Wednesday, August 23, 2017

カタツムリとトンボの語源


カタツムリとトンボは対照的だ。

カタツムリ - きわめてノロノロ動く。敵から身を守るために殻(家)の中にに体をすっぽり隠してしまう。体の体積を少なく(縮めることが)できるのだ。地面を這(は)い、飛ぶことはおろか跳(と)びはねるともできない。気がつきにくいが、下記の説明にあるとおりカタツムリは虫(あるいは動物全般)としては珍しく体が左右対称でないのだ。

トンボ - 飛びの名人。特に空中で止まったり(Hovering)、見たことはないが<とんぼ返り>の特技がある。きわめて敏捷。素早い動きを目で追えない時がある。突然目前からいなくなるのだ。これは敵から身を守るための行動としては有効。目は複眼で体に比べて大きく270度ぐるりと見えるそうだ。餌を見つけたり、これまた敵から身を守るのに有効。


1) カタツムリの語源

カタツムリの語源は何か?Japan-wiki は<カタツムリ>の解説の最後の方に


カタツムリ Japan-wiki

名称

日本語における名称としてはカタツムリの他に、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがある。語源については諸説がある。
カタツムリ
笠つぶり説、潟つぶり説、片角振り説など諸説ある。なお、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。
デンデンムシ
子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)であるとの説がある。
マイマイ
「デンデンムシ」と同様に子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある
蝸牛
語源については動作や頭の角がウシを連想させたためとみる説がある。


という説明がある。蝸牛は現代中国語。さてカタツムリだが、つまりは語源に諸説ある、ということで、もう一つ加えることにする。

Japan-wiki は<カタツムリ>の解説は英語版と似ているが、日本人向けに特化されていいる箇所が少なくない。日本語版、英語版とも解剖図で体をかなり詳しく説明しているが、下記にの部分が日本語版にはない(2017年8月現在)。 英語版は snail の項目ではなく gasgtropoda(学名か?)の項目(Snail is a common name loosely applied to shelled gastropods. "gastropod" by derivation from the  Ancient Greek words γαστήρ (gastér) "stomach", and ποδὸς (podòs) "foot".)

Anatomy

前略

The principal characteristic of the Gastropoda is the asymmetry of their principal organs. The essential feature of this asymmetry is that the anus generally lies to one side of the median plane.; The ctenidium (gill-combs), the osphradium (olfactory organs), the hypobranchial gland (or pallial mucous gland), and the auricle of the heart are single or at least are more developed on one side of the body than the other ; Furthermore, there is only one genital orifice, which lies on the same side of the body as the anus.
医学用語が並んでいるので細かいことはすぐにはわかりにくいが、要は主要臓器が非対称(asymmetry)だということだ。人間や他の動物の内臓もよくみると基本的には非対称なので(心臓、胃、肝臓、すい臓と一つしかなく、しかも中心軸にあるわけではない)、カタツムリの場合はこれが目立つということか。しかし殻(家)つきのカタツムリは外見から、人間や他の動物にくらべて前後左右明らかに非対称が目立つ。

 カタツムリの<カタ>はこの非対称に由来している可能性が高い。差別用語になるかも知れないが

かたわ
かたちんば

というのがある。


カタツムリの<つむり>は<、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。>が事実とすれば妥当か。だが<つむり(つぶり)>には

つぶる: 目をつぶる(つむる)

がある。さらに
 
おつむ: 頭の幼児語で<お>を」とれば<つむ>になる。 カタツムリの頭はきわめて特徴的だ。

でんでんムシムシ ......だせ、  ......だせ、<あたま出せ>

カンムリ: も頭関連の語。頭(かぶり)を振る、というのもある、連想から<つむ>+<り>、<つむり>で頭の別称となってもおかしくない。

<つむじ>というのがある。<つむじ風>は<旋風>。<つむじ曲がり>は頭の<つむじ>が少し曲がっていることだ(ひと)だ。カタツムリの殻は<つむじ>を連想させるが、どちらかというと<かた向いて>いる。

殻(から)のないカタツムリはナメクジで、こちなの方もかなり動きがのろい。むかしはナメクジラといっていたようで、大きさは違うが形はクジラにている。防御用の殻がなくても長い歴史を生きてぬいてきたので、なにか特別な生存方法があるのか。カタツムリもナメクジも動きはのろいがなまけモノの感じはない。

英語では

カタツムリ - snail

で snail mail というのがある。

ナメクジ - slug

といい、sluggish とう形容詞がある。



2) トンボの語源

トンボの語源は何か?Japan-wiki の解説はかなり長い。


日本語名称

日本では古くトンボを秋津(アキツ、アキヅ)と呼び、親しんできた。古くは日本の国土を指して秋津島(あきつしま)とする異名があり、 『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている。 また『古事記』には、雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、やはり「倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と」呼んだとしている。


中略(末尾参照)


