。

へべれけ - へべれけに酔う。

へっぴり腰 - これも私のコンピュータワープロでは<屁っ放(ぴ)り腰>と出てくる。<へとも思わない>と同じで<屁をひる格好の腰>でなんとなく意味が通じるので、私もこれまで<屁っぴり腰>と思っていたが、どうも違うようだ。

へぼ  - へぼ将棋。へぼ画家でも<へちま>の絵はうまく見える。

へらずぐち - この<へら>は<減る>の<へる> の未然形だが、これまた手もとの辞書によると、正しくは<へりくだる>の<へる>(<減る>の派生的な意味)で、<へらず>で<謙虚さがない>の意。この方が<減らない口>より意味が通る。

へる (減る)

敢えて否定的な意味の言葉をな並べたが、こういう言葉がないと言葉はおもしろくない。

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<へま>に関しては<チョンボ>というのがあり(これまた関東方言か)、これは韓国語のように聞こえるだ。



sptt








Friday, September 15, 2017

break-through のやまとことば、<破り>


break-through の中国語は<突破>。中国語は融通(ゆうづう)のきくことばで<突破>で動詞にも名詞にもなる。日本語は<突破口(とっぱこう)を開く>という動詞表現があるが名詞形がない。<突破>だけでは break-through の意にならない。

さて break-through のやまとことばは何か?<突破>はやまとことば読みにすると動詞は<突き破る>、名詞は<突き破り>で少しは break-through に近づくがまだかなりダメだ。break は英語もそのまま名詞になりやまとことばでは<破ること>、<破れること>、<破り>、<破れ>だろう。through は副詞、前置詞で<xx を通って>、<xx を抜けて>に相当。ドイツでは durch という語で、この発音は私の耳にはいかにも<xx を通って>の感じがある。 break-through のやまとことばとしては<突き破り>よりは<破り抜け>の方が少しよさそう。だが break-through の訳語としてはまだまだ。

<型破り>という言葉がある。横並び志向のひと昔前とちがって今は break-through のようにいい意味で使われるようになっているのではないか?その方がいい。だが<型破り>はこれまでのところ<型破りの人間>のように使われ break-through ではない。意味を少しずらして(イントネーションも変える) break-through の訳語としたらどうか?

<殻(から)破り>あまり力を出さず、苦労しなくてもや破れるようだ。

<壁(かべ)破り>は何とかなりそう。

<囲(かこ)い破り>は out of the box を連想させるが、強い力で破る感じがなく、破るのではなく跳(と)び越えることも連想されてしまう。

漢語が混ざるが<一番しぼり>の亜流で

<一番破り>、入れ替えて<破り一番>はどうか?


<やぶる>は発音 ya-bu-ru のから耳で聞いて<破る>感じがあるので(<bu-ru>は<ぶるぶる)>で震える感じがある)<やぶる>を活かしたい。実際<やぶり>の一語で break-through の意にかなり近い。

<破り>の一手を考える。(漢語が混ざるが<破りの一手>で break-through 。)
ここは常識をはずれた<破り>が必要。

<break-through をする>で動詞になるが、これは簡単に<破る>でいい。

この難局をどう破ったものか?

<破る>は<打ち破る>あるいは<破る>だけで(相手、敵を)<負かす>、<勝つ>の意がある。<負かす>、<勝つ>はやや抽象的だが、<やぶる>は音が聞こえてくるほど具体的だ。


sptt

Tuesday, September 12, 2017

もったいない、もったいぶる - 2


<もったいない、もったいぶる>の第2弾。前回(2015年3月)は次のように書き始めている。


<もったいない>は日常よく使う。<もったいぶる>、これと似た意味の<もったいをつける>もたまに使う。やや古くは<もったいらしい>という形容詞があったようで、したがって<もったいらしく>という副詞もあったのだろう。

手もとの辞書によると<もったい>は<勿体>で漢語由来だ。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来る。例: 请勿xxx。<体>は<正体>の意。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<正体がない、がない>で、理論的には<体(正体)>の意になるが、もったいない = 体(正体)では何のことだかわからない。<勿体ない> = <正体がない、がない>とはいったいどういう意味か?


