Monday, November 27, 2023

<鬼に金棒>、<これさえあれば、鬼に金棒>の英語訳

<鬼に金棒>の英語訳を調べてみた。わたしのコンピュータの Google Searchで一番初めに出てくる Google 自動翻訳では

<鬼に金棒>

Demons with gold sticks

なぜか複数になっている。また金=gold となっていて変な直訳だ。Demons with gold sticks だから何だ?で<鬼に金棒>の説明になっていない。実際には<さえ>の用法を調べているときに思いついた<これさえあれば、鬼に金棒>という例文を先にGoogle Search でチェックしたのが、これはGoogle 自動翻訳では

If you have this, you'll be able to beat the devil.

と出てくる。これは、今は死語になっているようだが、噴飯(ふんぱん)ものだ。おもしろいが、自動翻訳機の不十分さを示している。だが、新解釈として将来こういう意味になるかもしれない。Google 自動翻訳はおもしろい。これはまれな例ではなく、噴飯(ふんぱん)ものが続々出てくる。

これさえあれば、鬼に金棒。

の英訳はむずかしい。<さえ>がある条件節の前半も、慣用表現<鬼に金棒>の後半も難しい。試験問題に出したら、いろいろな回答がでてくるだろう。英語の先生でもむずかしいだろう。
 
私の回答は sptt Notes on Grammar の方にある。
 
話はそれるが、桃太郎は鬼ヶ島へ鬼退治にでかけて成功して戻って来るが、もし鬼が金棒を持っていたら、そううまくはいかなかっただろう。この金棒、普通の Metal Rod、Metal Stick ではなく、長くて太く、重そうで、とがったこぶがいっぱある恐ろしげな金棒だ。桃太郎でも鬼がこれを振り回すの見たら恐れをなして逃げ出しそうな金棒だ。
 

追記

最近日本語の助詞をいろいろ調べているが、おもしろいのがいろいろある。笑い話的なのでは

シャボン玉 とんだ
屋根まで とんだ

と言う歌を聞いた子供が母親にたずねた

かあさん、シャボン玉がとぶと、なんで屋根までとぶの?


sptt

 

 


 

Friday, November 17, 2023

<気は心>か?-2



sptt Notes Grammar の方で<気は心>というタイトルのポストをだいぶ前(2012年)に書いている。文法事項がほとんどないので<やまとことばじてん>の方がいいのだが、読み返してみて、たいして面白くないので、そのままのして<気は心か?>のタイトルで書き直すことにした。さらにチェックしてみたら、2021年に<やまとことばじてん>の方でも ”<気は心>か ” のタイトルでポストを書いている。こちらの方が出来はいい。今回のポストは上の二つを参考にしてはいるが、コピー、ペイストの箇所はほとんどなく、独立したポストだ。

 sptt Notes Grammar の方の<気は心>の冒頭は

<気は心>というが、ここでは、大和言葉化した<気>について書く。

で、いろいろ書いているが、肝心の<気は心>の意味の説明がない。<やまとことばじてん>の方の ”<気は心>か ” の方も読みかえしてみたが、<気は心>の意味の説明はいまいち。今回は三度目の挑戦で、また調べてみた。<気は心>の意味は確定したものではないが、大体は贈り物を渡すときに使うようで

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

といったひと昔前の言い方だ。あたまの<つまらないものですが>は、笑い話的に<これはどう英語に訳せばいいのか>で何度かお目にかかったことがある。ネットで調べてみると


精選版 日本国語大辞典 「気は心」の意味・読み・例文・類語

ー 1)わずかでも気のすむようにすれば心も落ち着くこと。2)量は少なくとも誠意の一端を示すこと。贈物などをする時に用いる。

1)はほとんど聞いたことがないし、使ったことはない。2)はときどき聞くし、使ったこともある。<誠意>という漢語を使った解説だが、<まごころ>でもいい。だがこれだと<こころ>を使ったことになる。