方言においては、「あきつ」「あきず」「あけず」「あけす」「あけーじょ」「はけーじゃ」、「とんぷ」、などの語形が東北から南西諸島に至る各地で見られる。
トンボの語源については諸説あり、たとえば以下のようなものがある。
  • 「飛羽」>トビハ>トンバウ>トンボ
  • 「飛ぶ穂」>トブホ>トンボ
  • 「飛ぶ棒」>トンボウ>トンボ
  • 湿地や沼を意味するダンブリ、ドンブ、タンブ>トンボ
  • 秋津島が東方にある地であることからトウホウ>トンボ
  • 高いところから落下して宙返りのツブリ、トブリ>トンボ
なお、漢字では「蜻蛉」と書くが、この字はカゲロウを指すものでもあって、とくに近代以前の旧い文献では「トンボはカゲロウの俗称」であるとして、両者を同一視している。例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒(赤とんぼ)をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。
日本語ではトンボが身近な生物であったため、さまざまな事物に「トンボ」の名がつけられている。



以上のようにトンボの語源はこれまた諸説ある。
耳で聞く現代中国語のトンボは蜻蛉ではなく蜻蜓だが、<蜻蛉俗称蜻蜓>という解説がある。

やまとことばで<アキツ、アキヅ>とう由緒正しい立派な名前がある。<トンボ>は口語、さらには幼児語だろう。簡単には<トン>は<飛ぶ(トブ)>由来。実際の発音は<ボ>につられて<トムボ>となる。<ボ>は幼児語の接尾語だろう。接尾語でも意味があると思うが、ここは<ちゃん>のような愛称接尾語か?これでは簡単すぎるので調査継続予定。さすが新井白石の分析はいい。


調査継続 - 結果

トンボとなじみがある場所の<田んぼ>がある。手もとの辞書では

田んぼ - 田の口語、とあり<んぼ>の説明がない。

同じようなところに生息するアメンボの語源は次の通り。

語源由来辞典
(トンボの語源の説明もある)

アメンボ
の「アメ」は「雨」ではなく「飴」の意味で、「ボ」は「坊」の意味、「ん」は助詞「の」が転じたもので、「飴の坊(飴ん坊)」が語源となる。 アメンボは、体の中央にある臭腺から飴のような甘い臭気を発するため、この名がつけられた。

Japan- wiki


本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発するのような臭い、「棒」は体が細長いことから。
」と関連付けるのは民間語源である。


これにならうとトンボは

飛ぶ+の+坊  --> トンボ

棒は漢字音でやまと言葉ではない。 坊も漢字音だがやまとことばのようななじみがある。<木偶(でく)の坊>は<木偶(でく)の棒>でもよさそう。坊と棒は混乱というか融合があるようだ。

赤ん坊
甘えん坊
きかん坊
くろんぼ(う) - 黒人の差別用語か
立ちんぼ(う) (これは棒も連想される)

つんぼ - 耳の聞こえない人
おしんぼ(う) - 口のきけない人

問題はトンボ(トン坊)も含めて(<ぼう>が漢字の<坊>かどうかだ。坊主は漢語だ。日本では仏教が中国以上に広まった歴史があり、<坊主>という言葉はいろいろ活躍する。特に男の子供は<坊主>だ。もとは<小坊主>か。<坊主刈り>というのがあるが、江戸時代にあったか?いづれにしても<坊主>は愛称ともみなせる。したがって<坊>は<坊主>由来の愛称である可能性が高い。したがって、純粋の幼児語(幼児がまたは幼児に向かって使う言葉)ではないが これが最ももっともらしい。しかしながら

子どもの遊びに

かくれんぼ
とうせんぼ

というのがあるが幼児語と言うよりは児童語だが、これは<坊主>の<坊>では説明できない。上の<田んぼ>の<(ん)ぼ>も同じく棒や坊とは考えにくい。同じ。また前半は少し長いやまとことばなので最後の<ぼ>もやまとことばだろう。このよくわからない<ぼ>がトンボの<ボ>である可能性もある。言葉遊びに近い接尾語だろう。

江戸弁では<べらぼう(め)>と言うのがある。江戸生まれの夏目漱石の吾輩は猫であるでは<トチメンボー>というあやしげなフランス料理名が出てくる。

<末尾> やまとことば学習
み吉野の 袁牟漏が岳に 猪鹿(しし)伏すと 誰ぞ 大前に奏(まを)す
やすみしし 我が大君の 猪鹿(しし)待つと 呉座にいまし
白栲(しろたへ)の 衣手着そなふ 手腓(たこむら)に 虻かきつき
その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと
そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ

sptt


Thursday, July 20, 2017

<とにかく>、<ともかく>、<ともあれ>の語源


<とにかく>の語源はなにか?<とにかく>の語源は<とにもかくにも>で、口にするときに少し長いのでこれを端折ったものだろう。では<とにもかくにも>はどういう意味か?