一応結論は出しているが、根拠は弱い。今回は二度目の挑戦。


最近(2017年9月)イタリア語の接頭辞<s->の関連で degnare - sdenare、degno - sdegno、 さらに英語の dignity、to dignify を調べているうちにある発見をした。おもしろい時間的と思われる(使われているうちの)意味のズレだ。dignity は威厳(dignity: the state or quality of being worthy of honour or respect.)といったような意味だ。一方動詞のto dignify は過去の意味は調べていないが今は to dignify: to make (something) seem worthy and impressive で<威厳をつける>から変化して<威厳があるように見せる>で<もったいぶる>に近くなっているようだ。さらに調べていくと dignity、to dignify に関連あり、またイタリア語のdegnare というよりはもとのラテン語 digno あるいは相当のフランス語由来と思われる to deign と言う動詞があるのを発見した。わたしは聞いたこともしたがって使ったこともないが、

1) to think it fit or worthy of oneself (to do something)
2) to do something that one considers to be beneath one's dignity.
3) to do something unwillingly and in a way that shows that you thing you are too important to do it.

のような意味があり、 1) がもと意味で2)、3)は派生的な意味と考えるが、1) の oneself がキーで、これが自大(自分はえらい、と思う)につながる。話がズレて行きそうなので、この話ば別の機会にすることにして<もったいない>に戻る。初めの<もったいない、もったいぶる>の第1弾の繰り返しのようになるが、

<勿体>で漢語由来。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来るが(例: 请勿xxx(注1))、昔は一般的な<否定>の意があったろう。<体>は<正体>の意。中身(中味)ともいえる。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<中身がない、がない>で、理論的には<中身がある)>の意になるが、もったいない = 中身がある、では何のことだかわからない。二重否定は文字通り<肯定>になる場合と<否定の強調>になる場合があるが<肯定>になる場合も単純な肯定ではない。中身がある>は単純な肯定だ。二重否定をある種の<肯定強調>とすると<中身がある>は本来いいことであるので、これが強調され<たいへんいいこと、ほめられること(honoured)で、さらには少し飛躍してdignity (威厳)がある>になる。一方<中身がないのは>は<からっぽ>、<仮り>、<(うわべだけ)でよくないこと>、<非難されること>、さらには少し飛躍して<威厳(dignity)がないこと>になる。したがって

もったいない ->  <中身がある> ->たいへんいいこと、ほめられること、価値がある(worthy)、ほめられる内容がある(honoured)、尊敬される内容がある(respected)、威厳(dignity)がある

となる。 <もったいない>の表現で日常一番よく耳にするのは

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>

という言い方だ。これはモノが対象で言い換えると

まだ使えるのに捨てるなんて<価値あるものを価値なくしている、むだをしてる>

となる。

<無駄なことする>無駄にも否定の<無>の字がある、<無駄>はやまとことばではなく漢語由来だろう。話がずれていくので無駄についても別途検討。さらには逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<中身あるものを中身なくしている>。

といえる。さらに逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<もったい>をなくしている。

となるがこれではどうどうめぐりか、ことばの遊びで何が何だかわからない。ナンセンスだ。

人が対象になると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うのが考えられるが、かなりあらたまった、尊敬語、謙譲語が出てくる場面での発話だ。<勿体>漢語なので庶民ではなく漢文の知識のある武士か貴族か寺子屋の先生あたりの人々でかつ、尊敬語、謙譲語が出てくるような場面で使われ始めたのだろう。

<もったいない>内容がちがってくる。この人が対象の<もったいない>も置き換えると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<中身がある、たいへんいいこと、価値がある、ほめられる内容がある、尊敬される内容がある、威厳がある>となるのだが、これではこれまた何のことだかわからない。ナンセンスだ。

はなしが相当混乱してきたので、今回の検討結果の結論を述べる。

<もったいない>は<勿体>が<ない>。 もともとの<中身がない>の意から<もったいをつける>、<もったいぶる>の<もったい>の<中身がないのにあるように見せる>の意で使われるようになった。<中身がないのにあるように見せる>に<ない>がついて意味にズレが生じ<もったい>が<ない>、<中身がないのにあるように見せる>ことが<ない>。これから、反対の<中身があるのにないように見せる>の意味を持つようになった。中身があるのにないように見せる>は一種の謙譲の、卑下した、へりくだった言動だ。このような言動は場合によって必要のない、無駄なことだ。中身があるのにないように見せる>ような言動に会った場合、または受けた場合、<わざわざ必要のない、無駄な言動に対して<もったいがない(中身がないのにあるように見せる、のではない、むしろ中身があるのにないように見せる)>と表現するようになった。これがさらに