GOO 辞書

気(き)は心(こころ) の解説

ー 額や量は少ないが、真心をこめているということ。贈り物をするときなどにいう言葉。「気は心ですから、少しだけ値引きします」

贈り物だけでなく、金銭でもいい。


手元の三省堂辞典では

ー 取るに足らない行為や分量であっても、気持ちが込めらていると思えば満足できること。

<満足できること>とあるが、これは行為者や贈り手ではなく受け手の感情だ。したがって受け手は

<気は心>と言うからありがたく受けましょう。

と返答するかもしれない。だが、この返答は微妙だ。

1)本当に<取るに足らない行為や分量であっても、気持ちが込めらていると思って満足している、あるいは場合によっては心を動かされいる。

2)満足も心を動かされてもいないが、さらには<これしきのもの>と思っているが礼儀上、形式的にこう返答しておく。

例えば贈り物の場合、<気は心>は贈り手でも受け手でも使えるが、意味合いが違う。

贈り手の場合は、いわゆる謙譲表現。だがいろいろなケースがある。

贈り手の場合、貧しい人が言えばいいが、大金持ちが

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

と言ってもまごころは伝わりにくい。ケチな大金持ち (これは多い) と思われかねない。

テーブルの下で高価な物品とか大金を渡す時も

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

と言うかもしれない。

さて、<気は心>の意味や使い方は上記のようでもいいが、<気は心>がなぜこのよう意味や使われ方になったかは別の問題だ。

sptt Notes Grammar のポスト<気は心>では<気>はは大和言葉のように使われていいるが、元はれっきとした漢語であると書いている。これは間違いないだろう。だが相当大和言葉化されており、無意識では<気>は<き>の大和言葉だ。漢語が生き延びているのは大体二字語で

気概、気象、意気、意気込み

<気分>、
<元気>は漢語読みだがほぼ大和言葉だ。和製漢語か。

さて漢語由来の<気>と純大和言葉の<こころ>の慣用表現をチェックして、<気>と<こころ>の違いを探ってみた。<気>の方が慣用表現が多そうなので、便宜上これを先に取り上げて<こころ>と比較してみる。

重箱読み

気合い

<きおい)は<気負い>と書くが、これは辞書によると<きほふ>という古語由来<気>は関係ない。

気後(おく)れ
気兼(が)ね
気構え ー 心構え
気軽(がる)

<きざし>,<きざす>は、兆し、兆す 、と書くが<気差す、刺す>可能性もある。

気立て
気違(ちが)い
気取り
気長(なが)
気晴(ば)らし
気まぐれ
気前(まえ)
気短(みじか)
気持ち
気休(やす)め、気安め
 

湯桶読み

内(うち)気
勝(かち)気
おじ気(け)
寒(さむ)気(け)
むらけ

<気(け)>は<気(き)>と同じ。多分1)日本に入ってきた時が違う、2)中国語の方言、3)日本に入ってきてから変化した。現代北京語では気(qi)だが広東語では<hei>と発音する。<hei>は<kei>に近い。あるいは昔の(あるいは今でも)中国のある地域では<ke>に近い発音ではなかったか(ないか)。


気+形容詞

気軽な
気ぜわしい
気まずい
気難(むずか)しい
気易(やす)い、気安(やす)い

気+が+動詞

気が合う
気が焦(あせ)る
気がある 
気が重い
気が勝つ
気が軽い
気が沈む
気が進まない
気がする
気が急(せ)く
気が済む、気が済まない
気が立つ
気がつく
気が咎(とが)める ー 心がとがめる
(気がはずむ) ー 心がはずむ
(気がはやる) ー 心がはやる
気が張る
気が晴れる ー 心が晴れる
気が引ける
気が滅(め)入る 
気が持たない
気が向く
気が休まる、気が休まらない

気+が+形容詞

気が多い
気が大きい ー 心大きい
気が重い
気が小さい、おくびょう(臆病)ー 心が小さい
気が遠くなる
気がない(<ない>は 形容詞活用)
気が長い
気が早い
気が短い


気+の

気のおけない、おける
気の毒
気の長い(話)
気の短い(人)


気+に

気に入(い)る
気に掛ける
気に障(さわ)る
気に留(と)める - 心に留める
気になる
気に病(や)む 


気+を

気を入れる、気合を入れる
気を失う
(気を込める) ー 心を込める
気をつける
気を留(と)める
気を取り戻す
気を晴らす
気を回(まわ)す
気を向ける
気を揉(も)む
気を休める ー 心を休める
気を許(ゆる)す 、油断する

予想外に<気>を<心>で入れ替えできるものは少ない。


今度は<こころ>先に取り上げて<気>と比較してみる。

心意気 心-意気なので三文字の湯桶読みになる
心掛(が)け
こころざし コンピュータ変換では<志>とい漢字が出て来るが<心差し、指し>だろう。心積(づ)もり
心残り
心待ち
心持ち  <心の持ち方、持ち様>ではなく、<心持ち、多め>などと副詞で使う。<気持ち、多め>ともいう。
心やり(遣る)、思いやり