前半と後半に分けてみる。

にも かくにも

と<にも>が前後に出てくる。 <かく>は<かくも>、<かくのごとし>の<かく>で<このよう(な、に)>の意だ。問題はあたまの<と>だ。<と>については別のところで<大助詞>として検討(*) したことがあるが、ここでは簡単に<xxx と>の<と>としておく。<xxx と>は何かというと、とりあえず ”引用の<と>” としておく。引用(される)部分は<xxx>だ。

にも かくにも

は実際は使わないが、意味としては

でも かくでも

ともいえる。<でも>は日本語の口語での多頻度使用語。なぜ多頻度かと言うと譲歩表現に使われるからだ。<にも>も<xxx にもかかわらず>で譲歩表現の一部で使われる。これは中国語の<不管>由来だが、中国語の方は<かかわらず>だけで済ましているのに対し日本語のほうは二つの助詞の組み合わせ<にも>が要(い)る。また譲歩表現に使われる<も>については別のところでかなりしつこ調べた。(**)

したがって<とにかく>は

xxx とでも かくでも

とうつしか替えられ、<xxx>は引用部だが、これは省略されたもの、あるいは<何でもいい>と見る。

これではまだ語源探求としては半(なか)ばだ。

<とにかく>の使用例

1.とにかく頼んでみよう。(反対される、受け入れられない、かも知れない
2.とにかく行って見てくる (見てみないと実情がわからない)(無駄かも知れない
3.とにかくダメだ (どんな条件でも、なんと言おうとも

1-3例のカッコ内は<とにかく>が使われる想定される状況。想定される状況は逆接(が)、譲歩(かも、でも、とも)がからむ。<ともかく>も<とにかく>と同じような意味、使われ方だ。逆接(が)と書いたが、<かも知れないが>は単純逆接とは違い<かも>に譲歩の意味がある。<かも>は疑問助詞<か>+<も>でこれまた<も>が出てくる。4-5例は状況が明示されている例だが、<とにかく>の意味は1-3例と同じではない。

上記1-3例のカッコ内の状況(<とにかく>が使われる状況)を一般化するのは難しい。

参考になるには英語の anyway だ。 anyway は大体<とにかく>と訳して間違いない。

Merriam-webster Internet Dictionary

Examples of anyway in a Sentence
  1. The road got worse, but they kept going anyway.  道はどんどん悪くなっていったが、とにかく行き続けた。)
  2. I didn't expect her to say “yes,” but I asked her anyway. (彼女が ”イエス” というのは期待していなかったが、とにかく頼んで聞いて)みた。
  3. It makes no difference what we say. She's going to do what she wants anyway. (われわれが何と言おうと関係ない。彼女はとにかく自分がしたいことをするのだ。
  4. He's far from perfect, but she loves him anyway. (彼は完璧な男からはかけ離れてているが、とにかく彼女は彼が好きなのだ。)
上記の<とにかく>は<そんなことにおかいまなく(関係なく)>で置き換えられる。<ともかく>でもいい。意味は少しずれるが<それでも>でもいい。<それでも>は<xxx でも>に通ずるところがある。 <それでも>は単なる逆接ではなく譲歩の意味が内包されている(implied)。

4.ひまならともかく、今は忙しいから手伝えない。
5.忙しいならともかく、ひまだったら手伝ってくれ。

上記4-5例は<とにかく>で置き換えられそうだが、ニュアンスがちがう。

4-1)ひまならとにかく、今は忙しいから手伝えない。
5-1)忙しいならとにかく、ひまだったら手伝ってくれ。

<も>があることによって<ひまならともかく、(ひまでないから)>の<ひまでないから>の意がくわわるのだ。もう少し詳しく言うと結論<今は忙しいから手伝えない>を否定する理由、<今は忙しいから手伝えない>という主張の障害となる状況、条件<ひまである>を取り除くのだ。この働きは<とにかく>にはない、または薄い。つまりは結論を否定する理由、主張の障害となる状況、条件を取り除くことによって、結論、主張の正当性を強めるというレトリックだ。一方<とにかく>の方は<取り除く>というよりは<とりあえず脇に置いておく>といった感じだ。

<とにかく>、<ともかく>のほかに似て非なるものに<ともあれ>がある。 上記英文1-4例の日本語訳に<ともあれ>を適用してみる。

1.道はどんどん悪くなっていったが、ともあれ行き続けた。
2.彼女が ”イエス” というのは期待していなかったがともあれ頼んで聞いて)みた。
3.われわれが何と言おうと関係ない。彼女はともあれ自分がしたいことをするのだ。
4.彼は完璧な男からはかけ離れてているが、ともあれ彼女は彼が好きなのだ。

個人差があると思うが、 3番目が少しおかしい。その前の日本語の1-3例にも当てはめ見る。

1.ともあれ頼んでみよう。(反対される、受け入れられない、かも知れない
2.ともあれ行って見てくる (見てみないと実情がわからない)(無駄かも知れない
3.ともあれダメだ (どんな条件でも、なんと言おうとも

3番目はダメではないが、かなり変だ。

日本語の4-5例はどうか?