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うような言い方にズレていった。これがさらに一般化され(おそらくこのころにはもとの<勿体>の意はほぼ意識になくなっている)、庶民も使うようになって

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>。
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>。

と言うようになった。


(注1)(例: 请勿xxx、は広東語の香港ではよくみるが文章語で口語は<口吾好(むほう)、口吾は一語で<む>と発音>、普通語(北京語)の口語は<不要xxx>。


sptt

Sunday, September 10, 2017

おこがましい


<おこがましい>は聞いたことはあるが使ったことはない。多分意味がわからないので使う自信がなかったためだろう。テレビドラマなどで主に<問われて名乗るもおこがましいが>と使われるか。 実際<おこがましい>が口癖になっている人はいるようだ。

<おこ(コンピュータワープロでは書けそうもない<烏滸>という漢字が出てくる)は馬鹿、間抜けの意だが、日常使わないのですでに古語だろう。以前に ”<ばか>、<まぬけ>、<おろか者>” というポストを書いたが古語としてこの<おこ(烏滸)>を付け加えた方がよさそう。

<おこがましい>は文字上は<おこ(ばか)のよう(だ)>だが、単純な<ばか>ではない。内容はかなり複雑。この<ばか>はきわめて卑下(ひげ)した<ばか>で、実際には<馬鹿>でないのを知っている。本当に自分をバカとおもって<私はバカだった>ということもあるようだが、多くは<私はバカですが、xxxx>と卑下した表現、なおかつ譲歩表現で使う。卑下した表現なら<私はおこですが>でいいのだが<おこがましいですが>は<わたしはバカのようですが>となるので実際は<私はバカです>とは言っていないことになる。つまりは卑下した表現ではないのだ。卑下というよりはむしろ自慢が見え隠れする。自慢が進む(高じる)と驕慢、傲慢となる。やまとことばで言えば

つけあがる
思いあがる
うぬぼれる

だ。<おこがましい>は<つけあがって(思いあがって、うぬぼれて)はいません>とも言っているようだ。


sptt

Thursday, September 7, 2017

リラックスのやまとことば、<ほがらか>


リラックスのやまとことばは何か?

体(からだ)が疲れたときにはマッサージをして(してもらって)<肩、体の凝りをほぐす>のが有効。リラックスした気分になる。固まったからだがほぐれた状態になる、またはそういう状態がリラックスと言える。したがって

リラックス = ほぐれ、ほぐれた

となる。<ほぐれ>は<ほぐれる>の連用形体言(名詞)化用法。マッサージは大体してもらうが(最近は電動の機械や器具にしてもらう)、<ほぐれる>は自動詞で他動詞は<ほぐす>。もともとは<糸のからまり、こんがらかり(方言か)、かたまりを解く>のような動作が<ほぐす>のようだ。<肩の凝りをほぐす>という表現は納得できる。さらには<緊張をほぐす>となり、リラックスに近くなる。

<ほぐれ>と言う発音から連想される言葉に<ほがらか>がある。<ほがらか>は大体人の性格を表現するのに使われるが、<ほがらかな人>は95%がたは<いい人>だ。残りの5%は<ほがらか過ぎる人>が嫌いな人もいるからだ。何ごともよく調べると100%(完全)はないものだ。手もとの辞書では<ほがらか>は<明るく、わだかまりがない>とある。<わだかまり>の詳しい説明は、忘れなければ別の機会にする予定だが、<水が流れないでとどまる>、<糸がからまる>ような様子、<糸のからまった>ような状態の意か?

古いやまとことばのようだが<ことほぐ>というのがある。<こと>は<ことば>の<こと>だが、<ほぐ>がよくわからない。<ことほぐ>は<言葉で祝う>の意なので<ほぐ>は<祝う>とすると<ほぐす>、<ほぐれる>とは関係なさそう。

sptt

Wednesday, August 23, 2017

カタツムリとトンボの語源


カタツムリとトンボは対照的だ。

カタツムリ - きわめてノロノロ動く。敵から身を守るために殻(家)の中にに体をすっぽり隠してしまう。体の体積を少なく(縮めることが)できるのだ。地面を這(は)い、飛ぶことはおろか跳(と)びはねるともできない。気がつきにくいが、下記の説明にあるとおりカタツムリは虫(あるいは動物全般)としては珍しく体が左右対称でないのだ。