 心+形容詞

心苦しい
心無い
心無し
心細い
こころよい  コンピュータ変換では<快い>とい漢字が出て来るが<心良い>だろう。
心易(やす)い ー 気易(やす)い、気易く


心+動詞、心+が+動詞

心あたたまる、心があたたまる
心痛む、心が痛む
心うきうき、心がうきうきする
心ときめく、心がときめく
心騒(さわ)ぐ、心が騒ぐ
心する、注意する、覚えておく ー 気にする、気に掛ける
心はずむ、心がはずむ
こころ安(やす)まる 、こころが安まる

 昔は主格助詞の<が>はいらなかった。また<こころ>の場合は三音節と長く、今でも <が>がなくても文法違反ではないだろう。

心+が+動詞

心が咎(とが)める ー 気が咎める

心+を+動詞

心を打つ
心を痛める

心+に+動詞

心に浮かぶ
心に浮かべる
心に沈む、心の中に沈む、心の奥に沈む
心に残る、心に残す
心に響(ひび)く
心にひそむ、心の中にひそむ、心の奥にひそむ
心にもない
心にわだかまる、心の中にわだかまる、心の奥にわだかまる

 

これまた予想外に<心>を<気>で入れ替えできるものは少ない。<気>と<心>は別物なのだ。違いを大雑把に比べてみると

 1)<気>は短期的、刹那的。<心>は長期的、永続的。

<楽しい、うれしい>は <気>の現われ。<しあわせ>は<心>の現われ。

中国語では happy を<開心>と訳し、<幸福>は使われないと言っていい。<開心>には<心>の字が使われているが、総じて短期的、刹那的な<楽しい、うれしい>気分のことだ。

2)<気>は概して浅薄、薄っぺらだ。一方<心>は深刻、奥が深い。

3)<気>は英語の mind 相当。<心>は heart 相当。

以上から、<気は心>の一つの解釈として

気は表面的な意図で、心は隠れた深い思い。気 (意図) がないと始まらないが、大事なのは心だ。心の深さは表面的な意図とは関係ない。したがって受け手にとっては取るに足らないもの、金額であっても贈り手の心の深さとは関係ない。

こう解釈すると、贈り手が

つまらないものですが、<気は心>と言いますのでどうかお納 (おさ) めください。

 は謙譲表現とは言え、あまり中身のない形式的セットフレイズだ。

 

――――

追記)

このポストは、今 sptt Notes Grammar の方で形式名詞について書いているところだが、<気>や<心>や<気分>が純形式名詞ではないが形式名詞的な使い方があり、調べているうちに<気は心>を思い出したからだ。形式名詞と言うのは、これまた定義がややこしく、完全ものはないが、おおよそ

”

A こと、もの、ところ、わけ、はず、つもり / よう、の 

B (略)

これらは、独立した名詞としての用法のほかに、実質的な意味が薄まって(抽象化し)、常に他の言葉によって修飾される用法でも使われるようになったものです。

上のAのグループは、述語を受ける用法が重要なもので、特に「-だ」をつけて文末の「ムード」となる用法があるものです。その場合、本来の名詞としての意味は希薄になり、用法も広く、いかにも機能的な語になります。それらの中で微妙な使い分けがあり、学習者には習得しにくく、日本語教師にとっても難しいものです。

”

<こと、もの、ところ>が代表。<気>と<心>と<気分>では<心>は抽象化が進んでいないが

する気がある
その気になる
どんな気がする? 

する気分じゃない
そんな気分にはなれない
どんな気分ですか?

 と言え、形式名詞の資格がある。一方<心>は

する心がある
その心になる
どんな心がする?  

はほとんど使われないので形式名詞とは言えない。<心>は<心>にとどまっている。方<気>の方は<気>の元の意味が拡大、派生して抽象化した意味の用法がある。この説明はわかりにくいかもしれないが、<気は心>の解釈に役立つところがある。

 形式名詞は単独では主語になれない、という原則になっている。

<気は心>では<気>は主語になっている。この場合<気>は元の意味でないといけないのだが、実際には<気>の意味は拡大、派生していろいろな意味になっており、どれが、何が<気>の本来の意味だか分からなくなっている。

例えば

気が気でない

の<気>は何か? 少なくとも一番目の<気>と二番目の<気>は違うだろう。 

精選版 日本国語大辞典 「気が気でない」の意味・読み・例文・類語

き【気】が 気(き)でない

ひどく気がかりである。気にかかって心が落ち着かない。気が心でない。

と言う説明さえある。これだと

一番目の<気><気>で二番目の<気>は<心>になる。少なくとも<気>は<心>より意味が広いのだ。


sptt



Monday, September 4, 2023

<おちゃっぴい>の語源は<お茶ひき>か?