4-1)ひまならともあれ、今は忙しいから手伝えない。
5-1)忙しいならともあれ、ひまだったら手伝ってくれ。

まったくダメと言っていい。

このポストは語源の話なので<ともあれ>の語源を考えてみる。<ともあれ>のもとは<何はともあれ>で、長すぎるので<何は>を省略したものだろう。<あれ>は<ある>の仮定形。<あれば>の<あれ>か。<あれ>はあくまで仮定形の<形(かたち)>で<ば>がないと<仮定>の意味がでてこない。<ともあれば>ではなく<ともあれ>だ。同じ<あれ>の形で命令形がある。ここは命令形だろう。しかし<ある>の命令形は意味としては<存在せよ>だ。昔ビートルズの歌に<Let it be.>というのがあった。無理して訳せば<ありのままに(しておけ)>だ。<何はともあれ>は<Let whatever be.>となる。ミソは<何は>が whatever となること、<存在>が be になっていることだ。 whatever とは譲歩の意味がからんでくるが、<何が何でも>が純粋の譲歩+逆接のレトリックであるのに比べて<何はともあれ>はこのレトリック度合が弱いといえる。<存在>が be になっていること、は<あれ>がまったくの<存在せよ>ではないことを示唆する。

話がずれるような気がするがこれに関連して<よかれ、あしかれ>を考えてみる。 <よかれ、あしかれ>は文語調で、<よくあれ、あしくあれ>がなまった(音便化)したもの。口語を」さがせば

よくても、わるくても

があるが、ニュアンスが違う。

<ても>は<でも>に通じ純粋の譲歩+逆接のレトリック。<よかれ、あしかれ>は上でと同じでこのレトリック度合が弱いのだ。

さて、はじめの方でもっともらしく<とにかく>、<ともかく>の


<かく>は<かくも>、<かくのごとし>の<かく>で<このよう(な、に)>の意だ。


と書いたが、 <ともあれ>の<あれ>が動詞なので<かく>も動詞である可能性がある。可能性のあるのは<かき消す>、<ひっかく>の<かく>で、漢字では<掻く>があてられるがれっきとしたやまとことばの動詞だ。<かき消す>は一旦あらわした状況を<かき消す>譲歩のレトリックに通じる。

4.ひまならともかく、今は忙しいから手伝えない。
5.忙しいならともかく、ひまだったら手伝ってくれ。
の上記の説明が参考になる。繰り返しになるが、

結論<今は忙しいから手伝えない>を否定する理由、<今は忙しいから手伝えない>という主張の障害となる状況、条件<ひまである>を取り除くのだ。


(*) sptt Notes on Grammar "<と>は日本語の大発明”
(**) sptt Notes on Grammar "<かもしれない>について”、”<も>は大助詞”

sptt

Wednesday, June 21, 2017

かまう、かまける


<かまう>、<かまける>は口語でよく使うが、いったいどういう意味なのか?

 <かまう>は否定用法が多いようだ。<かまうものか>は反語で否定の<かまわない>で置き換えられる。

そんなことはかまわない。そんなことかまうものか。

わたしはかまわない。(わたしはかまうものか、とはあまりいわない)

この英語版は I do not care (mind).  It does not matter with (to, for) me.

(It does not me matter. It does not matter me. は文法違反だが、簡潔な表現で意味もつたわる。)

中国語版は 没关(関)系。

でほぼ決まり文句でよく使う。

おもしろいのは<(私は)かまいません>という丁寧語はよく使うが<(私はかまいます>はほとんど聞かない。 Do you care (mind) ? の答として I do care (mind). (わたしは大変気にします)とはいうが、有关(関)系は聞いたことがない。

私はウナギだ。私は天丼。わたしは何でもかまわない。
わたしにはかまわないでくれ。
わたしにはかまわないで、早く行ってください。
負けてもかまわない。 負けてもかまうものか。
勝とうが負けようがかまわない。勝とうが負けようがかまうものか。
花子は服装(みなり)にかまはない。
花子は太郎が去って行ってもかまはない。
 
たまには子供たちをかまってやれ。
忙しくて子供たちをかまってやれない。
太郎はこのところ忙しくて前のように花子をかまってやれない。

以下は<かまける>でもよさそう。

そんことに(は)かまっていられない。 そんことに(は)かまけて(は)いられない。
そんことにかまっているヒマ(時間)はない。そんことにかまけているヒマ(時間)はない。

以下は<かまける>でないとダメ。

忙しさにかまけて、たのまれた品物の買い物を忘れてしまった。
 

以上の例を分析して、やまとことばで言いかえると

かまう - 気にする

かまう - 気にかける

かまう - 面倒をみる。面倒は和製漢語か。

英語版は to take care of
中国語版は 照顾(顧)

発音からするともとは漢語のようだがやまとことばになりかけている<世話>を使った<世話をする>があるが、<面倒をみる>とは少し意味が違うようだ。だが<世話をかける>は<面倒をかける>、<世話になる>は<面倒になる>とほぼ同じ意味だ。

ある意味の<かまう>は<余計(よけい)なお世話をする>のような意がある。

男子校の生徒が学校帰りの女学生をかまっている。

<面倒をかける>の中国語版は<麻煩>で名詞(面倒の意)でもあるが、動詞にもなり

(我)麻煩你

となる。<かまう>をつかうと<(私は)あなたをかまけさせます(が)> となりそうだが、こういう日本語はない。普通は<面倒をかけます(が)>、<ご面倒ですが(が)>、<ご面倒をおかけいたします(が)>などとなる。