トンボ - 飛びの名人。特に空中で止まったり(Hovering)、見たことはないが<とんぼ返り>の特技がある。きわめて敏捷。素早い動きを目で追えない時がある。突然目前からいなくなるのだ。これは敵から身を守るための行動としては有効。目は複眼で体に比べて大きく270度ぐるりと見えるそうだ。餌を見つけたり、これまた敵から身を守るのに有効。


1) カタツムリの語源

カタツムリの語源は何か?Japan-wiki は<カタツムリ>の解説の最後の方に


カタツムリ Japan-wiki

名称

日本語における名称としてはカタツムリの他に、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがある。語源については諸説がある。
カタツムリ
笠つぶり説、潟つぶり説、片角振り説など諸説ある。なお、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。
デンデンムシ
子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)であるとの説がある。
マイマイ
「デンデンムシ」と同様に子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある
蝸牛
語源については動作や頭の角がウシを連想させたためとみる説がある。


という説明がある。蝸牛は現代中国語。さてカタツムリだが、つまりは語源に諸説ある、ということで、もう一つ加えることにする。

Japan-wiki は<カタツムリ>の解説は英語版と似ているが、日本人向けに特化されていいる箇所が少なくない。日本語版、英語版とも解剖図で体をかなり詳しく説明しているが、下記にの部分が日本語版にはない(2017年8月現在)。 英語版は snail の項目ではなく gasgtropoda(学名か?)の項目(Snail is a common name loosely applied to shelled gastropods. "gastropod" by derivation from the  Ancient Greek words γαστήρ (gastér) "stomach", and ποδὸς (podòs) "foot".)

Anatomy

前略

The principal characteristic of the Gastropoda is the asymmetry of their principal organs. The essential feature of this asymmetry is that the anus generally lies to one side of the median plane.; The ctenidium (gill-combs), the osphradium (olfactory organs), the hypobranchial gland (or pallial mucous gland), and the auricle of the heart are single or at least are more developed on one side of the body than the other ; Furthermore, there is only one genital orifice, which lies on the same side of the body as the anus.
医学用語が並んでいるので細かいことはすぐにはわかりにくいが、要は主要臓器が非対称(asymmetry)だということだ。人間や他の動物の内臓もよくみると基本的には非対称なので(心臓、胃、肝臓、すい臓と一つしかなく、しかも中心軸にあるわけではない)、カタツムリの場合はこれが目立つということか。しかし殻(家)つきのカタツムリは外見から、人間や他の動物にくらべて前後左右明らかに非対称が目立つ。

 カタツムリの<カタ>はこの非対称に由来している可能性が高い。差別用語になるかも知れないが

かたわ
かたちんば

というのがある。


カタツムリの<つむり>は<、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。>が事実とすれば妥当か。だが<つむり(つぶり)>には

つぶる: 目をつぶる(つむる)

がある。さらに
 
おつむ: 頭の幼児語で<お>を」とれば<つむ>になる。 カタツムリの頭はきわめて特徴的だ。

でんでんムシムシ ......だせ、  ......だせ、<あたま出せ>

カンムリ: も頭関連の語。頭(かぶり)を振る、というのもある、連想から<つむ>+<り>、<つむり>で頭の別称となってもおかしくない。

<つむじ>というのがある。<つむじ風>は<旋風>。<つむじ曲がり>は頭の<つむじ>が少し曲がっていることだ(ひと)だ。カタツムリの殻は<つむじ>を連想させるが、どちらかというと<かた向いて>いる。

殻(から)のないカタツムリはナメクジで、こちなの方もかなり動きがのろい。むかしはナメクジラといっていたようで、大きさは違うが形はクジラにている。防御用の殻がなくても長い歴史を生きてぬいてきたので、なにか特別な生存方法があるのか。カタツムリもナメクジも動きはのろいがなまけモノの感じはない。

英語では

カタツムリ - snail

で snail mail というのがある。

ナメクジ - slug

といい、sluggish とう形容詞がある。



2) トンボの語源

トンボの語源は何か?Japan-wiki の解説はかなり長い。


日本語名称

日本では古くトンボを秋津(アキツ、アキヅ)と呼び、親しんできた。古くは日本の国土を指して秋津島(あきつしま)とする異名があり、 『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている。 また『古事記』には、雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、やはり「倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と」呼んだとしている。