 

中国語の中国語文法書を読んでいたら、 <おちゃっぴい>の語源らしきものに遭遇した。念のためネットで調べてみたら、まったく違う語源説明で、このポストでは第二の<おっちゃぴい>の語源として紹介する。

ネットの<おっちゃぴい>語源 

『 語源由来辞典』

” 

「おちゃっぴいとは『お茶ひき』からきた言葉で、おしゃべりで滑稽な女の子。またはおませな女の子を意味する。これは江戸時代の遊郭で、なかなか客のつかない遊女をお茶ひき(仕事がなく、お茶をひいてばかりいることに由来する)と呼んだことによる。こうした客のつかない遊女の多くは、おしゃべりが過ぎることから、おしゃべりで滑稽な遊女をおちゃっぴいと呼び、後に遊女以外のおしゃべりで滑稽な女の子に対しても用いられるようになった。お茶っぴいの他、おちゃっぴー、おちゃっぴぃといった表記も用いられる。また、少女向け月刊誌『おちゃっぴー』という雑誌も存在した(1997年廃刊)。内容は現在のギャル雑誌に近いが、性情報に詳しいのが特徴であった。」

”

 私が出会ったのは中国語の<俏皮>。qiào pí,チャオピーと発音する。

 意思是活潑兼帶玩笑或風趣,有點調皮,出自《紅樓夢》(Baide)

調皮(tiáo pí)は何度か別にところで目にしたことがあるので、こちらが一般的だ。

調皮、tiáo pí、ティアオピーと発音する。

意思是指愛玩愛鬧,不聽勸導;狡猾 。(Baide)

おしゃべりで滑稽な(女の子)、またはおませな(女の子)を意味する。

は

活潑兼帶玩笑或風趣

と重なるところが多い。

<おちゃっぴい>は促音があるので東京または関東方言だろう。子供のころ、近所に<おちゃっぴい>な女の子がいたためか、よく耳にした。

問題はいつごろから使われ出したかで、上のネット語源字典からすると、江戸時代だ。
<俏皮>は出自《紅樓夢》とあるが、時間軸では問題ないが、《紅樓夢》を中国語で、しかも中国語の発音で読んだ人はゼロがごくごくまれだろう。だが、《紅樓夢》は中国ではいまだに人気小説で《紅樓夢》が好きな中国人 (複数でもいい) が、なんらかの経緯で日本にもたらした可能性は否定できない。

 

sptt

 

 

 


Saturday, March 11, 2023

xxに興味がある。興味と興趣

 <xxに興味がある>という言い方は今は変ではないが、これは英語学習で<to be interested in xx>の訳(やく)として頭に入ってしまっているからだろう。

I am interested in physics. 

私は物理に興味がる。

が普通だが。英語の方は

Physics interests me.

という言い方もあり、個人的にはこの方が好きだ。日本語の方は

物理は私に興味をわかせる。

という人はごく少数派だろうが、この方が動的で悪くない。

さて<興味>だが、これは中国語だ。だが本場の中国では<興趣>がつかわれる。

<興>は<おこす>で

<会社をおこす>は<興す>でも<起こす>でもいいだろうが、やまとことばからすれば 

会社をおこす

でいい。これからすると<興味>は<味をおこす>で、すぐには<興味>には結びつかない。一方中国の<興趣>は<趣をおこす>で、やまとことばを使えば<おもむきをおこす>で意味ありげだ。

趣=おもむき

としたが、<おもむき>自体がで意味ありげなのだ。少し前のポスト<風情(ふぜい)と趣(おもむき)>で

”

趣(おもむき)はやまとことばで<思い向く>、<思いの向き>だ、と考えたが、手元の辞書で調べて見ると、これは"<おもむく赴く>と同源で、<おもむく>は<面(おも)むく>。反対語に<背(そ)むく>" という解説がある。<そむく>には<顔をそむける>という言い方があるが<おもむく>には<顔をおもむける>という言い方はない。顔(かお)=面(おも)なので具合がわるいためか? さて、<思いの向き>があったとして

 この庭は思いの向きがある。

では通じにくいし、まずこうは言わない。まずこうは言わないが、そこはやまとことばで、日本人ならなんとなくわかる。

”