<かまう>は日常よくつかわれるので 連用形体言(名詞)の<かまい>があってもよさそうだが、なさそう。 また否定形用法が多く肯定形ではあまり使われないことから動詞<かまう>は未発達といえる。

だがこれは詮索が足りないのだ。 <かまい>は発達して丁寧、尊敬の接頭辞<お>がついた<おかまい>で日常多用されている。だがこれまた否定形が多いのだ。

(おかまいする) おかまいしました。またおかまいします。

以上は

(お邪魔する) お邪魔しました。またお邪魔します。

と<お>のついた変な漢語の<お邪魔>の方がよく使われる。<おかまい>の否定形は

おかまいなしに、おかまいもなしに (かまわずに、少しも気にかけずに)
おかまいもしませんで

<世話>に<お>のついた<お世話>もよく使う。

お世話になる。お世話になりました。
お世話さまです。

<お世話>にさらに<さま>がついている。<ご面倒さま>、<お邪魔さま>、さらには<ご迷惑(さま)>というのもある。日本語はこのへんが非常に発達しているといえる。だが<おかまいさま>はない。やまとことばの<かまい>は漢語にそうとう侵食されている。


さて<かまける>はどうか?

かまける - 気をつかう。 ワープロでは<気を遣う>とでてくる、<こころを遣(や)る>の意か?

かまける - 心をうばわれる



sptt

Saturday, June 17, 2017

Life、<生活>のやまとことば、 <日々を生きる>

英語の Life は多義語でこれに相当する一語の日本語はない。

Life -1
Please save my life. 
わたしの命(いのち)をお助けください。

Life -2
Taro ended his long life.
太郎は長い一生を終えた。

Life - 3
Hanako leads a busy life every day.
花子は毎日忙しい生活をおくっている。

Life は動詞 to live の名詞形。 to live は

Taro lives. だけだと<太郎は生きる>になるが、英語でも日本語でもめったにこうは言わないだろう。だが to live は<生(い)きる>だろう。

Taro lives in Tokyo. は問題ない。<太郎は東京に住んでいる>が相当。だが<生きる>と<住む>ではえらい違いだ。したがって動詞 to live も相当な多義語だ。だが<太郎は東京で生活している>とも言える。

Taro lived a long life. とは言えるが to live と life が重なるので Taro had a long life. が簡潔でいい。

<太郎は生きてる> は<死んでいない>を意味するときはTaro is living. ではなく Taro is alive. で関連形容詞の alive がでてくる。(A) live concert の live は動詞ではなく形容詞用法だ。

さて日本語の方にもどるが<命(いのち)>はれっきとしたやまとことば。だが<一生>も<生活>も漢語由来だ。

太郎は長い一生を終えた。--> 太郎は長いいのちを終えた。

はなんとか通じる。

一生に一度のチャンス --> いのちに一度のチャンス

これはダメ。

長いいのちに一度のチャンス

は通じるし、やまとことばのニュアンスがでてくる。

才能ある美代子の短かった一生が悔やまれる。--> 才能ある美代子の短かったいのちが悔やまれる。

これもやまとことばのニュアンスがでてきていい。

もっと例を調べるべきだが、<一生> は<いのち>でなんとか置き換ええられそう。

花子は毎日忙しい生活をおくっている。--> 花子は毎日忙しいいのちをおくっている。
 
 これはまったくダメと言っていい。 

A poor life    - まずしい生活 --> まずしいいのち
A happy life   - しあわせな生活  --> しあわせないのち
A daily life   - 毎日の生活  --> 毎日のいのち
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->いのち水準 
すでにかなり時間がたつが、英語圏では Fashion が使い古されて魅力がないためか意味が広いがLife style という言葉使われるようになっている。
Life style - 生活スタイル -->いのちスタイル

これまたもっと例を調べるべきだが、<生活>は<いのち>でカバーできない。上に述べたように<生活>は漢語由来だ。

日本語では普通<生きる>と書くが、場合によっては<活きる>とも書く。<XXをいかす>は活用、活性化の意から<XXを活かす>の方がよさそう。また魚屋や海鮮料理屋では<生き魚>ではなく<活き魚>だ。<生魚>だと<なまざかな>になりかねない。漢字を使うとこういう区別があるが、やまとことばの<いきる>には<生きる、生きている>と<活きる、活きている>の意味があることになる。<いきいきした>は<生き生きした>表情、生活とも<活き活きした(新鮮な)>さかな、野菜。とかき分けられそうだが、やまとことばでは<いきいきした>だけだ。

以上は前置きで、このポストの目的は<生活>に相当するやまとことばを見つけることなのだ。答えは意外と簡単で、やまとことばには<くらし>というのがある。

A poor life    - まずしい生活 --> まずしいくらし
A happy life   - しあわせな生活  --> しあわせなくらし
A daily life   - 毎日の生活  --> 毎日のくらし
Life standard (level) - 生活水準 (生活標準は聞かない) -->くらし(の)水準 
Life style - 生活スタイル -->くらし(の)スタイル

大体<くらし>でもおかしくない。これで解決か。<くらし>は<くらす>の連用形の体言(名詞)用法。したがって、意味に<くらす>の意味がつきまとう。

<大体<くらし>でもおかしくない>と書いたが、

まずしい生活 --> まずしいくらし    OK
しあわせな生活  --> しあわせなくらし  はOKだろうか?