中略(末尾参照)


方言においては、「あきつ」「あきず」「あけず」「あけす」「あけーじょ」「はけーじゃ」、「とんぷ」、などの語形が東北から南西諸島に至る各地で見られる。
トンボの語源については諸説あり、たとえば以下のようなものがある。
  • 「飛羽」>トビハ>トンバウ>トンボ
  • 「飛ぶ穂」>トブホ>トンボ
  • 「飛ぶ棒」>トンボウ>トンボ
  • 湿地や沼を意味するダンブリ、ドンブ、タンブ>トンボ
  • 秋津島が東方にある地であることからトウホウ>トンボ
  • 高いところから落下して宙返りのツブリ、トブリ>トンボ
なお、漢字では「蜻蛉」と書くが、この字はカゲロウを指すものでもあって、とくに近代以前の旧い文献では「トンボはカゲロウの俗称」であるとして、両者を同一視している。例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒(赤とんぼ)をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。
日本語ではトンボが身近な生物であったため、さまざまな事物に「トンボ」の名がつけられている。



以上のようにトンボの語源はこれまた諸説ある。
耳で聞く現代中国語のトンボは蜻蛉ではなく蜻蜓だが、<蜻蛉俗称蜻蜓>という解説がある。

やまとことばで<アキツ、アキヅ>とう由緒正しい立派な名前がある。<トンボ>は口語、さらには幼児語だろう。簡単には<トン>は<飛ぶ(トブ)>由来。実際の発音は<ボ>につられて<トムボ>となる。<ボ>は幼児語の接尾語だろう。接尾語でも意味があると思うが、ここは<ちゃん>のような愛称接尾語か?これでは簡単すぎるので調査継続予定。さすが新井白石の分析はいい。


調査継続 - 結果

トンボとなじみがある場所の<田んぼ>がある。手もとの辞書では

田んぼ - 田の口語、とあり<んぼ>の説明がない。

同じようなところに生息するアメンボの語源は次の通り。

語源由来辞典
(トンボの語源の説明もある)

アメンボ
の「アメ」は「雨」ではなく「飴」の意味で、「ボ」は「坊」の意味、「ん」は助詞「の」が転じたもので、「飴の坊(飴ん坊)」が語源となる。 アメンボは、体の中央にある臭腺から飴のような甘い臭気を発するため、この名がつけられた。

Japan- wiki


本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発するのような臭い、「棒」は体が細長いことから。
」と関連付けるのは民間語源である。


これにならうとトンボは

飛ぶ+の+坊  --> トンボ

棒は漢字音でやまと言葉ではない。 坊も漢字音だがやまとことばのようななじみがある。<木偶(でく)の坊>は<木偶(でく)の棒>でもよさそう。坊と棒は混乱というか融合があるようだ。

赤ん坊
甘えん坊
きかん坊
くろんぼ(う) - 黒人の差別用語か
立ちんぼ(う) (これは棒も連想される)

つんぼ - 耳の聞こえない人
おしんぼ(う) - 口のきけない人

問題はトンボ(トン坊)も含めて(<ぼう>が漢字の<坊>かどうかだ。坊主は漢語だ。日本では仏教が中国以上に広まった歴史があり、<坊主>という言葉はいろいろ活躍する。特に男の子供は<坊主>だ。もとは<小坊主>か。<坊主刈り>というのがあるが、江戸時代にあったか?いづれにしても<坊主>は愛称ともみなせる。したがって<坊>は<坊主>由来の愛称である可能性が高い。したがって、純粋の幼児語(幼児がまたは幼児に向かって使う言葉)ではないが これが最ももっともらしい。しかしながら

子どもの遊びに

かくれんぼ
とうせんぼ

というのがあるが幼児語と言うよりは児童語だが、これは<坊主>の<坊>では説明できない。上の<田んぼ>の<(ん)ぼ>も同じく棒や坊とは考えにくい。同じ。また前半は少し長いやまとことばなので最後の<ぼ>もやまとことばだろう。このよくわからない<ぼ>がトンボの<ボ>である可能性もある。言葉遊びに近い接尾語だろう。