と書いた。 最近<Asnet Art Gallery>のブログのほうで中国の八大山人という画家の紹介文を英語でやっているが(かなり長い中国文の Google 翻訳をベースに英語翻訳している)、この<興趣>に出くわした。Google 翻訳では簡単に interest ですましているが、ことはそう簡単ではない。<興趣>は絵画鑑賞のキイワードなのだ。中国では画家の個性というような意味で<風格>という語も絵画鑑賞では使われる。<風格>は日本語の<風情>とかなり違う。

いい絵を見て感じるのは interestではなくpleasing feeling さらには fascinating feeling、さらには attractiveness、つまりは<心惹(ひ)かれる>ことなのだ。また<風格>を感じることもある。

 <心惹(ひ)かれる>は<思い惹(ひ)かれ>とも少し違う。 <心惹(ひ)かれる>の方はやや理知的で、絵画鑑賞にはいい。

 

sptt

 

 

 

Saturday, February 25, 2023

何が何だかわけがわからない

やまとことばのおもしろさは、多分に他の言語もそだと思うが、派生現象だろう。<あやまり>言葉では

すみません、すまない
ごめんなさい
 
のほかに

申し訳(わけ)ありあません

これは<言いわけ(excuse)がありません>の意だろう。<Excuse me>は<すみません>だが、<申し訳(わけ)ありあません>も使える。この<すみません(すまない)>や<ごめんなさい>もなんだかよくわからない。

<わけ>は<わかる>由来と思うが、いろいろ派生がある。

何が何だかわけがわからない(いきさつ、事情、因果関係)
 
<わけ>は<わかる>由来とすると、<わけがわからない>は冗語になる。
 
そのわけは(理由)
そんなのはわけない、わけなくできる (問題、困難)
わけもなくいばりちらす(理由)
わけありげだ(理由、いきさつ、事情、因果関係)
聞きわけがない(こども) (事情の理解能力)

否定表現が多い。

 英語の reason には

1)理由、2)理性の意があり

そのわけは(理由)

the reason why that is . . . . 

 相当。

 <聞きわけがない>はことも向けだが、大人向けは

聞く耳を持たない 

か?

英語では

not listen to reason

という言い方がある。


<わける>-><わけ>が理由の意になるのは<分(わ)ける>は因果関係を分析しようとする意味があるためだろう。<わかる>は多くは理由、因果関係が<わかる>ことだが<わかる>ためには、往々にして<わけて、考える>必要がある。

 そんなのはわけない、わけなくできる (問題、困難)

の<わけ>は派生だが、どういう派生か?

<わける>必要、わざわざ<わけて、考える、する>必要はない

ということか?

 

sptt

 


Saturday, September 24, 2022

やせガマンと強がり

 <やせガマン>の<やせ>は<痩せている>なので<痩せている人がガマンする>となるが。太った人でも<やせガマン>する。この<やせ>は<やせた土地>の<やせた>で<やせた土地>でが作物がよくそだたない、実をむすばない。<やせガマン>は、したがって、少し飛躍するが、<できもしないのにガマンする、しようとする、しているように見せる>といった意味なる。<やせガマン>はだいたい否定的、批判的に使われる。

 一方<ガマン><我慢>で、ネット辞書では 

”

1 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。「彼の仕打ちには—がならない」「ここが—のしどころだ」「痛みを—する」

2 我意を張ること。また、そのさま。強情。

「—な彼は…外(うわべ)では強いて勝手にしろという風を装った」〈漱石・道草〉

3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。

”

という解説がある。意味の変遷では3→2→1の順か? もとは仏教用語で文字通りでは<我が高慢>。2の例は<我が高慢>の意をの残しているが<やせガマン>の意に通じるところがある。<うわべでは . . . . 装う>。3が現代の<ガマン>の意味だが、2との関連から、この現代の<ガマン>の意味は、逆に<やせガマン>から発生したのでないか?<やせガマン>はかなりの頻度で使われる。もとっも<ガマン>の方は<ガマン>としてもっと頻繁に使われる。

もうガマンできない。
ガマンにもほどがある
ガマン強い。

 <ガマン>には<したいことをしない、しないでいる>の意がある。大げさに言うと<ガマンの哲学>、<ガマンの幸福論>が作れる。<したいことができない>状態は幸福ではないが、

 "The secret of happiness is not always doing what you want, but always wanting what you do." - Leo Tolstoy