もう少し調べてみる。

みじめな生活 --> みじめなくらし    OK
くるしい生活 --> くるしいくらし     OK  これは語呂がよくない。
らくな生活 --> らくなくらし    OK
裕福な生活 --> 裕福なくらし    OK
たのしい生活 --> たのしいくらし    はOKだろうか?  <たのしい>も<生活><くらし>とあいそうがよくないようだ。
くらしむきがよくない --> (経済的な)生活状況がよくない

<生活>も<くらし>もどうも経済的な要素がからんでいるようだ。

 しあわせな生活  --> しあわせなくらし  はOKだろうか?
 たのしい生活 --> たのしいくらし    はOKだろうか? 

の<OK?>はこれにからんでいるのだろう。また

< しあわせな生活をおくる>はいいが<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>

は微妙だがすこしおかしいようだ。

この<おくる>はクセモノで<送る>、<贈る>ではない。ではこの<おくる>はどういう意味か? これは重要なことだが、あとで検討する。

中立的、一般的な<毎日の生活>は<日々のくらし>でいい。

<毎日の生活>は<日々のいとなみ>というやまとことばでも置き換えられそう。だが<いとなみ>は<生活>にならない。<いとなみ>はこれまた動詞<いとなむ>の連用形の体言(名詞)化用法で<いとなむ>の意味が付きまとう。<いとなむ>は用法、意味がせまいようだ。漢字は<営む>となる。

小売業(小売店)、魚屋、パン屋、町工場(まちこうば)を営む。 

大企業を営むとは言わない。 -->大企業を経営する。と漢字が多くなる。

似たようなやまとことばに

<XX をなりわいとする>というのがあるが、<日々のなりわい>も<毎日の生活>にならない。<いとなみ>、<なりわい>は<生活のかてをえる>活動なのだ。これまた経済的な要素がからんでいるようだ。

さて

< しあわせな生活をおくる>、<しあわせなくらしをおくる>
< たのしい生活をおくる>はいいが<たのしいくらしをおくる>

の<おくる>を検討する。この<おくる>は<送る>、<贈る>ではない。<生活>や<くらし>を<送ったり>、<贈ったり>するわけにはいかない。<おくる>は<置(お)く>由来だろう。<おくる>は多義語となる。<置く>は英語で言えば to put、to place 。<送る>は to send、<贈る>は to present (プレゼントする)だが、やまとことばでは基本的に(一般化して)同じ<おくる>だ。だがこの<おくる>はどうも違うようだ。

xxな生活をおくる -->  xxな生活を過ごす

で言い換えられるが

xxなくらしをおくる -->  xxなくらしを過ごす

の言い換えはダメだ。なぜダメなのか?これはおそらく<くらす>と<過ごす>が同じような意味を持っているからだろう。

日々をくらす
日々を過ごす

<おくる>はどうか?

日々をおくる

問題ない。以上から、二段論法か三段論法かよくわからないが、この<おくる>は<送る>、<贈る>とはべつの<置(お)く>由来の<おくる>なのだ。これからが本論。

<Life、生活=くらし(?)>の検討のため<くらす>、<すごす>、<おくる>を比較してみる。

<くらす>は<来る>由来ではなく<日が暮れる>の<くれる>の古語<暮(く)る>と関連がありそう。<くらす>は<暮る>の使役形、または他動詞化だ。<日が暮れる>は<昼間が終わる>ことだが、昔は電灯がなかったので<昼間が終わる>というよりは<一日が終わる>だ。使役形、または他動詞で<日を暮らす>と言うと<一日を終える>となる。<一日を終える>は生活のにおいがする。

<すごす>は<過ぎる>の使役形、または他動詞化だ。<一日が過ぎる>は<一日を過ごす>となる。<一日が過ぎる>は<なんとなく一日が過ぎる>感じだが<一日を過ごす>はやや自立的、積極的だ。<過ぎる>、<過ごす>はあるモノ、コトが後ろへ行くことだが、時間や日(ひ)では過去になることだ。<過ごす>は使役形、他動詞なので<一日を過ごす>は<一日を過去にやらす>ことになる。

<置く>由来の<おくる>は<過ぎる><過ごす>に近い。というのは<置く>は<置いて行く、行ってしまう>も意味するからだ。正確には<置き去る>、<置き去りにする>という言い方がある。英語では to leave が相当するが、これが自然に使えるようになるには少し時間と使用実践が必要。 to leave は多義語だ。leave の発音は live をすこし長くしただけだ。