江戸弁では<べらぼう(め)>と言うのがある。江戸生まれの夏目漱石の吾輩は猫であるでは<トチメンボー>というあやしげなフランス料理名が出てくる。

<末尾> やまとことば学習
み吉野の 袁牟漏が岳に 猪鹿(しし)伏すと 誰ぞ 大前に奏(まを)す
やすみしし 我が大君の 猪鹿(しし)待つと 呉座にいまし
白栲(しろたへ)の 衣手着そなふ 手腓(たこむら)に 虻かきつき
その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと
そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ

sptt


Thursday, July 20, 2017

<とにかく>、<ともかく>、<ともあれ>の語源


<とにかく>の語源はなにか?<とにかく>の語源は<とにもかくにも>で、口にするときに少し長いのでこれを端折ったものだろう。では<とにもかくにも>はどういう意味か?

前半と後半に分けてみる。

にも かくにも

と<にも>が前後に出てくる。 <かく>は<かくも>、<かくのごとし>の<かく>で<このよう(な、に)>の意だ。問題はあたまの<と>だ。<と>については別のところで<大助詞>として検討(*) したことがあるが、ここでは簡単に<xxx と>の<と>としておく。<xxx と>は何かというと、とりあえず ”引用の<と>” としておく。引用(される)部分は<xxx>だ。

にも かくにも

は実際は使わないが、意味としては

でも かくでも

ともいえる。<でも>は日本語の口語での多頻度使用語。なぜ多頻度かと言うと譲歩表現に使われるからだ。<にも>も<xxx にもかかわらず>で譲歩表現の一部で使われる。これは中国語の<不管>由来だが、中国語の方は<かかわらず>だけで済ましているのに対し日本語のほうは二つの助詞の組み合わせ<にも>が要(い)る。また譲歩表現に使われる<も>については別のところでかなりしつこ調べた。(**)

したがって<とにかく>は

xxx とでも かくでも

とうつしか替えられ、<xxx>は引用部だが、これは省略されたもの、あるいは<何でもいい>と見る。

これではまだ語源探求としては半(なか)ばだ。

<とにかく>の使用例

1.とにかく頼んでみよう。(反対される、受け入れられない、かも知れない
2.とにかく行って見てくる (見てみないと実情がわからない)(無駄かも知れない
3.とにかくダメだ (どんな条件でも、なんと言おうとも

1-3例のカッコ内は<とにかく>が使われる想定される状況。想定される状況は逆接(が)、譲歩(かも、でも、とも)がからむ。<ともかく>も<とにかく>と同じような意味、使われ方だ。逆接(が)と書いたが、<かも知れないが>は単純逆接とは違い<かも>に譲歩の意味がある。<かも>は疑問助詞<か>+<も>でこれまた<も>が出てくる。4-5例は状況が明示されている例だが、<とにかく>の意味は1-3例と同じではない。

上記1-3例のカッコ内の状況(<とにかく>が使われる状況)を一般化するのは難しい。

参考になるには英語の anyway だ。 anyway は大体<とにかく>と訳して間違いない。

Merriam-webster Internet Dictionary

Examples of anyway in a Sentence
  1. The road got worse, but they kept going anyway.  道はどんどん悪くなっていったが、とにかく行き続けた。)
  2. I didn't expect her to say “yes,” but I asked her anyway. (彼女が ”イエス” というのは期待していなかったが、とにかく頼んで聞いて)みた。
  3. It makes no difference what we say. She's going to do what she wants anyway. (われわれが何と言おうと関係ない。彼女はとにかく自分がしたいことをするのだ。
  4. He's far from perfect, but she loves him anyway. (彼は完璧な男からはかけ離れてているが、とにかく彼女は彼が好きなのだ。)
上記の<とにかく>は<そんなことにおかいまなく(関係なく)>で置き換えられる。<ともかく>でもいい。意味は少しずれるが<それでも>でもいい。<それでも>は<xxx でも>に通ずるところがある。 <それでも>は単なる逆接ではなく譲歩の意味が内包されている(implied)。