というのがある。もちろんもとはロシア語だろう。前半はいいとして、後半は<することをしたい>では意味がとれない。<することをしたいようになる>でなんとか意味がとれる。

幸福になる秘訣は、<いつもしたいことをする>のではなく <することをいつもしたいようになる、する、ことだ>。

<ガマンする>に対応するやまとことばには、上記のネット辞書にあるように<たえる>、<こらえる>、<しのぐ>がある。<たえしのぐ>というのもある。これらは英語の to endure に相当するが、to endure は<ガマンする>になるか。<痛みをガマンする>は<したいことをしない、しないでいる>ではすぐには説明がつかない。

 <したいことをしない、しないでいる>の典型は禁煙、禁酒だ。

 <やせガマン>に似ていることばに<強(つよ)がり>がある。これはやまとことばだ。

強がりを言う。
強がりに過ぎない。

 強くもないのに強いように見せるといったところだ。<強がり>もだいたい否定的、批判的に使われる。これからすると<ガマンがる>が<やせガマン>になる。

上の<することをしたいようになる>はおかしな日本語だが<することをしたがるようになる>とすると変な日本語でなくなる。

 幸福になる秘訣は、<いつもしたいことをする>のではなく <(どんなことでも)することをしたがるようになる、する、ことだ>。

<やせガマン>、<強がり>に共通しているのは他人から見て<うわべでは、我慢できる、強いように装う>。また多分に他人の目を意識しての言動で一種の演出。このような演出が好きな人と嫌いな人がいる。好きな人はこのような演出には効果がある、嫌いなひとは演出は不自然とみているのだろう。

 

sptt

 

 

Friday, February 11, 2022

風情(ふぜい)と趣(おもむき)

 風情は<ふぜい>読めるが、趣の一語で<おもむき>と読める人、読む人は多くないだろう。 風情も、趣(おもむき)も<意味を解説せよ>と言われても難しい。 風情と趣(おもむき)は一部は同義語になる。

この庭は風情がある。
この庭は趣(おもむき)がある。

大体同じような意味のようだ。 どのような意味かと言われても、これまた難しい。 風情は<ふぜい>と変な読み方をするが、漢語由来だろう。漢語に<風格>というのがあり、ごく大雑把には<好ましい、心がひかれる性格、さらには個性>とでもなるか。<風格がある>は褒め言葉だ。<風>がキーワードで風は目には見えないが感じることができる。また風には<向き>がある。<向き>はある特定の方向のことで個性につながる。<情>は感情のことでいいだろう。

趣(おもむき)はやまとことばで<思い向く>、<思いの向き>だ、と考えたが、手元の辞書で調べて見ると、これは"<おもむく、赴く>と同源で、<おもむく>は<面(おも)むく>。反対語に<背(そ)むく>" という解説がある。<そむく>には<顔をそむける>という言い方があるが<おもむく>には<顔をおもむける>という言い方はない。顔(かお)=面(おも)なので具合がわるいためか? さて、<思いの向き>があったとして

 この庭は思いの向きがある。

では通じにくいし、まずこうは言わない。まずこうは言わないが、そこはやまとことばで、日本人ならなんとなくわかる。<思いの向き>は悪くない。<気が向く>の<気の向き>、<この庭は気の向きがある>ではダメだ。

 この庭は特別な、独特の思いの向きがある。

とすると

 この庭は風情がある。

に近くなる。さらには、あたりまえだがやまとことばの<おもむき>がある。<特別な、独特の>はやまとことばではないが、肝心なところで、風情や趣(おもむき)は千差万別、いろいろあるのだ。

だが実際には

xxの風情がある。
yy の趣(おもむき) 

のように使われ、これは<xx、yy のようだ、の感じだ>の意味になる。

趣味は和製漢語で多分中国では通じない。Hobby の一般的な現代中国語はかなり hobby からずれるが<興趣>というのがある。だがこれは日本語の<興味>の意味にもなる。

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<賞花説園> という花と庭について書いた中国の本があり、始めの方に<花の美>について

色、香、姿、韻

の四語を取り上げて個々に説明している。<韻>はやや難しく、日本では頭韻、脚韻で使われるが、この本では<韻>は大体<趣(おもむき)>のような意味が根本にある。だがよく読んでみると<連想>の意に近い。だが、さらに少しよく考えて見ると、数千年の長い歴史がある中国文化と深く結びついた<固定観念(fixed idea)のようなもので<良し悪し(よしわるし)>だ。

 

sptt