I left my wallet at home.    財布を家に置き忘れた。
Hanako left her two children at home and went to a town for shopping.
花子は二人の子供を家に残して街に買い物に出かけた。
 Taro left Tokyo yesterday.  太郎はきのう東京を去った、離れた、発(た)った。

<日を暮らす>も見方をかえると、<一日を過去にやらす>ことに近い。したがって<くらす>、<すごす>、<おくる>は同じような意味の動詞たちと言えそう。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

に大きな差はない。

さて<Life、生活=くらし(?)>の問題だが、この方程式は正しくない。

Life には to live (生きる)の意が強く残っていて<一日を過去にやらす(to let it go)>ことではない。中国語の<生活>の方も<生きる、生命>の<生>と<死><死んでいる>に対する<活>の字の組み合わせで英語の Life の意に近い。<一日を過去にやらす>ことではなく<生きる>ことなのだ。

<生きる>と<くらす>、<生き方>と<暮らし方>とでは雲泥の差がある。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

ではなく

日々を生きる

がいい。

英語では to lead a life という。to live a life は語呂が悪いが間違いではないだろう。

日々をくらす
日々をすごす
日々をおくる

は上で取り上げた to leave が相当するようで to live a life となる。 to live a life をやまとことばにすると<日々を置き忘れる、残して出かける、去る、離れる>となる。

<日々を生きる>はいいが、残念ながら名詞形が見つからない。<くらし>は<くらす>由来。<くらす>は<くれる>の関連語。<くれる>は<暗(くら)い>グループの言葉で、<日が暮れ>ればあたりは暗くなる。 <途方にくれる>もこの仲間で<お先まっ暗>の意だ。<くれる>には<暗い>イメージが付きまとう。これが<くらし>のイメージに影響しているようで<生き活き>の明るいイメージとは対照的だ。<暗いくらし>は語呂が悪いためかあまり聞かないがイメージはわきやすい。<明るいくらし>はイメージがわかずイマイチだ。


sptt

Saturday, June 10, 2017

勇気、挑戦のやまとことば

<勇気>は名詞(体言)で、動詞として使おうとすると<勇気をもって(xx)する>となってしまう。<勇気>のやまとことばは<いさみ>だろうが、<いさみをもって(xx)する>とは言わない。<いさみ>の動詞は<いさむ>だが、用法は限られている<いさんで(xx)する>と言えるのだが、<勇気をもって(xx)する>とは意味にズレがある。<いさんで(xx)する>はなにか軽いのだ。おそらくこれは、形容詞形の<いさましい>が<勇気ある>よりもなにか軽いのと同じだ。<いさましい姿>はいいがが<いさましい行(おこな)い>もまたなにか軽い。<いさみ足>という言い方があるので、積極的なのはいいが、なにか軽々しいのだ。

<勇気>はもちろん中国語由来。中国では<勇気>も使われるが、圧倒的によく使われるのは<勇敢>。<勇気がある>は<有勇気>ではなく<有勇敢>か。中国語の常で<勇敢>はそのまま形容詞にもなる。<你勇敢>。<勇敢>が先に来る場合は<勇敢的行為>と<的>がつきそうだが、<勇敢行為>でもよさそう。

<勇気をもって(xx)する>に相当するやまとことばとして<勇敢>の<敢>、すなわち<敢(あ)えて>を使ってみる。中国語の<敢>は<勇敢>以上によく使われようで<敢えて(xx)する>、英語の助動詞的使い方の dare 相当だ。<敢えて(xx)する>。

日本語では<あえる>という動詞はごく限られた使い方で、もっぱら<あえてxxする>、<あえてxxしない>となる。ここで<あえて>は副詞。<あえてxxする>はやまとことばというよりは英語の助動詞的使い方の dare の漢文まがいの苦心訳由来だろう。

限られた使い方では<とりあえず>という慣用的な言い方があるが、<あえず>は<あえる>の否定とすると、この<あえる>はどういう意味か?<勇気をもって、とらない>とはいったいどういう意味か?

<あえなくも>という慣用的な言い方もある。これは<あえ(が)なくも>で<あえ>は名詞(体言)だが<あえる>の連用形の体言用法で、意味は<勇気をもってすること>になる。あるいは<あえなし(い)>を形容詞と見て<勇気をもってする(した)にもかかわず>の意か?

<いさむ>、<いさみ>、<あえる>、<あえ>の詮索は別の機会にする予定として、ここでは<いさ>、<あえ>関連の言葉がまずしい(貧弱な)ことを取り上げたい。つまりは勇気は漢語なので<勇気をもって(xx)する>が純やまとことばで言えないのだ。これは表面的なことだけでな。<勇気をもって(xx)する>は民族の発展に関係するだろうから、やまと民族(日本人)にとってはゆゆしき問題だ。