4.ひまならともかく、今は忙しいから手伝えない。
5.忙しいならともかく、ひまだったら手伝ってくれ。

上記4-5例は<とにかく>で置き換えられそうだが、ニュアンスがちがう。

4-1)ひまならとにかく、今は忙しいから手伝えない。
5-1)忙しいならとにかく、ひまだったら手伝ってくれ。

<も>があることによって<ひまならともかく、(ひまでないから)>の<ひまでないから>の意がくわわるのだ。もう少し詳しく言うと結論<今は忙しいから手伝えない>を否定する理由、<今は忙しいから手伝えない>という主張の障害となる状況、条件<ひまである>を取り除くのだ。この働きは<とにかく>にはない、または薄い。つまりは結論を否定する理由、主張の障害となる状況、条件を取り除くことによって、結論、主張の正当性を強めるというレトリックだ。一方<とにかく>の方は<取り除く>というよりは<とりあえず脇に置いておく>といった感じだ。

<とにかく>、<ともかく>のほかに似て非なるものに<ともあれ>がある。 上記英文1-4例の日本語訳に<ともあれ>を適用してみる。

1.道はどんどん悪くなっていったが、ともあれ行き続けた。
2.彼女が ”イエス” というのは期待していなかったがともあれ頼んで聞いて)みた。
3.われわれが何と言おうと関係ない。彼女はともあれ自分がしたいことをするのだ。
4.彼は完璧な男からはかけ離れてているが、ともあれ彼女は彼が好きなのだ。

個人差があると思うが、 3番目が少しおかしい。その前の日本語の1-3例にも当てはめ見る。

1.ともあれ頼んでみよう。(反対される、受け入れられない、かも知れない
2.ともあれ行って見てくる (見てみないと実情がわからない)(無駄かも知れない
3.ともあれダメだ (どんな条件でも、なんと言おうとも

3番目はダメではないが、かなり変だ。

日本語の4-5例はどうか?

4-1)ひまならともあれ、今は忙しいから手伝えない。
5-1)忙しいならともあれ、ひまだったら手伝ってくれ。

まったくダメと言っていい。

このポストは語源の話なので<ともあれ>の語源を考えてみる。<ともあれ>のもとは<何はともあれ>で、長すぎるので<何は>を省略したものだろう。<あれ>は<ある>の仮定形。<あれば>の<あれ>か。<あれ>はあくまで仮定形の<形(かたち)>で<ば>がないと<仮定>の意味がでてこない。<ともあれば>ではなく<ともあれ>だ。同じ<あれ>の形で命令形がある。ここは命令形だろう。しかし<ある>の命令形は意味としては<存在せよ>だ。昔ビートルズの歌に<Let it be.>というのがあった。無理して訳せば<ありのままに(しておけ)>だ。<何はともあれ>は<Let whatever be.>となる。ミソは<何は>が whatever となること、<存在>が be になっていることだ。 whatever とは譲歩の意味がからんでくるが、<何が何でも>が純粋の譲歩+逆接のレトリックであるのに比べて<何はともあれ>はこのレトリック度合が弱いといえる。<存在>が be になっていること、は<あれ>がまったくの<存在せよ>ではないことを示唆する。

話がずれるような気がするがこれに関連して<よかれ、あしかれ>を考えてみる。 <よかれ、あしかれ>は文語調で、<よくあれ、あしくあれ>がなまった(音便化)したもの。口語を」さがせば

よくても、わるくても

があるが、ニュアンスが違う。

<ても>は<でも>に通じ純粋の譲歩+逆接のレトリック。<よかれ、あしかれ>は上でと同じでこのレトリック度合が弱いのだ。

さて、はじめの方でもっともらしく<とにかく>、<ともかく>の


<かく>は<かくも>、<かくのごとし>の<かく>で<このよう(な、に)>の意だ。


と書いたが、 <ともあれ>の<あれ>が動詞なので<かく>も動詞である可能性がある。可能性のあるのは<かき消す>、<ひっかく>の<かく>で、漢字では<掻く>があてられるがれっきとしたやまとことばの動詞だ。<かき消す>は一旦あらわした状況を<かき消す>譲歩のレトリックに通じる。

4.ひまならともかく、今は忙しいから手伝えない。
5.忙しいならともかく、ひまだったら手伝ってくれ。
の上記の説明が参考になる。繰り返しになるが、

結論<今は忙しいから手伝えない>を否定する理由、<今は忙しいから手伝えない>という主張の障害となる状況、条件<ひまである>を取り除くのだ。


(*) sptt Notes on Grammar "<と>は日本語の大発明”
(**) sptt Notes on Grammar "<かもしれない>について”、”<も>は大助詞”

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