<勇気>に関連した言葉に<挑戦>がある。<挑戦>には<いどむ>というやまとことばがある。だが正確には日本語の<挑戦>は名詞(体言)で<いどむ>は動詞だ。名詞(体言)の<いどみ>はいいやまとことばと思うが残念ながらまず聞かない。これまた<いどむ>(挑戦)関連のやまとことばは未発達なのだ。<挑戦する>は使われて古くなったためか効果、印象が薄くなり<チャレンジする>がよく使われる。英語の方の<チャレンジ(a challenge, challenges)>、<チャレンジする(to challenge)>もおもしろく、英語圏の政治家や役人は困難(a difficulty, difficulties)とは言わず、この意味で<チャレンジ>をよく使う。そのうち<チャレンジ>の意味が変わるだろう。

勇気、挑戦のやまとことばがまずしい、ということは日本人は勇気やチャレンジ精神がまずしいことを示唆する。

あと回しになってしまったが、<勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>を もう少し詳しくいうと、(困難や恐れがあるにもかかわらず) <勇気をもって(xx)する>、<挑戦する(いどむ)>となる。<おそれ>のやまとことばは発達しているようだ。<おそれる>、<おそれ>、<おそろしい>、<おそろしがる>、<おそろしげ>。否定を使った言い方になるが、<勇気をもって(xx)する>は

<恐れずに(xx)する>

で純やまとことばになる。

困難の方は<むずかしい>、<むずかしさ>はいいが<むずかしがる>は日本語的な言い方だ。したがって<挑戦する>は

<むずかしがらずに(xx)する>とでもなりそうだが、<いどむ>のほうがはるかにいい。


sptt

Saturday, April 22, 2017

<もぐら>、<くじら>の語源


<もぐら>の語源は動詞<もぐる>だろう。<もぐる>は大体<水の中をもぐる>のだが、<もぐら>は<土の中をもぐる>。<水遁の術>があれば<土遁の術>もある。日本では<水遁、土遁の術>は忍者用語のようだが、封神演義で出てくる<土遁の術>を使う土行孫はもっぱら<土の中ににげる、かくねる>のではなく<モグラ>のように<土の中を動き回る>のだ。小説では<土の中を動き回る>というよりは<土の中を(地上よりも)速く走る>のだ。山をのぼりおりしたり川を渡る必要はない。土行孫はなかなか魅力的な登場人物だ。

さて<もぐら>は目が退化してほとんど<めくら>(差別用語か?)のようだ。 あるいは遠くを見る必要はないので極度の近視。<めくら>は<目暗>だろうが、<もぐら>と発音が似ている。モグラの英語は mole

ゴジラはゴリラ(gorilla)とクジラ由来。モスラは Moss (蛾)由来。

クジラの語源は不明。<もぐら>からの連想では動詞<くじる>が語源だが、<(足を)くじく>と<しくじる>はあるが動詞<くじる>は見当たらない。クジラはやまとことばらしくない。

<ぐる>がつく動詞はそれほど多くはない。

えぐる
くぐる
さぐる
なぐる
めぐる
もぐる

<ぐるぐる(まわる、まわす>の<ぐる>関連語が多い。

<じる>がつく動詞もそれほど多くはない。

いじる
かじる
こじる(こじあける)
なじる
はじる
ほじる
まじる
もじる
やじる
よじる(身をよじる)

<いじる><かじる><こじる><ほじる><よじる>は連想が働く。<もじる>は言葉、<なじる><やじる>は人が対象の<いじる><かじる><こじる><ほじる><よじる>といえる。

トジラは極度の閉所恐怖症(claustrophobia)の人。
ドジラはばかな失敗ばかりしている(ドジる)人。
ナジラは他人の批判ばかりしている(ナジる)人。
ハジラは極度の恥ずかしがり屋。



sptt


Friday, March 17, 2017

綺麗な花、美しい花 -2


かなり前に<綺麗な花、美しい花>というタイトルでやまとことば<美しい>が漢語由来の<綺麗な>に追いやられている状況を述べた。今回漢語由来の<美(び)>に相当するやまとことばをさがしてみたので、状況を述べることにした。これはどこか別にところで書いたような気がするが、解決していないのだ。

<美しさ>と<美>は違う。<美>は高度に抽象化されている。これに対し<美しさ>は<美しい>という形容(詞)の意味をかなり強く引きずっており、抽象度合が低い。

1⁻ a)花の美(び)ははかない。
2 ⁻ a)花の美しさははかない。

美(び)は漢語だが1⁻ a)のほうが自然だ。

少し具体化させて

1⁻ b)この花の美(び)ははかない。
2⁻ b)この花の美しさははかない。

 とすると、2⁻ b)のほうが自然だ。

形容詞の古語の連体形<美しき>を名詞(体言)化したらどうか。

花の美しきははかない 。

これは、個人的な意見だが

1⁻ a)花の美(び)ははかない。

にすこし近くなる。少なくとも

2 ⁻ a)花の美しさははかない。

ほどの不自然さはない。これは、おそらく、<美しさ>が<美しさ>の状況、度合、程度を表してしまうのに対して <美しき>には、古語のためか、この作用が薄いためだろう。

ーーーーー

<小さきもの、美しきもの>


小さな秋を見つける者心ゆたかに生きる。

小さきに美しきを見る者心満ち足りて生きる。

美しきものそこここにあり。

見る目、探す心あれば。


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